小野俊介 サル的日記

いや、その、サル的なヒトだから・・・

学食とともに生きる

衝撃的な新事実を発見してしまったのである。 この衝撃はゲーデル数を用いた不完全性定理の証明法を知ったときよりも大きいかもしれん。 ここに暴露していいものか迷っているのだが、この事実のパブリックヘルス的影響の大きさに鑑みると、黙っているわけにはいかん。 一人の学徒としてこっそり報告する。

コーヒーのドリップバッグというやつがありますね。 挽いた豆がフィルターの中に入れてあって、お湯を上から注ぐだけ、ってやつ。 でね、コーヒー好きなサル的なヒトは、昔から語られるコーヒー野郎の蘊蓄 (うんちく) に従い、「まず熱湯をトポトポと少し注ぎ豆を蒸らし、それから時間をかけて丁寧に少しずつお湯を注ぐ」 なんてことをやっていた。 「うーむ、この深い香りとコクはこのサル的なヒトにしか出せまいて。 ふふふ」 などと悦に入っておったのである。

ところが、最近気づいたのだ。 自分がこだわりのやり方で淹れる一杯よりも、家人やうちの研究室の秘書のおねいさんたちがぞんざいに淹れる一杯の方がなぜか旨いことに。

皆さんご想像のとおり、嫁さんや秘書さんたちは、コーヒーにも、むろん私にも、特段深い思い入れはないのである。 だからコーヒーの淹れ方もテキトー効率的である。 「もう。 この忙しい時に、あんた一人のんびりコーヒーだなんて、いい御身分よね」 などと心の中で毒づきつつ、沸いたお湯をぞんざいに超高速でドリップバッグに注ぎ、3秒くらいで全工程が終了する。 ホント、びっくりするくらい雑である速い。 高田延彦の光速タップ並みである。 そうすると、あら不思議、中年のおっさんがネチネチと蘊蓄語りながら時間をたっぷりかけて淹れるよりもずっと美味しいコーヒーが出来上がるのである。 おまいらも試しにやってみ。  

これってたぶん、安いドリップバッグはぞんざいな淹れ方の方が雑味や苦みが出ないような商品になっているからだろうね。 コーヒーに詳しい人、教えてください。(注 1)

(注 1) ・・・ などといい加減なことを書いたら、秘書のおねいさんから早速クレームが入ってしまった。 「失礼な! アタシはちょと豆を蒸らしてます!」 とのことである。すみません。 ちょと、ね。

 

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というわけで、皆さんお元気?

だいぶ更新してなくてすみませんね。 私のことを毛嫌いしている連中は 「あいつ、死んだんじゃねぇか?」 と喜んだかもしれんが、ぬか喜びです。 

数日前、古くからの戦友 (誰かにおもねったり忖度したりしないで堂々と権力者に立ち向かうから、四六時中炎上しているあの有名なセンセイ) が tweet してくださったおかげで、今一時的に読者数がふだんの10倍くらいになっているのである。

が、古くからの読者の皆さん、安心してください。 その戦友と同様、私も頑固者である。 読者確保のため、新たな読者に媚びてブログのスタイルや主義主張を変えるサル的なヒトではない。

戦友であるその医師の twitter を経由して本ブログに来る一見さんには、コロナ対策やワクチン承認の件などの論争で頭がキーッとなりがちな、短気で理屈っぽいおっさん・にーちゃんが多い気がする。 医者とか大学教授とか研究者とか役人とか、その類のいばりん坊系の人種 (笑)。 そういう人たちって、かわいそうなことに、もののあわれとか情趣とかを楽しむ心の余裕がないので、「いい加減に淹れた感じのコーヒーの方がなぜかうまいんだよね」 などとダラダラと書かれた情緒あふれる日々のよしなしごとなど読みもしないし、「ふふふ。 我が家も一緒だ」 などと窓の外を見てやさしく微笑んだりもしないのだ。 というか、その手の連中って妙な方向に進化しすぎて 140文字を超える文章が読めないって聞いたこともある。 

だから、あえて今回の記事は、いつも以上にダラダラと、情感たっぷりに、仕事(新薬開発やら薬効評価やら) 以外のことだけを書くことにします。 古くからの読者はそれが好きみたいだし、一見さんたちもくだらん文章に触れることで人の心とやさしさを取り戻せるかもしれんからな。

さて何日で読者数がもともとのレベルに戻るかが楽しみである ・・・ お、もうすでに相当に減ってる (笑)

 

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ここ数か月ずっと、生協食堂の天丼が食べたくて仕方なかったのである。 が、お昼時にはいつも長い列ができ、列に並ぶ勇気が出なかったのだが、ついに昨日、誰も並んでいない状況に出くわした。 やっとありつけましたよ。 野菜天丼。 でもエビ天もちゃんと一尾ついておる。 お味噌汁とセットで 604円。 う、ちょっと身震いするような金額だ。 ワンコイン以上の昼飯を食うことは年に数回しかないサル的なヒト。

