小野俊介 サル的日記

いや、その、サル的なヒトだから・・・

昼寝してるんだか、絶望してるんだか

唐突で申し訳ないが、今どこよりもいい仕事をしてるテレビ局は、岩合さんの 「世界ネコ歩き」 を何度も何度も再放送してくれるNHKである。 これね → 

www4.nhk.or.jp

在宅勤務だと、昼飯を食う時に見るテレビに困るのである。 訳の分からんタレントが額に青筋立てて 「国民全員がもっと危機感を持つべきですっ! 公園でヘラヘラ話をしてる場合じゃないんですっ!」 とか喚(わめ)いているワイドショーなんぞを見ていると確実にメシがまずくなる。 ほれ、そこで役に立つのが、録りためている岩合さんのニャンコものですよ。 NHKには受信料払ってるからな、自分。

世界中の素晴らしい景色、住まい、生活、心優しい人々を背景に、どーんと主役をはるニャンコたち。 見ていると心が洗われる。

この番組に起承転結はない。 ニャンコが 「ニャーン」 と鳴いたり、寝たり、しっぽをクネクネさせたり、木に登ったり、ネコパンチをしたりするシーンを岩合さんが撮って、それを淡々と流すだけなのである。 それだけ。 脚色も擬人化もストーリーも何もない。 ネコに興味がない人たちから見たら、まったく意味不明な番組だろうな。 でも、このスタイルこそがヌコの本質の正しいとらえ方であり、素晴らしさの表現なのである。 ヌコ好きにはそれがよく分かっている。

ニャンコを見て若干興奮しながら昼飯を食べ、満足しきったサル的なヒト。 ふー、お腹いぱーいだ。 コタツにごろんと横になって、ぼーっとしていると、足が温かくなってきて、だんだん瞼が重くなる。 ま、いいか。 ちょっと昼寝しちゃおう。

・・・ という感じで、在宅勤務ではなかなか仕事が進まないのだが、いいのだ、これで。

 

「キーーーッ! この国難になんてこと! 医師や看護師が命がけで働いているというのに、ニャンコ見ながら昼寝なんて不謹慎です! 自粛すべきです! こんなサル、強制徴用してPCR検査施設で作業させるべきですっ!」 とか言い出す自粛警察が今のニポンにはたくさんいそうだな。 はいはい、もし手伝わせてもらえるのなら、いつでもPCR検査施設で働きますので遠慮なく徴用してください。 ただしオレを徴用したら、検査を勝手にあちこちの民間に外注して検査数を100倍くらい増やしてやるから、お上は覚悟しとけよ。

*****

しつこく今回も問う。

で、皆さん、コロナのドタバタを数か月見てきましたね? で、はっきり理解しましたね? ニポン政府(国会、行政機関) のやってることって、これでしょ?

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「実はなーんも決めずに儀式 (おままごと) やってるだけ」 が分かる実例が次から次に魔法の泉のようにあふれ出てきて楽しい。 直近の例は 「出口戦略」 をめぐるグダグダですね。 何を達成すれば警戒を解除するのかについて、実はなーんも考えてないし、決めてもいない。 そのときの空気 (実力行使しそうな怖い人が激怒してるか、とか(笑))で、なんとなく決めちゃえばいいと最初から思ってるのね、お上って (注 2)。 これって 「ベネフィットがリスクを上回る感じだしぃ、臨床的に有用だと思うのでぇ、この薬、承認しまーす」 という神事 (儀典とスケジュールだけは厳格) とそっくりでしょ?

注 2) 2020.5.6追記

安倍総理大臣は5月6日夜、インターネット番組に出演し、今月半ばをめどに専門家から意見を聴き、宣言を解除するか判断する意向を改めて示したうえで、判断にあたっての基準を、専門家に依頼して作成する考えを明らかにしました。(NHK News)

だって。 あのグダグダの専門家連中とお上基準をこれから考えて、これから決めるんだって。 基準がないのに、宣言を延長する決定はできたのはなぜだろう? もうはっきり書こう。 こいつら頭がおかしい 

しつこい? こっちは全然懲りてないぞ。 20年間ずーっとこの構図の本質を問い続けてきたのに、おまいらみんな笑い話のネタにしかしてこなかったのだからな。 このスライド、この先何度でも載せてやるぞ。 地獄の門が開くまで載せ続けてやる。 もう開きかけている気もするが。 ふふふ、ふふふ、・・・

*****

薬効評価・承認審査に携わるプロなら、国のコロナ対策に理屈もなんもあったもんじゃないことはとっくに理解してますよね。 新薬の承認申請資料に、今政府がコロナ施策に使っている類の訳の分からんデータや意味不明の用語が使われていたら、PMDA の審査官に瞬殺されるはずである。

