小野俊介 サル的日記

いや、その、サル的なヒトだから・・・

寝る前に一言呟かない

春の宵。 ぼんやりしながら、♪ はるとらのお ひとりしずか などと村上ゆきさんの歌を呟いてみる。 もうすぐ桜が咲くのですね。

記事を毎回毎回長文で埋めることはなかろうと思い、今日はこんな書きこみで終了。というか最近、twitter の字数でしか感情表現ができなくなってしまったサル的なヒト(笑)。 困ったものである。 

今日は終日読書をして、理屈っぽいことを考え続けたので、理屈の話はもういいや。 読者がお望みなら、『薬が効く』と中動態(能動態 vs. 中動態で語れるアレね)の関係、薬というモノにまで意志を持たせようとしてしまう医療・医薬品世界の住人の「病気」について数時間は語ることができるのだが、それはまた別の機会に。

 

日曜日の夜は、昔々のいろんなことを思い出して、なんとも寂しい気持ちのまま眠りにつく。 「この寂しさは僕が若いからで、年寄りになったら消え去るのだろう」 と十代、二十代の自分は思っていたのだが、もうすぐ六十代になろうとするジジイになっても消え去る気配はない。 どうしたものかね。

 


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いずれにしても、春の宵。 咲くか咲くまいか、庭先の桜が悩んでいる春の宵。

おやすみなさい。

 

変な足し算をしない

少しずつ暖かくなってきたね。 皆さんお元気?

 

私の方は、学食にカツカレーを食べる気満々で行ったのに、カツカレーが無くて、代わりにから揚げカレーなるものがあって、仕方なしにから揚げカレーを食べたのだけど、なんか謀(はか)られた気分になったりする日々を送っています。 久しぶりにブログ書くので、文章長すぎ(笑)。 これではまるで小学生の夏休みの日記だ。

いや、ややこしいことを言いたいわけではない。 

カツカレー: 1+1=3

から揚げカレー: 1+1=1.8

というよく知られた公式を紹介したいだけである。 ・・・ え、何のことか分からない? じゃあ仕方ない。 説明するか。

カツカレーは相乗効果を生むよね。 サクサクに揚がったトンカツにカレー汁がかかると両者が化学反応を起こして、より旨くなる(1+1=3)。 一方、から揚げカレーはそうはいかないのである。 もともとから揚げは単独で芳ばしく美味しいのだが、それがカレー汁に浸ると単なるカレー味の鶏肉の塊になってしまうのよ。 カレーもから揚げもどちらもサイコーに旨いのに、一緒にすると良さを打ち消し合ってしまう(1+1=1.8)。

たとえるなら、長澤まさみ綾瀬はるかが同じ映画でダブル主役を演じてるようなものである。 分かってもらえるだろうか。 

でも今日は、から揚げカレーしか売ってないのだから仕方ない。 カレーの上に鎮座してるから揚げを白ご飯の方に移動して、から揚げ単体のおかずとして食べる。 そりゃフツーにうまいのである。

から揚げカレー(改): 1+1=2

の公式までは盛り返しましたね、自分。 むふっ (フリーレンが自慢するときのように)。

 

・・・というような日々である。

 

*****

 

最近、買った本を紹介していないので、いくつか挙げておきます。 うちの学生に向けての業務連絡でもある。 きちんと本を買いなさい。

 

「論文の書き方」本、「研究の仕方」本は世の中に結構たくさん出ているのだが、小熊先生のこの本はとても良いです。 もっと早く学生に勧めておけばよかった。 実際の講義をまとめた本らしいので、読んでいて楽しいっす。 

医薬品の開発・規制・産業論の研究って、いわゆる理科系の研究ではありません。 社会科学です。 薬学部や医学部や工学部や農学部や理学部の皆さんの中には、結構自信満々に 「私は理系で、かつ、製薬企業・規制当局で社会経験を積んでます。 だから私は研究できますっ!」 などと言いながら、いわゆる「れぎゅらとりーさいえんす」関連の研究室にやってくる人たちがいるのだが、その手の人たちって単純に我々のやっていることを知らないのである。 そういう人たちに 「まぁ餅つけ。 まずはこれを読んでみて」 と手渡すのにちょうど良い本である。

 

因果推論の本も最近たくさん出ているのだけど、この本は読みやすさ(読ませるための工夫)がダントツです。 「ですます」だし。 初学者にイメージを掴ませるための図が秀逸。 あと、いちいち(シンプルな)回帰分析の文脈に戻って、そこからの違いを解説してくれているのも良いです。 伝統的な統計学で知識が終わっている方々(製薬企業のおじさん・おばさんたち)に「最近の学生はこういう感じの統計学を学んでいるのよ」 ということを知ってもらうためにも、お勧めです。

ただ、ある程度の知識がある学生(たとえば一応は何冊か因果推論の入門的教科書を読んだことのある学生)は、説明がちょっとくどいと感じるかも。

 

医薬品開発の倫理の講義をたまにするので、この手の新書が出たら必ず買うのだけど、森村先生の解説はいつも率直なので楽しい。 ところどころに「私はその部分は知りません」「そこは別の本を読んでください」 といった記載があって、なおさらに信頼がおけるというか。 最近の倫理本の流行(ロールズやサンデルの政治哲学寄りの内容)に対する批判的なコメントもはっきりしていて(僕のような素人にもよく分かる書き方で)、とても読みやすかったです。

 

最近よく知られるようになった 「福田村事件」のノンフィクション。 関東大震災の時のデマ(外国人が暴動を起こしている)を信じて、興奮した野田・柏あたりの住民が香川の薬売り行商人を集団虐殺してしまった事件の詳細である。

読んでいてとてもしんどい。 しんどいが、しかし、読まねばならぬ。 少し前に映画にもなりました。 「私たちはこの事実から目をそむけてはいけない。 もし記憶しなければ、僕たちはまた同じ過ちをくりかえす by 森達也監督」 の帯が重い。 実際、世界中で同じ過ちが繰り返されてる。 私たちはとても愚かで、要はバカなのだ。

 

ギャラリーフェイク最新巻、発売中。 お買い忘れなく。

 

*****

 