期待に震えながら食べ始める。 旨い。 旨くてじんわり涙が出る。 ちょっと揚げ過ぎでプラスチックっぽい気もするが、なーに、コロナ対策と思えばむしろありがたかろう。 僕らのような貧乏人には、このくらい歯ごたえがある方がモノを食った気分になるのでいいのである。 生協さん、いつもありがとう。

東大生協、最近になってやっと 「おまえら、食堂でペチャクチャしゃべるな」 の実効的な対策をするようになったのである。 これまで何度も書いたとおり (これ → 顔をこっちに固定したまま大声で話さない - 小野俊介 サル的日記 とか、これ → 自分、不器用ですから ・・・ - 小野俊介 サル的日記 とか)、大学生ってまだ子供で頭が成熟してないので 「黙れ」 と言ってもなかなか黙らないのだ。

数か月前から食堂入り口に 「学食では会話はご遠慮ください」 という看板が立ててはあったのだが、大学生はそんなもの見ないのよ。 子供って注意力散漫なのだから。 数週間前から 「食事中は会話しないで」 と音声で15分に1回くらい館内アナウンスを始めたが、大学生って記憶力がまだ未成熟 (ニワトリ並み) なので、アナウンスの 30秒後にはまた会話を始めてしまう。

何度も言うが、学食は貧乏人の最後の砦である。 万一学食でクラスターが発生し、営業停止にでもなったら、貧乏人のお昼の幸せのすべてが終わってしまうのである。

頭上から唾液が飛び交う状況にイライラして、ご意見募集コーナーに何度も 「あのね、生協さん、大学生って頭がまだ不自由なんだから、そんなやり方じゃダメなのよ。 全ての席のパーティションに、大きく 「黙れ」 って掲示を貼って、メシ食ってる間中ずっと見えるようにしとかないと、幼い子供には伝わらないの!」 と投稿してたのである。 そしたら、同じような投稿が他にもあったらしく、ようやく今日(1/28)になって全部のテーブルに 「おまいら、食事中は大口開けてしゃべるな。 な。 とにかく黙れ」 という掲示 (注 2) が貼られたのであった。 今日の食堂はこれまでになく静かでした。

(注 2) ホントははっきりこう書いて欲しいところだが、実際の掲示はもっとやさしく穏当である。 あ、あとね、生協さん、警告が貼ってない席が一部にあるので、貼った方がいいですよ。 いや、偏執狂的なお願いをしているわけではない。 ペチャクチャやりたい子供たちは、警告が貼ってないその席を無意識に (あるいは意識的に) 「見つけて・選んで」 座るからです。 これまで様々な学生と接してきた経験上。

 

安心な生協食堂がやっと実現。 あー、ここに至るまでホント長かった。

皆さんお気づきだと思うが、これって、ニポン政府のコロナ対応となんか似てるよね。 国会でお上のトップが 「私自身は精いっぱい、コロナ対応に取り組んできたんだから、れんぽー、むやみにオレをいじめるなぁ! ムッキー!」 と逆上してましたね。 まるで小学生 (笑)。 あなたがあなたなりに精一杯やってきたことはさほど疑ってない。 国民は 「あなたの 『やり方』、下手くそ過ぎないか?」 って怒ってるのである。

生協さんも真剣に対策を考えてくれている。 そこはまったく疑ってません (疑ってないどころか、感謝してます)。 だけど残念ながら、対策が斜め上45度だったり、後手後手だったりしてたってこと。(注 3)

(注 3) むろん生協にとっては学生はお客様だから、むやみに厳しいことを命じてはいけないことも理解します。 いろんな二律背反を考えながら少しずつ厳しい対策を採ってきたことはむしろ当然かもしれない。

 

でもね、いろいろ書いたが (失礼しました ・・)、サル的なヒトは学食・生協の超絶的な応援団である。 なぜって、私の身体そして知恵の 87% くらいは生協の商品でできているのだから。 身体は生協食堂と購買部のお菓子で、知恵は生協書籍部(本屋さん)で、日々培われておる。

コロナで商売厳しいが、がんばれ、生協さん! 負けるな、生協さん! 精一杯応援してます。

 

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というわけで、今回はこの辺で。 コロナで暗い気分になりそうなら、元気にトトロの歌を歌いながらお散歩しよう。

また卒業の季節が来るのだなぁ。 かわいそうな大学生活を送らざるを得なかった学生さんたちにもその季節はやって来る。 みんな、大変だったね。 なんだか涙が。

 


ハイ・ファイ・セット「最後の春休み」