小野俊介 サル的日記

いや、その、サル的なヒトだから・・・

本屋さんの周りにて

今日はバラバラと雑記風に。

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今日の午後は某学会の委員会があって、そこでちょっとした作業をしたため、お小遣いを少し頂戴した。 ○千円ではあるが、すごく嬉しい。 なんたって現金だもんね。 口座振込だと、自分のお金というよりは、家人が嵐の最新のCDを買うための資金とほぼ同義となってしまうからである。

帰り道、「エヘヘへ、○千円、○千円 ・・・ エヘヘ」 とニヤツキながら、東大生協の本屋さんに立ち寄る。 ○千円がポケットにあるときと無いときでは、見える光景が違うのよね。 なんというか、店内がキラキラと輝いている感じ。 そういえば前から買いたいと思っていた戸田山先生の認識論 (epistemology。 「知っている」 って一体どういうことだろう?を考える哲学) の解説書があったことを思い出して、おもむろに書棚を覗くと ・・・ あった、あった。 二へ二へしながら 2,600円の本を買う。 嬉しいのぉ。

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学会ビルから生協の本屋さんへ向かう道すがら。 住宅街の小さな路地で、杖をついてヨボヨボと歩くおばあさんと、手をつないで歩く中年のおばさんがいた。 おばあさんは足元がおぼつかなくて、やっと歩けている感じ。 娘さんかヘルパーさんかに手伝ってもらって散歩してるのだろう。 いい風景だなぁ、と思って横を追い越したのである。 追い越して数秒後、おばあさんの小さな声がした。 その時である。

「あなたは余計なこと言わないで、とっとと歩きなさい!」

という中年おばさんババアの怒鳴り声が。 一言一句、このとおりの台詞である。

一瞬何が起こったのか分からず、後ろを振り返ると、鬼のような形相でおばあさんを睨みつける中年おばさんババアと、凍りついた表情のおばあさん。 こっちが驚いた顔をして振り返ったのに気付いた中年ババア、「なんか文句あんのか?」 という形相でサル的なヒトのことも睨みつけるので、こっちも 「お前みたいなババアに負けるもんか!」 と睨み返した (笑) のだが、こっちを無視してそのまま別の路地へとおばあさんを引きずりながら去っていった。

おばあさんと中年ババアの関係がどうしてもわからんなぁと、歩きながらしばらく考え込む。 手を引いているということは、介護者ではあるのだろう。 母娘? お母さんがボケちゃって、イライラし続けてるのかな? でも自分の親のことを 「あなた」 なんて冷たく言い放つのか、東京人は? 互いが憎くてたまらん姑と嫁? だったら分からんでもないぞ。 タチの悪いヤクザもののヘルパーさん? あんなのに介護保険の報酬払っていいのだろうか?

昨日の朝、テレビ (とくダネ!) で、ある知的障害者の施設で、作業を管理するおっさんが、知的障害者のにいちゃんの頭を理不尽に張り倒している隠し撮り映像があった。 意地悪な番組スタッフがそのおっさんに 「あなたは体罰はしてませんよね?」 と尋ね、 「してませんよ、そんなこと」 と回答させた上で、隠し撮り映像を本人に見せたら、「・・ あ、これは私ですね。 体罰してますね。 すみません」 とあっという間に前言撤回したのには大笑い。 しかしホント人間って弱い者いじめが好きだよな。

人間の性質(タチ)や気性、性根が今後善くなるとは思えんから、また、携帯ばかり眺めている若い連中の知的レベルが向上するとも思えないので、僕たちがジジイ・ババアになる数十年後には、老人はもっと不愉快で、ひどい扱いを受けるのであろう。 先に死んだもん勝ちかもしれん。

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生協の本屋さんからの帰り道の電車で、少し前に買った新書を読む。 堤美果さんの 「沈みゆく大国 アメリカ − 逃げ切れ! 日本の医療 −」。 とても面白い。

少し前に出た前巻からの続きである。 簡単にいうと、米国のウォール街多国籍企業、そうグローバル企業と称するモノが、日本の医療と介護ビジネスを食い物にし始めましたよ、という警告の書である。 「強欲資本主義の魔の手がじわじわと(日本に)のびる」 らしいのである。 うんうん、そうだよね ・・・ ん? というか、堤さん、医薬品産業の世界って、1980年代ころからもう30年くらいずっと、魔の手なんて伸び放題 (笑)、もう骨の髄までしゃぶり尽くされている感もある。 たとえば、「社会と医薬品の関係のあるべき姿を根本から考える力・そのための学問・人材」 なんてものは、もうとうの昔に日本から消え去っているかも。

たとえば、業界のシンポでは、

(A) 「人類(アメリカ人でも、平均人でも誰でも構わないけど)に、ある薬Aが使えるかどうかを確認し、使えるようにすること」 の費用対効果

(B) 「で、(A) の状態を参照点 (原点) にして、日本人により良く使うための最適化を図ること」 の費用対効果

の違いが区別されぬままである。 限界 marginal、増分 incremental という概念が理解されていないからだと思われる。 にもかかわらず、米国流ビジネスには洗脳されちゃった業界人が 「日本でわざわざ臨床試験やる意味なんてない。 (B)に意味はない」 なんて力強く言い切っちゃうし、「そんなもんかな」 なんて聴いている方も納得しちゃう。 考える力の荒廃のわかり易い例。(注 1)

(注 1) むろん、一部は単純な正義感から発している主張だから、悪意はないことが多い。 しかし、「悪意がない」 で免責されるほど、その手の主張の将来世代への影響は軽くない。

ちょっと待ってちょっと待っておにいさん! あなたは本来比較すべきモノ同士を正しく比較してませんぜ。 (A) と (B) を単純に比べてどうすんのよ。 自動車とカーエアコンを比べて、「自動車の方が価値がある!」 なんて胸を張っているようなもんだぜ、それって。

皮肉なのは、欧米の学問 (経済学、意思決定論) こそが 「日本で臨床試験やるかどうかの判断 (B) は、(A) の判断とは別だよ」 って正しく教えてくれるという事実。 だが、その皮肉にも気づけないほど日本人は荒廃してるおそれがある。 そうした概念を学び、議論する能力・根気・気力は、日本の業界人にはもう無い。 いや、元々なかったのか。

強欲資本主義の本当の怖さは、医療・医薬品市場といったモノ・対象の側にズケズケと踏み込んでくることよりも、むしろ、社会のあるべき姿を考える主体 (ヒト) とその批判的思考能力を根絶やしにすることにある。 顔無しの、顔無しによる、顔無しのための世界を押し付けられる。 それが今の医薬品業界のリアルでしょ?

堤さん。 もう何を言っても、この国の医療の 「医薬品産業・規制に関する部分」 はどうにもならないと思いますよ。 手遅れ かも。

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ということで、今日はこのあたりで。 天才ナッシュが死んだこと、カブトムシのことなどは次回に。