小野俊介 サル的日記

いや、その、サル的なヒトだから・・・

日本版ホニャララ好きの皆さまへ

申し訳ないのだが、「日本の新薬開発がこうあって欲しい」 という理想像に関して、自分がさほど非常識な感覚を有しているとはどうしても思えないのである。 例えば、日本での研究開発活動がますます活発になる方がよいと当然思っている。 日本人研究者が生み出した薬が世界市場で大ヒットするととても誇らしい気分になる。 海外の田舎町に出張したときに日本の製薬会社の広告を目にすると、「おおっ、こんなところでも頑張っているんだねぇ。 大変だろうけど胸を張って商売して、現地の人たちと仲良くやってね」 なんてしみじみ思う。

常識人たる私の感覚として言わせてもらうと(大笑)、最近のメディアや公的な政策論で使われている言葉は、上滑りしていて気持ち悪い。 若者が「ヤバい」という語の本来の意味を変えてしまった、なんていうのにケチをつけてるんじゃないので誤解しないでね。 そういうのはむしろ楽しい。 気持ち悪いのは、プロと呼ばれる人たちの、言葉の使い方のいい加減さ。 手抜き。 あるいは悪乗り。

昨日も、某紙の朝刊一面トップ記事を見て、朝から目が点に。

日本版NIH 医療研究の司令塔創設…14年度目指す

 政府は2日、最先端医療の技術革新を進める司令塔として 「日本版NIH」 を創設する方向で本格的な検討に入った。政府の医療関係の研究開発予算を一元的に取り扱う組織で、医療関係の企業と協力し、研究開発成果を早期の新薬開発や医療機器の実用化などにつなげる。政府は、経済再生に向けて6月にまとめる新成長戦略に創設方針を明記し、関連法を整備したうえで、2014年度中の設置を目指す。

一面トップで 「日本版NIH」なんだそうだ。 この記事ではもろ手を挙げて賛成らしい。 ありゃ、Facebookで いいね! を押している友人もたくさんいる(笑)

新聞記者さんたちって、こういうキャッチーな言葉に一瞬でも疑問を覚えないのだろうか? あなたたちは、言葉のプロじゃないの? (注 1)

(注 1) 今日のブログでは、この提案の政策効果(こういう組織がちゃんと機能するか)については触れません。 触れると、論点が多すぎて記事が長くなるから。 また次の機会に。

あらかじめ告白しておくが、私も 「日本版NICE」 ってな言葉を使うことがあります。 しかし新聞の一面トップ記事に胸張って載せるような、肯定的な言葉としてではありません。 他の言葉を使うと長くなるから、仕方なく使うだけ。 自分の語彙・説明力の無さ、学の無さ(概念力の欠如)を証明する恥ずべき表現である。

ちょっと目端の利いたことを言って業界でメシを食っている専門家(産官学、メディアすべて。 私を含む)って、やたらと欧米の組織や制度に「日本版」をくっつけて、「日本はさ、これをやってないからダメなんだよ」って提案するのが好きですね。 昔からある陳腐な呼び方をすれば 「出羽の海」さん。 「アメリカでは・・・」 「イギリスでは・・・」

で、日本人にとって良いものか悪いものか本当は誰にもわからない新しい制度・組織を提案する際、内容はともかくイメージ重視で宣伝しようという時に役立つのが、「日本版 ホニャララ」 という表現だ。 ホニャララ には、外国の有名な制度・組織が入る。

日本版FDA、 日本版IND制度、 日本版コンパッショネットユース、 日本版RMP、 日本版NIH、・・・ ちょっと思いついただけでも、たくさんあるねぇ。

「日本版」って付けるだけで、すごくクリエイティブな提案をした気分になれるので、お手軽でコストパフォーマンスがいいんですよね。 オリジナリティは皆無、発想はチープなのに、すごい制度的進化を提案しているように見えるから。 おまけに、欧米の制度・組織を日本に受け容れた場合に、受け容れないで日本独自路線を歩むよりも、日本人が本当に幸せになれるのかなんて、誰もちゃんと比較検証(裏取り)しないから、日本には存在しない制度・組織なら何を「日本版」として提案しても大丈夫なのよ。 前回書いたとおり → 絶対に失敗しない政策の無意味さ - 小野俊介 サル的日記

