小野俊介 サル的日記

いや、その、サル的なヒトだから・・・

そよ風運ぶ 過ぎたざわめき 今は春休み

 

また春が来たね。

 

毎年この時期恒例の 「最後の春休み」 を聴きながら仕事をしてますよ。 もう何回同じことをこのブログで書いてきたのだろう。 あ、皆さんお元気?

 


www.youtube.com

 

♪ そよ風運ぶ 過ぎたざわめき 今は春休み ・・・ と小さな声で呟いたりしてると、五十代後半のおっさんでもなんだか涙がじんわり出てくる。 うちの研究室からも優秀、聡明な女の子が一人卒業します。 Kさん、立派な社会人になってくださいね。

毎朝 「カムカム」 を見てオロオロと泣いてしまうのも変わらない。 登場人物が皆、自分ではどうにもならない悲しみと喜びを抱えたまま、順番に生を立ち去っていく。 禍福は結局のところ誰のせいでもないのだけど、彼らを見ていると泣けてくる。

きちがいが引き起こした異国の戦争で人間が殺されている。 子供が殺されている。

涙がこぼれないわけがない、春。

 

*****

 

私は専門が医薬品の規制や薬効評価なので、法学部や哲学の先生の書いた本ばかり読んでいる。 素晴らしい本がたくさんあって幸せなのだけど、一つ気付いたことがある。 その手の文系の先生の書いた本って、図表の作り方がどうも甘いのである。

いわゆる実験系の学生が論文を書く時には、

「図表はそれ自体で解釈が完結するように、つまり、本文を読んでいない読者が図表だけ見たとしても、その図表が意味することが分かるように作りなさい。 タイトルもいい加減に付けちゃダメだよ」

などと指導教員に厳しく注意されますね。 むろん私もその感覚で学生を指導します。

が、文系の先生方の書いた本って、図表やポンチ絵の説明がなんかいい加減なのである。 いい加減どころか、図が本文のどこに対応するのか分からない場合すらある。 たとえば驚くべきことに、「図3」 なるものが載ってるのに、本文のどこにも「図3」 が出てこない、なんてことが結構フツーにあるのよ。 図が単なる挿絵と化しておる。 あるいは怪しい健康食品の質の悪い広告に登場する「この写真はイメージです」 と同じ。 

図の解釈が分からない、つまり図の中の矢印や略号が何を意味するのかがさっぱり分からないことも多い。 読んでてとてもイライラする。 これってやっぱりまずいよなと思う。 文系・理系の問題ではあるまい。

そもそも哲学書に出てくるポンチ絵なんて、テキストに書かれてる哲学上の(時に形而上学的な) 概念が意味不明で分かりにくいからこそ載せてるはずなのに、そのポンチ絵が解釈不能じゃどうにもならん。 そんなことだからますます宇宙物理の須藤先生に 「哲学ってわけが分からん」 と突っ込まれるのよ。

 

 

その手の本の出版社の編集者の皆さん、もっと気合を入れてください。 よろしくお願いしますよ。

 

*****

 

春になって、ベランダでややこしい本が気持ちよく読める。 本を読んで、お昼ご飯にナスしめじスパゲティを食べた日曜日の午後。 近所の公園でのんびり梅の香りを楽しんでいたら、新薬の承認審査の神事性を裁判における事実認定とのアナロジーを使うとうまく説明できることにふと気付いたのだ。 そんなことに「ふと気付く」ってちょっとビョーキだな、自分。

常々、「薬の承認審査って神事」 であることを説明するのに、「『薬が効く』 の意味論が不在である」 なんて言い方をしていたのだが、医薬品や医療の専門家って 「小野センセ、意味論って何ですか? それっておいしいんですか?」 くらいの反応しかしてくれないのである。 そんな連中に 「意味論の不在」 なんて言ってみたところでニュアンスは伝わりっこないよな、とは前から思っていた。

もう少し分かりやすく説明できないものかとずっと思案してたのだが、刑事裁判の「事実認定」 の考え方が使えるぞ、と気付いたわけである。 で、こんなスライドを作ってみた。(注)

(注) 行政法と刑法の運用・解釈をごちゃ混ぜにする気はまったくないので誤解せぬように。 ここに示したのは法学の議論ではなく、「事実って何? それをどう位置付けるの?」 という薬効評価上の問題意識を法学の舞台設定を借りて説明する試みである。

 

f:id:boyaboy:20220316154838j:plain



Aさんが憎しみからBさんを故意に殺したら (正当防衛などでなければ)、刑法に定められた罰を受けますね。 取り調べ・裁判によって殺人罪の要件に対応する「AさんがBさんを故意に殺した」 という(主要)事実が種々の証拠に基づいて認定されれば、法の効果(罰則)が発動するという仕組みである。 

新薬の承認で考えてみましょう。 製薬会社は「うちの薬Xは効くよ」 と主張して山ほど証拠を出してきますね。 薬機法では 「有効性の存在」を要件として薬の製造販売を認めるわけです。「安全性の欠如」を要件として薬の承認を取消したり、回収を命じたりもする。

では、「AさんがBさんを故意に殺した」 という(法的)事実に対応する薬効評価(新薬承認)上の「事実」っていったい何でしょうか。 「薬X が有効であった」という事実? それってトートロジー(同義反復)でしょ? トートロジーではない意味のある表現をしようと思ったら、

* 「薬X を飲んだCさんが治る(治った)」 とか

* 「薬X を飲んで治る人間が10人くらい存在する(存在した)」 とか

* 「薬X を薬効評価用ロボットで試験したら反応する(反応した)」 とか

* 「薬X をプラセボと比較したランダム化比較試験で優越性が示される(示された)」とか

そういった文章が必要となりますね。

ところが、現在の医薬品規制の体系には、そこ(事実)に入る文章が存在していないのよ。 すっぽり空白になっていて、代わりに「A薬は有効である」 があたかも事実のような体で仮置きされているのね。

でもそれって、阿弥陀如来像の代わりにヒコニャンをお寺の奥に置いておいたら、いつのまにかヒコニャンがご本尊扱いされるようになってしまった、そんな感じ(笑)。

どうですか。 この説明の仕方って分かりやすいでしょ? ・・・ ん、全然分からない? そういう悪い子は廊下に立ってスクワット50回やってなさい。 どうも最近廊下に立たせられる悪い子が多いぞ。

新年度、この手のスライドをたくさんデビューさせてやる予定。

 

*****

 

春は村上春樹。 何者にもなれず、自意識過剰気味で、少し投げやりで、なんだかいつも少し悲しい気持ちを抱えている「僕」がひとり街を歩いている姿が似合うのは、やはり、春。

つい先日の村上春樹 radio では、反戦歌を一時間。 合法的に権力を得たヒトラーを指摘して、「指導者にただ黙ってついていってると、大変なことになりますよ」 と番組の締めの言葉。 だけど、この当たり前の歴史の警句がもはや心に届かない、退化した気持ち悪い生き物が、私やあなたのまわりにうようよと歩き回っている。 まるで人間のような顔をして。

 

 

久しぶりにブログ書いたら疲れちゃったので、夕暮れの大学構内をちょっと散歩してこようっと。 医学部図書館横で咲いている真っ白なこぶしの花がこの世のものとは思えぬほど美しいし、もしかしたら散歩中のワンコに会えるかもしれん。 読まなければならない学生の論文草稿(二人分)からの逃避、などとは決して思わないでほしいのである。

 

じゃまたね。