小野俊介 サル的日記

いや、その、サル的なヒトだから・・・

行く春を惜しみつつ、手抜きもする

春なのですね。 皆さんお元気?

春の気分について、しみじみといろいろなことを書こうと思って昔の記事を読み返していたら、まるで今の気分をそのまま予言したかのような7年前の記事を見つけてしまった。 自画自賛するわけであるが、この記事、特段なんの力も入ってないのに、とてもかわいらしくて、いいのである。 読んでてなぜか涙が出てしまった。 自分の書いた文章に心打たれるサル (笑)。 それってどうなのかと自分でも思うが、そのまま再掲してしまおうっと。

 

これね → 

boyaboy.hatenablog.com

 

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春、心が乱れるのは老いも若きも同じ。 当たり前の春も、当たり前ではない今の春も、本質的には同じである。

もう少ししたら ・・・ そう、葉桜の緑がもう少し濃くなったら、新しい記事書くから待っててね。

 

春だから、さようなら

いろいろとさびしいことが多くて心が晴れない今年の春。 皆さんはどんな感じですか。 大丈夫? しくしく泣いてない?

 

震災の直後に始まった村上ゆきさんのラジオ番組が3月で終わってしまうのである。 TBSラジオ 「村上ゆきのスローリビング」。 10年前、震災そして原発ボッカーン、いろんな意味で心が凍り付きそうだったあの春の夕方。 ラジオからゆるーくやさしい声が流れてきたときには、ホント、涙が出そうになったっけ。

少しずつ世の中が明るくなってきて、ふと思いついて日曜日の夕方、この番組の時間にジョギングを始めたのである。 ゆきさんの歌声を聴きながら季節の移り変わりを肌で感じる30分間。 人生で初めて日曜日の夕方が辛いものではなくなった。 そんな番組が終わってしまうなんて ・・・

村上ゆきさんって、少し前に積水ハウスのCMソングを歌っていた人です。 エンドレスライスというユニットで 「結婚写真」 という、王道に涙が止まらない曲も出してます (youtube で検索を)。

私はこの曲も大好きである。 あ、あ、いかん。 またはらはらと涙がこぼれ落ちそうな春の宵。

 


ハルトラノオ 村上ゆき

 

「杉田敏 (さとし) です。 やさしいビジネス英語の時間がやってきました」 の NHK ラジオ英語講座も3月に終わってしまうことに。 なんと、34年前からずっと続いていた伝統の番組。 皆さんの中にも聴いてる (た) 人、多いでしょ? 私もずっと聴いてました。 ボストンに留学してたときにもテキストを買ってた、という筋金入り。

私の英語の8割はこの番組で鍛えられたものである。 留学できたのも、FDA の連中とガイドラインの書き方めぐって大ゲンカできたのも、今エラソーに学生の論文を直してるのも、杉田先生のおかげである。

私だけではない。 お役所の英語自慢連中の多くもこの英語講座を聴いてました。 二十数年前に北海道出張したとき、空気読まない系の同僚のあんちゃん (医者) と同じツインルームに泊まることになったのである (安い出張ツアーパックを使ったため)。 外で一緒に飯食って部屋に戻り、やることもないからとっとと寝てしまうことにしたサル的なヒト。 うとうとと眠りについたそのときである。 突然、部屋中に響き渡る大声が。 びっくりして目を覚まし隣を見たら、ベッドに腰かけたあんちゃんが大声で英語を喚 (わめ) いておる。 そう、こいつ、この英語講座を出張先でもラジオで聴いておったのである。 聴いておるだけでなく、ビニエットを大声で朗々と復唱しておる。 隣で同僚がもう寝入ってるのに。

杉田先生、この男、どうにかしてください (泣)

空気読まない系のこのあんちゃん、その後もお役所の内外で空気読まない系の事件を引き起こしているのだが、それはさておき、英語の学習意欲の高さだけは認めざるを得まい。 

就職してからずーっと続いていたラジオ番組が終わる。 なんか、自分の職業人人生も終わりかけているのだなぁということを身をもって知らされた感がある。 さびしいものである。

 

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中学・高校を岩手の一関という地で過ごしたので、地元の人たちのブログを時々のぞいていたのだが、そのうちの一つが今日で終了してしまった。 手賀沼の光景とアルツハイマー病になってしまった奥さんとの電話での会話を毎日欠かさずにアップしていた、おじいさんのブログである。 おじいさんご本人の視力が落ち、もはや写真を撮ることも、ネットに書き込みをすることもできなくなったとのこと。

気の毒なことに、コロナのせいで、この一年間は、日々記憶が薄れていく奥さんと直接に施設内で面会することが一度もできず、週に1回くらい駐車場から窓越しに顔を合わせるのみであった。 そのときの様子を丁寧に記事にしてたっけ。

おじいさん、これまで何十年もブログを書いてくださってありがとうございました。 自分と奥さんの介護の段取りをうまく整えて、しっかり養生してくださいね。

赤の他人とは言え、ブログや SNS でのつながりがある方が目の前から消えるのはとてもさびしい。 これからはこういう別れも増えるのだろうな。

おまいらも、サル的なヒトがくだらん妄言含蓄がある高尚な記事をいつまでもこのブログに書いてくれると思ってたら大間違いだぞ。 いつなんどき 「サル的日記、これが最終話でーす。 じゃね」 となるか分からんのである。 それがイヤなら、ほれ、遠慮なく研究室においしい栗羊羹とか、カニ缶詰め合わせセットとか、ネスカフェのコーヒー詰め合わせとか、送ってくれてもいいんだぞ。 金を出したくなければ、せめてコメントになんか書け。 な。 お互い短い人生なのだ。 ちょっとだけでも触れあえれば楽しかろう。

 

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そういえばだいぶ前に、ラジオ愛と自分がホントにジジイになったときの話を書いたことがあったのを思い出した。 8年前か。 同じようなことばかり繰り返し書いてるな、自分。 でもね、それでいいのよ。

 

boyaboy.hatenablog.com

 

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大学生・院生は卒業の季節。 最後の一年間、なんだか無茶苦茶な学生生活になってしまったね。 気の毒です。 だけど安心して。 こんな一年や二年、あっという間に遠い過去に流し去ることができるのが若者の強さです。 この先数十年間、自分の力でメシを食うことの喜びと苦しみをたっぷり味わってください。 頑張れ、若造。 応援してるよ。

 

♪ 美しく 美しく 風に立て 大空に向かえ

 


斉藤由貴~いつか

 

ところで、斉藤由貴さん、最近いろいろとわけの分からんことになっている気もする (笑)。 が、それも人生の味であり、深みである。

 

やさしい言葉とため息で そっと私を責めないで

やさしい言葉とため息で そっと私を捨てないで ・・・

(「かなしいことり」  作詞・作曲 銀色夏生

 

・・・ などと年輪を重ねた今の斉藤由貴さんに耳元で呟かれたら、男衆は魂が抜かれちゃうよな。 コトの善悪なんてもの、もうどうでもよかろう。 それで何が悪い。 人間だもの。

 


斉藤由貴・武部聡志・中島 愛 AXIA~かなしいことり~

 

懐かしい銀色夏生さんの名前。「このワガママな僕たちを」 が今も本棚にポツンと残ってる。 この文庫本は自炊して pdf にするようなものではないから。

僕らがたどってきた昭和からの数十年を思っていたら、なんかまた涙が出てきたのでこの辺で。

 

またね。

 

「問い」の知的レベル

暖かくなってきましたね。 沈丁花の香りが路地に漂う季節。 私はあの香りが大好きだから幸せだが、散歩中のワンコにとってはきつ過ぎてたまらんだろうなぁ、などと思いながらランニングをする日々。

で、皆さんはお元気ですか?