たとえば毎日夕方に公表されるいわゆる 「(新規) 感染者数」。 「今日は 68人でしたぁ」 と日々ニュースキャスターが大騒ぎするやつね。 申請資料でそんな表現を企業が使っていたら、私が審査官だったら即座に 「制度に基づく感染者届出数」 と書き直させ、「注: 届出数は国内感染者数を直接に表すものではない」 という注釈をつけさせる。 あんな意味不明な数字を使って 「このデータから日本では感染が増えている (あるいは減っている) ことがうかがえます」 などと企業が主張したら、

「あんたら、バカか?」

と審査官に資料を丸ごと突き返されるよな。 そのレベルの無意味さであることは、毎日あの数字に一喜一憂している皆さん自身が実は心の中でよく理解しているはず。

あの 「(新規) 感染者数」 で国内の感染状況をまともに推定できるわけがない。 なのに、あれしかデータが落ちてないから、みんな仕方なく使っちゃう。 小知恵がある人が fancy なグラフに作り直してみたりして。 最初は 「こんな歪んだデータ、使えるわけないだろうが!」 と正常に憤っていた人も、そのうちだんだん慣れてきちゃって、なんだかとても大切な愛おしいデータに思えてくるらしい。 すっごい不細工な彼・彼女の顔が、付き合っているうちにだんだん魅力的に見えてくるようなもんだ。

正気に戻って思い出そう。 あれってもともと、おままごと用途の クソデータ であることを(注 3)。 というか、最初から未知のパラメタを探る科学的研究・調査の結果ではないのだから、転用は無理なのよ。 母集団が定義できないし (だから企業による今の新薬開発と同程度にナンセンス(笑))、むろんサンプリングなんて誰もやっていない。 データ収集プロセスを隠蔽しているから何が制約条件になっているのかがまったく分からない (例: PCR 検査の実施キャパ (関係者の体力や休日取得を含む) でデータ数の上限が決まってるのな)。 統計学的に言うと Data Generating Process (DGP) をまともにモデル化できないってこと。 だから結果の因果関係も、脱落変数や内生性を考慮・モデル化できるごく一部の (現場の) 当事者以外にはまったく解釈が不可能。 そんなややこしいデータ、まっとうな目的に使えるわけがない。 

(注 3) しかしこのドタバタが落ち着いたら、社会が 「新規感染者数」 を収集している様、公表している様、皆がそれを見て右往左往している様は、政府の機能不全が引き起こした社会現象として貴重な研究対象になるだろうな。 社会学者、歴史学者行政学者にとってはよだれがでるほど興味深い現象である。

注 3 よりももう少し正確に言えば、今の状況って超不謹慎な社会実験を実施しているに等しい。 「一見科学的に思えるけど実は意味不明なデータをお上が国民に垂れ流したときに、国民がどう反応するか」 という介入研究。 こんな非人道的・非倫理的な研究を承認する倫理審査委員会があるわけないけどな。

むろんそんなことお役人だって100%分かってる。 でも、「専門家会議」 の専門家たちや官邸に向かって 「あんたら、バカか?」 とは誰も言わないのが、おままごとの恐ろしいところである。 

ようやく、魂がお上から少し独立している大学・病院から、市中の抗体・PCR検査陽性率の調査結果が出始めましたね。 磯野家のタマ (ニャンコ) ですら予想したとおり、日本には何十万人(いや、もっと多いか) もの感染者がいた (いる) らしい。 この何十万人(or 何百万人)もの「日本の総感染者数」 の挙動・推移が、お上が今出している累積二万人ほどの「(新規)感染者数」 のそれと単純に対応するわけがないのは、中学生だって分かる。 日本の感染症対策は、当然、前者(「日本の総感染者数」) を考慮すべきことも、サザエさん家のタラちゃんだって分かる。

最も肝心なところを空白にしたままおままごとやってきた連中がこれから繰り広げるであろう言い訳を楽しみに見守ろう。 言い訳は、いつ収束するかとは無関係に、次々に必要になる。 「患者は4日間は待機せよ」 をめぐる異常な言い訳も最近あったな。 おままごとの醍醐味を知る格好のチャンスでもある。

 *****

最近は、お薬についても 「○○ は効く・効かない」 だの 「○○ が特例承認されないのはけしからん」 だのと、言いたい放題の言説がメディアを日々賑わせている。 これらの言説の多くは、それを発している当の本人たちすら意味を理解していないレベルのものなので、ここでまともに取り上げることはしません。 ごめんね。 気が向いたら次回以降に。

*****

というわけで、今日はここまで。 ニャンコ番組を見て昼寝をする毎日だと読書がなかなか進まないのだが、人気作家の新刊は紹介しておこう。 皆さん読んだ? 

