小野俊介 サル的日記

いや、その、サル的なヒトだから・・・

鯛メシと菓子パンと哀愁のサンフランシスコと

暑い暑いと前回記事で大騒ぎしてたのがバカみたいに涼しくなってしまった10月下旬。 皆さんお元気?

嬉しいことに、東大本郷キャンパスの中にある鯛メシ屋さんが2年ぶりに復活したのである。 コロナのせいで大学が閉鎖された2年半前。 外のお客さんはもちろんのこと、教職員・学生すらキャンパスから締め出されたのだから、「これじゃ鯛メシ屋は商売にならんだろうなぁ、気の毒に」 と誰もが思っていたのだが、その後半年くらいは頑張ってお店を開けてくれていたのだ。 持ち帰り弁当を売ったりして。 が、やはりそんな付け焼刃では無理だったらしく、2年前の秋に閉店。 皆、残念で仕方なかったのである。

だって、うまいんだもの、鯛メシ。 だいぶ高いけど。 めまいがするほどうまい。 お櫃(ひつ)に大量に盛られたご飯を茶碗によそって、卵と出汁しょうゆと鯛のお刺身をぶっかけて、わしゃわしゃとかき込むタイプ、つまり愛媛県宇和島市タイプね。 体育会系の兄ちゃんなら、メシ三合くらい食べれるんじゃなかろうか(笑)。

で、その鯛メシ屋さんが復活したのだから、こんなにめでたいことはない。 早速、秘書のおねいさんたちと一緒に駆け付けたのであった。 上品で小食のはずのおねいさん方のご飯のお櫃(ひつ)が僕のお櫃よりも先に空っぽになっていたのは、ここだけの話なので、秘密にしておくように。

 

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春に始まった医薬品評価科学レギュラーコース(RC)も残りあと数回。 今年度は会場とオンラインのハイブリッドで開催してるのですが、会場に来ていただけるのはごく少数。 ほとんどの受講生はオンライン参加です。

世の中の変化は非可逆的で、昔にはもう戻らないことを頭では理解しつつも、なんか受け入れられない。 だって、大勢の受講生さんがあの薬学講堂で、おやつの菓子パンをほおばりながら、にぎやかに会話していたのはほんの数年前なのだ。 その光景を思い出すと、なんだかじんわりと寂しい気持ちになってしまうのである。

サービスで出すおやつに関して 「カロリー高めの菓子パンが多すぎ。 『カロリー命』の若い学生じゃないんだから、もっとヘルシーなパン出して!」 と受講生から叱られたこともあったっけ。 コーヒー出すタイミングが悪くて、受講生が長い列を作ってしまい、怒られたことも。 会場周辺の研究室の先生が腹を空かせて通りかかったら、パンを差し上げて喜ばれてた。 高々100円ですごく感謝してもらえる(笑)。 ああ、あの頃が懐かしい・・・

今週と来週は後半のディスカッションの発表会なのだが、これもオンラインだから、やはり味気ない。

会場でディスカッションをやっていた頃は、空気が熱かった。 ライバルグループから厳しい突っ込みを入れられて、発表会終了後にディスカッションの延長戦をしたグループがあったっけ。 発表で厳しい批判を受けて、頭にきたらしく 「もう一度発表のチャンスをください!」 と私に迫ってきて、翌週に特別に再発表をしたグループもあった。

一方、ディスカッションはテキトーに済ませて(笑)、終了後に、本郷三丁目界隈の居酒屋でグループの打ち上げをするのを楽しみにしてる人たちもいた。 私も何度か誘われて参加して、思いっきり恨み言や泣き言を言われたりして。 会社の愚痴合戦も。 でもそれがとても楽しかったのである。

そういう人間関係、たとえば転職するときや、PMDAから理不尽な照会事項を受けたときに、こっそり裏で相談するのにとても役に立つ関係がオンラインではなかなか作れないよなぁ・・・と、研修主催者としてこの2年間、ずっと悩み続けているのである。 なんとかならんかなぁと工夫はしてるのだが、どうにもならん。

