小野俊介 サル的日記

いや、その、サル的なヒトだから・・・

担々麺の謎

ちょっと間が開いちゃったね。 すまんすまん。 皆さんお元気? 生きてる?

私はボチボチやってますよ。 今年も例年どおり、三四郎池のまわりで虫取りしてて、やぶ蚊に刺されまくってますから安心してください。 刺されたところは爪で十字マークを付ければOK。

前々回の記事で受講者を募集した無料寺子屋講義 (全13回、土曜日の朝) も6/12に無事開講し、これまで3回の講義を終了。 ナッシュ社会厚生関数のどこが優れているか、とか、徳倫理とは何か、とか、勉強しましたね。 どうですか、参加者の皆さん。 面白かった? ・・・ なに、「サル的なヒトが自慢するほどはおもしろくない」だと? 「時間配分が悪くて、講義の後半がやたらと駆け足になってる」だと?

 

ムッキー! ヽ(`Д´)ノ

無料なんだから、おまいら、的確な指摘うるさいこと言うなぁ!!

 

今回の講義、家人からは 「土曜日の朝、眠りこけているサルを起こすの面倒くさい」 と怒られているし、秘書のおばさんおねいさん方にもお手伝いしてもらってる。 みんなが 「小野センセ、無料っていうのはどういうもんですかねぇ。 無料ってーのは ・・」 とブツブツ言い続けている。 この連中、油断してると私の目の届かぬところで、3回目の講義が終わったあたりで、高額の請求書を皆さんにこっそり送りつけるという暴挙に出る可能性も否定できないのである。 妙な請求書が届いても、決して郵便局で振り込みをしてはいけませんのでご注意を。(注 1)

 

(注 1) こういうくだらん冗談も 「不謹慎だ」 と叱られかねないご時世なのが悲しい。

 

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この一年半くらい、コロナが怖くて (正確には 「他人に向かって唾を飛ばしまくる怪獣さんが怖くて」) 一度も外食していないのだが、過去の記事に何度も書いたとおり、唯一の例外が東大本郷構内の生協食堂なのである。 つまり学食ね。 おしゃべりを完全に禁止してくれているので、私のようなビビリ―でも安心してメシが食える。 何百人もの人々が同時にメシを食ってるのだが、黙ってりゃ平気である。 むやみに声帯を振動させて、微小な霧状の体液を盛大に体外に飛ばさなければ、どんなサルでもたいていは安全なサルなのだ。

えらいぞ、生協食堂! 生協食堂バンザイ!

 

しかし今日は、事と次第によっては、学食の男性用トイレで生協の職員に後ろからブスリと刺されて、 「な、なんじゃこりゃー!」 と叫びながらGパン刑事のような血まみれの最期を迎えかねない物騒なことを書いてしまうのだ。

 

実は、定期的にメニューに登場する担々麺が、なんか、いまいちなんだよなぁ ・・・

 

訴えられるといけないからここに断言しておくが、生協の担々麺って決してまずいわけではないぞ。 この味を十分に気に入っているヒトはたくさんいると思う。 ここで吐露してるのは単に私の個人的な好みなのだから勘違いしないように。

生協の担々麺、何かが一味 (か二味か三味) 足りないのよ。 確かにふつうにピリ辛してるし、味もある。 でも、味に深みがないのである。 薄っぺらいというか。 喩 (たと) えるなら 「有名店のおいしい担々麺から、うまみ要素を上手に抜いたような味」 。 この担々麺を食べ始めてからもう十年くらい経つが、おそろしいことに昔からずーっと同じ印象なのだ。 改善も悪化もしない。 

「あんたバカか? あんたの味覚に合わないのなら食わなきゃいいじゃないか。 他にもメニューはあるだろうが」 と皆さん思いますよね。

が、ここが不思議なところなのだが、「あまり美味しくない」 と重々分かっているのに、メニューに担々麺が載っていることに気付くとなぜか毎回、条件反射のようにそれを頼んでしまうのだ。 何かに憑りつかれたかのように頭がボーっとしてしまい、気が付くと厨房のおねいさんに

「担々麺をお願いしますっ!」 ( -`ω-) キリッ

と注文してしまうのである。 ああっ、今回も頼んでしまった。 なぜだろう? ・・・ ああっ、そして今回も美味しくない ・・・

 

その時の心理を自ら冷静に振り返ってみると、

「過去10年間、確かにこの担々麺は期待外れだった。 しかし、今回こそはきっと旨くなっているのだ。 今日こそは何かが変わっているに違いないのだ」

って0.3秒くらい考えているようにも思うのだが、本当のところはよく分からん。 もしかしたら生協がなんか妙な薬物を混ぜ込んでいて、精神的あるいは身体的依存にされているのかもしれん。あるいは、「一日履いた靴下の臭いを洗濯カゴに入れる前につい嗅いでしまう」 とか、「鼻をかんだあとのティッシュをついじっくり見てしまう」 とか、そういう人間の避けがたい習性の顕れかもしれん。 が、それらはいずれも仮説である。 分からない。 私には分からないのである。

