小野俊介 サル的日記

いや、その、サル的なヒトだから・・・

漁師による煙炭グルメについて少々

生協の本屋で立ち読みをしていたら、生協のおねえさんが電話で取次に発注を出していたのである。 部数からして、たぶん教科書の注文。

「えーっとですね、書名が 『りょーし えん・・たん ・・・ ぐるめんと』 です ・・ はい、『りょーし えんたん ぐるめんと』。 それを50冊お願いします」

・・・ (ーoー?)ハテ?

漁師 煙炭 グルメ ? ・・・ 農学部水産学科の講義のテキストだろうか? ずいぶんとディープな講義だな、それ。 漁師さんが取って来た魚を燻製にするための技術なんてものも、東大で教えてるんだ。 へー、さすがに すごいなぁ、東大。 学問の間口が広いなぁ、東大 は。

・・・ とマジで思ったのである (以上 0.27 秒)。 が、しばらくしてから解釈の誤りに気付いた。

あ、それって、りょーし entanglement の方ね。 「量子もつれ」 ってやつ。 原理はまったく理解できないが、量子テレポーテーションとかの理屈で出てくるヤツだ。 そうか、物理学関係の講義のテキストなのね。 納得 (以上 1.22 秒)。

・・・ 

・・・ ふふふ。 でもさ、それが漁師 entanglement だったらちょっとすごい感じだよね。 「漁師もつれ」。 「痴情のもつれ」 なんかと比べると、すごく正々堂々とした豪快なもつれ方をするんだろうなぁ。 鍛えられた筋肉と汗。 一本釣りの船上で飛び跳ねるカツオ。 なびく大漁旗とどこかから聞こえてくる和太鼓の響き。 ふふふ。
すごいな、漁師もつれ! ちょっと憧れるぞ、漁師もつれ!
(以上 3.81 秒)

・・・ なんか疲れてるんかなぁ、自分。

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オ○ジーボの薬価が高すぎるとメディアで叩かれまくっている。 確かに年間薬剤費の 3,500万円は、たとえば我々が普段のスーパーの買い物に持っていく金額ではないという意味では 「高い」 のだろうが、より本質的な問題は 「高い」「低い」 じゃないよね。 ポイントは、お上が、新薬の 「価格のようなもの」 を、「ルールらしきもの」 に従って思うがままにつけると必然的にこういう状況が生じる、ということ。 論じるべきは、「高い」 「低い」 という帰結だけじゃなくて、その帰結を導く 「決め方」 を、我々が納得しているのか、ということ。 

フェアか。 効率的か。 弱者にやさしいか。 自由・権利は守られているか。 コミュニティの価値観と一致しているか。 などなど。

効率の観点から論じるとして、もしかしたら、ニポンの薬価を、経済学の教科書に書いてあるような意味での 「価値のシグナル」 と誤解している naive (幼稚) な人たちが未だに多いのかもしれぬ。 あのね、ニポンの薬価なんてものは、価値とは無関係な、単なる決め事なのよ。 たとえば原価計算って、生産費用に事後的にマージンのせただけの代物。

「類似薬効比較方式って、似たような薬、つまり似たような価値の薬に似たような価格をつけてるんだから、価値のシグナルでしょ?」 だって? いいえ、まったくちがいます。 そんなもの、松山選手や石川遼選手のフォームを形だけ真似てプレイしたら、彼と同じスコアが出ると勘違いしているオヤジのようなものである。 同じスコアどころか、その辺のおやじが無理して松山・石川選手と同じスウィングしたら、たぶん、ろっ骨を骨折するよな。 日本の薬価制度、かわいそうにあちこち骨折しまくり(笑)。 ゴルフでは 「オレも松山選手と同一のスウィングをしよう!」 なんて勘違いをするオヤジはいないのに、薬価の話になると 「完全市場の競争の帰結を形だけ真似すれば完全市場のご利益にありつける」 などと勘違いしたオヤジがあふれかえるのがニポンの医薬品業界のレベルである。

