小野俊介 サル的日記

いや、その、サル的なヒトだから・・・

「・・・の立場から」のバカらしさ

天気は良いのに寒いっすねぇ。 ノロウィルスにやられないように、手洗いはしっかりと。

今日の記事は長いぞ。 心して読んでください。 トイレに行きたい人は、先にトイレに行ってください。

・・・ さて、よろしいか? 手、薬用せっけんで洗ってきたか?

前回の記事で、ずいぶんとアツく製薬企業の人たちへの信頼や絆を語ったのだが、そういう絆が保てるのは、実は、ほんのわずかの人たちとだけである。 ほとんどの人たちとはそんな絆はとても持てない。 「企業の人たち」というと不公平かな。 産官学、メディア、患者会などの医薬品関係者の多数派は、そんな絆とは対極にあるヒトたち、すなわち 「立場(=会社、役所、組織の役回り)」や「肩書」が大事で、「立場」や「肩書」にすり寄るのが大好きな人たちだ。 皆さん、経験的に 「立場」利権の中で甘い汁が吸えることを知っているんだよね。 前にも書いたけど。 (「立場」利権のようなもの 2012-05-21 - 小野俊介 サル的日記

最近のD〇Aや医薬関係学会を見ても、相も変わらず、「企業の立場から」 「当局の立場から」 「患者の立場から」 「医療従事者の立場から」 ・・・ といった発表や講演が花盛り。 「・・・の立場から」利権のオンパレードだ。 サル的なヒトは、「・・・の立場から」 なんてタイトルを見た瞬間に話を聴く気が失せてしまう。 だって、何も本気で考えてませんよって公言してるようなものだもの。 「私の講演って、『立場』を背負っていたら誰にでもできる、役に立たない話ですよ。 関係者の利害(conflict)を本気で議論する気なんて全くありませんよ。 石焼き芋屋さんのトラックが流しているテープと同じ、内容のない宣伝ですよ」 と話す前から宣言してらっしゃる(笑)

例を挙げようか。 よくあるのが 「グローバル時代の治験活性化を目指して 『開発企業の立場から』」 なんていう講演。 あのね、 だいたい何なんだよ 「企業の立場」って(笑) (a) 利潤最大化の主体? (b) 寛容な雇用主体? (c) 雀の涙ほどの philanthropic(人類愛)活動を行う主体? (d) 医薬品の生産者? (e) 新薬の開発者? (f) 薬害被害の生産者? (g) 学問・科学への気まぐれなスポンサー? (h) 愛国ニッポン(あるいは米国、英国)の象徴? (i) 国家的リスクの原因(例:ワクチン)?あるいは (j) 救済者? (k) 社員仲間の互助組合・サークル? ・・・

(a) から (k) まで、全部トレードオフ(あちらを立てればこちらが立たず)、利害対立があるんだが、それをひとまとめにした「企業の立場から」 って、どんだけユルいくくりなんだよ(笑) ゆるいくくりの見かけにダマされて、そのへんの企業のおエライさんが、ひょいっとお気楽に講演を引き受けるんだろうが、こんなややこしいトレードオフなんて、本当はそう簡単には語れんぞ。

規制当局の立場ってやつの怪しさも同じですよ。 (a) 公務員雇用・労働環境の改善? (b) 健康最大化推進者? (c) 法律の遵守? (c) 単なる審査事務をする人? (d) 財政(保険)の維持? (e) 国家権力の行使者? (f) 国民への奉仕者? (g) 「れぎゅらとりーさいえんす」の守護神? (h) 天下り利権の保護者? (i) 国益の防衛者? (j) 無責任なグローバル化を推進して、欧米人から頭を撫でてもらいたい幼児(笑)? (k) 金持ち・大企業保護の不平等拡大容認派? (i) それとも不平等反対派? ・・・

30秒ほど考えただけでもトレードオフ・利害対立に関してこれくらいの論点が思い浮かぶが、これらにどのような「公式」スタンスをとっているかなんて、私は一度も聞いたこともない。 自分自身の役人経験に照らしても、そんな議論をした記憶は全くないなぁ。

「企業の立場から」 「当局の立場から」 というタイトルで話をしている講演者自身は、自分の話していることの意味・意義をまったくわかっていないのよね。 だから、とても恐ろしいことなのだが、わけもわからずにテキトーに話した思い付きが、国民を不幸のどん底に落とす可能性がある、なんてことにも思いが至らない。
 
でもね、不思議なことに、「企業の立場から」 「当局の立場から」 という演題(利権)をもらった人たちって、なんとも上手に、ぺらぺらと淀みなく、立派なプレゼンをしてくれますよね。 企業や当局の代表者は、上にあげた (a) から (i) の利害対立などそもそも存在すらしていないような顔をして、滔々(とうとう)と素晴らしい話を自信ありげにしてくださる。 それってなぜだろう?