というわけで今日はここまで。

最近ものぐさになってしまい、つい 「twitter にごにょごにょ書いてしまえば、ブログに長い文を書かなくてもいいじゃないか」 などと思うようになってしまった。 かつては 「わしゃ、twitter は嫌いじゃ! あんなに短文じゃ何も伝わらん」 と力んでいた自分なのに。 文明は人をダメにする。

しかし、そんなふうにダメになったサル的なヒトでよければ、twitter の方もご覧ください。 最近はイライラしてるので、結構理屈っぽいこともそっちで書いてしまっている。 twitter では、僕が読んでほしいと思うような読み方をしてくれる人はほとんどいないだろうし、伝えたい理屈やメッセージもろくに伝わらんだろうなぁと分かってはいるんだけど。

じゃ、またね。

 

もうすぐ桜の季節。 今年も「桜らららら」の情景を思い浮かべる。

 

♪ 風に呼ばれて 振り向く君を

僕は少し妬ましく 見守り続ける

この手に摘んだら 融けてしまうね

魔法使いの夢のように 君はあどけなくて

さくら さくら ららららら さくら

さくら さくら ららららら さくら

早く僕にきづいておくれ さくら さくら

らららら

 

 

生協食堂を語りすぎない

生協食堂でカツカレーを食べると、なぜかご飯だけが少し残ってしまうのである。 幸せのカレールーとトンカツは遠い過去に消え去ってしまい、なぜか最後に残ってしまう白いご飯。 そこに福神漬けがあれば何の問題もないのだが、配膳のおばちゃんが添えてくれたわずかばかりの福神漬けはとっくに食べ尽くしている。

その話を家人にしたら、「いい年してカレーのペース配分もまだ分からないの?」と呆れられてしまった。 いや、ちょっと待ってほしい。 私だって何十年もの修練の賜物で、普通にカレーを食べる時にはうまくいくのだ。 ご飯だけが余ることはない。 なぜかカツカレーのときだけご飯が余るのだ。

「カツカレー」と「残ってしまう白メシ」の間には何か因果関係があるはずだ ・・・ と、就寝前に歯を磨きながら考えること十数分。 パス図を頭に描いて分析する ・・ と、原因が分かったのである。 僕は一定量の食物を口の中に入れてるわけだが、そこでご飯のスペースがカツによって奪われているのだ。 お口の中でカツによるご飯の追い出しが起きているのだ。 だから皿の上のご飯が余るのだ!

これは驚くべき発見である。 早速家人に知らせねばなるまい。

「カツカレーのときだけご飯が余る原因が分かったぞ! カツを一緒に食べてるからだ!」 と家人に大急ぎで伝えたら、「・・私、もう寝るから・・」 と冷ややかな視線をこちらに向け、ホントに先に寝てしまった。

い、いや、新発見のポイントはそこじゃない。 大切なのはそこから先なのだ。 カツによる追い出し効果、すなわちミクロ経済学でいう置換効果(substitution effect)が、カツカレーという宇宙で13番目においしい食べ物を食べてるときの一口サイズ(口にいれる量)の増大、すなわち所得効果(income effect)を上回る、という新たな理論モデル。 その発見こそが私の伝えたかったことなのだ。 そこまで語らせてくれ ・・ と思ったが、すでに寝息をたてている家人を起こせるわけがない。

 

*****

 

というわけで、皆さんお元気ですか。 長引いた風邪もようやく落ち着きました。 が、いまだになんか喉のあたりに違和感があり、えへん虫が時々出る。 こういう症状のヒト、多いらしいね。 皆さんも気を付けて。

 

今日は生協食堂について語らせてもらおう。 僕の身体の 42%は生協食堂の具材でできていると言っても過言ではないのだが、だからといって生協食堂のメシに満足してるわけではない。 生協食堂さんに向けての結構マジな意見と提案を語らせてもらおう。 徹底的に語ってやろうじゃないか。

 

(1) 男のど真ん中が、弱い。

生協食堂の一番の弱み、それは「ハンバーグがいまいち」 という点である。 女性はご存知だと思うが、そもそも男なんてテキトーにハンバーグさえ食わせておけばハッピーなバカ生き物なのである。 男子学生や私を含む男性職員なんぞには、毎食ハンバーグを食わせておけばいいのである。 にもかかわらず、生協はそのハンバーグがいまいちなのだ。 これは結構致命的な弱みである。

生協さんはハンバーグにかける汁・ソースで目先を変えようとしてるが、ハンバーグそのものがあまりおいしくないのだ。 なんか硬くてパサパサしてるのよ。 プラスチックの食品サンプルっぽいというか。 もう少しジューシーで柔らかくはならないものか。 コンビニのハンバーグ弁当のレベルが相当に上がってきた現在、あのハンバーグではダメだと思うぞ。

 

(2) 工夫が裏目に出ることが多い。

生協さんって定期的にいろいろメニューに工夫・改善をしてくださる。 むろんそれはありがたいのだけど、工夫の結果が裏目に出ることが多いのよ。

たとえば中華丼。 数年前からごく普通の中華丼がメニューから消え去り、何やらこじゃれた「中華旨煮(うまに)丼」に進化したのである。 が、申し訳ないことに味がいまいちなのだ。 うまに丼が、うまくない、というのではシャレにもならん。 以前の中華丼の方がうまかったです。 

白身魚フライにかけるソースも王道のタルタルソースで何ら問題ないのに、時々妙なソースに代えようとする。 コストの問題かもしれん。 が、全世界で愛されているタルタルソースに工夫なんか不要である。 

学食メシはフツーでいいのである。 新メニューはうれしいが、いつもの当たり前の料理に工夫とかする必要はないのですよ。 オーソドックスに同じ料理を出し続けてもらいたい。

 

(3) サイズをデカくしてもおいしくはならないし、おいしそうにも見えない。

最近、ジャンボたらカツという、巨大なお魚のフライを新メニューで導入してたが、見た目がまったく美味しそうじゃなかったのである。 食欲旺盛な若い者にお魚をパクパク食べてもらおうという意図は分かる。 が、そうなら、むしろ常識的なサイズにカットしたたらのカツを何枚かお皿に並べた方がずっと美味しそうに見えるはず。 かつ、食べやすく、おいしいはずである。

学食は奇をてらう必要はない。

 