 

ところでサル的なヒト、何を血迷ったか突然 twitter を始めたのである。 「過去の記事で 「140 字しか書けないバカ人になってしまう」 などと (笑) あれほど毛嫌いしてたのになぜ?」 と不審に思われる読者もおられようが、モノは試しというやつだ。 君子も豹変するのだから、サルがツイ廃になったって不思議ではあるまい。

今、フォロワー数は0名。 堂々としたものである。 このブログについては、業界人の多くがこっそり暇つぶしに読んでることはこっちは分かっているのだが、twitter のフォロワーになるとそれが世間様に公表されることになる。 「あんな危険なバカに感化されるな」 と、私のことを毛嫌いしている腐れオヤジ連中から吹き込まれている方々は、無理してフォロワーになることはありません。 あいつら、陰湿に意地悪してくるからな。 気が向いたときに覗いてくれればオケー。 あ、匿名のアカウントなら身バレしないのか。

いずれにせよ、うまく気分転換の材料に使ってください。 よろしくね。

 

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大学院に入学したのはいいけど、「研究っていったい何をすればいいの?」 と途方にくれる方々が実はたくさんいる。 製薬企業のベテラン社員であれ、若い学生であれ、「学位をとりたい!」 と意気込んで大学に入ったものの、いざ研究を始めると、ほとんどすべての学生がまずは途方にくれるのである。

たとえば統計学的な分析手法 (ソフトウェアの使い方など) が分からない、といったことは悩みのうちに入らない。 きちんと勉強すればよろしい。 「論文を英語で書いたことがない。 投稿したことがない」 といった不安も、単に一度経験すればいいだけのこと。 翻訳業者に大金払えば、お金でも解決もできる。

困ったことに、今の学生さんってそんな些末なことばかり悩むのである。 そんなことよりも、ずっと大きな問題をあなたは抱えているのに、それには気づかないのよね。 ずっと大きな問題、それは 「研究って何だ?」 を一度も考えたことがないことである。

「研究とは何か?」「学問とは何をするものか?」に対する答え方の流儀はたくさんあるが、私が最も好きな答えは 「研究・学問とは 『問い』 を考えること・創ること というものである。 「人類が『分からないこと』 を見つけていく」 という言い方をする人もいる(「分からないことを解決していく」 ではないことに注意)。

これって学問の意義についての結構スタンダードな解釈なのだが、学生さんにはこの解釈の大切さ・味わいがなかなか伝わらない。 大学の教員にも 「学問とは何か」 を自問自答したことすらない連中がゴロゴロいるご時世だから、学生を笑えないのだけど。

 

最近の学会や研究発表会に参加すると、「問い」のない研究発表がやたらと目につき、げんなりする。

「流行りの領域(レセプトだの、薬剤使用だの、患者アンケートだの) のデータをいじってたら、なんか相関が見つかりました。 見つかったんだから、なんか意味があるんでしょうね。 以上」 みたいな研究。

あるいは 「XがYに及ぼす影響」 なんてタイトルを付けているのに、X→Yの因果関係なんて全く探ってない研究。 この手のタイトルの研究には、自分のやっていることをまったく理解していない 「研究もどき」 も多い。

困ったことに、世界のアカデミアで一般常識の因果推論の基本をまったく勉強してない学生が、薬学部にはゴロゴロいるのである。 過去数百年(正確には数千年)の人類の知恵として体系化された因果推論の哲学に畏 (おそ) れを抱くこともなく、また、今やありとあらゆる学問で使われる因果推論の方法論を勉強してないなんて、私にはちょっと信じられないのだが。

そんな 「研究もどき」 が蔓延する背景には、統計ソフトを使うと、脳みそがない学生でも傾向スコア(propensity score)とかを計算できてしまう状況がある (これも周知の事実)。 意味が分からずとも 「結果もどき」 だけは出てしまう倒錯を恥じているうちはいいのだが、多くの学生はいつの間にかそういう状況に慣れっこになって、「ソフトを使えることが分析モデルを理解していること」 と勘違いするのである。

さらにもう一つ、大学教員の言語能力が相当に落ちている気がする。 研究の技術的な詳細 (分析方法など) は大学教員はむろん理解できる(はず)だが、研究の意味・意義を過不足なく、適切に日本語で表現する力がどうも怪しい。 ざっくり言うと、日本語が不自由な大学教員が増えている。 

たとえば、学生が 「XがYに与える影響」 ではなく、何か斜め 45度のようなこと (たとえば別種の相関) を論文に書いているのに気付いたら、教員は 「君の論文、日本語が変だよ。 修正して」 と当然に指導しないといけないのだが、それができない教員、あるいは無頓着な教員がいて、妙な記載を放置してやがる。 これってダメである。

 

で、結局、研究の 「問い」 に戻る。

これまでの経験から、この手のダメダメ学生及びダメダメ教員は、自分たちが研究で問うていることを、日本語で正しく書こうとしたことが人生の中で一度もないのではなかろうか、と思うのだ。 そして、自らの研究の 「問い」 を明文化したことがないのは、そもそもそれを表現するための様々な能力、特に言語能力 (語彙、文法) が無いからではないか、と疑っているのだ。

「ややこしい分析やってるんだから、『問い』 が書けないわけないじゃないか」 と思うのはシロウトである。 断言するが、ややこしい分析はバカでもアホでもできるのよ。 公文式で小学生がドリルを解けるのと同じ。 研究の本質は、そして難しいのは、素晴らしい問いを創ることなのである。 それって数学などでは常識だが、社会科学だって同じなのだ。

「問い」 を書かせると、その人の学問レベル、というか知的レベルが露わになる。

私の研究領域だと、たとえば当局通知や ICH ガイドラインに詳しいだけの単なる物知りや、企業でグローバル開発・当局で承認審査に携わっているだけの人 (そうした実務が種々の原理や規範で支えられていることに気付けぬ人) は、所詮そのレベルの薄っぺらい問いしか書けません。

