小野俊介 サル的日記

いや、その、サル的なヒトだから・・・

卒業式の日の光景

今日は大学院の修了式、明日は学部生の卒業式。 今年は桜は間に合わなかったなぁ。 コスプレしたおにいちゃん、おねえちゃんがニコニコしながら構内を歩いておる。

学食も混み混みだが、今日はそういう日だからそれも楽しい。 興奮したコスプレおねえさんが大声で友達と会話をしてて生協職員に注意されてる。 しかしまぁ今日は特別な日だから仕方あるまい。 でも昨年も卒業式の日にみんなが盛り上がりすぎて盛大に感染者が出てたことは忘れないように(笑)。

 

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昼食後、生協の本屋さんに立ち寄ったら、本屋も珍しく混み混みでちょっと賑やか。 「いつもこのくらいは賑わってくれないと、コロナ下のガラガラ状況では経営が苦しかろう」 などと思いつつ店内の新刊を物色してたら、ふだんはあまり聞こえてこない東北弁が耳に入って来た。

「おい、この店はいつも見ねぇような本がたくさんあるんだなぁ」 と大きな声のズーズー弁のお父さん。 僕とほぼ同世代、五十代後半くらいかな。 大きな手荷物をひもで縛ってキャリーカートに乗せて転がしながら歩いてる。 読み終わった新聞を折りたたんでひもに挟んであるのがおっさんぽくて味がある。 クリーム色のコートをきた同年代のお母さんも一緒。横に立ってるスーツ姿の息子さんの卒業式に来たのね。 スーツを着慣れてない感じが微笑ましい。

「ほれ、あっちにおめーの読むような本があるんでないか。見て来い」 と大声のお父さん。 息子さん、黙ってそっちのコンピューター本のコーナーへ向かう。 恥ずかしいのか一言も発しないけど、嫌がる様子もない。 そうか、いい子に育ったんだな、君は。 ありがとう ・・・ 赤の他人の君に僕がなぜ礼を言ってるのかよくわからないが、それでいいのである。

息子が本を選んでいる間、お父ちゃんとお母ちゃんは、「あれまぁ、こんな本がある、あんな本がある」 と楽しそうに話をしてる。 丸聞こえの会話にこっちまで楽しくなる。

コンピューター本を何冊か手に取ってきた息子さんに、「たけー(高い)本は買ってやっからな」 と言いながら一緒にレジに向かうお父さん。 レジで生協の組合員証があるかないかでひと悶着あったが、無事支払いを終え、にぎやかな一家は生協書籍部を去って行った。 さわやかで気まぐれな一陣の春風のように。

そして残されたのは、一部始終を見届けたサル的な教員であった。 なぜだか涙が止まらなくなってしまい、誰からも見えない本棚の陰でしばらくの間シクシク泣いていたのである。 マスクをしていて本当によかった。

 

卒業おめでとう。

 

卒業生の皆さん、そしてご家族に心からこの言葉を送ります。

この頃思うんだけどね、人生の節目を家族や友人と迎えること自体が生きることの目的かもよ。 それで充分なのかもよ。

 

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「薬が効く」 の意味論の講義用スライド一式がやっと完成。

「薬が効く(つまり薬の有効性)」 をどういう命題と扱うべきなのか、という難問に直面して何年もグズグズしていたのである。 「何が哲学的課題としての命題たりうるのか」 って、それ自体が、純度100%のヘロイン並みに強烈な哲学のトピックなので、プロの哲学のセンセー方が日々悪戦苦闘しておられるのだ。 何十冊テキストを読んでも私ごときでは頭が整理できないのである。 が、そこで立ち止まっていては残り少ない人生に悔いが残るだろう。

そこでほれ、いつものように開き直ることにした。 私に求められているのは哲学の概念を哲学者のように正確に扱うことではあるまい。 意味不明かつ哲学不在の薬機法や、自分たちがやってることの意味を本当は誰も理解していない薬効評価・臨床試験のいい加減さを少しでも減らすことが、私の使命だと思えばいいのよ。

今の承認審査や薬効評価って、困ったことに、根っこの哲学が 「無法地帯」 に近い。 それを 「ちょっと大雑把で不整合」 あるいは 「ちょっとテキトー」 くらいのレベルまで改善する道筋を示せれば、それだけで歴史に名を遺すくらいの偉業であろう。 

というわけで、学生の皆さんは私の新年度の講義で 「薬が効く」の存在論を論理学(意味論)的なアプローチからたっぷり学べますのでお楽しみに。 なんか、講義を聴く学生の嬉しそうな顔を思い浮かべることができないのだけど、それはそれで構わないのである。

 

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夕暮れの本郷キャンパス。 三々五々、構内を去っていくコスプレ卒業生を二階のオフィスの窓から眺めながら、今年もまた呟く。

「走り出せ 走り出せ ・・」

 


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