(4) いまいちインパクトに欠ける麺類たち。

以前にも書いたのだが(これね → 担々麺の謎 - 小野俊介 サル的日記)、生協の担々麺には何か重要な要素が欠けているのだ。 ひと味、ふた味、いや、みつ味くらい欠けている。 まずいわけではないのだけど、おいしくもない、まさにそういう味。 定番の豚骨ラーメンも同様。 味がぼんやりしてる、というか。 

推察するに、生協って「学生や教職員の健康を守る」 という使命があるから、外のラーメン店のように 「ラーメンなんて、うまけりゃいいんだよ。 え、お客さんの健康? そんなもの一ミリも考えてねーよ(笑)」ってわけにはいかないのだろう。 しかし、生協だってたまには、うんと濃い味の、うまみ調味料まみれの、やたらとピリ辛だったり、やたらとコッテリしてたり、要はとにかく美味しいだけのラーメンや担々麺を提供しても誰も怒りはしないのではないか、と思うのだ。 月に一回くらい 「さぁ皆さん、今日は月に一度の『皆さんの健康なんて一ミリも考えてない、ただ単に美味しいだけのラーメン』の日ですよ! あ、健康を気にする人は食べちゃダメだよ。 他の料理を選んでね」 という日を作ればよいではないか。

「そんなバカなことを生協に要求するやつは、外のラーメン屋に食いに行けばいいだろ?」 などと冷静に言うそこのあなた。 あなたは正しいが間違えている。 私は生協で昼メシが食いたいのだ。

 

(5) 何はともあれチュロスを売ろう。話はそれからだ。 

駒場の生協と同様に、本郷でも午後3時からチュロスを置こう。 チュロスを売ろう。 ね、頼むから。 それ無しでは話は始まらない。 上述の (1)ー(4) の提言なんてまぁどーでもいい。 とにかくチュロスだ。

チュロスが発売されたら、きっと、秘書のおねいさんたちの分のチュロスを、私が3時に買いに行くという仕事が増えてしまうのだが、そんなことは些細な話である。

 

以上が生協食堂への愛が溢れた私の提言である。 生協さん、これからもがんばってくださいね。 明日は、豚生姜焼きと麦ごはん(Mサイズ)と味噌汁とオクラを食べる予定です。(注)  身体の 42%が生協食堂の具材でできてる男だから、目と鼻と口を閉じても、明日のメニューの味と香りと歯ざわりをありありとリアルに思い浮かべることができるのだ。 ビョーキ(依存症)か、これ?(笑)

 

(注) こんなこと書いておきながら、今日(つまり「明日」)のお昼は瀬佐味亭で担々麺を食べてしまいました。 あそこの担々麺、ゴマの風味がたまらないんです。  正直に告白したから許してください。

 

*****

 

無茶苦茶面白いマンガを見落としていた。「黄泉のツガイ」。

鋼の錬金術師」、「百姓貴族」 の荒川弘の大ヒットマンガ。 恐ろしい人殺しがたくさん登場してるのに、ギャグが軽いから(百姓貴族と同じノリ)大笑いしながら読めてしまうという、ちょっと危ないマンガ。 6巻くらいまで出てるから、オトナ買いして読もう。

 

*****

 

今日はここまで。 最近いろんな変なヒトに出会っていて、そうした人たちのことを書きたいのだけど、少し時間を置かないと危険なので、もう少ししてから。

 

人生、楽しいことが何一つないサル的なヒト。 辛すぎることが世の中で起きていて、哀しみも抜けない。 だが、月曜日から金曜日まで、夜 23:30 から TBSラジオで「深夜特急 オン・ザ・ロード」(朗読:斎藤工) 、引き続き 0:00 から1時間、東京FMの 「ジェットストリーム」(DJ:福山雅治)をぼんやり聴いている時間だけは、魂がひと休みしてる感がある。 その間、仕事がらみのくだらん文章・ダメな文章は一切読まない。 ラジオを聴きながらひたすら哲学、数学の本に浸る。 至福の1時間半。 あ、たまに「黄泉のツガイ」 や「葬送のフリーレン」 に浸ることもあるけど(笑)。

なんだか精神的にいいですよ。 真似をしたい方はぜひどうぞ。 

 

というわけで、また増えているコロナにやられぬようがんばっていきましょう。

じゃまたね。

 

咳にならずにいられない

4年ぶりに大風邪をひいてしまいましたよ。 死にそう。 

コロナがあんなことになって以来、手洗い、うがい、マスク、人混みには極力行かない ・・・ で、本格的な風邪には一度もかかってなかった。それまでの人生、毎年1回や2回は風邪ひいて寝込んでいた。 4年間一度も風邪をひかなかったなんて人生初で、「あぁ、風邪って防げるんだ・・」と感心してたのである。 が、油断してたらついにやられちゃった。 もはや誰もが楽しく飛沫を噴射しまくってるご時世なので、どこで風邪をもらっちゃったかは分からない。 学食か地下鉄かって気はするけど。

発熱外来で 「コロナ・インフルではありませんよ。 よかったですねぇ」 と診断されたが、いや、こっちはそこがポイントじゃないのだ。 

夜、一ミリも眠れない(現在進行形)。 寝ると咳が出るのである。 うとうと・・と安息の睡眠に落ちかけたその瞬間、気道に浸出してるネバネバした少量の黄色い痰が「イガイガ」し始めやがる。 と、即座に身体の忠実な防衛隊(咳中枢)が反応し、すごい勢いで咳が出始める。 

「ゲホッ、ゲホッ、ゲホッ、・・・ 」と数分間苦悶。 すっきり切れる類の痰ではないから、いくら咳をしてもまったく楽にならん。 で、そのうち、喉の奥に貼りついた痰の野郎が嘔吐反射を引き起こし、「・・お、おぇー・・」 とえづいてしまう。 危険すぎてとても横になってられる状況ではない。 涙目になりながら身体を起し、灯りを点け、ティッシュで目、鼻、口から出てるいろいろな汁(笑)をふき取り、ふぅーとため息をつく。 時刻を確認する。 まだまったく睡眠してないぞ、自分。 が、眠ろうとすると咳が出る。