厚生経済学の第一・第二定理を知らん人は、効率 (たとえば費用対効果) に関するまともな問いは書けません。 ゲーム理論の均衡概念がない人は、PMDA と企業の交渉を抽象化した学問的な問いにできません。 倫理の知識がない人は、自分の問いに、せいぜいが出来損ないの功利主義でしか正当性を与えることができません。

因果論の深みを知らぬ人は、まともな 「問い」 がそもそも書けないのは上述のとおり。 言語哲学の深みを味わったことがない人は、自分自身が言葉で表した 「問い」 が世界の姿とどう対応しているのか (前期ヴィトゲンシュタインね) といったことを楽しく思い悩むことなど決してないと思います。 

その人が創ることができる 「問い」 のレベルが知的レベルを表すのは、学生だろうと教員だろうと同じである。 ほれ、学生をエラソーに指導してるそこのセンセー。 あなたも研究者なら、自分自身の研究の 「問い」 を日本語で書いてみるとよかろう。 で、書けた 「問い」 を私に送ってくれれば、センセーの知的レベルを 「最底辺の私よりはマシ」 か 「最底辺の私よりひどい」 の2段階で評価してあげるぞ (笑)。(注) 遠慮すんな。

(注) 自分を卑下した冗談などではない。 私の知恵のレベルなど最底辺である。 マジで。 海外のすごい学者と対話をすればそれがすぐに分かる。

 

学生さんは、自分ならではの 「問い」 を生み出せるよう、頑張って勉強してください。 深遠で、豊穣で、ふくよかで、楽しくて、斬新で、とんがった 「問い」 を期待してますよ。 大学内の勢力争いや、学会での出世や、メディアへの露出や、政府審議会のポストや、老後の天下りのことばかり気にしている教員連中がつくる、偏狭で手垢のついた 「問い」 を笑い飛ばしてやれ。 頑張れ、学生さん。

 

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統計の大先生フィッシャーさんは、ランダム化という人類史上一、二を争う大発明をしたときに、こう認識したそうである。

... An uncertain answer to the right question is much better than a highly certain answer to the wrong question. 

正しい 「問い」 に対する不確実な答えの方が、間違った 「問い」 に対する確実な答えよりずっとマシである。

 (Judea Pearl & Dana Mackenzie. 'The Book of Why' より)

 

ね、頻度論のご本尊の言ってることと今日の私の記事の趣旨、違う文脈なのに見事にマッチしてるでしょ? 自画自賛

ちなみに最近、「ビッグデータを使えば、そこから (モデルに依存せず) 分析結果が何か出るのだから、それでいいだろ? 『問い』 とか、因果モデルとか、そんな面倒くさいものは統計学の分析には要らないのよ」 的なことを言うバカデータサイエンティストが多いらしいのだが、パール先生は、そうした連中を同書 ('The Book of Why') で徹底的に皮肉ってます。 この本、面白いからおすすめだよ。

 

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じゃまたね。 今日の記事も理屈っぽくてすみません。

「葬送のフリーレン」。 多くの人たちがもう読んだとは思いますが、未読ならばぜひ。 サイコーです。 子供は子供の感覚で、大人(私のようなジジイ)は大人の感覚で、このマンガの素晴らしさが分かりますよ。

 

 

まるちゃん、さよなら

ホント、ニポン人って気持ち悪いと最近つくづく思うのである。

あ、誤解されるといけないので最初にはっきり断っておくが、私が今ここで気持ち悪がっているのは 「ニポン人」 である。 皆さんや私が思い浮かべる 「日本人」 や 「にっぽん人」 と一致している保証はない (というか、たぶん一致してない) ので、勝手に怒り出さぬように。 右や左のややこしい政治思想をお持ちの方々にケンカを売る気はまったくない。 「ニポン人」 という語感が受け容れられない方は、こんな記事を読む必要ありませんので、「真の日本人とは・・」 とか 「本当の意味での日本人ならば ・・」 とかいった意味不明な深遠な言葉を代わりに使った議論をお仲間とお楽しみください。

 

皆さんご存知のとおり、先週の土曜日、大坂なおみさんが全豪オープンで優勝したのだが、NHK、何を思ったか急に夜の 7:30 に緊急特番を始めたのである。

「う、うわぁ! 大坂選手が優勝ですぅ! 北野たけしの通常番組なんかやってる場合ではありません! 緊急特番ですぅ!」 だと。 

頭おかしいよな、NHK。いろんな意味で。

大坂さんが優勝してなんでびっくりしてるんだよ。 大坂さんって、どこからどうみても、現在の世界最強 (を争う一人) だろうが。 「勝ってびっくり!」 なわけないだろうが。

ニポン人って、なんというか、心の底から負け犬根性が染みついているのな。 頭も悪いし身体も弱いから、何をやってもどうせ勝てっこないっていうのがどんな時でも話の前提 (笑)。

昔、飯田覚士というボクシングの世界チャンピオンがいたのだが、そのタイトル防衛戦で実況中継アナが、

「あーっ! チャンピオン、いけませんっ! 正面から挑戦者と打ち合ってはいけませんっ!」 

と絶叫するのを聴いて、家人と二人で爆笑したことを二十年ぶりに思い出したぞ。 どんなチャンピオンやねん、それ。

まさか NHK の連中って、大坂さんもその手のニポン人チャンピオンと同じレベルだと思ってるのかね? 「ニポン人はどうせ勝てないのだから、ゴールデンの通常放送枠に入れるのやめておこう」 ってなもんか。 でも、それってすべての関係者に相当に失礼なことをしてるぞ。 

「優勝した 『から』 緊急放送する」 って、他にもいろんな意味でみっともないのである。 どうせ放送するのなら、最初からその時間に放送予定に入れておけよ。 NHK ってホント情けない。 

 

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ニポン人って、頭も身体も弱いくせに (いや、正確には 「弱いからこそ」 か) 勝ち負けに異様にこだわるのが、とても気持ち悪い。 前にも書いたが(これね → ついでにベーコンもくれよ - 小野俊介 サル的日記)、ニポン人って今でも、明治維新以来の軍事教練みたいなので勝ち負けをつけるのが好きで好きで仕方ないのな。

ニポン人って、子供のときに、学校の運動会で訳も分からず紅組や白組に放り込まれ、勝ち負けへの執着を無理やり教えこまれる。 大人になったら、今度は政党や政治家や社内政治 (出世) の勝ち負けに命をかける。 ニポンの学校教育の成果がしっかり出てます。 で、その手のバカたちが一致団結してこだわるのが 「ニポン」 の勝ち負けである。  

聴くところによると、ニポンでは、ニポン代表チームは、ニポン人一丸となって応援しなきゃいかんらしい。 サムライジャパンだの、なでしこジャパンだの、妙な名前がついているやつ。 ニポンのチームじゃなくても、ニポン人がそこで活躍すればニポンの勝ちという解釈らしいね。 米国大リーグでニポン人大リーガーが、NBAでニポン人が、出場して活躍すればそれでニポンの勝ちなんでしょ? ニュースでそう言ってたもん。 

