小野俊介 サル的日記

いや、その、サル的なヒトだから・・・

むやみに懺悔しない

学食でいつものように昼飯を食っていたのである。

どうせ楽しいことが何もない毎日、 昼メシくらいは豪勢にパーッといくか、とトンカツを食べることにした。 同年代の読者は私同様に自覚してると思うが、昼メシに重たいものを食べると、午後眠くて仕事にならないのである。 カツカレーやら、かつ丼やら、家系のラーメンにサービスライス大盛やら、その手のものを食べると決まってその一、二時間後に猛烈な睡魔が襲ってくる。 トンカツを食うには健康と仕事の効率の両方を捨てる覚悟が必要なのだが、なーに、そんなものいくらでも捨ててやろう。

席につくなり、トレーに載ったトンカツとライス大とお味噌汁をがつがつと食べ始めた。 うまー。 ドボドボかけた中濃ソースがたまらない。 学食で食事中についスマホを見てしまうのも最近の私の悪い習慣だ。 くだらん動画やかわいい動画(わんことか)を眺め、時折「ゲヘヘ」などと笑いながら不健康な大盛ごはんを口に放り込む。 トンカツの油と脂のギトギト感がたまらんのぉ。 ゲヘヘ、ゲヘヘ ・・・

・・と、向かいの空いていた席に外人のお兄さんが座った。 長髪を後ろでしばっている。 学食には留学生もたくさん来てるから最初は特段気にもせずにいたのだが、そのお兄さん、座って数秒後、おもむろにお祈りを始めた。 少し下を向いてブツブツお祈りの言葉を呟いている。 お祈りがやたらと長い。 優に1分間は超えている。

・・ あ、いかん。 いかんぞ、自分。 ごはんの前の 「いただきます」 を言ってないことにその時点で気付いた。 還暦も近いのに恥ずかしい。 小さな声で 「い、いただきまーす ・・・ なんちって」 と呟くサル的なヒト。 が、その口のまわりにはすでにべっとり中濃ソースと豚さんの脂が付いておる。 神様、怒ってるかな? ・・ と不安になる。

向かいのお兄ちゃんは、お祈りの最後に胸の前で手で小さく十字を切って、静かにフォークとナイフで食事を始めた。 トレーには、ナスのナムルが二皿、ライス(小)、コロッケ、そしてキツネそば。 基本ベジタリアンらしい。 世俗に染まった油まみれの動物性の食物はとらぬらしい。 それに引き換え、自分のトレーのお皿にはソースまみれのギトギトの豚さんが食べ散らかされて載っておる。

・・・ い、いや、自分だって常々、「あんなにかわいい牛さんや豚さんを直接食わんでも、人類は大豆食えばいいじゃないか」 と思ってはいるのである。 納豆食べながら家人にそんなことをネバネバしたお口で呟いているのだ。 ホントなのだ。 でも、かつ丼や牛丼を前にすると、あの悪魔的な旨さに精神がやられてしまうのですよ。 分かってください ・・・ と目の前でナスのナムル(二皿)をライスの上に乗せ、それを黙々と食べているイエス様に訴える。

そんな僕の訴えを知ってか知らずか、イエス様はライスを食べ終え、次はコロッケに取り掛かった。 当然ながらコロッケには中濃ソースなんてかけてない。 まっさらな美しいままのコロッケを一口、二口・・・と片付けていく。

コロッケを食するあまりの神々しさに見とれてしまい、こっちのトンカツはなかなか減らない。 というか、ソースダボダボのトンカツなどというものをこのまま食べていていいのか、自分? という自問自答が止まぬ。 食欲などという下賤な欲望に身を任せていいのだろうか。 

・・・が、そのとき、心の中に一つの疑問が沸き上がったのだ。 世俗的には、食事はいろんなおかずをローテーションして順番に食べた方が良いと言われてる。 ごはんやおかずだけを食べ続けるのはお行儀が悪い、と。 が、イエス様はどうして一品ずつ順に片付けていくのだろう? ・・・ い、いや、これもきっと何か深い理由があるに決まってる。 口の周りにべっとり動物性の油をつけてどんぶり飯をかきこんでるサルごときには決して分からん、何か深遠な理由が。

最後にイエス様はキツネそばと向き合った。 外人さん一般の例に違わず、まったく音をさせず、黙々とそばを食していく。

・・・ ああっ、すみません。 何も考えず、盛大にずずずーっと麺をすすってきた我が人生を振り返ると、そのあまりの軽薄さと身勝手さに忸怩たる思いが沸き上がってきます。 でも、蕎麦って、ズズズっとすすった方がなぜか旨いんっす。 なぜだか分からないけど、旨いんっす。 許してください ・・

キツネそばを最後まで食すと(むろんどんぶりを持って汁をズズッとすするなんてことはしない)、再びイエス様は食後の長いお祈りを始めた。 もはやこっちの食事などどうでもよくなってしまい、息を殺してじっとその様子を見守るサル的なヒト。 