昔の映画「エルム街の悪夢」 で「眠ると怖い怪物(フレディ)が夢の中で出てくるので、決して眠ってはいけない」っていうのがあったが、まぁ、それとほぼ同じ状況ですね。 

横になると咳が出やすいので、座った姿勢のままでの睡眠を何度か試みたが、結果は同じ。 座ったままでも、うとうとしたその瞬間に猛烈な咳が出始める。 自律神経おそるべし。

「ちゃんと薬飲んだら?」 って? はい、私も薬のプロである。 過去40年、「咳」「痰」 の効能・効果を有する医療用・一般用の薬剤(麻薬、漢方薬を含む)ほぼすべて試してきましたよ。 でもダメなのよ。この悲惨な状態にあるときに効く薬はありません(断言)。

 

眠るのが怖い。 マジで怖い。 仕方ないので、夜中ずっと、小説読んだり、マンガ読んだり、ラジオ聴いたりすることになる。 途中でふと 「もう、寝れるんじゃないか?」 などと甘い期待を抱いて横になると ・・・ 数分後にはべっとり痰と咳がフレディみたいに襲い掛かってくる。 うぎゃーー!

 

・・・ というわけで皆さんお元気ですか。 こういう状況が2週間くらい続いているので、サル的なヒトはほぼ死んでいます。 建設的なことや愉快なことは何一つ考えられないので、そもそも僕に話しかけてこないように。 ややこしいメールとかも送ってこないように。

 

そんなときにブログを書くというのも意味不明なのだけど、そうした深夜の格闘の中で戦友になってくれたラジオ番組やお話の中でいいものを見つけたのでいくつかご紹介。 というか、そのくらいのことしか書けん。

 

小難しくない、ワクワクする宇宙モノのSFを読んだのは久しぶり。

映像が思い浮かぶことを念頭においた分かりやすい文体なので、ページをめくる手が進むこと進むこと。 このくらいの速さで位相論のテキストが読めればいいのに、と何度も深いため息をつく。 翻訳がうまいのですね。

ネタばれ厳禁だろうから内容については語りませんが、深夜、咳が止まらず、呼吸困難で死にそうになってるおじさんでもどんどん先が読める素晴らしいSFであることは保証します。 お正月にぜひどうぞ。

あ、ライアン・ゴスリング主演で映画も撮影中みたいよ。 例のあいつがどんな姿でスクリーンに登場するのか、楽しみ。

 

咳が出て、身体を起して、しばらく読書して、ラジオを聴いて、また寝ようとして、咳が出て ・・・ を数十ラウンド繰り返してると朝が来る。 ぼーっとした頭で昨晩聴いた曲の中にいくつか素晴らしいのがあったよなぁ・・・などと思い出してみた。

 

ああ、そういえば昨晩の3時過ぎに、ラジオ深夜便NHK)でこんな懐かしい曲が流れてたっけ。 作詞家 松井五郎さんの特集。 「好きにならずにいられない」。

 


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♪ 好きにならずにいられない

高鳴る胸 忘れられない

好きにならずにいられない

誰のためにする恋じゃないもの ♪

 

歌詞の日本語がすばらしいなぁ。 風邪で死にかけているおじさんも恋をしていいじゃないかとすら思えてくる ・・ いや、そんな恋は誰にとっても迷惑である。

 

で、同じくらいの時間帯のTBSラジオでこんな曲が。 「トランジスタレディオ」by SUKEROQUE。

 


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素晴らしすぎて、しばらく脱力してしまいましたよ。 数十年前の、RCサクセションの「トランジスタ・ラジオ」と、aiko の「ラジオ」 と、加えて崎谷健次郎の「もう一度夜をとめて」 といった曲に対してのすぐれた今風な返歌になってるよなぁ、これ、と思う。  

ほら、ブログ読者の昭和・平成なおじさん・おばさんたち、身構えないでこの曲ちょっと聞いてみて ・・・ ね、いいでしょ。 遠い目になっちゃうでしょ? いろんなことを思い出しちゃうでしょ? しっくりくる心の置き所がなくて悶々としてるのは若者もおっさんも同じである。 そして、それはいつの時代も同じ。

 

*****

 

というわけで、今回はここまで。 というか、年内はこれで終了か。 たぶん。

皆さんは私のような悲惨な目に遭わぬよう、マスク、手洗い、人混みの回避・・がんばってくださいね。 咳止めや痰切りの処方薬の在庫が薬局に不足してるのも、今回身をもって体験しましたよ。 何軒も薬局を渡り歩かされた。 どうにもならんし、早急になんとかしてほしいのだけど、今我々が潜在的に直面している医療の危機の本質はこんなもんじゃないよな。 近い将来、もし仮に皆保険が本格的に壊れるとすれば、そのときの軋み音はこんなものじゃないのだろうなぁ、とも思う。

 

来年もがんばって生き延びていこうね。 じゃまた。

 

むやみに懺悔しない

学食でいつものように昼飯を食っていたのである。

どうせ楽しいことが何もない毎日、 昼メシくらいは豪勢にパーッといくか、とトンカツを食べることにした。 同年代の読者は私同様に自覚してると思うが、昼メシに重たいものを食べると、午後眠くて仕事にならないのである。 カツカレーやら、かつ丼やら、家系のラーメンにサービスライス大盛やら、その手のものを食べると決まってその一、二時間後に猛烈な睡魔が襲ってくる。 トンカツを食うには健康と仕事の効率の両方を捨てる覚悟が必要なのだが、なーに、そんなものいくらでも捨ててやろう。

席につくなり、トレーに載ったトンカツとライス大とお味噌汁をがつがつと食べ始めた。 うまー。 ドボドボかけた中濃ソースがたまらない。 学食で食事中についスマホを見てしまうのも最近の私の悪い習慣だ。 くだらん動画やかわいい動画(わんことか)を眺め、時折「ゲヘヘ」などと笑いながら不健康な大盛ごはんを口に放り込む。 トンカツの油と脂のギトギト感がたまらんのぉ。 ゲヘヘ、ゲヘヘ ・・・

・・と、向かいの空いていた席に外人のお兄さんが座った。 長髪を後ろでしばっている。 学食には留学生もたくさん来てるから最初は特段気にもせずにいたのだが、そのお兄さん、座って数秒後、おもむろにお祈りを始めた。 少し下を向いてブツブツお祈りの言葉を呟いている。 お祈りがやたらと長い。 優に1分間は超えている。

