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人知れず咲いた 赤い朝顔ひとつ
日照り続きの 軒影に 忍ぶ恋しさよ
あぁ 好きな人は 今どこに
帰らないのか 帰るのか
あぁ わたしだって 女です
あなたばかりを 待てません ・・・
・・・ といった艶っぽい風情を鼻歌で歌いながら、無料奉仕のブログを書いているサル的なヒト。 こんなにもクソ暑いのに、よくもまぁ頑張るもんだ。 皆さんお元気? お中元・残暑お見舞いを届けたい方は遠慮なく研究室あてにどうぞ(笑)。
色恋沙汰とは無縁の本ブログだが、むろん私は色恋沙汰をバカにしてるわけではない。 むしろ大好きだ。 この歌詞くらいの艶っぽさがない人生なんぞ、そもそも生きている意味がなかろう。 読者の皆さんも枯れてる場合じゃない。 つまらん仕事なんか放りだして、ほれ、愛しいあのヒトのことをしばし思い浮かべるがよい。 若き日の恋心を思い出して、「あのヒトはあれからどんな人生を歩んでいるのだろうねぇ ・・・ 」 などと呟きながら遠い目をしてみよう。 これって人生経験ってやつがないとできない芸当ですからね。 ガキには真似できまいて。
それにしても、昔の歌はフレーズの響きの一つ一つが素晴らしくて気持ちが良い。 歌詞を引用しているだけでうっとりしてしまうよ。
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あぁ わたしだって 女です
あなたばかりを 待てません
陽は高く 今日もまた 暑くなりそうだけど
思い出は流したいの
ひと雨くれば あぁ ・・・
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研修、人材育成といったものについて語る9月のシンポジウムの抄録の締切が先週だったので、あわててこんなものを書く。 アハハ、あわててると、正直に思っていることを書いちゃうものである。
何もかもが分からない中での人材育成は相当に難しい
小野俊介
東京大学大学院薬学系研究科教育機関にいながら、これまで一度も、受講者そして私が満足のいく薬の規制・評価の教育・訓練を提供した記憶がない。 その理由を考えてみる。
第一に、薬の規制・評価について私自身が「これは素晴らしい」と思える系統的な教育を受けたことがない。 すべては自学自習。 望ましい教育の姿を自身が知らないのだから、あるべき教育の姿を語れるはずがない。 情けない限りである。
第二に、私は人生において一度も「薬の評価を追求しよう」と決意した記憶がないのに、なぜか薬の評価の仕事をしている。 時には不遜にも医薬品評価の専門家のごとき顔をしたりして。 不思議である。 人事異動でたまたま薬の承認審査部門に配属されたからこんなことになったわけだが、もしたまたまロケットの開発部門に配属されていたら薬の評価とは無縁だったろう。 ところで、皆さんがこの会場にいるのはたまたま?
第三に、壇上・会場のそうそうたる諸先生方を見渡したときに、「れぎゅらとりーさいえんすの教育・訓練を受けたからこそ、私は今の指導的ポジションにいられるのですよ」 というセンセーが誰一人いないように見えるのである (勘違いだったらごめんなさい)。 先生方はそれぞれの専門領域でご活躍され、素晴らしい実績をお持ちである。 そのような先生方にとって、いわゆる 『れぎゅらとりーさいえんす』 なるものは、メシのタネとして役に立つ単なる余技・趣味にすぎないのではないのか、という疑念に苦しめられている。 出世の役に立たないことを本気で学んでくれる社会人・学生が、この世知辛い世の中、いますかね?
第四に、これが結構悩ましいのだが、薬の規制・評価とはそもそも何なのかが分からず、何を教えてよいのかがさっぱり分からない。 薬の規制、ビジネスの意思決定って、ほとんどが単なる思いつき。 「思いつきだろうとなんだろうと世の中がちゃんと回っているのだからそれで良いではないか」 とする考え方もあるが、先カンブリア時代だって世の中は回っていたことを思えば、多少は建設的でありたい。
薬がらみの言葉の大半は意味不明である。 「risk-based ほにゃらら」、「品質を作りこむ」など、その語を使う人の理解が試される言葉が多いのがこの業界だが、問題はそこではない。 たとえば薬効評価のご本尊、「薬が効く」 という文の意味が分からない(このままでは文の真偽が問えないでしょ?)。 「薬が効く」 の意味が分からないのだから、RCT で示された有効性の意味も本当は誰も分からないはず。 RCT で検証してるのは 「薬がきく」 ではなく、「薬がけく」 かもしれない。 「薬が安全」 も同様に意味不明文だから、薬害被害者・企業・当局・裁判官の間で言葉が通じないのも無理はない。
こうした点を諸先生方がいかに乗り越えているのか。私も本シンポでしっかり学んで帰りたい。
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三連休は寝転がって、汗をかきながら本を読む。 フムフム、多人数の囚人のジレンマでは ・・・ などと難しいことを考えているうちにたいていは意識が遠くなって、お昼寝に突入してしまうのだが、睡魔に敗れて悔いなしである。
- 作者: 九島伸一
- 出版社/メーカー: 出版文化社
- 発売日: 2017/06/05
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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九島さんのこの本、面白い。 著者の九島さんのスタンスが好きである。
「著者略歴」 にあたるものが一切無いのが素晴らしい。 ほれ、だいたいすべての学術書・教養書と称するものには、「著者 デューク東郷。 19XX 年 ○月 ○日生まれ。 ○○大学××学部卒、△△大学大学院修了。 現在○○大学教授」 などといかにもエラソーな著者略歴がついているじゃありませんか。 「無知蒙昧な世間の読者を、立派な肩書を持つ高尚なセンセーが導いてあげます。 だから買えよ」 ってやつ。 それがこの本には一切ない (だから買ったのだ)。
出版社による 「校正無し」 というのも素晴らしい。 同じ言葉には同じ表現を一律に当てはめるという出版社の方々による校正は、文の色気を確実に損ねるのよね。 私なんぞはつまらないGCPの解説書を書く時だって(笑) 「など」 と 「等」を、法律の条文どおりに使うのではなく、文章の流れ、音読したときの音の響きで使い分けているのだが、編集の人たちってそうした美的ニュアンスをきれいに塗りつぶしてくださる。(注 1)
(注 1) ただし、色気がある薬機法の解説書というのもビミョーなので、出版社の人たちは遠慮なく校正してかまわないと思います。
書き間違い、語尾の不統一を含めて、その人の文章である。 「サル的日記を、より正しい文章に校正してあげましょう」 などとぬかす輩がいるかもしれんがな、やれるもんならやってみやがれ。