小野俊介 サル的日記

いや、その、サル的なヒトだから・・・

アルツハイマー病の薬は「きく」のか、それとも「けく」のか?

暑いから書くことがないぞ ・・・ と開き直って、この一行で終わろうかと思ったのだが、実は東京はここ数日涼しいのである。 週末にかけて台風が来るそうで、開き直りの言い訳がビミョーになっている今日この頃。 皆さんお元気ですか。

テレビのワイドショーを見てたら、この酷暑にもかかわらず部活動はほぼきっちりやっている学校がほとんどなんだってね。 熱射病でダウンする学生に大騒ぎしつつも、青春の部活動は神聖にして侵すべからず。 誰も止めないらしい。

指導者であるオトナ (教員) の言い訳が情けない。 「誰かが止めてくれないと、私たち教員は部活は止められないのです。 校長でも教育委員会でも、誰でもいいから停止命令を出してください」 「保護者の皆さん、どうか学校にクレームを入れてください。 お願いします!」 だってさ。

なんかもうコメントするのも気が滅入るようなニポンのオトナたちの無責任さである。 先の戦争のときから何にも変わらぬ。 まぁよかろう。 どうぞこのまま地獄の底まで突き進んでください。 大変な事が起きて裁判になったらあんたらみんな負けるよ。

そういえばオリンピックについても同じようなことを言うニポン人がたくさんいますね。 「開催時期 (7−8月) は大スポンサーであるアメリカ様のテレビ局様が決めるから、勝手には変えられないのだ」。 はいはい。 オリンピック期間中の学徒動員の号令もお上からめでたく出たことだし、皆さんがんばって国家一丸となって何か神聖なものに突き進んでください。 進め一億火の玉だ! 良識や責任感なんぞ燃やし尽くしてしまえばよかろう。

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アルツハイマー病の新薬の開発状況を調べていたら、最近一応それらしい (「効いた」 ような) 結果が出た試験もあるらしい。 悪役タンパクを捕まえる抗体の新薬、これまでは 「総崩れ・死屍累々」 とメディアに揶揄されてきたが、実は細かく結果を見たら 「ちょっとは 『効いて』 そうなのだが ・・」 的なものもあったのよ。 たぶんそのうち、どっかの会社が一応は効いたという結果を出して、申請して、結果が出た以上蹴飛ばすわけにはいかないので承認、というコースをたどるに3万円くらいは賭けてもいいぞ。 何十・何百もプロジェクトが走っていたら、たまたま・偶然効いたように見えてしまう薬も出てくるに決まってるし。

しかしそれは本ブログ的には結構どうでもよいことだったりする。 私が気にしてるのは、例によって 「薬が効く」 という表現がいい加減だよな、という点。

そもそもこの手のアルツハイマー病の薬 (抗体) って仮に「効いても」 「効かない」 よね。 状態が悪くならないようにする薬だから、投与された人たちや観察者が 「効いた」 と思うことはほとんどないはずなのよ。 臨床試験 (RCT) で、現実には存在しない平均人を見比べて事後的に 「効いたよね」 と言えるけど、現実に存在する私やあなたには 「効いた」 かどうかなんてまったく分からないのである。 すでにこの時点で何種類もの異なる 「効く」 が登場していることにお気づきか?

こうした混乱はフツーの薬の薬効評価でも同じに起きているが、アルツハイマー病の薬の悲劇は、可能世界に 「効く (=良くなる・治る)」 を想定できない状況で 「効く」 を議論しなければならないところ。 「『良くなる・治る』 と同じ座標軸上で 『悪くならない』 を考えればよいだけのことでは?」 と割り切ってしまうのが薬効評価の専門家なのだろうが、その「同じ座標軸の上にある」 という仮定が私には疑わしく見える。(注 1) 少なくとも、世間の人々が今使っている 「効く」 にそんな洗練された (机上の空論のような) 仮定は埋め込まれてないと思うよ。

(注 1) たとえば意味論的には全称量化子 (すべての・・) や存在量化子(ある・・) の否定がややこしい関係になる、など。

臨床試験の 「効く」 の意味を使って、「この薬の臨床上の 『効く』 の価値は・・」 「検出された差に臨床上の意味があるか?」 といった別の意味での 「効く」 をPMDAや企業が論じた気になっているのも相変わらず情けない。 真剣に議論している専門家には申し訳ないが、それ、人情や雰囲気が通じてるだけで、意味は通じてませんから (笑)。 で、この視点においても、アルツハイマー病の薬はビミョーで難しい。

薬の専門家と称する連中はみんな 「効く」 というけど、実は誰にも 「効かない」 アルツハイマー病薬。 そんな薬を 「やれ、ありがたや、ありがたや!」 と社会が大歓迎するのかどうかは私には分からない。 「藁 (わら) にもすがる」 という患者・ご家族の心情は100%理解できる。 が、フランスで起きたこと (現在承認されているアルツハイマー病薬の保険診療でのカバーをやめた。 理由を簡単にいうと 「あまり 『効かない』 のに副作用が出るから」) を観察していると、やはり、薬が 「効く」 「安全である」 を定義せずに、知らん顔して自分 (業界人) に都合のよい意味でだけ使ってきたツケがまわってきているのよ。 自業自得。

ポイントはね、

今、皆さんが使っている 「薬が きく」 は、本当は、「薬が かく」 だったり、「薬が けく」 だったり、「薬が こく」 だったりしてるってこと。 審査報告書でも、添付文書でも、患者への説明でも、これらをちゃんと使い分けないと意味が通じないのに、ごっちゃにして放置してるってこと。 薬のプロ、情けねぇー。

ということである。

そうした意味論的な概念の区別をきちんと織り込んだ学問体系が、AI (笑) を薬の評価や安全対策にホントに活用するのならすぐにでも必要になるはずなのだが、いわゆるれぎゅらとりーさいえんすとやらをやっている人たちがだーれもまともに議論をしてないところを見ると、そもそもその 「AIの活用」 とやらのレベルが分かって、がっかりしたりもするのだ。

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見逃していたクリント・イーストウッドの 「15時17分、パリ行き」。 やはり素晴らしい。 7億点。

実話の映画化。 普通のおにいちゃんたちがヒーローになったプロセスを淡々と描いていく。 過剰な演出は何一つなく、本当に淡々と。 それが素晴らしい。

テロリストに立ち向かった若者の姿は、「誰かが止めてくれないと、私から部活を止めることはできないのです」 と呟くニポンのオトナたちのそれとは対極にある。 テレビ局やメディアのアメリカの姿とは違う、そのへんのにぃちゃん・ねぇちゃんのアメリカ人の姿。 この映画、おすすめです。