・・ あ、いかん。 いかんぞ、自分。 ごはんの前の 「いただきます」 を言ってないことにその時点で気付いた。 還暦も近いのに恥ずかしい。 小さな声で 「い、いただきまーす ・・・ なんちって」 と呟くサル的なヒト。 が、その口のまわりにはすでにべっとり中濃ソースと豚さんの脂が付いておる。 神様、怒ってるかな? ・・ と不安になる。

向かいのお兄ちゃんは、お祈りの最後に胸の前で手で小さく十字を切って、静かにフォークとナイフで食事を始めた。 トレーには、ナスのナムルが二皿、ライス(小)、コロッケ、そしてキツネそば。 基本ベジタリアンらしい。 世俗に染まった油まみれの動物性の食物はとらぬらしい。 それに引き換え、自分のトレーのお皿にはソースまみれのギトギトの豚さんが食べ散らかされて載っておる。

・・・ い、いや、自分だって常々、「あんなにかわいい牛さんや豚さんを直接食わんでも、人類は大豆食えばいいじゃないか」 と思ってはいるのである。 納豆食べながら家人にそんなことをネバネバしたお口で呟いているのだ。 ホントなのだ。 でも、かつ丼や牛丼を前にすると、あの悪魔的な旨さに精神がやられてしまうのですよ。 分かってください ・・・ と目の前でナスのナムル(二皿)をライスの上に乗せ、それを黙々と食べているイエス様に訴える。

そんな僕の訴えを知ってか知らずか、イエス様はライスを食べ終え、次はコロッケに取り掛かった。 当然ながらコロッケには中濃ソースなんてかけてない。 まっさらな美しいままのコロッケを一口、二口・・・と片付けていく。

コロッケを食するあまりの神々しさに見とれてしまい、こっちのトンカツはなかなか減らない。 というか、ソースダボダボのトンカツなどというものをこのまま食べていていいのか、自分? という自問自答が止まぬ。 食欲などという下賤な欲望に身を任せていいのだろうか。 

・・・が、そのとき、心の中に一つの疑問が沸き上がったのだ。 世俗的には、食事はいろんなおかずをローテーションして順番に食べた方が良いと言われてる。 ごはんやおかずだけを食べ続けるのはお行儀が悪い、と。 が、イエス様はどうして一品ずつ順に片付けていくのだろう? ・・・ い、いや、これもきっと何か深い理由があるに決まってる。 口の周りにべっとり動物性の油をつけてどんぶり飯をかきこんでるサルごときには決して分からん、何か深遠な理由が。

最後にイエス様はキツネそばと向き合った。 外人さん一般の例に違わず、まったく音をさせず、黙々とそばを食していく。

・・・ ああっ、すみません。 何も考えず、盛大にずずずーっと麺をすすってきた我が人生を振り返ると、そのあまりの軽薄さと身勝手さに忸怩たる思いが沸き上がってきます。 でも、蕎麦って、ズズズっとすすった方がなぜか旨いんっす。 なぜだか分からないけど、旨いんっす。 許してください ・・

キツネそばを最後まで食すと(むろんどんぶりを持って汁をズズッとすするなんてことはしない)、再びイエス様は食後の長いお祈りを始めた。 もはやこっちの食事などどうでもよくなってしまい、息を殺してじっとその様子を見守るサル的なヒト。 

食前のお祈りのときよりも少し大きく十字を切って、イエス様は立ち上がり、トレイを持って去っていった。 後光が、後光が射しておる ・・・

 

・・・ といった日々を送っているサル的なヒト。 皆さんお元気ですか。

 

またずいぶん間が開いちゃってごめんね。 今日は都内で開催されたあるシンポジウムでこんな話をしました。

 

みんなが何を言っているのかがさっぱり分からない(再び)

 

小野俊介

 

年を取って頭がぼーっとしてきたせいか、新聞を読んでも書いてあることがさっぱり分からない。 年の功で記事のバカらしさを見抜く眼力がついた可能性も1%くらいの確率であるが、どっちだろう?
朝日の朝刊一面に「日本の新薬開発がピンチ」という記事が。 休日だから特にぼーっとしてたことは確かだが、記者が何を言いたいのかが根本的に分からない。
ピンチというからには、誰か(あるいはその誰かにとって大切な何か)が別の誰か(何か)にひどい目に遭わされてるのだろう。 そこに出てくる「誰か」って誰だ?「日本人が、強欲だけど賢い米国人にボコボコにやられてる」ってこと? もしそれが記事の趣旨なら話は簡単だ。 米国人を殴り返せばよいのだ。 浅草あたりに観光に来てる米国人に向かって大声で悪態をつけば気分が晴れるぞ、きっと(笑)。
ニポン人ってどんなひどい目に遭わされてるのだろう?高いお薬を「買わされてる」? 日本人って幸せになるためにお薬を買ってるんじゃないの? 副作用かなんかが出るのをドキドキするために薬を買ってるのだろうか?
・・・ いやいや、私だって35年間この業界にいるのだから記者の気持ちは分かる。 要は、新薬のほとんどを創ってる欧米の外資系企業が憎いのですよね(苦笑)。 医薬品の制度、理念、そして産業を世界的にリードする米国様に嫉妬してるのね。 かわいいといえばかわいいけど、いい年齢したオトナのやることじゃないよ  ・・ え、違うの? では、あなたの言いたいことは何なの?
人間って、自分がしていることの意味が本当は分からない。 たとえば私は自分でも訳が分からぬままお昼になると生協食堂に行ってしまう。 新聞記者は自分でも訳が分からぬまま日本の新薬開発危機を煽る。 役人は自分でも訳が分からぬまま毎年「日本の新薬開発をオールジャパンで支援する」「司令塔をつくる」だのというアドバルーンを上げる。 本能で行動するハチさんやアリさんと同じである。 いや、生きていた頃と同じ行動を繰り返すだけのゾンビと言った方が適切か。
ニポンでは、産官学の関係者(記者を含む)のほとんどは、数年もすれば人事異動と称する強制シャッフルでポストが代わるし、そのうち定年退職と称して強制離職させられるのである。 新薬開発の話や製薬業界の苦難など人生のほんの一時のお付き合いなのだから、自分の言ってることのホントの意味など考える必要もない。 記者も政治家もお役人も、前任や先輩が唱えていた決まり文句や業界メディアから仕入れた口から出まかせの思い付きを喚(わめ)いていればメシは食える。 そもそも彼らの言ってることなどほんの数日もすれば社会の誰も覚えてないのだし、数年もすれば、定年退職した彼らの存在すら忘れ去られるのだから。 
ほら、私が本稿で数秒前に喚いたこと、誰も覚えていないでしょ?(笑)