スポーツだけじゃない。 ノーベル賞をもらった人の国籍がニポンならニポンの勝ちで、ニポン以外なら負けである。 でも何年か前、「ニポンが勝った!」 と総理大臣を筆頭に大喜びしてたら、受賞者の中村修二先生に 「おまいら、勝手にオレを大嫌いなニポン人扱いすんな! オレはアメリカ人だ!」 って盛大に怒られたこともあったっけ (笑)

ニポン人がアメリカの大学で教授になって、自分の研究室を持ったときも、ニポンの勝ち。 その手のおっさんたちが凱旋帰国するとニポン中のメディアが歓声をあげる。

飛行機が墜落したときには、ニポン人が犠牲者に含まれていなければ、ニポンの勝ちという扱いになる。 テロリストがどこかの国で人質を取ったときにも、その中に日本人がいなければニポンの勝ち。 どこかの国で大地震が起きたときには、そこでニポン人被害者がいなければニポンの勝ち。

・・・ あー、書いてて気分が悪くなってきた。 あ、でも、もしニポン人がこれを読んでいたら、私とは逆の意味で気分が悪いんだろうね。 お気の毒に。

 

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で、コロナワクチン・治療薬である。 ニポン産ワクチン・治療薬の出遅れやニポンでのワクチン接種の遅れは、ニポン人にとっては「ニポンの惨敗」 らしいね。 「ニポンとしてなんとかしないといけない!」と、鼻息荒く、政治家やお役人がまたもやうごめき始めましたね。 「ニポンの創薬力の強化育成」 だの、「新たな医薬品産業ビジョン」だのと大騒ぎを開始しておる。

こいつら、完全にビョーキである。 遺伝子レベルでバカが組み込まれたバカである。

 

よーく耳かっぽじって聴けよ。 昭和、平成、令和とこれまで何十年間も、あんたらニポンの政治家・役人たちが、それと同じ政策をずーっとずーっとやってきたの。 「ニポンの勝利を目指して、ニポンの医薬品産業 (内資系企業) をグローバル勝者にしよう!」 などと、WTO の理想もクソもないようなこと・満州事変の頃と同じようなことを (笑) 言い続けてきたのよ。

にもかかわらず、その帰結が今の惨状なのである (注: ニポン人の目には惨状なんだろ? 私の目には 「当然の帰結」 にしか見えんが)。 あんたらと同じニポン人の、あんたらと同じ程度のおツムを持った政治家・役人がずーっとやり続けてきたことが、予想どおり、今の結果を生んでいるのである。 それをまた繰り返して、どうして今度は勝てるのよ? どうして勝てると思えるの? あんたらのやってること、何もかもが相当におかしいことに気付いてますか?

  

私はニポン人ではないので、ニポンに肩入れするような提案をする義理はない。 ニポン人の滑稽劇を大笑いして見てればそれでいいのだが、それではあまりに情がない。 あえて一言申し上げるとするならば、あなたたちが何十年も懲りもせずに掲げ続けている 「ニポンが勝つ」 っていう目標自体がとてつもなく変 であることに、あなたたちニポン人自身がそろそろ気付くべきなんじゃないかと思います。

勝ち負け以前の問題として、あなたたちの言う 「ニポン」 ってのがまるで意味不明なのである。 ぼんやりしてて、歪んでいて、形がない。 その 「ニポン」 ってやつ、モゾモゾと気持ち悪く蠢 (うごめ) いてるよ。 ありゃ、よく見ると 「ニポン」 って、あんたらニポン人を喰ってるぞ。 そうか、「ニポン」 のエサはニポン人なのね。 あんたら、ずっと前からそれに気付いているのに、黙ってるんだ。

 

ちなみに、世界のあらゆるところでゼニを稼いでメシを食ってるいわゆるグローバル企業 (ニューヨークやロンドンやバーゼルにいる top brass の方々) は、そんなニポン人の生態を完全に理解してますよね。 だから、たとえば国際機関 (WHOなど) でもICHでも、ニポン人は名誉白人・名誉支配層扱いにしておけば OK。 ニポン人を 「ニポンが勝った」 気分にさせてさえいれば、後はどんだけニポン人から搾取しようと思うがままである。 ワクチンなんかは当然後回しで OK。

 ニポン人社長がいるニポン企業だって、グローバル企業と本質的には同じである。 先日テレビを見てたら、 「ニポン人を救うのがニポン企業たるわが社の使命です。 ニポンの national security のためにワクチン開発頑張ります!」 などと胸を張り、ニポン人を喜ばせてるニポン人社長がいたが、それってもう根本的にダメな道筋・隘路 (あいろ) に陥っていることに気付いているのだろうか。(注 1) 社長さんのセリフって、北朝鮮のミサイル開発者のセリフとそっくりだよ。 満州事変の頃の国策企業の人たちのセリフとも似てる。 ニポン人はもはや 「勝ち」 と 「負け」 の区別すらつかなくなったのですね。 

かわいそうに。

(注 1) もしこの社長さんが、絶望的な状況に気づいてるのに、当面ニポン社会で甘い汁吸うためにニポンびいきを熱演してるのだとしたら、それはそれで、先の戦争でニポンをほとんど滅ぼした戦争指導者や財閥のヒトたちと同じ臭いがする系列のヒトである。

 

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養老先生のところのニャンコのまるが死んでしまった。 身内でもなんでもないのに、こんなに悲しいのはなぜだろう。

まるの好きだったお庭の昼寝場所に最期のまるを寝かせてやって、そのそばにポインセチアの鉢を置いた先生の奥さん。 出張先から帰ってきて、まるの亡き骸を見下ろしながら 「なんでここにポインセチアがあるの?」 と尋ねる養老先生。 「もうすぐクリスマスだから」 と奥さんは答え、養老先生は 「あ、そう」 とうなずく。

このやりとりに、涙が止まらなくなったサル的なヒト。

NHK はこんなに素晴らしい番組も作れるのですね。 今日の記事ではむやみにいぢめてしまってすまんかった。 ごめんなさい。

 

www6.nhk.or.jp

 

じゃあ、またね。

ワクチンはまだまだ手に入らぬが、皆さん、風邪ひかないようにね。

 

学食とともに生きる

衝撃的な新事実を発見してしまったのである。 この衝撃はゲーデル数を用いた不完全性定理の証明法を知ったときよりも大きいかもしれん。 ここに暴露していいものか迷っているのだが、この事実のパブリックヘルス的影響の大きさに鑑みると、黙っているわけにはいかん。 一人の学徒としてこっそり報告する。

