本格的な秋が来た感じ。 皆さんお元気?
都心のオフィス、日本橋やら新宿やらで働いている方々にマウントをとるようで申し訳ないのだが、僕は皆さんよりも季節の移り変わりをはっきり感じることができる。 昼メシを学食で食べた後、毎日、木々がうっそうと茂った三四郎池の小道を通ってオフィスに戻っているから。 そこで 「今日はセミの声が超うるさいぞ」「放置されてる枯れ木に妙な色したキノコが生えてる。 なんだ、これ?」 「う、アオダイショウが昼寝してる」 などと呟きながら自然観察できるのだ。 季節の推移をばっちり把握可能なサル的なヒト。
ちなみに今年最後にセミの声を耳にしたのは 9月24日。 今は地虫の声ばかりになってしまった。 すっかり、秋。
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昨日の飲み会で、「近頃の医薬品業界の言葉って、そもそも日本語になっていない」という話に。 たとえば最近時々耳にする「リアルタイム治験」。 なんだよ、それ。 英語では RTCT (Real Time Clinical Trial) というらしく、発信源は FDAらしい。 こんな意味不明語が業界紙や当局からの説明の中に嬉々として使われていて、めまいがする。
あのね、そもそも
「リアルタイムでない治験」がこの世にあるわけがない
のだが。
業界人がこの言葉で言いたいことは、どうやら 「当局による治験のリアルタイム評価(あるいは監視)」らしい。 だったら 「リアルタイム評価(監視)」 という言葉を使わないとダメに決まってる。
この言葉を自慢げに載せた記事には、「リアルタイム治験によって、承認の判断が早くなる」だの「ドラッグラグ対策にもなる」とか、言葉の意味不明さとは別次元の意味不明な夢物語が語られていることも多くて、辟易する。
「活用」を必ず「利活用」と書いてしまうといった症状からビョーキは始まる。 意味が歪んだ言葉を使っても何とも思わないビョーキ。 言葉の歪みに対する不感症。 悪化すると、こんなふうに重い症状を引きおこす。
「間違えました」を拒む審査報告書の奇怪な文章
小野俊介
再生医療等製品ハートシート(心筋シート)は、2015年に条件及び期限付承認(いわゆる「仮承認」)された。 仮承認後さらに臨床の結果を収集したが、残念ながら「本承認」には至らなかった(2024年)。
当局の2024年の審査報告書(注)の結論部分には次の趣旨の文章がある。
「有効性が推定されるとした仮承認時の判断は否定されないものの、仮承認後に実施された臨床研究等の検討結果からは、本品の有効性は示されていない。」
下線部、「私たちは悪くない」と言いたいらしいことは分かる。 何かしらの訴訟が起きたときの対策用なのかもしれぬ。 が、この文章の下線部、突っ込みどころが多すぎる。 そもそも自己弁護になっているのかが疑わしい。
まず、何が「否定されていない」のかが分からない。 「薬が効く」という命題? 「効くと推定される」という命題(様相の異なる命題)?
