小野俊介 サル的日記

いや、その、サル的なヒトだから・・・

「こちらあみ子」の坊主頭に涙しない

暖かくなってきました。 本格的な講義が始まって大学構内も賑やかになってきましたよ。 対面での講義に戻ったので、学食や大学周りのメシ屋にも混雑が戻り、痛し痒し。 ランチ時の長い行列に、つい 「コロナでお店がガラガラの頃の方が良かったかも・・」 などとぼやきたくなる気持ちは、大手町や日本橋界隈でも同じではなかろうかと思う。

で、皆さんお元気ですか。

私の方は、多少は元気になってきたのですが、まだビミョーなところ。 信頼しきっていた仕事上のパートナーに裏切られた痛手が大きく、数週間「さて、これから研究室の仕事や研修事業をどうやって再構築したらいいものか?」 と途方にくれていたので、どうしてみても後遺症は残るのである。 

「このところのブログ、元気ないぞ。 どうしたの?」 と、昔からの友人や大学内の知人が何人もわざわざ話を聴きに来てくれた。 お気遣いどうもです。 友人といろいろ話すことで、気分的にだいぶ楽になりましたよ。 

僕を慰めに来てくれたはずなのに、話を聴いて大笑いする人、多数 ・・・ おまいら、いい加減にしろ。 心優しいおねいさん方からは 「小野センセってバカだよね。 前から思ってたけど。 人を見る目が無さ過ぎ」 などという正確無比な指摘を面と向かって受けた。 

しかしまぁ、バカにされようと嘲笑われようと別に構わないのだ。 私の情けない反省談(一時の疑心暗鬼に惑わされて、本当に大切なヒト・コトを見間違えぬようにすること)は皆に語り伝えていくしかあるまい。 ため息をつきながら。

ふぅー。

 

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十数年ほど前に serendipity という言葉がやたら流行ったのを覚えてますか。 今では使うのが恥ずかしいくらい手垢がついてしまって、相当に薄っぺらくなった言葉だが(とはいえ、大学研究室のホームページなどには相変わらず乱用されててげんなりするけど)、「思わぬものをたまたま・偶然見つけてしまう」 くらいの意味。 。 

最近サル的なヒトは、いろんな人とうまく心が通い合わない経験を何度もして、なんだか半病人と化しているわけなのだが、なぜか偶然に、自分の今の苦悩そのものに光を当ててくれたかのような映画に出会ったのである。 先週 のTBSラジオ宇多丸がこの映画の解説をしてるのをふっと耳にしたその瞬間に、 「あぁ、これだ。 私が住んでいる世界はこれなのだ ・・」 と雷に打たれてしまった。

 

「こちらあみ子」(2022年7月公開。今は amazon prime などで見られます(有料)。)

 


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予告編を見て、それから今村夏子さんの原作小説を読み、「な、なんてこった・・・。 こんなに素晴らしい映画を見逃していたなんて ・・」 とまずは呆然としたサル的なヒト。 とともに、これは苦悩する私に神様が与えてくれた宝物なのだとこれまた一瞬で悟ったのである。 神様、good job ! (笑)

 

こんなお話である。

あみ子は、ちょっと(だいぶ)足りない女の子。(注 1) お兄ちゃんと二人で、一見やさしそうな夫婦に養子にもらわれて、育てられている。 あみ子は「足りない」子なので、皆からバカにされ、壮絶にいじめられるが、本人はまったく意に介さない。

しかしそんなある日、あみ子がやらかしたとんでもない出来事があみ子の周辺世界を大きく歪め始めて ・・・

(注 1) 私は発達障害とか知的障害とかいうそれらしい医学用語を映画評や文学評に無造作に(素人が勝手に)使うのが嫌いなので、こういう言葉を使わせてもらいます。 気に障る人がいたらごめんね。

 

以下、ネタバレしてます。映画・原作に先に触れたい方はそうしてください。)

 