 

AI 生成機能を使ったご自慢のスライドがあるのだけど、それはまた後日。

 

*****

 

これはまた素晴らしいエッセイが。

日本語と英語の達人の書くエッセイ。 言葉のプロってすごい。 日々の仕事で、魅力のないつまらん(つまらんどころか、ろくに意味すら通じない)お薬関係者の書いた文章にばかり接している自分としては、毎晩お布団に入って、少しずつ本書のページをめくるのが楽しみで仕方ない。 色恋沙汰の書き方がかっこいいんだよなぁ。

 

こんな素晴らしいマンガも見落としていた。

学食の麺売り場のおばちゃん(バツイチ)と奥手の美大生の恋。 なんかいいぞ。 いや、とてもいい。 おすすめです。

昔、駒場の学食の食券売り場のおねいさんに憧れて、いつもそのおねいさんの窓口に並んで一番安い200円の定食の食券を買っていた 40年前の自分を思い出す。 あのおねいさんももうおばあさんになったのだろうなぁ。 きれいなおばあさんかなぁ・・

 

*****

 

というわけで、今日はここまで。 多少元気がなくとも、生きて、メシ食って、楽しい本やマンガを読んでればよしとしよう。

実は今、やたらとややこしい数学(位相論)のテキストに夢中になっておる。 たとえば 「位相空間 X は局所連結である」と「X の開集合となる部分空間の連結成分はすべて X の開集合となる」 と 「X の連結開集合全体は X の位相の基底である」 の同値性を証明したりするのが楽しくて仕方ない日々を送っているのである。 が、その手のめくるめく理屈の世界に読者を導くのはまた別の機会に(笑)。

 

じゃまたね。 楽しく師走を迎えましょう。

 

三四郎池のまわりから出てこない

あまりに疎遠にしてると、友達でも顔を合わせるのが気まずくなったりするものだが、このブログもそんな感じになりかけてしまってたよ。 自分のブログなのにログインするのが怖い(笑)。 ログインしたら貞子のようなヤツが出てくるんじゃないか、と・・・

またしても記事の間隔があいて、すみません。 twitter でテキトーなことを呟くクセがついてしまい、人生のガス抜きはそっちでいいか、などと愚劣な SNS 社会の典型的住人に堕落してしまったサル的なヒト。

・・・ などと自ら記事のハードルを高くしてはいけない。 ブログなんてテキトーでいいのよ。 テキトーで。 だいたい読んでる連中がみんなテキトーなんだから(笑)。

というわけで、皆さんお元気? 私はこの時期恒例、路上のセミの亡骸(なきがら)を土に還してやる仕事で忙しくて、学生の論文直しなどする時間もない毎日であった。 いや、開き直ってはいかんのだが。

セミがうるさい三四郎池のまわりって結構ワイルドなネイチャーなのよ。

昨日はコロコロ太った青虫がデローンと通路に落ちていたので、小枝でツンツン突きながら元の草っぱらに戻してやった。

で、今日は、1メートルくらいあるシマヘビさん (学食への行き帰りに時々お会いするヤツ) が通路にデローンと寝ていたので、昨日と同じように、でも少し長めの棒で(笑)ツンツンして移動してもらった。 暑すぎるのか動きがのろかったので、生まれて初めてヘビのしっぽをつかんで持ち上げるという荒業をやってのけたのである。 ヘビさんも、ひ弱なお受験坊ちゃま・お嬢ちゃまの巣窟の東大キャンパスでまさか直接手づかみされるとは思ってなかったらしく、びっくりしておったよ。

アリストテレスの伝統論理学にもあるとおり、人間は「ヘビを掴んだことがあるヒト」と「ヘビを掴んだことがないヒト」に分類可能なのだが、2023年9月5日、私は前者に分類されることになった。 イモトアヤコと同じカテゴリーに属する。 うらやましい?

 

いや、学者たるもの、仕事もちゃんとしています。 グローバル産業の新薬開発や薬効評価の論理研究に日々明け暮れていますよ。 夏休み期間とはいえ、いろいろ報告すべき研究実績もあるぞ。 たとえば三四郎池のほとりに、ピンク色のちっちゃなお靴が片方だけ落ちていたのをジップロックに入れてやったりとか、三四郎池のまわりで蚊を叩き潰そうとして、秘書さんのおやつに買った大福もち4個を盛大に地面にばらまいてしまったりとか。  ・・・ なんか出来事がアカデミックでもグローバルでもないような気もするが、三四郎池は世界に通じているのだから、これでいいのだ。

 

 

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「八月、大学は夏休みですか? うらやましいです」 などとよく言われるのだが、それってなんか勘違いがある。 八月の大学って全然うらやましがられるようなものではない。 多少短くても、企業のすっきりした夏休みの方がずっとマシですよ。 確かに講義やセミナーはこの時期はないのだけど、大学院の入試や科研費の応募などの講義以外の恒例の仕事(事務仕事。雑用) がダラダラとある。 私の場合はそれらに加えて、例の社会人向け研修(レギュラーコース)が8月も当然に開催されるので、事務局としてそのお手伝いをしないといけない。 夏休み感はほとんどないです。

「学生のいない真夏のこの時期に教員は命がけで自分の研究をする。 この時期を逃すとあとはもう研究ができないから・・」と嘆いている教員もいるらしい。 その状況にいる教員(たとえば講義をたくさん受け持っている教員)の気持ちも十分理解できる。 要は、日本の大学って悲惨な状況にあるってこと。

 

肩書・形だけの役職の会議はほとんどない私(下っ端だから)にしても、頭を使った仕事をするまとまった時間は平日にはまったくとれぬ。 平日は朝から晩まで、研究を進める環境整備(笑)のための仕事、人と会うための準備、人と会う仕事、会議・研修・講義の準備、そして、三四郎池の傍らに落ちてるちっちゃなお靴をジップロックに入れる仕事、ヘビのしっぽをつかむ仕事に忙殺される。

