小野俊介 サル的日記

いや、その、サル的なヒトだから・・・

ドラッグラグとWの悲劇 (笑)

さて、一仕事終わったので、ブログ書きますよ。 今日は予告のとおり、いわゆるドラッグラグの話と、それをテーマに博士論文書いて無事卒業したWさんの研究を紹介する。 サル的な人たちの研究についてちょっと宣伝させてください。

Wさんが取り組んだのは、日本のドラッグラグ(日本での新薬登場の遅れ)がなぜ発生するか、という問題。 ご存知無い方のために少し説明すると、ドラッグラグというのは 「新薬が欧米諸国で先に販売開始されて、その後、a. 日本で販売開始が遅れる、あるいは、b. 日本では永遠に販売されない」 状態である。

b. の状態の薬がたくさんあるから(逆に、日本でだけ販売されている薬もあるから)、「日本のドラッグラグは○○年である」なんてことを軽々しく言うのは、まともな統計学的教養を欠いた人である。 灘と開成と桜蔭と女子学院の学生の数学の平均点を「これが日本の高校生の数学の平均点です」って言ってるようなアホらしさである。 半端じゃないアホらしさである。 新薬の承認審査でこんな主張をしたら、統計担当の審査官に文字どおり瞬殺されるレベルです。

また、ドラッグラグは製薬企業の新薬活動の状況が反映された中間的なパラメタ(変数)でもある。 例えるなら、ドラッグラグは人間の体温のようなもの。 インフルエンザで高熱の患者の体温を下げれば良いとばかりに、氷水に漬けて、それで治療完了、ってことはないよね。 体温が「高すぎる」と困るのは確かだが、むやみに下げりゃいいってもんじゃない(高熱の効用を考えてください)。 問題の本質はむろん体温じゃない。 インフルエンザウィルス感染だ。

ドラッグラグも体温と同じ。 それを短縮したり、解消したりすること自体が本質的目的にはならないのです。

ドラッグラグを2.5年短縮するのが目標」などと言って平気な顔をしている、頭のネジが何本か飛んだ日本人が実に多い。 正確に言うと、研究室の外ではそういう日本人にしか会ったことがない。 ワシはちょっと疲れているから、頭のどの辺のネジが飛んでいるのかは自分で考えてください。

さて、ドラッグラグがなぜ生じるか。 もっとも簡単な説明は ドラッグラグを生じさせないと、製薬企業が倒産するから」 である。 製薬企業は毎期きちんとした利益をあげて、それを新薬の研究開発に投資し、100個の新薬候補のうちからほんの 2、3個だけ開発に成功し(博打のようなものです)、開発成功した新薬を発売して、また利益をあげて、・・・ で回っている。 この構図は、次の式で表せます。 もちろん、企業は利益を最大にしたいわけね。

max.(企業の利益)= (成功確率)× [(売上)−(費用)]

(注)実際に仮定した式はもう少しややこしい。 加えて制約条件の式も付きます。

で、Wさんは 「この前提(期待利益最大化)を満たすように企業が行動しているならば、新薬の開発成功確率とドラッグラグには「正の相関」があるはずだ」 と予想した。 「だって、ドラッグラグは売上を減らすのだから、それを埋め合わせるには、成功確率が上がっていないといけないはず ・・・」 と(注)。 

(注) 実際はちゃんと最適化条件を解いて、ややこしい計算をして、この予想を導きます。

Wさんのこの予想は果たして正しいのか? ここからが実証研究です。 開発中の新薬のデータを苦労して一生懸命集めました。 どこかの誰かのように、行政的権限と科学の営みの境界、そして、組織の業務と個人の業績(自分のキャリアにとっての私的利益)の境界を曖昧にしたまま、「おまえら企業が持っている新薬のデータを全部俺たちによこせ。 俺たちの研究成果にしてやるんだから、ありがたく思え」 というデータの集め方をすることは、我々にはできません。 無力な一市民ですから。 Wさんは、コツコツ、コツコツ、何カ月もかけてデータを集めました。

やっと集まったデータで、ややこしい分析(Cox回帰)をして、たどり着いた結果が次のグラフ。


(グラフの横軸は、右に行くほど日本の開発が遅れていることを意味し、縦軸は日本での第Ⅱ相の成功確率を意味します。)

おおっ、どうですか。 なんとキレイな右上がりの正の関係! ラグが長いほど(日本での開発が欧米に比べて遅れているほど)、開発の成功確率が高くなっていますわ! 予想どおりですわ! (注)

(注) こう叫んでいるのはWさんね。 私がおネエ言葉で叫んでいるのではありませんので念のため。

という感動的なフィナーレを迎えたのでした。 めでたし、めでたし。

この研究の結果が意味するところは何か? それは、

ドラッグラグは、まともな製薬企業が利益を最大化しようとする結果、必然的に生じるらしい。 第三者がテキトーな気分でドラッグラグを無理矢理に解消しようとすると、会社が潰れるかもしれない。 会社が潰れたら、結構大変だよね。 新薬も出なくなるし、失業者も出るし、・・・

というもの。 当然と言えば当然でしょ? 企業で働いている人たちは、実は皆知ってるよね、そんなことくらい。 「ドラッグラグを2.5年短縮する」とかいう掛け声が、いかに simple minded な、思考停止した代物であるかも、ここまでくれば分かってもらえるだろうか? ・・・ まだ理解できませんか。 そうですか。 ぢゃあ、君には居残りでもう三時間ほど補講を受けてもらおうか。

公表論文はこちら。 分かり易く書いた論文なので難しくありません。 業界の若手はぜひご一読を。 もし内容がわからなければ、個人的にでもやさしく解説しますので、いつでも気軽にコンタクトしてください。

  • Hirai Y, Yamanaka Y, Kusama M, Ishibashi T, Sugiyama Y, Ono S. Analysis of the success rates of new drug development in Japan and the lag behind the US. Health Policy 2012; 104: 241-246.
  • Hirai Y, Kinoshita H, Kusama M, Yasuda K, Sugiyama Y, Ono S. Delay in new drug applications in Japan and industrial R&D strategies. Clinical Pharmacology and Therapeutics 2010; 87(2): 212-218.

ややこしい記事を、ここまで辛抱して読んでくれた読者の皆さん、ありがとね。

Wさん、卒業おめでとう!
今日のブログではうまくいった話ばかり書いたけど、現実には記事のタイトル「Wの悲劇」どおりの苦境も経験しましたよね。 「こんなトピックが研究のテーマになるはずがない」 とケチをつけられたところから本研究は始まったんだよね、実は。 まぁ、恨み辛みは10年後くらいに記事にしましょうかね。

本当は記事のどこかに 「わたし、おじいさんを殺してしまった!」 (by 薬師丸ひろ子。 武井咲ではないのが昭和的) という台詞を入れてやろうと企んでいたのに、ドラッグラグの解説ではさすがに無理だった。 無念です(笑)