小野俊介 サル的日記

いや、その、サル的なヒトだから・・・

薬よりも効く健康食品

う、う、うわーーん ・・・ ゜(゜´Д`゜)゜

にいやんが、にいやんが、死んでもうた ・・・

私と同じく、日曜日の夜から、悲しくて仕事が手に着かない方々が全国に60万人はいることだろう。 TBSドラマ 「天皇の料理番」。 素晴らしい。 前半は、黒木華 (はる) ちゃん演じるトシ子さんが一体これからどうなるのだ? と心配でならなかったのだが、後半は、あの優しい兄 (にい) やんの顔が毎回毎回細くなっていくのが心配で心配で、見ているサル的なヒトも食事がのどを通らなくなっていたのである。

嫌われ者の悪たれ坊主だった主人公篤蔵 (とくぞう) の唯一の味方だった兄やん。 自分が早死にすることを察して、自分が継ぐはずだった家督の一部の金を篤蔵に譲って、篤蔵をフランス修行を行かせた兄やん。 果たせなかった職業人としての夢を、篤蔵に託した兄やん 
・・・ う、う、うわぁーん ・・・ 思い出すとまた涙が止まらなくなる。

おまいら知らないかもしれないが、兄やんはな、まだ若くて元気だった頃、正義の味方として世界の悪と戦っていたんだぞ。 変態仮面 HK としてな。(注 1) 少年ジャンプ世代の一人として、あれはあれで素晴らしい漫画であり、映画であったと断言しておこう。 エンターテインメントに貴賤なし。

(注 1) お仕事中の方がいるといけないので、ここに映画の予告編を掲載するのは差し控える。

天皇の料理番」 に話を戻す。 黒木華ちゃんもなんとも言えず良いですよね。 美人の妹と勘違いされて篤蔵と結婚することになったビミョーな線のお姉さん。 一体誰がその役をやるのか? と思ってたら、華さんだった。 こういう役をやらせたら天下一品。 「小さいおうち」 も素晴らしかった。 こっちの予告編は安心して載せられる(笑)

ということで、残りわずかだが、日曜夜9時はTBSテレビから目が離せないのだ。

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先週、眠い目をこすりながら朝刊を見ていたら、ギョッとするような広告が。 でっかく
臨床試験 済」
という印鑑がついてあるぞ。 なんじゃ、この趣味の悪い広告は? と思ってよく見たら、健康食品の広告であった。

そう言えば、ニュースでやってたっけ。 またもお上公認の、意味不明のカテゴリーの食品が登場すること。 今度はなんだっけ? 機能性表示食品? なんのこっちゃ、わけがわからん。

臨床試験結果とやらが自慢げに載っている。 評価したくなるのは職業病だ。 なんせこちとら、臨床試験結果の解釈で数十年間メシを食っているからな。 どれどれ ・・・

どっひゃー、すっごい効いてるぞ、これ。 (;゚Д゚) 

ダメじゃん、こんなに効いているモノを食品にしておいては、危なくて仕方ないぞ、おい。 薬機法の定義からして、間違いなく 「医薬品」 だぞ、こりゃ(笑) これが医薬品じゃないのなら、薬機法の定義はまるで無意味だ。

この広告、RCT(DBT) のプラセボ群と食品群の評価項目の投与前後の差 (変化量) を棒グラフで掲載している。 プラセボ群はほとんど変化なしだから、ほぼゼロ。 一方、食品群の方はグンと大きく指標が改善したらしく、すっごい高さのバー。 こりゃすごい、数十倍の効果なのか、って寝ぼけ眼で思ってしまったサル的なヒト。 あんたホントにプロか?という突っ込みはともかく、何の脈絡もなく、いきなりこんな 「差のグラフだけ」 を載せるのって 「あり」 なのか? この棒グラフでこの食品の効果が正しく理解できる一般消費者がいたら、その人ってノーベル賞取った天才数学者のナッシュよりも頭がいい ぞ、たぶん。

広告のファンシーな棒グラフ、あちこちに踊る 「臨床試験」 の文字、そして、はっきり断言されている 「改善」 なる文字を眺めていたら、なんというか、圧倒的な脱力感に襲われた。 新薬の承認審査では、何十人(いや、延べ人数では何百人) もの薬効評価のプロ (と称する方々) が 「臨床エンドポイントの妥当性」 だの 「結果の臨床的妥当性」だの 「統計学的有意差は臨床的・現実的に意味のある差と同義ではありませんよ」 だのと口角泡を飛ばして議論しているのだが、そんなもの、一瞬でどこかに吹っ飛ばしてしまうような破壊力。

こ、これが、食品の世界なのか ・・・ ゲフッ (と血を吐いて倒れる音)

プロの端くれとして、エビデンスとなっている論文を読んでみた。 確かに形は整っている。 結果の一番大切なところに明らかなタイポ (タイポじゃなければ論文不正事件として火だるまになるね) があるところなどを見てると、関係者の論文への愛情が明らかに不足しているような気はするけど。(注 2)

