小野俊介 サル的日記

いや、その、サル的なヒトだから・・・

僕たちの将来は

深夜2時。 やれやれ、今日も疲れたわい、と思いながら、自室のせんべい蒲団 (これも最近耳にしなくなった言葉だな) にゴロリと横になる ・・・ と、部屋の隅で 「カリカリ ・・・ カリカリ ・・・」 という異音がする。 壁を尖った爪で引っ掻く音。 

うぎゃー。 プルプル((( ゚д゚;)))プルプル

山村貞子系のアレか? 呪怨のアレ? それともパラノーマル系のアレか? アレなのか? ・・・ とフツーの人ならビビるところだが、この時期のカブトムシ飼育業者はまったくビビらない。 そう、成虫様のお出ましである。 1年間ペットボトルのマット (土) の中で育った奴らが 「おーい、もうそろそろ外に出さんかい、ワレ!」 と騒いでいるのだ。

カブトムシ飼育業者にとって一年で一番忙しい季節の到来である。

夜行性の昆虫だから、マットから出てくるのはたいてい夜。 夜通しずっとカリカリされるとうるさくてとても眠れない。 仕方ないから、布団から身体を起して、部屋の隅のペットボトルを一本ずつ覗き込んで、生まれたてのピチピチボーイ or ガールを探す。 あ、いたいた。 出てきたのは、プリプリしたフォルムがキュートなメスだ。 暴れすぎて、仰向けにひっくり返ってるぞ。 生まれたては足の棘が尖っていて手に乗せると痛いのだ。 が、オスと違って角 (つの) が無くて、持つところが無いから、手のひらに乗せるしかない。 イテテ、イテテ (注 1) ・・・ と呟きながら部屋を出て、廊下の大きな飼育ボックスに入れてやる。 中では数日前からそこに移っている先輩たちが、夜の大宴会中である。 カサカサ、バタバタ (飛び回る音)、キューキュー (鳴き声) ・・・ いやはや、やかましい。

(注 1) ハリー・ベラフォンテの「バナナ・ボート」 を思い出した同年代の方。 あんたのこと、好きだぞ (笑)

やれやれ。 部屋に戻る。 さて、今度こそおやすみなさーいとゴロンと横になる ・・・ とまたどこかからカリカリ音が ・・・ うぎゃー、山村貞子系のアレか? それとも ・・・ (無限ループ)

たまったもんじゃないのよ。 確かに私はカブトムシ(というか昆虫ね)がかわいいなぁ、と思う 「虫愛ずる国」 の伝統的日本人である。 しかし、いかにカブトムシや昆虫が好きでも、できるならこんな苦労はしたくはない。 金もかかる。 飼育用のマットや資材にも年に数万円はかかっている計算である。 貧乏人が虫ごときになぜこんな大金払わねばならないのだ、とイライラすることもある。 

じゃあなんで止めないのか。 それはね、カブトムシ大好きな子供たちに配ったときに、彼らがとびっきりの笑顔を見せてくれるから。 お金では絶対に買えない笑顔である。 グローバル資本主義のシンボルのごときマク○ナルドの 「スマイル 0円」 なんかとは比べ物にならない、大輪のひまわりのような心からの笑顔。 あれを見せてもらえれば、ほとんどのイライラは治まるさ。

というわけで、今年も完全無料カブトムシ飼育業者と化して、地域貢献ボランティアを黙々と続けるサル的なヒトなのであった。 「無料出張講義といい、カブトムシといい、儲からないことばかりして喜んでいるアンタのその性格、なんとかならないの?」 と家人は呆れているが、いいのだ、これで。 人生を銭 (ゼニ) や名誉に帰結させようとする奴らの顔は、たいてい歪んでいる。

*****

数週間前のある夜。 飲み会があって、某繁華街の路地をトコトコと歩いていたら、向うから着飾った若いおねーちゃん (大学生くらい) が歩いて来る。 だが、様子が変なのである。 一言で言うと、ゾンビのような歩き方だ(笑)。 フラフラ、ユラユラ。 と思うと、電柱にぶつかりそうになって、急に方向を変える。 ヨロヨロしながらも、妙なテンポでこちらに向かってくる。

「これは相当に酔ってるぞ。 大丈夫かなぁ」 と思って、すれ違いざまに顔をのぞいたら ・・・ 身体全体からプーンと漂う、妙に甘いどぎつい煙の匂い。 うっ、と思わず顔を背けてしまった。 おねえちゃん、眼球が血走っている。

アイヤー。 こいつ、たぶんやってるぞ、違法な植物の葉っぱ。 薬学部の学生なら全員名前を学名で言えるアレ。

誤解されるといけないので断言しておくが、サル的なヒトはそんなもの吸ったことはむろん一度もない。 その匂いを知っているのは、アメリカに留学してたときに、何度かそれの吸引の現場に出くわしたからだ。 いずれも少し寂れた観光地の公衆トイレであった。 当時4歳の娘がいて、いつでも 「パパ、オシッコ!」 に対応しないといけなかったので、少々怪しい公衆トイレにでも入らないといけなかったのだ。

公衆トイレの入り口のドアを開けると、モワーっとした煙と、なんか甘ったるい感じの、さわやか感はみじんもない濃いくっさい匂いが漂う。 煙で霞んだトイレの奥の方に、若いにいちゃんとねえちゃんが3、4人、ボーっとこちらを見ながら壁にもたれて立っている。 う。 こ、これはアレだとすぐに理解した。 引き返すべきか ・・・ と思ったが、娘の尿意も限界だ。 えーい、ままよ。 まさか子連れの観光客を襲うこともあるまいと、出口に一番近い個室に入って、娘に用をさせた。 たむろしていた連中、特段ことを荒立てる気はないらしく、その間ずっと小声で会話を続けていた。 こっちはビビっているので、用が済んだら手もろくに洗わずに外に出る。

・・・ というような体験をその後も何回か、米国の別の場所でしたのである。 読者の皆さんの中にも、同様の経験がある方がたくさんおられよう。

大統領も 「吸ったことあるよ」 と公言するかの国でそんな輩に会っても何ら驚かないサル的なヒトだが、いつも飲食をする東京の繁華街で、それも公道で、その手の連中にお目にかかるとは。 なんとも素晴らしいグローバル化の進展であり、成果ですね。 それが何であれ、オールジャパン (なんて気持ち悪い言葉だろう) で目指している方向が着々と実現しているのだから、良かったね、というしかないか。(注 2)

(注 2) 私は鎖国主義者でも、純血日本人主義者(「日本人は優秀だ」 なんて疑いもなく言い放つ人たち。 意味不明だし、気持ち悪い) でもありません。 勝手に勘違いしないように。

繁華街ですれ違ったおねえちゃんは、ゾンビのまま、駅に向かって歩いていった。 時々電柱にぶつかりそうになりながら。 ゾンビでも、自分の家と家族の記憶はあるのだろう。 哀れである。