小野俊介 サル的日記

いや、その、サル的なヒトだから・・・

初心に帰りましょう

医薬品業界で、ここ数年よく目にする奇妙な文章の例。

[1] 「新薬開発を効率的に行うために、レギュラトリーサイエンスを活用しなければならない」
[2] 「市販後の新薬の安全性対策の判断には、レギュラトリーサイエンスが必要である」

「れぎゅらとりーさいえんす」なる言葉が流行り始めて数年。 当初(つまり数年前ね)は、「しばらくすれば、こんな珍妙な文章はさすがに消え去るだろう」と私も鷹揚に構えていた。

が、消え去るどころか、この手の文章はますます増えている。 山村貞子の呪いのビデオ並みの増殖力である。 さらに驚くべきは、この手の文章を書いているのが、業界1年生、2年生といった方々ではなく、むしろ、業界30年生、40年生とかいったベテランであること。 目まいがする。

上の文章に違和感を感じない方々は、次の文章を読んでも違和感を感じないのだろうか。

  • 「時間と空間の認識のあり方を考えるために、哲学を活用しなければならない」
  • 「薬物のPKプロファイルの判断には、薬物動態学が必要である」

・・・ね。 誰もこんな文章書かないでしょ? こんな感じで上の [1]、[2] は変なのです。

どちらも、一見して意味はありそうだけど、よく考えてみたら(いや、ちょっと考えただけで)「言ってることに、何ら実質的な意味がないじゃん」と気付く文章。 論理学でいう同義語反復(トートロジー tautology)に近い。 例えば、「新薬の安全性の判断を適切に行うこと」を「レギュラトリーサイエンス」と呼んでいる人々が、「新薬の安全性の判断を適切に行うには、レギュラトリーサイエンスが必要である」って言ってみても、何も情報は増えていない。

[1] や [2] のような文章を書く人は、当人としては真剣に何かを「主張」したいのだろうけど、そして、「れぎゅらとりーさいえんす」という流行の言葉がなんとなーく自分の主張にぴったりだと思っているんだろうけど、意味のあることは全く何も伝わりません。 残念。 伝わるのは「このヒト、なんか肩に力が入ってるなぁ」とか「この業界の人たちって自己主張が強いなぁ」とかいう印象だけ。 だって、言っていることが空っぽなんだもん。

こういうことを書くと、「お前の言ってることは単なる形式的批判だ。 じゃあレギュラトリーサイエンスって何だよ? お前にわかっているのか?」と噛みついてくる方々がいる。 お答えしましょう。

私は「れぎゅらとりーさいえんす」という言葉は使いません。 以上。

これが私の答えである。

我々の眼前に現に山積する医薬品の研究開発、承認審査、市販後安全監視の諸問題に取り組むためには、例えば、経済学(ミクロ・マクロはもちろんだが、特に厚生経済学・社会選択論といった領域)、オペレーションズリサーチをはじめとする現場のオペレーションと直結した意思決定諸科学、最近流行のリスク関連諸科学、行政学、法学、そして言うまでもなく倫理・道徳。 医学、薬学、統計学、疫学・・・といったこの業界の正統的学問の重要性は言うに及ばない。 これらすべてが、個別に必要なのである。 これらすべて、そして個々の学問・科学に敬意を払い、ちゃんと勉強しないといけないのである。 当然でしょ?

新薬評価の現状は、そら恐ろしい状況にある。 例えば「この新薬のベネフィットはリスクを上回ると考えられた」なんて大胆なことを書いている業界人が、経済学の Slutsky equation や消費者余剰の path dependency なんてことを全く知らなかったりするのである。 当然理解しているべき概念を知らずに、よくもそんな大それたことが書けるなぁ、と思う。 幼稚園児が核兵器発射ボタンを押して遊んでいるような状況に見える。 (意地悪なこと書いて、すみません。)

「れぎゅらとりーさいえんす」という言葉を免罪符のように振りかざせば、上に例示したような膨大かつ緻密な諸学問・科学を学ばずに、抜け道を通って、医薬品の諸問題にだけは取り組む資格が与えられる、などと勘違いしてませんか? かなり大胆な勘違いですよ、それは(笑)。 医薬品業界で働いているだけで、自動的に、医薬品の諸問題を意味のある形で語れるわけではないのと同じです。  

・・・・

僕たちが子供だった頃、毎年進学するたびに、新しい授業科目が登場し、何冊もの新しい教科書を目の前にしましたよね。 その都度「あいやーー! 世の中って次から次に勉強しないといけないことがあるんだなぁ」 「知らないことがまだこんなにあるのか、私・・・」って思いましたよね。 自分が落ちこぼれずに、ちゃんと授業に(同級生に)ついていけるか不安になったりして。 不安な一方で、「よっしゃー! やったろうやないか! 勉強するぞ!」という気持ちも(少しは)湧いてきませんでしたか? あの時の感覚を思い出しましょうよ。 

社会人・業界人になって何年も経つと、こうした感覚をすっかり忘れちゃう。 「自分の理解できること・知っていることの前提の範囲内で、新しい出来事や概念に解釈を与えてしまうこと」にすっかり慣れてしまっていませんか。 いわば「年の功」で済まそうとする(笑)。

生きていると辛いことが多いから、年の功という精神防御メカニズムを人間が持っているのは素晴らしいこと。 でもね、自分ではなく次世代を幸せにしたいのであれば、年の功だけにすがっていてはダメでしょう。 皆で現実の諸問題を見つめて、その複雑怪奇さ、困難さに大いに不安になりましょうや。 また、我々の知恵の無さ、無力さにも絶望しましょう。 いつでもそこから始めたい。

学ぶべきことはたくさんある。 一生かかっても学べることなぞほんのわずか。 でも学ぶんですよ。

・・・ なんていう文章を、私は、二十年後にも書いていると思います(生きていれば)。 それくらい病根は深い、です。 「れぎゅらとりーさいえんす」問題については、手を替え品を替えて、繰り返し語っていくつもりです。 最近世の中で起きている、医薬品以外のこととも関係する、すごく大切な問題だから。

さて、元気が湧いてくる金曜日の夜だ。

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