映画ではこんな人たちが登場する。

  • 自分の世界だけに住み、純粋で一途で、本人だけはいつも幸せな 「あみ子」。「あみ子」 には、他人には他人の世界があることが分からない。
  • 「あみ子」と正面から向き合おうとして精神を病んでしまった「あみ子」の義母。
  • 「あみ子」に一見優しく接するが、本当はまったく何も向き合ってはいない「あみ子」の義父。
  • 足りない妹がうざくて面倒くさくて仕方ないが、不良になって義父母と縁を切った後も「あみ子」を救いに来る兄。
  • 「あみ子」から一方的に好かれて迷惑さを隠さぬ「あみ子」の同級生、のり君。最後は「あみ子」を殴り倒し、「あみ子」の歯を三本折って逃走。
  • ずっと「あみ子」のそばにいて、「あみ子」を特別扱いせず、「あみ子」に本気で怒りをぶつけ続けてきた坊主頭の同級生。 

 

ふぅー。

書いていてなんかしんどいぞ。 全く異次元のお話の世界(子供たちの夢世界)と現実世界(おっさんおばさんの住む世界)が重なってしまう。 なぜだろう?

「喧嘩したわけではないのに、うまく心が通い合わぬ」現象を前にして途方に暮れた私。 考えてみたらこの春の短い期間に、私はほとんど無意味な独り相撲をしながら、これらすべての役回りを経験したような気がする。 心がヘトヘトにくたびれ果てて、体重が 5キロ減るのも当然かもしれぬ。

「あみ子」はこの社会ではいろいろな場面・場所に登場する。 私は「あみ子」のためと言いながら全く「あみ子」の心に寄り添うこともなかった義父でもあったし、最後は「あみ子」を殴り倒したのり君でもあった。 「あみ子」 には嘘で他人をだまそうとする悪意がないことは分かっているのに、辻褄のあわぬ言動を責め立てたりもしたっけ。 ひどいよなぁ、自分。 やさしさのかけらも無い。

あーあ。 自己嫌悪。

 

しかし、自分の話はもうこのくらいでいいや。 自分語りは今日のこの記事をもって終わりにします。 ここ数回、長々とした記事にお付き合いいただきありがとね。

次回記事からは元のモードに戻しますよ ・・・ たぶん。

 

*****

 

結局、義父母に体よく捨てられてしまい(本人は例によってそれに気づかない)、おばあちゃんの家に一人預けられることになった「あみ子」。 が、この映画の救いは最後にやってくる。 救世主はなんと、最後まで名前すら一度も出てこない「坊主頭」。 あみ子から顔も名前も覚えてもらってない男の子である。

転校する「あみ子」と「坊主頭」が放課後の教室で交わす会話。 この会話のためにこの映画があったといっても過言ではないくらい美しいシーンなのである。 原作を引用しようかと思ったが、一部を抜き取ると作者の今村夏子さんの文章の素晴らしさが傷ついてしまうので止めておきます。 ぜひ原作を読んでね。 おすすめです。

 

 

*****

 

「あみ子」に感動する一方で、こんなややこしい本にも感動を覚えたりしてる。

 

ご存知、「ABC予想」を証明した望月新一先生の IUT理論の解説書である。 新しい数学、次世代の数学なので、プロである数学者たちも目を白黒している様子がとても楽しく書かれていて感動するとともに大笑い(す、すみません、加藤先生)。 本当の学問って素敵である。

あ、そう言えば、「あみ子」と望月先生ってむろん一ミリも接点はないのだけど、「言ったことを理解してくれる人がほとんどいない」という点で似ているのは不思議だなぁ ・・などとぼんやり思ったりしたのである。

 

*****

 

映画のエンディング、「あみ子」は大きな声で、はっきりと

「大丈夫!」

とこっちを向いて答えてたっけ。

 

そう、きっと大丈夫。 僕は君をずっと見守ってますよ。

愛おしいこの世界に住むすべての「あみ子」さん。

 


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