それって、どうしようもなく大きな社会の変化に虚しく立ち向かうドン・キホーテの戦いのようなものなのだろうな、と思いつつ。

 

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今週読了した教科書。 私の研究 (「薬が効く」 の意味論) に直結しているので。

35年前に出た教科書の増補改訂版。 日本語で書かれた言語哲学の教科書としては、最もメジャーなシリーズです(全4巻)。 4巻とも何度も読みこんだサル的なヒト。 読みこんだからこそ、改訂版が嬉しくてたまらないのである。

興味深いのは、飯田先生の改訂方針である。 なんと、「初版の本文と注釈は一切修正しない。いじらない」 のである。 今回の増補改訂版では、新たに注釈を補注として追加し、また、最後に「後記 2022年」として、この35年間に言語哲学の世界で起きたこと、そして、飯田先生自身の思索の変化が付け加えられています。

だから補注に、たとえば「(自分が初版で)挙げたこの名詞句の表は、いろいろと弁解を伴っているにしても、やはり、ちょっと恥ずかしい。 ただのつじつま合わせである。 」などという著者自身の初版に対する反省を込めた解説があったりして、とても楽しいのである。 が、もちろん、そうした反省は単なる読者サービスなどではない。

シロウトの私が言うのもなんだが、そうやって思考をめぐらすことが哲学の営みなのである。 扱っている問いの難しさが格段に高いので、学問の時間軸が違うのよ。 長い場合は平気で数千年スパンだから。 素晴らしいとは思いませんか?

「とにかく、最新の知見・理論がすべて」 とばかりに、常に薄っぺらく 「最新=正しい」 と信じて、最新の情報を追い求める類の人たち(たとえば、一般的な医学・薬学の専門家や業界人など)と哲学者では、根本的に腹の座り方が違うのである。 

この第1巻では大御所フレーゲラッセルの意味論を対比的に紹介してくれます。 一見似ている両者の「指示」の理論の根本的な違いがよく分かる。 

この教科書、いつものように「皆さんにおすすめです」 というわけにはいかないのだが (基礎知識もない医学・薬学の学生さんや製薬業界人がいきなりこの本読んだら消化不良を起こします。 ごめんね)、言語哲学と論理学をきちんと何年もかけて勉強する覚悟のある人は、この本を買って、とりあえず本棚に置いておくのがよいと思います。

がんばって勉強してね。

 

40年以上前の数学者の藤原正彦先生のこの本も、いまだ学生さんに読み継がれているのよね。 生協書籍部に今も積んである。 久しぶりに再読。

浜田省吾さんに限らず(笑)、「アメリカ」 に対するあこがれ、失望、ある種の郷愁など、深い思い入れを抱えて生きている人々にとっては、感涙モノの青春自伝である。 

藤原先生は、留学最後の夜をサンフランシスコで過ごす。

・・どこからともなく霧の一団がやってきて、またたく間に、林立する高層ビルを覆ってしまった。・・・ 私はこの霧の海に「私のアメリカ」が静かに沈んでいくのを感じていた。「私のアメリカ」 は太平洋で生まれ、大西洋で蘇り、この霧の海ににじんで消えた。

帰国前夜に、藤原先生とまったく同じ感慨を抱いたことがある人はたくさんいますよね。 どうして日本人って帰国前最後の夜をサンフランシスコで過ごしたくなるのだろう、というのも不思議だったりする。 単に日本航空の発着便の関係だったりしたら風情がないのだが。 

♪ We were just looking for America .... 

 

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寒くなってくるとラーメン屋さんが恋しくなる。 オンラインで引きこもってる皆さんもおいしい秋をお過ごしくださいね。 塩分とり過ぎはいかんぞ。 運動もしろよ。 歯磨けよ。 風呂入れよ。 仲本工事さん、さようなら。

じゃまたね。