コーヒーのドリップバッグというやつがありますね。 挽いた豆がフィルターの中に入れてあって、お湯を上から注ぐだけ、ってやつ。 でね、コーヒー好きなサル的なヒトは、昔から語られるコーヒー野郎の蘊蓄 (うんちく) に従い、「まず熱湯をトポトポと少し注ぎ豆を蒸らし、それから時間をかけて丁寧に少しずつお湯を注ぐ」 なんてことをやっていた。 「うーむ、この深い香りとコクはこのサル的なヒトにしか出せまいて。 ふふふ」 などと悦に入っておったのである。

ところが、最近気づいたのだ。 自分がこだわりのやり方で淹れる一杯よりも、家人やうちの研究室の秘書のおねいさんたちがぞんざいに淹れる一杯の方がなぜか旨いことに。

皆さんご想像のとおり、嫁さんや秘書さんたちは、コーヒーにも、むろん私にも、特段深い思い入れはないのである。 だからコーヒーの淹れ方もテキトー効率的である。 「もう。 この忙しい時に、あんた一人のんびりコーヒーだなんて、いい御身分よね」 などと心の中で毒づきつつ、沸いたお湯をぞんざいに超高速でドリップバッグに注ぎ、3秒くらいで全工程が終了する。 ホント、びっくりするくらい雑である速い。 高田延彦の光速タップ並みである。 そうすると、あら不思議、中年のおっさんがネチネチと蘊蓄語りながら時間をたっぷりかけて淹れるよりもずっと美味しいコーヒーが出来上がるのである。 おまいらも試しにやってみ。  

これってたぶん、安いドリップバッグはぞんざいな淹れ方の方が雑味や苦みが出ないような商品になっているからだろうね。 コーヒーに詳しい人、教えてください。(注 1)

(注 1) ・・・ などといい加減なことを書いたら、秘書のおねいさんから早速クレームが入ってしまった。 「失礼な! アタシはちょと豆を蒸らしてます!」 とのことである。すみません。 ちょと、ね。

 

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というわけで、皆さんお元気?

だいぶ更新してなくてすみませんね。 私のことを毛嫌いしている連中は 「あいつ、死んだんじゃねぇか?」 と喜んだかもしれんが、ぬか喜びです。 

数日前、古くからの戦友 (誰かにおもねったり忖度したりしないで堂々と権力者に立ち向かうから、四六時中炎上しているあの有名なセンセイ) が tweet してくださったおかげで、今一時的に読者数がふだんの10倍くらいになっているのである。

が、古くからの読者の皆さん、安心してください。 その戦友と同様、私も頑固者である。 読者確保のため、新たな読者に媚びてブログのスタイルや主義主張を変えるサル的なヒトではない。

戦友であるその医師の twitter を経由して本ブログに来る一見さんには、コロナ対策やワクチン承認の件などの論争で頭がキーッとなりがちな、短気で理屈っぽいおっさん・にーちゃんが多い気がする。 医者とか大学教授とか研究者とか役人とか、その類のいばりん坊系の人種 (笑)。 そういう人たちって、かわいそうなことに、もののあわれとか情趣とかを楽しむ心の余裕がないので、「いい加減に淹れた感じのコーヒーの方がなぜかうまいんだよね」 などとダラダラと書かれた情緒あふれる日々のよしなしごとなど読みもしないし、「ふふふ。 我が家も一緒だ」 などと窓の外を見てやさしく微笑んだりもしないのだ。 というか、その手の連中って妙な方向に進化しすぎて 140文字を超える文章が読めないって聞いたこともある。 

だから、あえて今回の記事は、いつも以上にダラダラと、情感たっぷりに、仕事(新薬開発やら薬効評価やら) 以外のことだけを書くことにします。 古くからの読者はそれが好きみたいだし、一見さんたちもくだらん文章に触れることで人の心とやさしさを取り戻せるかもしれんからな。

さて何日で読者数がもともとのレベルに戻るかが楽しみである ・・・ お、もうすでに相当に減ってる (笑)

 

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ここ数か月ずっと、生協食堂の天丼が食べたくて仕方なかったのである。 が、お昼時にはいつも長い列ができ、列に並ぶ勇気が出なかったのだが、ついに昨日、誰も並んでいない状況に出くわした。 やっとありつけましたよ。 野菜天丼。 でもエビ天もちゃんと一尾ついておる。 お味噌汁とセットで 604円。 う、ちょっと身震いするような金額だ。 ワンコイン以上の昼飯を食うことは年に数回しかないサル的なヒト。

期待に震えながら食べ始める。 旨い。 旨くてじんわり涙が出る。 ちょっと揚げ過ぎでプラスチックっぽい気もするが、なーに、コロナ対策と思えばむしろありがたかろう。 僕らのような貧乏人には、このくらい歯ごたえがある方がモノを食った気分になるのでいいのである。 生協さん、いつもありがとう。

東大生協、最近になってやっと 「おまえら、食堂でペチャクチャしゃべるな」 の実効的な対策をするようになったのである。 これまで何度も書いたとおり (これ → 顔をこっちに固定したまま大声で話さない - 小野俊介 サル的日記 とか、これ → 自分、不器用ですから ・・・ - 小野俊介 サル的日記 とか)、大学生ってまだ子供で頭が成熟してないので 「黙れ」 と言ってもなかなか黙らないのだ。

数か月前から食堂入り口に 「学食では会話はご遠慮ください」 という看板が立ててはあったのだが、大学生はそんなもの見ないのよ。 子供って注意力散漫なのだから。 数週間前から 「食事中は会話しないで」 と音声で15分に1回くらい館内アナウンスを始めたが、大学生って記憶力がまだ未成熟 (ニワトリ並み) なので、アナウンスの 30秒後にはまた会話を始めてしまう。

何度も言うが、学食は貧乏人の最後の砦である。 万一学食でクラスターが発生し、営業停止にでもなったら、貧乏人のお昼の幸せのすべてが終わってしまうのである。

頭上から唾液が飛び交う状況にイライラして、ご意見募集コーナーに何度も 「あのね、生協さん、大学生って頭がまだ不自由なんだから、そんなやり方じゃダメなのよ。 全ての席のパーティションに、大きく 「黙れ」 って掲示を貼って、メシ食ってる間中ずっと見えるようにしとかないと、幼い子供には伝わらないの!」 と投稿してたのである。 そしたら、同じような投稿が他にもあったらしく、ようやく今日(1/28)になって全部のテーブルに 「おまいら、食事中は大口開けてしゃべるな。 な。 とにかく黙れ」 という掲示 (注 2) が貼られたのであった。 今日の食堂はこれまでになく静かでした。

(注 2) ホントははっきりこう書いて欲しいところだが、実際の掲示はもっとやさしく穏当である。 あ、あとね、生協さん、警告が貼ってない席が一部にあるので、貼った方がいいですよ。 いや、偏執狂的なお願いをしているわけではない。 ペチャクチャやりたい子供たちは、警告が貼ってないその席を無意識に (あるいは意識的に) 「見つけて・選んで」 座るからです。 これまで様々な学生と接してきた経験上。

