小野俊介 サル的日記

いや、その、サル的なヒトだから・・・

十把一絡げにしない

オーバーブッキングのユナイテッド機で、気絶したお客さんが死体のように警備員に通路を引きずられて、搭乗機から文字どおり引きずり降ろされた件。 あれで客商売とは恐れ入ったビジネスである。

「科学 (サイエンス)」 と称する問答無用の思考停止装置を使って、本質的にはあれと同じことを、より巧妙に、よりシステマティックに、そしてより倫理的に(笑) やっているのが医薬品のグローバルビジネスのような気がするのだが ・・・ いや、桜散りゆく東京の片隅でみた幻かもしれぬ。 失礼、忘れてください。

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4月は新しく来た学生向けのガイダンス教育の時期。 どんな学問を究めるにしても、医薬品の世界の世間的常識は身に着けてもらわないと話にならないので、いろいろな文献を読んでもらうことになる。 教室のセミナーもまずは医薬品の世界の総論のようなものが多くなる。

先週のセミナーで学生の一人が紹介してくれたのは 「医薬品のイノベーション」 に関する総説であった。 過去数十年のイノベーションを新有効成分数で測定するといった類の論文。 論文の内容そのものにケチをつけるわけではないのだが、この業界の 「イノベーション」 って言葉は羽毛のように軽いのぉ、といつも思う。 新薬の数だけイノベーションがあるのなら、年間少なくとも数十件のイノベーションがこの業界では生まれているのかね。 概念のインフレーションもここまでくればもはやジョークである。

医薬品の世界の言葉づかいの軽さ、情けないほどのいい加減さについてはさんざんこのブログでも書いてきたが、改善の気配はまったくない。 年々ひどくなっているよね。 たとえば新薬シーズ発見の 「目利き」 なんて言葉。 今でも時々耳にする。 そんなヒト、いるわけなかろうが。 もし本当にそんなおじさん・おばさんが研究所に存在していたら、その人は会社から毎月10億円くらいの給料をもらっているはずだし (いや、それでも足りないな)、会社は決してその人を手放さないはずである。 そんなおじさんが存在しないこと自体が 「目利き」 なんていう種族が存在しないことの証明なのよ。

ここまで着々と進化してきた現在の新薬研究開発システムって、なかなかの優れものだと思う。 そのシステムの中で様々な役割を受け持っているプロたちもすごい人たちである。 そうしたシステム・個々のプロの価値を評価しようとせず、また、そうしたプロに正しく敬意を (たとえば金銭で) 払わずに、 「目利き」 なんていういい加減な呼称で十把一絡げにしてしまうのがニポン流である。 

「れぎゅら○りーさいえんす」 という言葉に至っては、業界の皆さんがそんな訳の分からん呼称を黙認し続けるものだから、最近では、

「私は、れぎゅらとりーさいえんすというものを勉強したいのです。 大学の先生にも勧められました。 でもどこでそれを学べるのか、さっぱり分からないのです。 どこでどう勉強すればよいのでしょうか?」

・・・ などと質問にくる若い学生が現れ始めたのである。 うーむ、これは困ったぞ。 世も末である。 

あのね、若い学生さんたち、よくお聞き。 「れぎゅらとりーさい○んす」 なんて学問・科学はこの世に存在しないのよ。 「れ○ゅらとりーさいえんす」 は、医薬品の規制に関係する多くの学問・科学に十分な敬意を払うことなく、それらを謙虚に学ぶこともしない一部の医薬関係者が、自分たちのやっている仕事を手軽に正当化するために十把一絡げにした略称にすぎないのよ。 

「れぎ〇らとりーさいえんす」 って、あの戦争中にニポン人があらゆることのタテマエに使った 「富国強兵」 といったスローガンとも似ていますね。 「言うだけなら簡単なんだけどね ・・・ ふぅ」 ってな徒労感を覚えるけど、スローガンはスローガンとして大声で万歳三唱しておかないと特高警察が来るからな。

確かにそうした略称・スローガンは、自分が医薬品がらみのディープな利害関係者であることを宣言するのに便利な言葉である。 たとえばテレビ局のヒトが 「私は 『ギョーカイ』 関係者よ」 と言えば、一般人が 「ああ、そういう類の人ね」 と容易に理解できるようなもの。 でも、そんなうわすべりした略称・スローガンを独立した学問・科学の一領域であると真に受けているオトナは誰一人いないのよ、実は。(注 1) 仕事の付き合いがあるから、僕のようにはっきりとは口にしないだけ。

(注 1) いや、もしかしたら、今の業界には数十人はいるかもしれない(笑)

あるいは、もしかしたら学生さんたちって、「○ぎゅらとりーさいえんす」 なるものを勉強しておくと、厚労省・PMDAとか、製薬企業の開発なんかに就職しやすくなると思っているのかもしれない。 残念、完全な勘違いである。

ちょっとは想像力を働かせましょう。 厚労省、PMDA、FDA、製薬企業で働いている人たち、特に人事の決定権のある人たちの中に、「れぎゅらとりーさいえん○」 なる怪しげな学問を自身が修めた人たちがいると思う? 一人もいません。 今、組織の中でエラい人たちはみんな、オーソドクスな大学・大学院 (欧米の professional school を含む) で、オーソドクスな学問・科学を修めた人たちばかりなのよ。(注 2) その上で 「自分のやってきた学問・科学 (あるいは現場経験) が最強! 自分が一番賢い!」 となぜか根拠もなく信じこんでいる人たちなのよ。 そんな人たち相手に 「はい、私は大学でれぎゅらとりー○いえんすをやりましたぁ」 なんて答えても、まともな評価を (心の中で) してもらえるわけがないでしょ?

(注 2) あるいは伝統的な日本の会社だったら、学問・科学ではなく、現場で鍛えられ、現場の哲学を叩き込まれた人たち。

若い学生さんたちは、軽佻浮薄な流行語に踊らされないように。 一生を棒に振るよ。 皆さんは、きちんとした大学・大学院に行って、きちんとした学問・科学を教える先生の指導を受けて、医学、薬学、法学、行政学、経済学、経営学、論理学、倫理学社会学統計学、意思決定諸科学、情報科学、産業組織論 ・・・ などのオーソドクスな学問・科学をきちんと学ぶこと。

新薬開発ガイドラインやPMDA・FDAのルールなんかの小ネタを学生時代にフライングして聞きかじってみたところで、大切なことは何も学べません。 

あとね、大学の先生も学生に 「れぎゅらとりーさいえんすを勉強したほうがよい」 などとアドバイスしないでください。 自分が分かりもしないことを学生に勧めるのは無責任だよ。

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久しぶりに素晴らしい映画に出会う。 「I, Daniel Blake わたしは、ダニエル・ブレイク

世界の(おそらく)すべての国で、貧乏人はいくら一生懸命働こうとも、あるいは働こうとしても、貧乏から抜けられない。 イギリスも日本も同じである。 

中流サラリーマンのはずの私も、ニポンという国では安心とはほど遠い老後である。 文字どおり住むところも寝るところもなく路頭をさまようか、あるいは西日のあたる三畳間で孤独死・放置死する自分の老後の姿が常に頭の中でチラチラする国って、先進国と呼べるのだろうか、といつも思うのであるが、たとえば親の代からの家・財産を受け継いだ都会の上流階層の方々や、グローバル企業で高給を受けている方々からはこうした不安はまったく理解してもらえないだろうな。

わたしはもちろん、ダニエル・ブレイク。