「高薬価品目がどんどん出てきて、皆保険制度が崩壊する!」 という煽り文句も、私にはちょっとビミョーに見える。 崩壊しないと思うぞ、たぶん。 よーく観察してみるとすぐに分かるのだが、お役所の方々にまったく危機感がないでしょ? 政府は勝手に 「価格らしきもの」 を下げられるんだもの。 「ちょっと財源がやばいぞ」 「メディアの批判が厳しいぞ」 と思ったら、「薬価らしきもの」 をどんどん下げるだけのこと。 薬価を下げたいときに、テキトーに後付けの正当化の理屈と制度をつくって、下げる。 過去数十年散々やってきて、見かけ上は成功してきたことと本質的には同じことを繰り返すだけのこと。 悪知恵すら不要である。

「そんなことすれば、ドラッグラグ問題が再燃する」 などと危惧する方々もいるが、心配ご無用。 再燃しません。 少なくとも過去数十年のような形では。 過去のドラッグラグ問題は、日本市場での開発の成功・失敗の、日本人患者の健康にとってはとても意味がある 「フェアな一発勝負」 を強いられていたことに由来する、企業行動のごく自然な帰結であったのよ。 「日本への申請を後回しにすると、日本の当局が (当然ながら) 優しく・甘く承認してくれる」 ことの表れである。(注 1)

(注 1) 興味のあるヒトは私たちの研究論文読んでね。
Hirai Y, et al. Analysis of the success rates of new drug development in Japan and the lag behind the US. Health Policy 2012; 104: 241-246.

今では状況はまったく違いますよね。 ICHだの、世界同時承認 (笑)だの、国際共同開発の推進だの、海外データのほぼ無条件受け容れなどと言いながら、日本での貴重な新薬開発一発勝負の場を、審査当局自らが放棄しちゃったんだもん。 開発 (承認取得) の成功・失敗に由来する、新薬開発データの限界価値と結びついた、自然で意味のあるドラッグラグの時代は終わったのだ。(注 2)

(注 2) でも、いわゆるドラッグラグがゼロになったわけではないので誤解しないように。 情報・生産資源の世界的な分布の非対称性、そしてそれを利用した裁定取引が存在し続ける以上、ドラッグラグがゼロになるわけがない。

「製薬企業が日本市場で新薬を売らない」 現象がこれから起きるとすれば、これまでのドラッグラグとはまったく別の現象だろう。 今度は、開発戦略の合理的な帰結じゃなくて、ニポン政府とグローバル企業の間の、ねじくれた、政治的な喧嘩の帰結 (笑)である。 ほれ、最近時々英国などで起きてるでしょ? ニポンでは、あれよりもずっと感情的な議論になるだろうなぁ。

でね、ねじくれた政治的な喧嘩を政府と企業がしたとして、どっちが勝つかというと、やはり 「個々の品目に関する局地戦 (例: 個々の品目の承認の可否、個々の品目の薬価設定」) では政府の圧勝なのよ。 10兆円のマーケットを背景に、「○社さんさぁ、なんだったら、江戸の敵を長崎で討つこともできるんだからね、政府は (翻訳: 今ここでお上に従わないと、別の機会に意地悪するよ。 別の品目の審査とか、薬価とか、工場の査察とか ・・)」 という信憑性のある脅しが可能なのだから、企業が局地戦で勝てるわけないじゃん。

だから私は、「オプ○ーボの価格が高い・低い」 「日本の薬価が高い・低い」 「製薬企業は儲け過ぎている」 とかいった、一見分かりやすいけど本当は難し過ぎて、誰も本質・因果関係を追求しきれない議論ではなく、「日本では (広義の) 政府側が好き勝手にルールを運用したり、変えていったりするんだが、それってみんな納得してるの?」 という一見曖昧だけど実はとても本質的・根源的な問いかけから議論を始めるべきではないか、といつも思うのである。 いかがだろうか。

・・・ と問いかけても誰も賛同しないのは知ってるけどね。

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実はサル的なヒト、相変わらず無茶苦茶な状況にある。 仕事上の借金 (締切をとうに過ぎた仕事ね) で首が回らない。 町工場の社長ならとっくに夜逃げしているレベルである。 周囲には、助けの手を差し伸べてくれるヒトどころか、死にそうになっている私に気付いてくれるヒトすらいない。

ムッキー! と大声で突然叫びつつ、目の前の仕事なんぞすべて放り捨ててトム・クルーズ様の映画を見に行く。

かつて自ら所属した組織に何度も裏切られ続けるジャック・リーチャー。 あんた、人が良すぎるにもほどがあるぞ。 でもカッコいいから良しとする。 点数をつけるとすれば、この映画は5億点だ。