 

安心な生協食堂がやっと実現。 あー、ここに至るまでホント長かった。

皆さんお気づきだと思うが、これって、ニポン政府のコロナ対応となんか似てるよね。 国会でお上のトップが 「私自身は精いっぱい、コロナ対応に取り組んできたんだから、れんぽー、むやみにオレをいじめるなぁ! ムッキー!」 と逆上してましたね。 まるで小学生 (笑)。 あなたがあなたなりに精一杯やってきたことはさほど疑ってない。 国民は 「あなたの 『やり方』、下手くそ過ぎないか?」 って怒ってるのである。

生協さんも真剣に対策を考えてくれている。 そこはまったく疑ってません (疑ってないどころか、感謝してます)。 だけど残念ながら、対策が斜め上45度だったり、後手後手だったりしてたってこと。(注 3)

(注 3) むろん生協にとっては学生はお客様だから、むやみに厳しいことを命じてはいけないことも理解します。 いろんな二律背反を考えながら少しずつ厳しい対策を採ってきたことはむしろ当然かもしれない。

 

でもね、いろいろ書いたが (失礼しました ・・)、サル的なヒトは学食・生協の超絶的な応援団である。 なぜって、私の身体そして知恵の 87% くらいは生協の商品でできているのだから。 身体は生協食堂と購買部のお菓子で、知恵は生協書籍部(本屋さん)で、日々培われておる。

コロナで商売厳しいが、がんばれ、生協さん! 負けるな、生協さん! 精一杯応援してます。

 

*****

 

というわけで、今回はこの辺で。 コロナで暗い気分になりそうなら、元気にトトロの歌を歌いながらお散歩しよう。

また卒業の季節が来るのだなぁ。 かわいそうな大学生活を送らざるを得なかった学生さんたちにもその季節はやって来る。 みんな、大変だったね。 なんだか涙が。

 


ハイ・ファイ・セット「最後の春休み」

それはチェアリングなのだろうか

アメリカ、ボストンのニュース見てたら、見慣れた CVS という薬局チェーン店で高齢者がワクチンの注射を受けている。 「ほう、アメリカでは薬局まで看護師さんが出向いてくれるのか」 と思ってたら、高齢者にワクチンをお注射してるのは薬剤師さんなのね。 研修受けて認証を受ければ、薬剤師もワクチン接種できる。 合理的。

で、ニポン人がこういうニュースを見ると、「ほれ、薬剤師や看護師にもっと医療行為をさせろ」 派と 「医療行為はお医者さんの仕事だ」 派がまたグチグチとケンカ始めるのな。 無駄とは言わんが、割とどーでもいいケンカである。 国民や患者が死にそうになっているこんなときに縄張り争いのケンカ始めるなよ。 見苦しいからな。

ところで、コロナ禍で医療の専門家連中が 「オレの言うことこそ正しいのだ! オレの言うことを聞け!」 とキーキー叫び声を上げる中、妙におとなしい一群がいますね。 そう、医療経済学や HTA(Health Technology Assessment) の専門家たち。

こんな時こそ、その手の専門家が人々を煙に巻く説得するために使っている仰々しい理屈、たとえば、

「多くの先進国で命の値段を 500万円/1年間 としてます。 つまり Go-To 事業は、○○人までの犠牲であれば正当化されます」

だの

功利主義に基づく健康最大化の立場からは、副作用で死にそうになる人が数人出たとしても、ワクチン接種は正当化されます」

だのといったことを、もっと大声でメディアで主張すればいいのに。 むろん 火だるまになる だろうけどな。(注 1)  でもそれで本望だよね。 え、ちがうの?

(注 1) いや、すべての人たちから叱られるわけでもない。 テレ朝のモーニングショーの辛口コメンテーター玉川さんや池田信夫さんあたりは褒めてくれるから安心しろ(笑)。 私も 「そういう考え方が医療経済学では幅を利かせています」 と解説してあげる。 人として応援するかどうかは別だが。

 

 学者としてそうした「学問的な信念」 を本気で持っているのなら、火だるまになろうがなるまいが言うことは言うはずだよね。 というか、学者の本性として、言いたくて仕方がないはずだよね。 サル的なヒトなんて、「薬が効く」 という文の意味不明さ (有効性評価をめぐる意味論モデルの欠如) や「承認審査は神事」(意思決定論的な大穴) を深遠で楽しい学問的問いだと心の底から思ってます。 なので、相手が学者だろうとメディアだろうと政治家だろうとお役人だろうと、誰彼構わずに主張しまくり、そして、火だるまになっています。 だけど、火だるまになっても全然つらくないぞ。 むしろ本望。

ニポンの医療経済学者連中も、堂々と 「日本政府のこれまでのコロナ対策の費用対効果分析」 を行って、結果を世に問えばいいのに、と思う。 「Go-To の費用対効果って結構良好だから、継続しなさい」 とかね。 だってあんたら学者だろ?

もっとも医療経済評価や HTA の領域って、特に日本ではほぼ完全に「官製学問」 である。 政府の政策として採用されるから、その限りにおいて需要が発生し、流行る。 だからこの領域の学者の皆さんが、「このコロナが収まった後、また御用学者として (あるいはグローバル企業お抱え学者として)、 政府 (グローバル企業) からメシを食わせてもらわないといけないのだから、ここは波風立てないでおこう」 などと考えていたとしてもまったく不思議ではないし、それを批判する気も毛頭ない。 ほれ、私がよくそれでメシを食っていると誤解される 「れぎゅらとりーさいえんす」 とやらもまったく同じ構図だもの。

個々の学者の腹の中は分からん。 が、とにかくもう少しがんばってくださいよ。 ね。 これって別に皮肉だけで申し上げているわけではない。 実際のところ、多くの国民は 「今のコロナ禍の諸政策 (例:PCR検査の抑制、Go-Toキャンペーン、ワクチン導入の遅れ など)で、政府は国民の命 (失われる健康量) にいったいいくらの値段をつけているのか?」 を知りたがっていると思いますよ。 ここまでのコロナ対策を見ていると、政府は、人の命を値段をつける対象とすら扱わず、単なるモノとして1個、2個、3個 ・・・と数えているだけに思えることがある。

やはり今こそ医療経済学の諸先生方の出番なのですよ。

 

*****

今、団地のベランダで読書するのが楽しくて仕方がないのである。 小さな丸椅子を持ち出すので、これも広義のチェアリング ・・・ と勝手に主張して家人にバカにされているのだが、いいのよ、それで。 チェアリングの心はチェアリングをする者にしか分からんのだから。