最近の原発事故の文脈で、学者や行政の議論の構造を指摘している安富先生によると、そうした話者の講演は、欺瞞(ぎまん)的な「東大話法」 で成り立っているから ということになります。 そうしたプレゼンをする人たちは、「立場(=役)」 を背負い、「立場」に殉じる限り、実質的な利害の対立なんぞどうでもよいと思っている、のだそうです。 私も、その説に同意します。

「立場」を背負い、「立場」に殉じるってのを、安富先生は「立場三原則」と呼んでいます。

立場三原則
1. 役を果たすためには、なんでもやらなくてはいけない。
2. 立場を守るためには、何をしてもいい。
3. 人の立場を侵害してはいけない。

医薬品業界の文脈に置き換えてみましょう。 
1.と 2.は、分かり易い。 会社・役所を守るためなら違法行為すら厭わない社員・公務員がいるのは、どの業界も同じ。 最近も実例多数ですね。 学会やシンポジウムでは、会社・役所の公的な見解を自信たっぷりに、何の疑問も抱かずに発表しなければいけない。 発表者は、自分の所属組織(厚労省・PMDA・製薬協など)の公式スタンスのスライドセット(立場スライド、ね)を使ってプレゼンしなきゃいけない。 そうしたスライドを繰り返し使っているうちに、発表者自身が洗脳されてしまうのもよくあること。

2.と 3.もセットだ。 よくある例は、学会のパネルディスカッション(5、6人がパネリストとして壇上に座っているパターン)で「立場」を背負ったPMDA担当者が、フロアから新薬開発や承認審査がらみの質問が出ると、すぐにマイクをぶんどって 「それについては、我々が答える『立場』にあるから、お答えします」 などと回答を横取りすること。 冷静に見たら見苦しい限りなのだが、「2.自分の立場を守るためなら、何をしても良い」 そして、「3.PMDAの立場を侵害してはならない」 とパネリストが皆思っているのだから(立場至上主義者しかパネリストにしてもらえないから)、誰もマイクを奪い返そうとはしない。 審査方針などの話題がたまたま降ってきたら、PMDA以外のパネリストは、「私の立場からはお答えできない」 と答えるのが礼儀らしい。 が、PMDAの担当者も、上の (a) − (i) の実質が関係するややこしい問いには、「それに関しては私は答える立場にない」 なんて言って議論から逃げるんだよね。 あなたの「立場」って、何なのよ?(苦笑)

あのね、承認審査のあり方への回答は、PMDAの人たちが独占すべきことじゃないのですよ(注 1)。 〇〇製薬のヒトだって、××大学のヒトだって、市民Aさんだって、「新薬の承認審査はこうした方がいいよ」 と答えて良いに決まってるのよ。 どんなテクニカルな話でも、事務的な話でも、ね。 開かれた学会の会場には、狭い産官学複合体の外部にいる人だって来ていて、そういう人たちは 「学会というところは、いろいろな専門家たちが 『新薬の審査はどうあるべきか?』 を喧々諤々と議論しているんだろうなぁ」 と当然思っていることを、皆忘れてしまっているのではなかろうか。

(注 1) 今述べているのはオープンな学会などの文脈である。 役所主催の業務説明会なんかは、好きにしてください。

福島原発事故の後、規制、科学、そして社会のあり方がこれだけ議論されているのに、医薬品の世界の旧態依然の姿は、情けない限り。 2011年3月11日以前の原発業界の姿が、現在の医薬品業界の姿だと思います。 ステレオタイプな表現だけど。

「会社員の夫」という立場が無くなったとたんに、嫁さんに愛想を尽かされて熟年離婚される元サラリーマンのオジサンたち。 「現役のお役人・会社員」という立場が無くなったとたんに、後輩の現役のご機嫌をうかがい、おべっかを言うことが仕事になる元役人・役員のオジサンたち。 どちらも虚しいでしょ? 虚しいと思うんだったら、まずはあなた自身が行動しましょうよ。 自分が「立場主義」の病気にかかっていることを自覚し、立場を離れ、社会における目的・役割を踏まえて、あなたの意見をきちんと主張しましょうよ。 意味もなく、お役人、企業のおエラいさん、患者会の方、薬害被害者の方、政治家、大学の先生、メディアの大物 ・・・ といった立場を持っている方々を奉(たてまつ)って、相互不可侵条約を勝手に結んで、お互いの利権を守りあうのは、止めませんか? 

・・・・・

遠い道のりだろうね。 立場主義は、すべての人の心の奥深いところに、棲んでいる。

この話は、これからも延々と続きます。 こっちは、「この構造が日本の医薬品業界の最大の弱点だ。 ここを何とかしない限り、医薬品業界の日本・日本人は21世紀末には絶滅している」 という危機感を持って、私たちの子供・孫世代の幸せのためなら誰から何を言われようとも構わん、と腹をくくってますから。 議論の同志を募ります。

以上。 長い記事につきあってくれて、ありがとね。