小野俊介 サル的日記

いや、その、サル的なヒトだから・・・

それはチェアリングなのだろうか

アメリカ、ボストンのニュース見てたら、見慣れた CVS という薬局チェーン店で高齢者がワクチンの注射を受けている。 「ほう、アメリカでは薬局まで看護師さんが出向いてくれるのか」 と思ってたら、高齢者にワクチンをお注射してるのは薬剤師さんなのね。 研修受けて認証を受ければ、薬剤師もワクチン接種できる。 合理的。

で、ニポン人がこういうニュースを見ると、「ほれ、薬剤師や看護師にもっと医療行為をさせろ」 派と 「医療行為はお医者さんの仕事だ」 派がまたグチグチとケンカ始めるのな。 無駄とは言わんが、割とどーでもいいケンカである。 国民や患者が死にそうになっているこんなときに縄張り争いのケンカ始めるなよ。 見苦しいからな。

ところで、コロナ禍で医療の専門家連中が 「オレの言うことこそ正しいのだ! オレの言うことを聞け!」 とキーキー叫び声を上げる中、妙におとなしい一群がいますね。 そう、医療経済学や HTA(Health Technology Assessment) の専門家たち。

こんな時こそ、その手の専門家が人々を煙に巻く説得するために使っている仰々しい理屈、たとえば、

「多くの先進国で命の値段を 500万円/1年間 としてます。 つまり Go-To 事業は、○○人までの犠牲であれば正当化されます」

だの

功利主義に基づく健康最大化の立場からは、副作用で死にそうになる人が数人出たとしても、ワクチン接種は正当化されます」

だのといったことを、もっと大声でメディアで主張すればいいのに。 むろん 火だるまになる だろうけどな。(注 1)  でもそれで本望だよね。 え、ちがうの?

(注 1) いや、すべての人たちから叱られるわけでもない。 テレ朝のモーニングショーの辛口コメンテーター玉川さんや池田信夫さんあたりは褒めてくれるから安心しろ(笑)。 私も 「そういう考え方が医療経済学では幅を利かせています」 と解説してあげる。 人として応援するかどうかは別だが。

 

 学者としてそうした「学問的な信念」 を本気で持っているのなら、火だるまになろうがなるまいが言うことは言うはずだよね。 というか、学者の本性として、言いたくて仕方がないはずだよね。 サル的なヒトなんて、「薬が効く」 という文の意味不明さ (有効性評価をめぐる意味論モデルの欠如) や「承認審査は神事」(意思決定論的な大穴) を深遠で楽しい学問的問いだと心の底から思ってます。 なので、相手が学者だろうとメディアだろうと政治家だろうとお役人だろうと、誰彼構わずに主張しまくり、そして、火だるまになっています。 だけど、火だるまになっても全然つらくないぞ。 むしろ本望。

ニポンの医療経済学者連中も、堂々と 「日本政府のこれまでのコロナ対策の費用対効果分析」 を行って、結果を世に問えばいいのに、と思う。 「Go-To の費用対効果って結構良好だから、継続しなさい」 とかね。 だってあんたら学者だろ?

もっとも医療経済評価や HTA の領域って、特に日本ではほぼ完全に「官製学問」 である。 政府の政策として採用されるから、その限りにおいて需要が発生し、流行る。 だからこの領域の学者の皆さんが、「このコロナが収まった後、また御用学者として (あるいはグローバル企業お抱え学者として)、 政府 (グローバル企業) からメシを食わせてもらわないといけないのだから、ここは波風立てないでおこう」 などと考えていたとしてもまったく不思議ではないし、それを批判する気も毛頭ない。 ほれ、私がよくそれでメシを食っていると誤解される 「れぎゅらとりーさいえんす」 とやらもまったく同じ構図だもの。

