小野俊介 サル的日記

いや、その、サル的なヒトだから・・・

世代間闘争しない

昨日、家人と繁華街で買い物をして、地下街の甘いモノ屋さんでクリームあんみつを食べたのである。 お店を出てから、家人がトイレに寄るというので、僕もそうすることにした。

地下街のトイレは狭いのだが、今いるのは僕一人。 男子用小便器の前で、ふーっとリラックスしていたら、すぐ隣に若いにーちゃんが駆け込んで来た。 ジーンズとジャケットをワイルドに着こなした、ちょっとチャラい感じの20歳前後の若者である。 背が高い。180センチ超という感じ。 かなり切羽詰まった状況らしく、チャカチャカと慌てながら、ジーンズのチャックを下ろしている。

「フフフ、若いのぉ。 そんなにあわてんなよ、にーちゃん」 と温かく見守っていたら、次の瞬間、恐ろしいことが起きたのである。 隣のにーちゃん、放尿し始めたのは良いのだが、それがものすごい勢いなのである。 よほど我慢していたのかもしれん。 さらに尿が発射される位置が、明らかに僕の発射位置よりも30センチくらい高いのだ。 すっごい勢いの尿が、すっごい高さから放たれる。 まるで滝である。 瀑布である。

で、何が起きるか、というと ・・・ どっひゃー、僕の右足に、いろんなところから飛び跳ねたしぶきがかかってるぞっ! まるでナイアガラの滝の下のような水煙、そして、飛び跳ねる小さな水滴たち。 ダイ○ンエアコンのCМに出てくる、あのかわいい水滴 (ぴちょん君) のようなヤツらが、あちこち飛び回っているのが見える。 ぴちょん君、ぼ、僕の右足の上にも舞い降りてるぢゃあないか!

でも、こっちも放水中なので、ぴちょん君を避けることもできない。 応急措置として右足を10センチくらいこっちに寄せてはみたものの、本質的な解決にはならない。

しばし、激しい水しぶきを右側の眼下に見つつ、茫然と放水を続けるサル的なヒト。 永遠とも思えるほど長い時間だったが、冷静に地球時間で測ればわずか十数秒だったかもしれぬ。

若いにいちゃんは、用を終えると、入って来たのと同じくらいの勢いで外に出ていった。

呆然としたまま一人残されるサル的なヒト。 年寄りなのでおしっこが長く、まだ終わらない。 なんだか人間として最も大切なものを蹂躙されたような気持ちになる。 じんわりと涙が ・・・

手洗い場でティッシュに少し水を浸してズボンの右足を拭いたが、むしろ被害を拡大させている気がする。 打ちひしがれた気分でトイレを出て、階段の踊り場で家人を待つ。

家人  「 お待たせー ・・・ あれ、どうしたのよ? 元気ないじゃない?」
サル的 「 ・・・ なんでもない ・・・」
家人  「 あ、ズボン濡らしちゃったの? おじさんなのにちょっと恥ずかしいねぇ(笑)」
サル的 「 ・・・ う、うわぁーーーーん ・゚・(ノД`;)・゚・ 

*****

本日のお昼は生協食堂で例によってタンメン(340円)。 いつも結構混んでいるので、お昼は時間を後ろにずらすことにしている。 玉ねぎのゴリゴリ感がたまらないタンメンを食べ、帰ろうと思ったら、壁に大きくこんな感じの大きな張り紙が出ていた。

生協食堂からのお知らせ

お昼の12時から13時15分までは生協加入者だけしか使用しないでください。
こんな声が寄せられています。
<お客さんの声> (実際の投書の拡大コピーが貼ってあった)
お昼の時間、正規の学生・職員(生協組合員)が混雑で利用できないのはとても困る。 未来あふれる中高生ならまだしも、シニア世代がのんびり場所をふさいでいるのを見てると腹が立つ。 生協よ、まじめに対策しろ!

・・・

気持ちは分かる。 指摘も正しい。 生協は組合員のもの。 そのとおり。 でもさ、こういう匿名の投書の実物を拡大コピーして 「こういう苦情が来ているから、年寄り制限も仕方ないよね」 っていうのは、サル的にはどうも気に入らん。 

確かにお昼の混雑はなんとかしたい。 ならば、生協が粛々とルールを作って、「じいさん・ばあさん・観光客の皆さーん、お昼の12時からの1時間は来ないでね。 学生と職員が使うからさ。 あわれなことに、若い連中って時間に追われてホント忙しいんですよ。 よろしく! あ、2時とか3時とかの空いている時間はむろん歓迎よ」 って 大きく 掲示すればよいだけの話。 

笑いも取れないような殺伐とした投書をわざわざ拡大コピーして掲示するって、情けないぞ、生協さん。 生協の白石さん」 の伝統はどこにいったのだ?

私も相当にジジイ世代が嫌いだし、それをこのブログにも書いてきた。 でも、勘違いしないでね。 僕は 「年寄り」 が嫌いなのじゃなくて、その 「世代 (はっきり言うとベイビーブーマー世代か(笑))」 のおっさんたちが嫌いってこと。 その世代のおっさんたちが現役バリバリの時代に (そして今も) してきたことが無責任に見えて、毎度イライラするのよ。 でもさ、それはたとえば政策論・科学論・産業論の世界でのこと。 生協の昼メシのスペース争いの話ではない。

年寄りを憎んでも仕方あるまい。 あんたも私も誰もが通る道だ。 また(比較的金銭的に苦しい人たちが生協を利用しているとして) 貧乏人が貧乏人を憎んでも仕方あるまい。 先に憎むべきは、人類の歴史上かつてないまでに広がってしまった、金持ちと貧乏人との格差である。 どこからどう見ても崩壊しそうな気がする年金制度・介護保険制度・医療保険制度の将来を心配すべきなのである。

社会のあらゆるものごとをゆるーく包摂し、面白がり、寛容に受け容れるのが大学の良いところである。 修学旅行生も、観光客も、散歩中のワンコも、ニャンコも、そして一人暮らしの寂しい老人も、仕事をサボり中のリーマンも、大学が好きな市民は誰でもフラフラと来てくれればよいのだと思う。(注 1) 世俗から少し離れた空間で物思いにふける贅沢は、大学生や教員だけの特権ではなかろう。

(注 1) むろん過去にいろいろな大学のキャンパス内で大変な事件があったことは知っている。 一定のセキュリティは必要である。

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経済学者のスティグリッツ先生の、世代間格差の記事を読むと、この問題の深刻さと広がりがよく分かる。 ぜひご一読を (これね → なぜ欧米の若い有権者たちは「古い政治」を見限ろうとしているのか | ハフポスト )。

それに比べたら、サル的なヒトが経験したオシッコの放出位置の高さに関する世代間格差の問題など、取るに足らない問題 ・・・ ではないぞ。

 \(*`∧´)/ ムッキー!!  若いヤツら、ちょっと足が長いからってイイ気になんなよ!

なんとかしてくれ、TOTO あるいは INAX のヒト。