食前のお祈りのときよりも少し大きく十字を切って、イエス様は立ち上がり、トレイを持って去っていった。 後光が、後光が射しておる ・・・

 

・・・ といった日々を送っているサル的なヒト。 皆さんお元気ですか。

 

またずいぶん間が開いちゃってごめんね。 今日は都内で開催されたあるシンポジウムでこんな話をしました。

 

みんなが何を言っているのかがさっぱり分からない(再び)

 

小野俊介

 

年を取って頭がぼーっとしてきたせいか、新聞を読んでも書いてあることがさっぱり分からない。 年の功で記事のバカらしさを見抜く眼力がついた可能性も1%くらいの確率であるが、どっちだろう?
朝日の朝刊一面に「日本の新薬開発がピンチ」という記事が。 休日だから特にぼーっとしてたことは確かだが、記者が何を言いたいのかが根本的に分からない。
ピンチというからには、誰か(あるいはその誰かにとって大切な何か)が別の誰か(何か)にひどい目に遭わされてるのだろう。 そこに出てくる「誰か」って誰だ?「日本人が、強欲だけど賢い米国人にボコボコにやられてる」ってこと? もしそれが記事の趣旨なら話は簡単だ。 米国人を殴り返せばよいのだ。 浅草あたりに観光に来てる米国人に向かって大声で悪態をつけば気分が晴れるぞ、きっと(笑)。
ニポン人ってどんなひどい目に遭わされてるのだろう?高いお薬を「買わされてる」? 日本人って幸せになるためにお薬を買ってるんじゃないの? 副作用かなんかが出るのをドキドキするために薬を買ってるのだろうか?
・・・ いやいや、私だって35年間この業界にいるのだから記者の気持ちは分かる。 要は、新薬のほとんどを創ってる欧米の外資系企業が憎いのですよね(苦笑)。 医薬品の制度、理念、そして産業を世界的にリードする米国様に嫉妬してるのね。 かわいいといえばかわいいけど、いい年齢したオトナのやることじゃないよ  ・・ え、違うの? では、あなたの言いたいことは何なの?
人間って、自分がしていることの意味が本当は分からない。 たとえば私は自分でも訳が分からぬままお昼になると生協食堂に行ってしまう。 新聞記者は自分でも訳が分からぬまま日本の新薬開発危機を煽る。 役人は自分でも訳が分からぬまま毎年「日本の新薬開発をオールジャパンで支援する」「司令塔をつくる」だのというアドバルーンを上げる。 本能で行動するハチさんやアリさんと同じである。 いや、生きていた頃と同じ行動を繰り返すだけのゾンビと言った方が適切か。
ニポンでは、産官学の関係者(記者を含む)のほとんどは、数年もすれば人事異動と称する強制シャッフルでポストが代わるし、そのうち定年退職と称して強制離職させられるのである。 新薬開発の話や製薬業界の苦難など人生のほんの一時のお付き合いなのだから、自分の言ってることのホントの意味など考える必要もない。 記者も政治家もお役人も、前任や先輩が唱えていた決まり文句や業界メディアから仕入れた口から出まかせの思い付きを喚(わめ)いていればメシは食える。 そもそも彼らの言ってることなどほんの数日もすれば社会の誰も覚えてないのだし、数年もすれば、定年退職した彼らの存在すら忘れ去られるのだから。 
ほら、私が本稿で数秒前に喚いたこと、誰も覚えていないでしょ?(笑)

 

AI 生成機能を使ったご自慢のスライドがあるのだけど、それはまた後日。

 

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これはまた素晴らしいエッセイが。

日本語と英語の達人の書くエッセイ。 言葉のプロってすごい。 日々の仕事で、魅力のないつまらん(つまらんどころか、ろくに意味すら通じない)お薬関係者の書いた文章にばかり接している自分としては、毎晩お布団に入って、少しずつ本書のページをめくるのが楽しみで仕方ない。 色恋沙汰の書き方がかっこいいんだよなぁ。

 

こんな素晴らしいマンガも見落としていた。

学食の麺売り場のおばちゃん(バツイチ)と奥手の美大生の恋。 なんかいいぞ。 いや、とてもいい。 おすすめです。

昔、駒場の学食の食券売り場のおねいさんに憧れて、いつもそのおねいさんの窓口に並んで一番安い200円の定食の食券を買っていた 40年前の自分を思い出す。 あのおねいさんももうおばあさんになったのだろうなぁ。 きれいなおばあさんかなぁ・・

 

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というわけで、今日はここまで。 多少元気がなくとも、生きて、メシ食って、楽しい本やマンガを読んでればよしとしよう。

実は今、やたらとややこしい数学(位相論)のテキストに夢中になっておる。 たとえば 「位相空間 X は局所連結である」と「X の開集合となる部分空間の連結成分はすべて X の開集合となる」 と 「X の連結開集合全体は X の位相の基底である」 の同値性を証明したりするのが楽しくて仕方ない日々を送っているのである。 が、その手のめくるめく理屈の世界に読者を導くのはまた別の機会に(笑)。

 

じゃまたね。 楽しく師走を迎えましょう。