小野俊介 サル的日記

いや、その、サル的なヒトだから・・・

作者自身がしみじみと泣きながら出題しない

国語(30分)

 

 次の小説の一節を読み、問題に答えなさい。

 

 小学校六年生の晩秋。 田んぼの稲刈りがもう終わっていた頃のことである。 僕と同じ班の草野隆志君が学校に来なくなった。 理由は班長の僕にも分からない。 一週間ほど不登校が続いたある日の午後。 算数の授業でテストがあったのだが、計算が得意な僕は誰よりも早く問題を解き終わった。 それを見ていた担任の千葉先生が、僕をそっと手招きした。 もう一人、試験が早く終わった木村君も教卓に呼び寄せると、「草野の家を見に行ってくれないか」と言った。

 授業中に学校を抜けられるなんてとても嬉しい話なので、僕らはむろん喜んで引き受けた。 草野君の家がどこにあるのかを僕は知らないが、近所に住む木村君は知っていた。 学校の裏手の門を出て、田んぼを突っ切った先にある林の中らしい。 歩いて十五分程度のところだという。

 稲刈りの終わった田んぼを横切って、秋の陽射しを受けながら、僕と木村君は草野君の家に向かった。 田んぼを抜けた後、暗く細い路地をしばらく歩き、うっそうと茂る杉の木立の間を少し入ったところに草野君の家はあった。 家のまわりには、何かの建築に使うような材木とブロックが積んである。

 僕と木村君は交互に何回か「ごめんください」と玄関で声をかけた。 が、誰も出てこない。 人の声もしなかった。 意を決して「おじゃまします」と玄関の引き戸を開けると、玄関の土間口のすぐ目の前が薄暗い居間だった。こたつがある。

 室内の暗さに一瞬戸惑ったが、次第に目が慣れると、向かって右側にお父さんらしき人がいることが分かった。 こたつに入り寝転がったまま、片肘をついて頭を支えた姿勢で、急な闖入者の僕らを見ていた。 草野君はその反対側で寝ていた。 胸までこたつ布団の中に入って、あおむけである。 目は開いていたが、僕らの方には顔を向けない。むろん身を起こそうともしない。 ただ黙って上を向いたまま、草野君は寝ていた。 体を動かしていないから、息をするたびに胸のあたりのこたつ布団が揺れるのが分かった。

 こたつの脇に白いネコが一匹、静かに丸まっていた。 お父さんは寝転がったままの姿勢でネコをなでている。 こたつの上には空っぽのお茶碗が二つ。 茶色のお箸が二組。 夕刻が近くなり、晩秋の陽が弱弱しく南向きの玄関に立つ僕らの後ろから射している。 居間は灯りがついておらず、目が慣れた後も薄暗かった。

 玄関の土間に僕らは突っ立ったまま、「先生に『草野君の様子を見て来い』と言われて来ました」と相変わらず横になったままのお父さんに言った。 お父さんは顔だけこちらに向けて面倒くさそうに 「ああ、そう」と言った。 「あの、草野君は体の具合が悪いのでしょうか」 と身動きしない草野君の方を見ながら尋ねたら、お父さんは片手でネコの頭を撫でながら 「うん、もう大丈夫。大丈夫だよな、隆司。明日から行けるよな」と草野君の方を向いて言った。

 草野君は仰向けのままピクリとも動かなかった。 横からうかがえる表情は固まったままで、何も読み取れない。 ぼんやりと開いた目は、天井の一点をじっと見つめていた。彼のそうした姿は僕らにとっていつものことだから、驚きもしなかった。 ましてやここは学校ではなく、彼の領分である。 いったい何ができるというのだ。

 しばらくの沈黙の後、このままここに立っているのが辛くなった僕は、「じゃあ学校で待ってます。 さようなら」 と居間の二人のどちらに言うでもなく声をかけ、玄関を出た。 木村君があわてて後を追ってきた。

 再び田んぼのあぜ道を横切りながら学校に戻る途中、僕と木村君は、いつもよりも大きな声で、当時デビューしたばかりの新沼謙治のことを話した。 大人に頼まれた仕事を形だけは終えた満足感と、でも結局のところ自分たちは誰も幸せにはしていないことへの虚無感。 それらがない交ぜになった複雑な気持ちを抱えた僕らが屈託なく話せることといえば、故郷出身の歌手の話くらいしかなかったのだ。

 学校に着いて、担任の千葉先生には 「草野君は、お父さんとこたつで寝ていました」 と報告した。 見てきたとおりの過不足のない報告である。 何も間違ってはいない。 当時の僕は、本当に伝えたいことを伝えるだけの言葉や語彙を持っていなかったのだから仕方がない。 いや、仮にそうした言葉を持っていたとしても、思っていることをそのまま先生に伝えるのが善いことだとは当時の僕は考えなかったのである。 だからいずれにせよ、結局は形どおりの報告になったにちがいない。 伝えられなかった思いの澱は、そんなふうに少年の僕らの心に積もっていった。

 数日後、草野君はまた学校に来るようになった。 彼にとって、僕らの訪問がなんらかの意味があったのかは分からない。 単純に何かのきっかけになったのであればそれで十分だろう。 ところで僕がなぜ、このときのことを五十年近くも覚えているのかは実はよく分からない。 こたつの上に置かれた二組のお茶碗と箸の記憶がなぜこれほどまでに鮮明なのかも、本当のところ、よく分からないのである。

 

(「サル的日記 少年篇」(民明書房) より部分引用)

 

問1.

少年時代の作者 (サル的なヒト) はなぜ 「形どおりの報告」 を先生にしたのだろうか。 その理由を50字以内で答えよ。

 

問2.

草野君の家を出て学校に戻る途中の作者の気持ちを50字以内で説明せよ。

 

問3.

本文に示された思いを抱きながら成長した作者は、どのような大人になったと予想されるか。 30字以内で答えよ。

 

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皆さん、元気? お久しぶりでごめんね。

本ブログ初の試み。 たまにはこんなのもいいでしょ? 日々仕事のことしか口にしない哀れな医薬品業界人が、人間の心を少しでも取り戻しますように ・・・