なぜ私はまったく美味しいと思わない担々麺を毎回注文してしまうのでしょうか。 エラい人、教えてください。

 

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首藤紘一先生が亡くなられた。

 

僕が薬学部の学生時代に有機化学を講義してくれた先生である。 モリソン・ボイドのテキストを読まされた。 大学院の入試の面接のときには 「あんたの数学、どうしてあんな答になったの?」 などと質問してきて、「あいやー。 もしかして、やらかしちゃったか、自分」 と合格発表の日までドキドキさせてくれた先生でもある。

首藤先生は医薬品医療機器審査センターの初代センター長として着任。 私も立ち上げ時期の審査センターで働いていたため、いわば先生の直属の部下の下っ端であった。 

先生のお供で一緒に行ったニューヨーク出張、楽しかったなぁ。

首藤先生は当時ぎっくり腰をやっていたのだが、能天気なこのサル的部下はそれをうっかり度忘れして、タクシーに乗り込むときに先生にドスンとぶつかってしまったのである。 「うっ!」 と呻いたきり、凍り付いたように動けなくなってしまった先生。 「す、すみません。 センセー、大丈夫っすか?」 と恐る恐る尋ねたら、怒るに怒れないセンセーは 「うー ・・・ うー ・・・」 と脂汗を浮かべながら恨めし気にこっちを睨んでおられたっけ。 涙目で。 ははは。 本当にすみませんでした。

その夜、せっかくブロードウェイミュージカルを見に行ったのに、センセーは腰が痛くてすぐに帰ってしまった。 あ、ニューヨーク出張での恒例、ステーキをごちそうになりました。 センセーは巨大なTボーンステーキ、私はごっついサーロイン。 うまかったなぁ。

そういえばその出張で、PhRMAの外人さんのプレゼンを聴いていた時、センセーが 「おい、小野さん、more often than not ってどういう意味?」 と資料を指さしながら小声で僕に尋ねてきたことを今ふと思い出した。 「それってだいたい often と同じ意味っす」 と答えた自分。 20年以上も前のそんなやりとりをなぜこれほど鮮明に覚えてるんだろう。 不思議なことである。

その後もいろいろとお付き合いは続いた。 遠慮のない上司部下の関係だったこともあり、つまらん小言も散々言われたっけ。 首藤先生って、気の弱い若いもんに無遠慮にケチをつける悪い癖があったよなぁ。 怖い顔した小うるさい役人 (ほれ、あのおじさんとか) には絶対に突っかからないくせに (笑)。 そうしたケチのほとんどは、よく言えば「アカデミア人的な無邪気」 の現れだったような気がするが、悪く言えば 「アカデミア人的な世間知らずの思い込み」 でもあった。

小言を言われるのは、ある意味、先生との親密さの証ではあるのだが、しかし、理不尽にいちゃもんつけられると、こっちだってイライラする。 「このおっさん、ろくに事情も知らんくせに好き勝手言いやがって」 と心の中で毒づきながら 「あのね首藤センセー、センセーの理解はまったく間違ってますよ」 などとやり返すのだが、こっちの言うことには耳を貸さぬ。 ヒトの言うことをちゃんと聞くジジイなんてこの世に存在したためしがないが、先生もその例外ではなかったです。

でもね、不思議なことに、次に会った時にはまた楽しく会話ができてしまうのである。 お互いにニヤニヤと不敵な笑みを浮かべながら。 誤解は消えてないし、過去の口喧嘩を水に流したわけでもないんだけど、「ま、いいか」 って感じ。

それが先生のお人柄だったのだと思う。 加えて、それって私のお人柄でもある (笑)。

他にも仕事がらみの生臭い思い出話はいくつもあるが、その手のつまらん話はもう止めておこう。 先生の業績については、どっかのエラいおっさんたちが、ご立派な 「送る言葉」 と共にどっかの学会誌や業界誌に書いてくださるだろうから、興味のある方はそれをお読みください。 私は読まないけど。

 

首藤先生。 同じ時を過ごせてとても楽しかったです。 さようなら。

 

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というわけで今日はこの辺で。 もう少しちゃんとブログ書くようにします (反省)。懲りずにたまには覗きにきてください。

東大の研修(レギュラーコース、RC)もふつうに進行中なのだが、講師の一人、山中竹春センセーが横浜市長選あたりで急に有名人になってしまっておる。 さてどうなるでしょうか。 知人の一人としてちょっとドキドキしながら応援しているのである ・・・ というか、山中センセ、10月に講義はしてくれるの?(笑)