低層階なので散歩中のワンコの声が聞こえる。 掃除のおじさんのほうきがけの音。 どこかから舞い込んでくる落ち葉。 干しているお布団に陽が当たる匂い。 頬を撫でる冷たい風。 飛んできたカメムシ。 もうサイコーという表現しか思い浮かばないぞ、この状況。

♪ 鼻で知る春 木の芽の匂いー、 耳で知る秋 つくつくぼうしー

座頭の市っつぁんでなくとも、こんな歌が口からこぼれ出る。

こんなときにも渋谷に繰り出して大騒ぎしているバカ若者たちには、この幸せは伝わらんのだろうな。 残念ながら。

 

チェアリング (自称) をしながらこんな本を読んでますよ。

まずはこれ。 待ってました。  

詩歌川百景(1) (flowers コミックス)

詩歌川百景(1) (flowers コミックス)

 

 海街 diary の最終巻のサイドストーリーがサイコーすぎると以前書いたのだが、そのサイドストーリーが本編となって帰ってきましたよ。 山間の温泉町で暮らす、すずちゃんの弟たちの物語 ・・・ あ、思い出すだけでじんわり涙が出てきてしまう。

 

 

 こちらも別の意味で涙が出る本。 「あなたは、自分が意味のある (誰かの役に立つ) 仕事をしてると思いますか?」 と問われて、「まったく役に立ってません」 と答えるとすれば、あなたの仕事は立派な bullshit job (クソのような仕事) である。 詳細はこの本を読んでもらわないといけないのだが、bullshit job の多くは、ホワイトカラーのサラリーマン、公務員、軍隊、おエライさんまわりで生じる。 

私が厚労省で働いていた間にも、明らかな bullshit job を何年間か (何回か) やらされたっけ。 たとえば、実は私自身にはまったく権限も知識もノウハウもないのに、厚労省職員という肩書があるというそれだけの理由で、会議でそれらしいことをテキトーに言うだけの仕事をしていた半年間とか。 エラソーに発言しながら、心の中で 「ホントは自分、なんも分かってないシロウトなんです。 シロウトの発言に耳を貸さないでください」 と謝罪してた。 エラソーな職名の割に、やることは会議の予定日を FAX で送るだけ、なんていう時期もあったなぁ。 むろん大学教員の仕事の中にもクソのような仕事が山ほどある。 このあたりはまた別の機会にブログで書きますね。 

私のような糞まみれの人生を送ってきた人でなくても、皆さんそれなりに自分の仕事の意味を疑うことは多いでしょ? そういうヒト誰にとってもおすすめですよ。 著者は人類学者です。

 

*****

というわけで、今年もみなさんお疲れさまでした。 なんともつらい一年だったですね。 特に学生さん、大変だったね。 どうにもならんほど無責任なニポンのお上のコロナ対応を見ていると、もうしばらくはこの状況が続くことは確実です。 うちの研究室の学生でなくとも、なんかつらいことがあったら、いつでも研究室に遊びに来てください。 お茶でも飲みながら、バカ話でもしようか、ね。

あとな、おまいら、このブログ読んでるのなら、たまにはコメント入れてもいいんだからな。 結構な数の方々がアクセスしてることは、こっちはまるまるまるっとお見通しなのだ。 

じゃ、また来年。 良いお年をお迎えください。

吉野家を目指す金字塔のFDA

う、う、・・・ うわーん  。゚(゚´Д`゚)゚。

小田さんの 「クリスマスの約束 (TBS)」 が、今年はないらしい。 一年間、あの番組を見るためだけに頑張っているのに、そりゃないよ ・・・ う、う。 年内のこれからの仕事なんぞもうどうでもいい気がしてきた。 うちの研究室の学生さん、すまんな。 指導のための気力が萎えてしまったよ ・・・ む、そこの何人か、むしろ嬉しそうな顔をしとるな。 そんな悪い子は廊下に立ってなさい!

元気が出ない。 こうなったら、生協書籍部で昨日仕入れた最終兵器を読むしかないか。 ほれ、あれですよ。 あれ。 

 

鬼滅の刃 23 (ジャンプコミックスDIGITAL)

鬼滅の刃 23 (ジャンプコミックスDIGITAL)

 

 

・・・

・・・ う、う、うわーん  。゚(゚´Д`゚)゚。

結局泣くことになるんだな、自分。 涙が、涙が止まらないじゃないか。

感動のクライマックス、そして後日談。 炭治郎も、善逸も、伊之助も、みんなよく頑張ったなぁ。 家に帰れてよかったなぁ。 

生きていると辛いことが山ほどがあるが、みんな 「家 (うち) に帰る」 という目標があるから頑張れるのだ。 会社で腐れ上司にどんなにひどい目に遭わされても、エラそうな連中にどんなにひどいことを言われても、家に帰れると思うから、我慢ができるのだ。 「鬼滅の刃」 の作者はそこんとこをよく分かっておられる。

そういえば、昔見た映画でも最後に 「うちに帰る」 って誰かが言ってたなぁ ・・・ と思案してたら、思い出した。 Dawn of the Dead (リメイクの方ね)の News footage (注 1)。 ゾンビ感染症のせいでアメリカという国家が完全に崩壊してしまい、テレビ放送も停波するという状況である。 もはやカメラマンが残っているのかすら怪しいカメラに向かって、格調高いニュース番組の司会者が語りかける最後のセリフが

Honey, I'm coming home, and get the kids ready now. I'll be there soon.

(嫁さんに) うちに帰るよ。 子供と一緒に逃げる準備をしなきゃ。 待っててね。 

であった。 サル的なヒトって目の前の学生や秘書さんの名前が時々思い出せないことがあるのに、こんなセリフはありありと思い出せるのである。 不思議なり。

(注 1) これ、YouTubeで検索すれば見れますよ。 いわゆる fake news だけど、今の米国の感染状況と照らし合わせてみるとしみじみ恐ろしくなる。 ゾンビ耐性のある方はぜひどうぞ。

しかし本来は 「うちに帰る」 ってフレーズを聴いたら、ゾンビものの映画などではなく、もっと健全な何か、たとえば積水ハウスの村上ゆきさんのCMソングや斉藤和義の 「歩いて帰ろう」 なんかを先に思い出さねばならないのだろうな。 根っから不健全なサルなもんで、すまんね。

 


歩いて帰ろう

 

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今日は自宅から某大学のオンライン講義。 コロナのせいで、規制も学問も医療も産業もまともに機能していないので、「大学の講義なんて、とにかく最近業界で起きたネタをスライドに盛り込んでおけばいいんだろ」 的な作戦 (業界人のゆるい講演でよくあるパターン) をとることができぬ今日この頃。

しかし、このコロナ禍でも、いや、コロナ禍だからこそ、大笑いのできごとは結構起きる。 たとえばこれね。

 