で、ここからが私の提案なのだが、「日本版」を提唱するのがそんなに好きなら、今既にある日本の法律・制度・組織もちゃんと「日本版」を付けて記事にしてほしいのである。 大丈夫、読み替えは簡単にできます。 だって、日本の薬事制度・組織の多くは、たいてい欧米のそれらの外形を真似して、日本向けに換骨奪胎し、時には似て非なるものに変えて、数十年遅れで導入した代物なのだから、「日本版」 を付けても全く問題ないどころか、むしろ本来はそう正しく表現すべきものである。 

(誤)      (正)
薬事法  → 日本版 US Food, Drug and Cosmetic Act
PM〇A → 日本版 FDA
日本企業 → 日本版 米国企業(笑)
日本〇薬工業協会 → 日本版 Ph〇MA
医薬品の臨床試験の実施の基準 → 日本版ICH−GCP
薬価収載ルール → 日本版米国希望薬価収載ルール (MOSSの話)

あとはこれですかね、白洲次郎さん。

(誤)       (正)
日本国憲法 → 日本版 GHQ憲法

そしてね、これら何十年にもわたる 「日本版 ホニャララ」の結果が、現在のこの国の政治の、医療の、そして医薬品開発の姿なんですよ。 そのことを責任もってちゃんと伝えてください、〇売新聞さん。 

メディアの方々は、日本版NIHといった目先のキャッチーな新ネタだけじゃなくて、今現に存在する数多くの制度についても、右欄の正しい表現が広まるように紙上でキャンペーンしてくださいね。 現状では、左欄の誤解を招く表現を使う日本人がまだまだ多いように思います。 誤解というのは、「日本人が薬事制度・組織をオリジナルに発案し、実現している」っていう誤解です。念のため。

メディアの人たちって、海外とのややこしい過去の経緯がある言葉について、そうした経緯を正しく書いてくれないんですよ。 「『グローバル化のご時世だから仕方ないよね』 ってなユルい雰囲気で制度を受け容れた」 とか、「米国との交渉で詰め寄られたから制度化した」 とか、それぞれに実に面白い経緯があるのに。 なぜだろう? 過去をほじくり返すとまずいことが起きるのだろうか? (起きるのだけど(笑))

一方、新しい制度を説明するのが面倒だから(たぶん正確には、記者さん自身が理解していないから)、イメージだけで 「この制度ってちょっとオシャレで、立派でしょ? なんとあの医薬品大国のアメリカの制度よ」と読者に伝えるときには 「日本版 ホニャララ」となる(笑) (注 2)

(注 2) イメージ戦略的にもどうかと思うよ。 日本版トム・クルーズ とか、日本版レディ・ガガ とかを想像してみればよい。

ただね、そういう「日本版 ホニャララ」 好きな人たちは、通常は悪意なんてまったくない。 彼らは、冒頭に書いた意味で、私と同じ常識人である(「お前とは絶対に一緒にするな」 と皆さん言うけど)。 危ないのは、こういう言葉を論理的には破綻した三段論法に気づかせないツールとして意図的に使っている人たちである。 ほんの少しだけど、専門家と称する方々の中にその手の悪い人たちも存在している。

(微妙な三段論法。 後件肯定の錯誤に近い) 

  1. アメリカの新薬研究開発はすごい。
  2. アメリカにはNIHがある。
  3. 日本の新薬研究開発はNIHがあればすごくなる。

まぁでも、いいや。 制度・組織の成り立ちや由来を何も考えずに済むというのは悪いことだけではない。 白洲次郎さんは草葉の陰でタバコをふかしながら呆れ果てているだろうが、2013 年を生きる日本人はこんな感じだもんな。 悩むだけ人生の時間の無駄やもしれぬ。

(誤)      (正)
日本人 → 日本版米国人

That's all for today. Good night, everyone. Have a nice pipe-dream that never ends !