(注 2) S先生、ご指摘ありがとうございました。 いつも明晰なコメント頂き感謝してます。 

論文には 「ヘルシンキ宣言に従い ・・」 「疫学研究指針に従い ・・」 なんて立派なことが書いてある。 ヘルシンキ宣言なんて書かれると、ハハーってひれ伏しちゃうよね、ニポン人って。 ところで、この研究って臨床試験登録してるのかな? その記載はどこにも書いてないぞ。 「何回も何回も、同じ試験をやれば、今回のような結果は一つくらいはでるんだよなぁ」 という頻度論者の呟きが心の中でこだましてしまうが、これって、長年の(ヒトを疑うことが商売の) 審査官生活で私の心が荒んでしまっているからだよね、きっと。 すまんね。

誤解しないで頂きたいのだが、私は (この) 健康食品自体にケチをつけるつもりはまったくない。 たぶん健康に良くて、美味しくて、楽しくて、素晴らしい食品なんだと思うよ。 ぜひ食べたいと思うのだ (貧乏ザルにも買える値段ならば)。

これも誤解しないで頂きたいのだが、私は (科学に悪乗りして) こういう広告を出す方々を批判する気は実はないのよ。 彼らはビジネスピーポーなのだから、そりゃ許される範囲で何でもするさ。 私がイカンなぁと思うのは、現在の薬効評価科学の弱点・欠陥を知っているのに、それを見て見ぬふりをして、事もあろうにその欠陥科学のお墨付きを与える仕組みや制度を作った人々である。

現在の医薬品の薬効評価にブラックホール (根本的な欠陥) が開いていることはこのブログでも何度も指摘してきた。 例えば、

  • 母集団という概念なんぞ 100% 無視したサンプリング
  • 臨床的意義などという意味不明な概念で論じる商品の価値
  • 定義のない『有効性』 『安全性』 『リスクベネフィット』 といった薬機法の言葉 (今回の件で 『医薬品』 という言葉の定義も怪しいことが分かったわけだ)
  • 真っ黒な顔無しが、真っ黒な顔無しのことを考える社会選択的な構図 など

ほれ、どうですか。 健康食品の広告は、こうした大穴・ブラックホールを熟知した上で、それに完全に悪乗りしてるじゃありませんか。 「奴ら(医薬品の世界の住民)が、こっち(食品)にケチなんてつけられるわけないぜ。 だってさ、医薬品の世界こそが、原則も科学もない神事の世界なんだから。 奴ら (医薬品の世界の住民) がこっち(食品) にケチをつけるってのは天に唾するようなもんだからね、ククク ・・・」 って、ニヤニヤしている顔が目に見えるようだ。

しかしここで何を言っても無駄だろうね。 れぎゅらとりーさいえんすなんてものを信奉している方々は、制度の欠陥を修正するのではなく、逆に 「機能性表示食品の制度の趣旨を正しく (笑) 国民に周知し、広めていくのが我々の役割だ!」 (キリッ) なんておっしゃるのだろうし。 (a) どこかで誰かが死にかけたり、(b) アメリカ様の外圧がかかったり、(c) 食品会社がはしゃぎ過ぎて不祥事を起こさない限り、制度は変わらない。(注 3) 誰かが機能性食品を信じすぎて、お金を注ぎ込み過ぎたり、健康を多少壊したくらいでは、誰も動かないのよ。 薬と違って、そもそも市販後の監視は事実上無いしね。

(注 3) 予想するならば、今後(c)によって制度が変わる可能性が一番高いと思う。

「この健康食品、本当に効くのか? もう何回か、しつこく確かめてみようよ」 という再試験を実施する人はこの世にいない。(注 4) だって、金と時間がかかるんだもの。 だから、一度お墨付きをもらったら、ニポン国が続く限り、永遠にお墨付きは無くならない。 再試験をやれる (やらせる) ことができるのは、ほれ、先に挙げたれぎゅらとりーさいえんすとやらを推進する方々だけだろうけど、試験で逆の (効かないっていう) 結果が出たら、ある意味面子丸つぶれだから、再試験なんてやってほしくはなかろう。 社会のこの構図は、私があらためて指摘するまでもなく、業界の誰もが知っている昔からの常識だ。 うーむ。 規制とインセンティブの構造は、薬害事件が何回起きても変わらないものである。 

(注 4) 薬でいう再評価。 でも薬でも再評価指定するのは、政治的に、そう簡単ではないのよ。 結果として製薬会社 (とお医者さんや研究者のメンツ) を潰すことになるかもしれないからね。

あー、長い記事書いて疲れたよ。 あ、そうだ、近所のドラッグストアでこの健康食品買って帰ろう。 きっとすごーく効くのだろうさ。