教職員の仕事を妨害しようとしてるとしか思えない業務指示がたくさん来る(皆さんの会社でもそうでしょ?)。 たとえば、毎日のようにメールで「○○研修を受けろ」だの「○○の書類を出せ」だのと指示が教員に来る。 が、メールで指示は完結せず、「詳細については別に ×× を読め」 などと書いてある。 が、その ×× がどこにあるのかがさっぱり分からない。 で、その ×× を四苦八苦して探すこと小一時間 ・・・ なんてことが毎日当たり前に起きる。 「研修を受けろ。 そのためにまず登録せよ。 登録には、まず△△にアクセスし、そこからの指示を待て」なんてのも日常茶飯事。 この手のアホのような事務作業を日々忠実にこなす、単なる事務作業員と化した僕のような学者が、将来の人類を幸せにするような大発見をするとはとても思えないのですが。

物理的にも 30分に1回くらい誰かからコンタクトがあり、対応しないといけない。 知恵の要る仕事がまったく進まず、負債(締め切りを過ぎた仕事)は蓄積する一方。 疲弊。 憲法第25条が保証する健康で文化的な生活なんてもうとっくに諦めた。 なにがワークライフバランスだ。 土日もすべて大学の図書館で仕事をしてます。 頭を使う本来のお仕事は、土日にしかできないんだもの。 ちなみに教科書を読めるのは地下鉄の車内にいる数十分だけ。

役所と大学、両方の経験があるから言っとくが、悲惨な労働環境・哀れな知的環境にいるのは霞が関のお役人だけじゃないぞ。 医療機関、研究機関、配送業界 ・・ いろんなセクターが無茶苦茶だ。

この国は本当に貧しく哀れな国だ。 国が亡びかけている理由は単なる人口減少だけではあるまい。

 

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そんなわけで今晩もオフィスで投稿論文の査読をしているわけである。 まだ10時過ぎ。 まったくフツーの勤務時間内だ。 査読の締め切りはとうに過ぎている。 が、隅から隅まできちんと読む。 論旨が無茶苦茶で学問に一ミリも敬意を払っていないことが明らかな連中の論文も、きちんと読む。 ご存知のとおり、査読はボランティア活動なので一銭にもならない。 査読は匿名で行われるので名前もどこにも出ない。 だけど、忙しい中必死で出来の悪い論文を読んでスジの通った批判・批評をしてあげるのは、もはや学者としての「意地」だけ、である。(注)

 

(注) 最近は歪んだハゲタカ誌(50-60万円払えば、テキトーな査読で質の悪い論文を載せてくれる学術誌もどき)からの査読依頼が毎日数件来る。 むろんお断りしてるのだが、ハゲタカ誌とまともな学術誌の境界がビミョーになっていて危険な状況。 学術誌の歴史をまったく知らぬ学生がハゲタカ誌に平気で投稿しようとしてしまい、慌てることもある。

 

こんな絶望的な環境にいるのだから、仕事中に Youtubeを聴いて、ゆく夏を惜しむくらいのことは許してもらおう。

 


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サーカスの代々のおねいさん方の声のなんと色っぽいこと。

 


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麗美といい、ユーミンといい、盛大に昭和である。 昭和で何が悪い。 文句があるなら、うちの秘書のおねいさん方に言ってください。

 

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というわけで、今日はこの辺で。 久しぶりなのになんだか意味不明の記事ですみません。 九月に入ったのにこの猛暑だから仕方ないのだ。 依然意味不明。

なお、理屈っぽいことは twitter で呟くことが多いので、そっちをご覧ください。たとえば、やけくそのように 「患者集団に位相(開近傍)を入れないと、薬効評価の人種差問題は論理的に議論できないよね」 などと呟いたりしてるのだけど、それを読んだ誰かが私の思いを理解してくれるとは一ミリも期待してません (笑)。 でもね、いいのよ、それで。

 

暑い日がまだ続いてますが、皆さん無理しないようにね。 三四郎池のほとりを歩くときにはでかいシマヘビを踏んづけないように気を付けて。 ちゃんとしっぽ持たせてくれるし、悪いヤツじゃないからいじめないでね。

じゃまた。

 

ティファニーで朝食しない

・・・ みんな、生きてる? ちゃんと元気に担々麺食べたりしてますか?

 

久しぶりに渋谷センター街マクドナルドに行ったら、7、8人の店員さんがすべて外人さん(インド系の方々)だったのである。 で、その中の一人、小柄な女性店員さんは新人らしい。 日本語もあまり上手じゃない。 何か失敗したらしく、先輩インド人店員のおっさんに英語で厳しく叱責されている。

で、順番が来て、サル的なヒトがその新人さんに注文することになった。 先輩インド人店員が後ろで怖い顔をして新人を見てる。

う・・・。 自分、実は1年ぶりくらいにマクドナルドに来たのである。 久しぶりでワクワクしてるのだ。 で、今日はややこしい名前のバーガー 「大阪お好み焼き風ソースたまごてりやき」を頼みたいのである。 お好み焼きソースとたまご照り焼きの組み合わせなんて、もはやサイコーという以外表現しようがないじゃないか。

で、でも、日本人でも舌を噛みそうなこんな長い日本語の名前を、この新人さんが処理できるわけがない気がするのだ。 注文を間違えたら、このインド人女性店員はまたおっさん店員に怒られるんだよなぁ ・・・ どうする、自分?