個々の学者の腹の中は分からん。 が、とにかくもう少しがんばってくださいよ。 ね。 これって別に皮肉だけで申し上げているわけではない。 実際のところ、多くの国民は 「今のコロナ禍の諸政策 (例:PCR検査の抑制、Go-Toキャンペーン、ワクチン導入の遅れ など)で、政府は国民の命 (失われる健康量) にいったいいくらの値段をつけているのか?」 を知りたがっていると思いますよ。 ここまでのコロナ対策を見ていると、政府は、人の命を値段をつける対象とすら扱わず、単なるモノとして1個、2個、3個 ・・・と数えているだけに思えることがある。

やはり今こそ医療経済学の諸先生方の出番なのですよ。

 

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今、団地のベランダで読書するのが楽しくて仕方がないのである。 小さな丸椅子を持ち出すので、これも広義のチェアリング ・・・ と勝手に主張して家人にバカにされているのだが、いいのよ、それで。 チェアリングの心はチェアリングをする者にしか分からんのだから。

低層階なので散歩中のワンコの声が聞こえる。 掃除のおじさんのほうきがけの音。 どこかから舞い込んでくる落ち葉。 干しているお布団に陽が当たる匂い。 頬を撫でる冷たい風。 飛んできたカメムシ。 もうサイコーという表現しか思い浮かばないぞ、この状況。

♪ 鼻で知る春 木の芽の匂いー、 耳で知る秋 つくつくぼうしー

座頭の市っつぁんでなくとも、こんな歌が口からこぼれ出る。

こんなときにも渋谷に繰り出して大騒ぎしているバカ若者たちには、この幸せは伝わらんのだろうな。 残念ながら。

 

チェアリング (自称) をしながらこんな本を読んでますよ。

まずはこれ。 待ってました。  

詩歌川百景(1) (flowers コミックス)

詩歌川百景(1) (flowers コミックス)

 

 海街 diary の最終巻のサイドストーリーがサイコーすぎると以前書いたのだが、そのサイドストーリーが本編となって帰ってきましたよ。 山間の温泉町で暮らす、すずちゃんの弟たちの物語 ・・・ あ、思い出すだけでじんわり涙が出てきてしまう。

 

 

 こちらも別の意味で涙が出る本。 「あなたは、自分が意味のある (誰かの役に立つ) 仕事をしてると思いますか?」 と問われて、「まったく役に立ってません」 と答えるとすれば、あなたの仕事は立派な bullshit job (クソのような仕事) である。 詳細はこの本を読んでもらわないといけないのだが、bullshit job の多くは、ホワイトカラーのサラリーマン、公務員、軍隊、おエライさんまわりで生じる。 

私が厚労省で働いていた間にも、明らかな bullshit job を何年間か (何回か) やらされたっけ。 たとえば、実は私自身にはまったく権限も知識もノウハウもないのに、厚労省職員という肩書があるというそれだけの理由で、会議でそれらしいことをテキトーに言うだけの仕事をしていた半年間とか。 エラソーに発言しながら、心の中で 「ホントは自分、なんも分かってないシロウトなんです。 シロウトの発言に耳を貸さないでください」 と謝罪してた。 エラソーな職名の割に、やることは会議の予定日を FAX で送るだけ、なんていう時期もあったなぁ。 むろん大学教員の仕事の中にもクソのような仕事が山ほどある。 このあたりはまた別の機会にブログで書きますね。 

私のような糞まみれの人生を送ってきた人でなくても、皆さんそれなりに自分の仕事の意味を疑うことは多いでしょ? そういうヒト誰にとってもおすすめですよ。 著者は人類学者です。

 

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というわけで、今年もみなさんお疲れさまでした。 なんともつらい一年だったですね。 特に学生さん、大変だったね。 どうにもならんほど無責任なニポンのお上のコロナ対応を見ていると、もうしばらくはこの状況が続くことは確実です。 うちの研究室の学生でなくとも、なんかつらいことがあったら、いつでも研究室に遊びに来てください。 お茶でも飲みながら、バカ話でもしようか、ね。

あとな、おまいら、このブログ読んでるのなら、たまにはコメント入れてもいいんだからな。 結構な数の方々がアクセスしてることは、こっちはまるまるまるっとお見通しなのだ。 

じゃ、また来年。 良いお年をお迎えください。