小野俊介 サル的日記

いや、その、サル的なヒトだから・・・

ギリシアのヒト、負けるな

今日は、アレをテレビや web ニュースで散々見せられて、とても気分が暗いので、ややこしい記事を書く気になれないのである。 ギリシアで、銀行の ATM で列をなして並んでいる人たちの姿。 あまりに切実すぎて、現実感があり過ぎて、貧乏人としては他人事とは思えない。

何年後かに、私もあの列の一員になる日が来るような気がしてならないのである。 み○ほ銀行の ATM の前にできた数百人の列に並ぶサル的なヒト。 私の目の前で紙幣が出なくなって、警備員に追い返されたりしてな。 スーパー、コンビニには食い物がまったく無くなり (震災のときに経験したよね)、途方に暮れる都会の貧乏人の群れ。

雀の涙の普通預金以外に資産など一切持たぬ貧乏サラリーマンとしては、明日の飯が食えるかどうかが ATM で上限設定された 8,000 円をおろせるかどうかにかかっている、といった状況はとてもリアリティがある。 いや、ありすぎる。 胃が痛くて、吐き気がする。

「そもそもギリシア人って楽天的過ぎ。 自業自得さ」 という声もあろう。 政治としては確かにそうなのだろうな。 しかしギリシア人の中には、少数派でも、典型的日本人のごとき生き様を貫いていた人たちがいるに違いない。 「三丁目の夕日」 を彷彿とさせる家族もいることだろう。 しかし、そんな生き様の違いなんぞグローバル経済・資本主義の前では何の意味もないらしい。 はい、どちら様も 8,000 円を引き下ろす列にお並びください。 5時間待ちでございます。

ちなみに、心の中でギリシア人をバカにしているかもしれない方々に念のため言っておくが、ギリシア人の人口当たり学術論文発表数は日本人よりも高いのよ。 労働生産性ギリシア人の方が日本人よりも高いらしいよ。 彼らは決してバカじゃない (というか、たぶん我々よりも賢い)。 ほんの少し、生き方の流儀が違うだけ。

金儲けの片棒を担ぐ連中とは別のやり方で、僕らがギリシアの人たちを助けることができる術は何かないものか、と心が痛くなる。

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とあるフォーラムの案内がメールで届いた。 タイトルは 「老・病・死を考える」。

うーむ。

このフォーラムの主催者はいつも素晴らしい活動をしていて、私は常々シンパシーを覚えながら声援を送っている。 が、今回のこのタイトルについてはビミョーな感じが。

むろん意図的に、生・老・病・死の四苦のうちの 「生」 を除いているのね。 でもさ、詰まるところ四つの中で一番イヤで辛くて苦しいのは、どう考えても 「生」 である。 喜びの根源も、嫌なことの根源も 「生」。 どうしてそっちを議論しないんだろう。 「生」 が手に余るから 「老・病・死」 に現実逃避するなんて、笑うに笑えない。 

私が老・病・死が嫌なのは、痛そうで苦しそうで悲しくて寂しそうだから、であって (所詮その程度のサルである)、それらが 「正しくないもの」 「忌むべきもの」 と思っているからではない。 実際、不老・不死 (の技術) が実現した社会をちょっと思い浮かべてみなされ。 ほれ、天国というよりはむしろ地獄っぽいぞ。

「このボタンを押せば、何の痛みも苦しみも辛さもなく、あの世にいけます。 あなたの存在をすべて消し去ります」 というような超物理装置のようなものがあったとしたら、喜んで使用権をキープしたいと思うのだ。 というか、もう既に何回か使ったかもしれんな(笑) ヨイヨイのボケたじいさんになって、体中が痛くて辛くて、連れ合いも身内も同時代を生きた友人もみーんな死んで、話し相手もいなくなり、頭の悪いゲスの若造から陰で罵詈雑言を浴びせられるような、そんな状況になったら、喜んでボタンを押すだろうなぁ。

もちろんそんな都合の良い超物理装置は存在しないから (いや、世界中で頻発する自爆テロをよしとする人々にとっては、それよりもはるかに性能の良いスペシャル装置があるのか ・・)、このフォーラムには、その意味でテクニカルな意義は十分にあるのだろう。

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ナッシュが自動車事故で死んだ。 天才数学者。 ノーベル経済学賞受賞者。 超変人。 長い間、統合失調症に苦しみながらも、それと折り合いをつけた患者さん。 人間のクズの匂いが漂うほどの傲慢さ・尊大さの持ち主。 何をとっても興味深いおじさんであった。

かなり厚い (し、ちょっと値段も高い) のだが、この伝記は素晴らしく面白いのでお勧め。 生きているうちに伝記になっていること自体が、このヒトのすごさを物語っているわけである。 ちなみに、この本のタイトル "A beautiful mind" は、正確には "Beautiful minds except his" とすべきだよな、と読後に思ったのは私だけではなかろう。

ビューティフル・マインド: 天才数学者の絶望と奇跡 (新潮文庫)

ビューティフル・マインド: 天才数学者の絶望と奇跡 (新潮文庫)

映画版ではナッシュが相当に美化されていて、現実の彼とはどうも違うし、暗号解読で心を病んで ・・ といったストーリーも作り話だけど (注 1)、興味のあるヒトはぜひどうぞ。

(注 1) 実際の彼は軍研究所そばのビーチで同性愛行為の疑い (当時は取締の対象) をかけられて逮捕されたりしていた。

ナッシュと言えば、ゲーム理論の教科書を読めば1ページ目からその名前が出てくる天才である。 現在の社会科学のほとんどがその数理的基盤としてゲーム理論の何らかのモデルを採用しているといっても過言ではないわけで、そう考えると、そんな天才が生きていた時代の学問の変化を、門外漢ながら目の当たりにできたことはとても幸せなことだった。

そういえば 1990 年代後半の留学先のボストンには (それも同じキャンパスに)、もう一人の天才がいたことを思い出した。 John Rawls 先生。 彼の講義も聴きたかったなぁ。 今となっては叶わぬ夢だ。 あの世でぜひ話をして、著書 Theory of Justice に直接サインしてもらいたい。 そしたら死んでもいいぞ、自分。

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最初から最後まで破滅と死の匂いがするブログ記事というのも読者の皆さんの精神衛生上良くないだろうから、最後は田舎の友人から送ってもらった素晴らしい水田の景色で締めようか。 瑞穂の国、ニッポン。

デスクトップの背景にしてますよ。 故郷の田んぼの光景はとてもいい感じ。 K君、ありがとう。