 

「あ、ビッグマックください」

 

・・・ 自分はやさしすぎる(ダメな意味で)とつくづく思う。 信頼できる今の秘書さんたちから 「小野センセはやさしすぎるんですよ。 だから毒を吐く人たちが寄ってくるんですっ! 毒にやられてこのところずっと体調を崩してるじゃないですかっ!」 と厳しく叱られている。

そのとおりだと思う。 自覚はあるし反省もしてる。 ごめんなさい。

オフィスに突然やって来て、同僚の悪口・陰口や上司への不平不満を吐き散らす人がいるのだ。 曰く 「あの人って学歴は立派なのに無能」「あんな幼稚なミスを平気で犯す」「私はあの人の尻拭いばかり」等々。 聴いてると確実に気分が悪くなる。「あなた、『天に唾する』って言葉、知ってる? あなたが言ってる悪口って、たぶんそのままあなたに帰ってくるはずだよ」 と諭したくなる。

しかし一方で、「この人、昔からこんなふうに人の陰口ばかり言うから皆に嫌われていて、誰からも相手にされてないよなぁ。 仲が良いわけでもない僕以外に愚痴をこぼす相手もいないのか・・」 と思うと、なんだかとても気の毒になってしまう。 だから精一杯やさしく丁寧に対応するのだが、それって、毒(負の感情)を顔面に浴びながら相槌を打ち、お愛想を言う、という忍耐力を養う修行そのもの。 修行僧ならぬフツーの大学教員は精神を病んでしまうのだ。

自分のこの性格、治したいけど治らない。 自分ではどうにもならん。 で、秘書さんに呆れられ続けてる。 あーあ。

 

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お久しぶりです。 いろいろなドタバタがあって、人生が嫌になって、ブログ書くのが面倒くさくなって、サボってました。 ごめんなさい。 正直に謝ってるのだから許せよな。 最近は、日々の感慨や憤りを twitter で手っ取り早く呟く癖もついてしまいました。 すまんね。 反省はしてるのだから許してね。

 

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先週の土曜日の朝。 ぼーっとした頭でメールを開けたら、昔の教え子の一人からこんな写真が届いたのである。 こ、これは ・・ もしや ・・・

 

 

・・・ ∑(゚Д゚)ファッ!!?

 

・・・ な、なんてこった。 やりやがったよ、このおねいさん。 二年越しで、ついに成し遂げやがったよ ・・

 

ティファニーで朝食を in NY プロジェクト。

 

あのトム・クルーズにすら 「Oh, これは本物の Mission Impossible ね」と言わせしめた極秘プロジェクトである。 一歩間違えば日米両国の安全保障体制を大きく揺るがしかねない重大案件だったのである。 詳細は二年前のこの記事を読んで頂きたい (これね → 

ティファニー本店を探さない - 小野俊介 サル的日記 )。

要は、うちの研究室で2019年に博士を取得した聡明で可憐な卒業生のおねいさんがニューヨークに駐在することになったので、

ティファニー本店でオードリー・ヘップバーンになるのだ! 最悪、ごっつい警備員に 『ヘイ、ユー! 店先でクロワッサン食うな!』 と怒鳴られて追いかけられてる写真でもいいから(笑)」

との秘密指令を元指導教員のサル的なヒトが発したのである。

が、間の悪いことに、当時ティファニー本店は改装工事中で仮店舗に移転中。

「せ、センセ― ・・ ティファニーが ・・ ティファニーが ・・ 五番街に ・・ ありません ・・ (げ、げふっ(血を吐いて倒れる音))」

という無念のメールが届いて以来、おねいさんはニューヨークで消息を絶ってしまい、行方が分からなくなっていた。

 

あれから二年。 彼女は大和なでしこの魂を失っていなかった。 ついに成し遂げたのである。 それも芸術的ともいえる精度で。 サングラス。 アップした黒髪。 手にはクロワッサンと紙コップのコーヒー。

 

 

東大の教員になって 17年。 まったく何も良いことが無かった(どころか嫌なことばかり経験した)17年間だったが、喧騒のニューヨークで見事にオードリー・ヘップバーンとなった〇さんの凛々しい姿を見て、教育者としてついに何かが報われた気がしたのである。 なんだか嬉しくて涙が止まらないよ ・・ 〇さん。 ありがとう。 

 

ちなみに〇さんはオードリー・ヘプバーンが本業というわけではなく、某製薬企業の社員としても米国・グローバルの新薬開発の現場で活躍されてます。 社会人学生だったあの当時、頑張って勉強して研究してたもんね。 マンハッタンのこんな光景を眺めながら働いているそう。 かっこいいなぁ。

 

 

あ、そうだ、一つ忘れてはいけないことがあった。 おねいさんからの頼まれごとがあったっけ。

 

撮影に全面協力いただいた、私の大切な友人のチーフディレクター&フォトグラファーとアシスタントディレクターへの appreciation もほんの少しだけ書いていただくことは可能でしょうか。友人がいなかったら実現していないミッションでした。素晴らしいチームワークです!

 

もちろんです。 Chief Director と Assistant Director のお二人様(日本人かな? 外人さんかな?)、お手伝い頂き本当にありがとうございました。

 

Thank you so much for helping my dear student to carry out such a near impossible mission to perfection. I fear that your team may have been yelled at by the security guards and/or laughed at by the tourists. If you ever come to Tokyo, definitely stop by my office at the University of Tokyo. I will treat you to Akamon Ramen.

(こんなに難しいミッションを私の大切な教え子が完璧に遂行するのを手助けしてくれて本当にありがとう。 皆さんが警備員に怒鳴られたのではないか、観光客に失笑されたのではないかと心配してます。 東京に来ることがあったら、東京大学の私のオフィスに立ち寄ってね。 東大生協で3番目においしいメニューとされる赤門ラーメンをごちそうしますよ)

 

このおねいさんが社会人学生として博士課程に在学中に、どのくらい聡明だったかを示すエピソードをだいぶ前の記事に書いてたのを思い出したぞ。 参考にしてください。

これね → 

boyaboy.hatenablog.com

 

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大学の研究室まわりでの困りごと(毒を吐く困った人)のトラブルは続いているのだが、今日はそんなつまらんことを書くのは止めておきますね。 また次回以降に。

 

暑すぎて何かがおかしくなっているのか、東大構内では結構な数のセミの幼虫が真昼間から地中から出て来て、道端をトボトボと歩いていたりするのを見かける。 幼虫を少しでも涼しい大木の根元に移してやるのに大忙しのサル的なヒト。 「大丈夫か、地球?」 などと呟きつつ。

 

辛い暑さだが、皆さんも健康に気を付けて。 この夏をうまく乗り切りましょう。 

 

じゃまたね。 今はそんなに切羽詰まった仕事はないので、次回の記事は早めに書けるはず ・・ あ、医事新報の原稿締め切り忘れてた ・・