小野俊介 サル的日記

いや、その、サル的なヒトだから・・・

草しか見えない

もう夏が来たのかと思わせる陽気だが、皆さんお元気? このまま真夏に突入したら、10月まで半年の間汗だくの日々となる。 今無料出張講義をやっている某社のネパール出身の方が 「ネパールも気候が相当に変になってますよ」 と言っていたが、地球全体がグダグダになっているのだろう。

今日は東大生協の学食でハンバーグ定食を食べたのである。 400円くらい。 この学食、半年間ほどの改修工事を経て、この4月から新装オープンした。 明るくなったし、きれいになったし、言うことないよ。 壁なんか真っ白だもん ・・・ ん? でもなんか違和感があるぞ ・・・ うーん、何かが変わったような、変わってないような ・・・ あ、そうだ、絵だ! 運動とヒトをシンボリックに表現した躍動感のある抽象画。 あれがなくなったんだ。 あの絵、どこに行ったんだろう?(棒) よし、生協さんへの一言メモで質問してみようっと。

「えーっと、あの大きな絵はどこに行ったのですか?」(笑)

正直に告白すると、私は絵が無くなったことにまったく気づかなかった。 あの絵の存在を覚えていて、生協さんに絵の行方を最初に尋ねたヒトは、はっきり言って、すごい能力の持ち主だと思う。 皆さんもそう思わない? ふだん行きつけのラーメン屋に貼っているポスターとか、スタバの壁に貼ってる不思議な絵とか、覚えてる? 旦那さん・奥さんの今の髪型、描ける? 家の中に飾ってあるひな人形が五月人形に変わったことすら気づけないサル的なヒトにとって、その手の記憶力はもはや超人のそれである。

物忘れが激しいのは、しかし、私だけではないよね。 たとえば、ほれ、政府なんてのはずっと記憶喪失である。 記憶がまったく無いから、何十年間も同じ政策を繰り返す。 政府だけじゃなくて、国民も昔のことなど何一つ覚えてない。 過去の政策なんて誰一人覚えていないし、それを政府に思い出させようとする人もいないから (誰も成果を評価しないし、失敗を指摘しないんだもの)、まるで新ネタのような顔をして政府は同じネタを出し続ける。 ほんの少し名前を付け替えて。

たとえばこれ。2002年の時点での政府のイノベーション推進策とやらをまとめた自分の過去のスライドを眺めていて驚いた。

うーむ。 この頃からずっと、政策に進歩も進化も反省もない感じが ・・・ 「今後5年間、集中的にイノベーションを推進するのぢゃあ!」 と言ってから、今は何度目の 「集中的な5年間」 だろう。 羽毛布団よりも軽い 「集中的」 (笑)。

ご飯食べたことを忘れて何度も何度も 「ご飯食わせろ!」 と呟くボケ老人。 介護者もボケてるから、ご飯を食べさせたかどうかを忘れて、何度でもご飯をボケ老人に食わせる。 悲劇か喜劇かわからんが、それがニポンの伝統である。 こんな国に競争力 (意味不明な概念だが) とやらがあるわけなかろう。(注 1) でもこれって、とりあえず目先のおいしいメシの種を身内・お仲間だけで確保し続けることに命をかけるタイプの権力者・既得権者にとっては、サイコーに素晴らしい伝統ではあるな。

(注 1) むろん、お上に頼らず好き勝手にやってる人たちは元気である。 あと、お上を実質的に乗っ取っている (regulatory capture といいます。 昔の映画 「ボディ・スナッチャー」 のイメージ) 資本主義の権化のような一部の業界・会社も、実は国の政策なんぞ気にせずに好き勝手にやっているから、元気。

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最近、草にハマっている。 草って、草だよ。 道端に生えているやつ。 雑草。 草花の名前をあまりに知らない自分がイヤになって、本を買って勉強を始めたのだが、完全にハマってしまった。 草に心を奪われてしまったサル的なヒト。

「あ、あれはナガミヒナゲシだ! おおっ、ケシ坊主のミニのようなのがかわゆいぞ」
「お、こいつはカモジグサ。 毛がフサフサしてるからな。 隣のちょっと粒粒っぽいのはスズメノカタビラだよね」
「ムッキー、オオイヌノフグリ、はけーん!」

などとブツブツ呟きながら、日々通勤している。 気持ち悪いジジイである。 が、心の底から楽しいのだからしようがない。 大目に見てはくれまいか。

とにかく足元にしか目が行かなくなった。 ヒトの顔などここ数週間見た記憶がないが、脂ぎったおじさんの顔など見たくもないのだから何ら支障はない。 テレビのニュースやワイドショーでよく現場からの中継があるのだが、そのときにも現場のレポーターの足元に生えている草にしか目が行かないのである。 「ああっ、レポーターの足元に生えている草! あれはカヤツリグサだ!」 とか。 ビョーキですね。

でもね、それでいいのよ。 僕は、日本人古来の素養を欠いたまま、恥ずかしい思いをして五十余年も生きてきたのだ。 あと数十年で死ぬのだから、臨床研究法だの、スパースモデリングだの、GMM推定の漸近分散共分散行列の形だのという、くだらないことをこれ以上学んでどうする。

そんなものよりも、まずは、草だろ。

草の名前を覚えることは、日本の歴史・文化を学ぶことと同義である。 万葉集以来の素晴らしい詩歌の背景を知ることができて感銘を受けたりもする。 サル的なヒトのブログとは思えない高尚な記述であるな。

いずれにせよ、草は、僕のような貧乏人にぴったりの趣味でもある。 金はかからないし、楽しいよ。 ぐろーばるに活躍して、コガネを貯め込んでいる業界の方々は道端の雑草になんぞ興味ないんだろうね。 かわいそうに。

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あ、こいつを紹介するの忘れてた。 トム・クルーズ様のちょっと前の映画。 「バリー・シール」。 草は草でも、ちょっとヤバめの草がたくさん出てくる映画である。

トム・クルーズ様が出ているのだからサイコーの映画に決まっているのだが、単なる能天気なサイコー映画とは違う。 人生の光と影のコントラスト、皮肉がスパイスとしてよく効いている。 未見の方はぜひ。