米国立アレルギー感染症研究所のファウチ所長は3日、英規制当局が米ファイザー新型コロナウイルスワクチンをスピード承認したことに批判的な見方を示した。

ファウチ氏は英当局が 「非常に綿密な審査を怠り、ファイザーから入手したデータをそれで良しとし、承認した」 と批判した。

その上で、米食品医薬品局(FDA)は規制上の「金字塔」で、非常に慎重にワクチンデータを精査していると強調。 「1週間もしくは1週間半ほどの時間を稼ぐために、ここで性急かつ不適切にハードルを飛び越えれば、規制上の手続きに対する信認は失墜するだろう」 と述べた。

英政府は前日、ファイザーが独ビオンテックと共同開発した新型コロナワクチンの緊急使用を承認。 来週から接種が始まる見通し。規制当局の英国医薬品庁(MHRA)のレイン長官は「いかなる手続きも省いていない」と強調した。

MHRAはファウチ氏の批判を受け声明を発表し、「完璧な審査プロセスを怠ることなく、最短期間でデータを綿密に精査した」 と反論した。

 (ロイター 201203)

 

FDA は規制の金字塔」 ときたもんだ。 ウソではないけど、大笑い。 その手の自画自賛って、「審査時間世界最速」 などとまったく意味不明なことを口走って世界を呆れさせている極東アジアの島国の規制当局の専売特許だと思ってたよ。

ファウチさん、ファイザーのワクチンを抜け駆けして承認してしまった英国の審査当局がよっぽど頭にきたのですね。 極東アジアにも抜け駆け・手抜きを臆面もなく標榜している小国があるのだが (抜け駆け審査制度とか、条件付きテキトー承認制度とかいうのを誇っている国があるでしょ?)、その国も最近アメリカ様の神経を逆なでしていることは、皆さんもご存知のとおり。 ほれ、サイエンス誌が 「極東の島国がいい加減な承認しやがって」 って噛みついてきた例の件が分かりやすい。

アメリカ様の関係者たちって、「どいつもこいつも、オレたち優秀なアメリカ人が血と汗と涙で長年築き上げてきた 『薬効評価科学・規制科学』 が無ければ何もできないくせに、オレたちに何の断りもなく制度のうわべだけ変えて 『米国よりも進化しましたよ、我が国は』 みたいな顔をして、自分の手柄にしてやがる!」 と怒り心頭なんだろうな。 ははは。 100% そのとおりだから、怒るのも無理はない。

もちろん、ファウチさんが怒っているホントの理由は、そういった薬屋 (薬の専門家) の世界の体面・メンツみたいなことではない。 怒っているのは、ファイザーのワクチンが先にイギリスに分捕られると、米国への初期供給量が少なくなるから。 ファウチさんって、薬屋ではなく、パブリックヘルスの人だから。

皆さんよくご存知のとおり、ファウチさんってトランプの天敵。 パブリックヘルスの守護神のようにメディアで扱われてるエラいヒトである。 確かにこのヒト、ハキハキしていて気持ちがいい。 専門家のはずなのに何を言っているのかがさっぱり分からないニポンの国立研究所の所長さんたちと違って、ファウチ所長は 「失敗は失敗」 とはっきり認める。 昔からそうである。 たとえば 15年くらい前、失敗続きの HIV ワクチンプロジェクトが批判されたときにも、「なんか方向を間違えてるかもな、俺たち」 と自らがプロジェクト推進者であるにもかかわらず非を認めたりして。

だからこそ忠告申し上げるが、ファウチさん、薬の承認審査の中身や審査時間にケチをつけても無駄だと思うよ。 だって、世界中の薬の承認審査って昔からずっと神事なんだもん。

アメリカ様がつくった薬効評価・承認審査の体系に立派な科学が宿っていることは確かだと思う。 でも、その実践として世界各国 (米国を含む) の政府がやってることは神事そのもの。 うわべの形・儀式を真似して、シロウト目には立派なことをやってるように見せているだけ。 良い審査とか悪い審査とか言ってみても、最後は水掛け論にしかならないのよ。 「薬が効く」 の意味を語れない私たちのようなサルが審査やってるんだから。 自分たちがやってることの意味を誰も分かってないんだから。

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あとね、ファウチさん。 審査時間についても 「キーッ!」 とならん方がいいと思うぞ。 見かけの審査時間なんて、お役人の腹一つでどうにでもなるんだから。

それって、ちょっと考えてみればすぐわかる。 「審査時間が1年」 だとして、やる気のあるまじめな審査官が実際に資料を読んだり、申請者に確認したりして、企業が隠し事をしてないかと探したり、悪いこと(副作用)が起きる可能性などを真剣に考えたりしている時間 (つまり、国民の健康改善にホントに役に立っている時間) って、1品目当たりたぶん延べ数日間、多くても数週間だと思うよ。 残りの350日くらいの時間は、PMDAのロッカーの中で資料が眠っている (審査官だって夜は帰宅して眠るし)か、あるいは、お役人と儀式を繰り広げているだけの時間ですよ。

見かけの審査時間と、審査をちゃんとする・しないとは、そもそも別の話である。 さらに困ったことには、「ちゃんと審査した」 と言ってみたところで、それが神事だったりするんだから。 あいやー。 どこにも救いが無い (笑)。

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少し前に 「ニポンは審査時間が世界最速になりました!」 などとアチコチで自慢しまくっているニポンの当局のおエライさんたちがいましたよね (過去形じゃなくて、今もいるのか)。 陰で 「アホか。 PMDA は牛丼の吉野家かよ」 (注 2) と盛大に失笑されていたのだが、審査時間にこだわりすぎると、その手のぬるいニポンのおっさんたちと同類になっちゃいますよ、ファウチさん。 気をつけてね。

(注 2) あ、今の若い連中は、吉野家の昔のCM(♪ 早い、うまい、安いの三拍子)を知らないのか。

サル的なヒトとしては、しかし、ファウチさんやメディアがこんなふうに大騒ぎすればするほど、「新薬の承認審査って神事」 「新薬の審査は3日でできる」 という二十年モノの自説が着実に確からしくなっていくので、とてもうれしいのである。 「ほれ、言ったとおりでしょ?」 って感じ。

バカ騒ぎがもっと激しく、あからさまになることを密かに期待しているのである。

 

*****

 

ということで今日はこの辺で。 寒くなってきたから体調に気を付けましょう。 出産を控えた京都あたりのおねいさん、大変な時期だけどがんばってね。

心労の多いこの世だが、「まいにち 養老先生、ときどき まる 「秋を漂う」」NHK BSプレミアム、12/4 23:15-23:45) はサイコーである。 養老先生と、じいさんネコのまるがヨボヨボと自宅まわりを歩いているだけの素晴らしさ。 それの何が素晴らしいのかがバカには分かるまい。 次回放送は 12/11 。 必見ですよ。 見逃した人は NHK オンディマンドで。

じゃまたね。