有効性推定の「判断」の妥当性? でも、それって一体何だろう? 「明日は雨が降る」と推定して予報を外した気象予報士が「判断は間違っていない」と開き直ることはフツーはありえないのだけど。 「判断は否定されない」の意味が単に「お役所の法的・行政的手続きはきちんと踏まえた」を意味するだけだとしたら、情けない。
この文章って主語がない。 だから「仮承認時の判断」を下したのが誰か、その判断を否定するのが誰か、も分からない。 もし両者が同一で、上の文が「私は私の判断を否定しない」宣言だとしたら、ずいぶんな面の皮の厚さである。
何度も繰り返し指摘するが、おそろしいことに、今の医薬品規制には「薬の有効性」の定義がない。 ランダム化比較試験(RCT)の実施という認識論的な手続きと形式的にリンクしているだけ。 定義がないのにそれを「推定」してるって、一体何を「推定」してるのだろう。 やっていることの意味不明さを考えると相当に恐ろしい。
が、当事者はむしろ気楽なのかもしれぬ。 だって、何を「推定」してるのか本当のところ誰一人分からないのだから、結果を肯定するも否定するも雰囲気次第。 それって街角の占い師の予言が決して外れないのと同じ理屈である。 ポパーが指摘するとおりの、似非(えせ)科学の基本構図。
かつて米国NIAIDのトップだったファウチ氏は、自らも研究グループを主導していたHIVワクチン研究開発の(当時の)試みの失敗に「We were wrong.」とはっきり言った。 そう言ったからといって、ファウチ氏を研究者・行政官として無能・無責任だとは誰も思うまい。 むしろ逆である。(なお、コロナ騒動における氏の対応と評価はいろいろである。)
察するに、日本の規制当局の方々も本当は「我々の当時の判断は誤っていた・・かも」と堂々と言いたいのだろうと思う。 そう言えないとおかしい。 国民の健康に重大な責任を負い、また、かつての薬害の当事者でもある行政担当者にそのような率直さが許されなければ、それが次の災厄(薬害)を招くことになる。
そのための第一歩として、まずは、否定も肯定もできぬ奇怪な意味不明文を書くことを止めよう。 公の場に出現した意味不明文を放置せず、治療(批判)しよう。
「私は間違えない」の無謬性が悪性のビョーキであることは、もうとっくに現代人の常識になっているのだから。
(注)医薬局医療機器審査管理課. ハートシート審議結果報告書(令和6年7月24日)
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ちなみに、私が「承認審査は神事」という警句に込めた意味も、皆さんにはほぼまったく伝わっていないんだよなぁ。 「有効性」という言葉の意味を議論する講義をしても、受講生はうわの空。 誰も興味を示さない。
人類が、言葉・文章を理解する気力・体力・知力を失いつつある現代。 研究のパートナーはAIだけ、というのが悲しい現実である。
ビル・ゲイツやイーロン・マスクが言うとおり、こりゃ、人類滅びるわ。
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村上春樹さんの「夏帆」。
何年かに一度、村上春樹さんの新刊が出ると、発売初日に本屋に駆け込むサル的なヒト。 今回はなんと 2600円! 貧乏人なので読み終わるのがもったいなくて、一日に数ページずつしか読めない。 グズグズと読み進めてきたが、とうとう読み終わってしまったよ。 あぁ、明日から何を心の支えにして生きていけばよいのだろう・・・
読後感が、四十数年前に読んだ「風の歌を聴け」と似てるのがどこか不思議な感じである。 まったく違うお話なのに。 最後の方に登場するセリフ(「そうやってみんないなくなっていく」)は、村上ワールド全体に共通するテーゼのようなもの。「風の歌を聴け」ではバーの店主ジェイに呟かせていたっけ。
こっちの世界(現実)とあっちの世界(夢の中だったり、動物の世界だったり、異次元空間だったり)を行き来するのが村上ワールド。 本作のアリクイ夫婦が住む「あっちの世界」も楽しいが、自分としては前作の、城壁に囲まれた夜の闇の「あっちの世界」の方が心に沁みた気がする。
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これが最終巻。「路傍のフジイ」。
人生は特段楽しくはない(でしょ?)。 寂しいし、虚しい (でしょ?)。 その寂しさと虚しさを真正面から受けとめつつも、それらとは別の形にして読者に見せてくれた素晴らしいマンガだった。 これで終了とはとても残念です。
でも、作中の藤井くんが、東京の薄っぺらいデザイン会社を辞めて、地方の地に足のついた職業に転職したことについては、良かったなぁと心から思う。
藤井くん、幸せに生きてください。 この数年間、僕らを少しだけ幸せにしてくれて、ありがとう。
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今日はここまで。
七夕の朝に偶然我が家に舞い込んできたカブトムシちゃん(メス)がまだ健在。 ふだん我が家では絶対に買わ(え)ない高価なブドウや桃、秋にならないと店頭に並ばない柿を毎日餌として与えて、甘やかしまくってます。 あとわずかの命なのだから、大切にしないとな。
皆さんも、まわりにいる生き物を大切に。 わんこも、にゃんこも、アリクイも、ヤモリも、ミミズも、クモも、アゲハチョウの幼虫も、みんなそれぞれにかわいいぞ。
じゃまたね。