佐和子さんが亡くなる前のお父様から最後にかけられた言葉は 「まずい」 だそうだ。  大笑いし、涙する。 達意の文とはこういうもの。 おすすめです。

アガワ家の危ない食卓

アガワ家の危ない食卓

 

 

昔読んだ 「グレート・ギャツビー The Great Gatsby」 をふと思い出してあらためて読んでいる。 村上春樹さんの訳なので、どこか 「風の歌を聴け」 のような文章のリズムがあって楽しい。 

グレート・ギャツビー (村上春樹翻訳ライブラリー)

グレート・ギャツビー (村上春樹翻訳ライブラリー)

 

 

現実の方がずっと怖いからさ

ツンツン、ツンツン (とそのあたりの人たちを棒でつつくサル的なヒト)

・・・ ねぇ、みんな生きてる? 死んでない?

在宅勤務で心が病みそうな皆さん。 こんなときにも地下鉄で出勤せざるを得ない皆さん。 生きてるか? ちゃんとメシ食ってるか?

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ニポンの政治家・役人が 「おままごと」 をしていることは、さすがにもう皆さんも骨身にしみて理解しましたね? 「おままごと」 は 「フィクション (虚構)」、「幻想の王国」、「出来レース」、「お花畑」 と読み替えてもOK。 何十年間もずーっとそうだったのに、そして、それを警告する人たちがちゃんといたのに、それをみんなずーっと無視してきたのだから、今になって急に政府に罵声を浴びせても仕方ないのよ。 気持ちは分かるけど、数か月して騒動が落ち着いたら、どうせおまいらまたお花畑の住人に戻るのだから、まぁそうカッカするなって。 

あとね、ニポンの専門家って肩書や経歴だけはやたらと分厚いけど中身がどうも薄っぺらいことも露呈してますね。 これにはいくつか理由があるのだが、個々の専門家の教育・訓練をうんぬんする前に、ニポンの専門家の絶対数が少なすぎることが背景にある。

前にも書いたけど (これね → お医者さんには幕の内よりもうな重がお勧め - 小野俊介 サル的日記 )、ニポンってどの領域にも一応の専門家と称する人たちがワンセットしかいないのよ。 お役人や新薬の審査をする PMDA の審査官もそう。 エラそうな方々がワンセット、席に座っているだけ (笑)。 仮にそのワンセットが役立たずであることが判明したときに、代わりに登場し活躍すべき専門家の一群、いわば野党の専門家セットがほとんどいないのである。(注 1)

(注 1) もっとも、お役人・審査官といった、単に 「人事制度 (採用) に守られた稀少性」 をエンジョイしていた人たちについては、代わりはいくらでもいることがバレましたね。

奇妙なことに、ニポンの専門家ってなぜか皆 「自分は与党の一員だ」 と信じ込んでいる気配がある。 それって単なる幻想なんだけど。 ニポンの専門家は数が少ないから、米国のような野党ビジネス (例: 政府と逆のスタンスのシンクタンクが常にスタンバイし、政権交代機能を担う) が成り立たないのは確かだが、だからといって、有象無象の専門家が本当に全員 「与党」 の一員であるわけがない。 彼らが与党 (お上、学会の重鎮) にすがりつくビジネスモデルしか知らない、というのが実際のところなのだと思う。 気の毒なニポンの専門家たち。

「我こそは与党」 という幻想を抱いた専門家たちは、お上に重用され、政府審議会やアドバイザーの椅子を授けてもらいながら幻想を強化する。 国内の肩書・経歴はどんどん立派になるし、ニポン代表という特権的地位をもらえるから、実力とは無関係に、国際的な肩書も自動的に増え、立派になる。 肩書・経歴の割に中身が薄っぺらい専門家がニポンに多いのはそういう背景があるから。 実はニポンではまともな競争がない、という見方もできる。

その手の人たちって必然的に専門領域での行動も政治的になる。 なんたって自分たちは与党メンバーなんだから。 自分の主張やスタンスの誤りを認めなくなるし、多様な学問・科学の規範の存在を認めなくなる。 そうこうするうちに彼らが完全に 「おままごと」 の一員になって、「おままごと」 世界を死守し始めるのは、今皆さんが目にしているとおり。 「PCR検査を抑制することで医療が守られる」 と称する理屈不明の 「おままごと」 を延々と続けているのが分かりやすい例ですね。 (注 2)

(注 2) 医薬品の世界だと、ほれ、何かというと 「れぎゅらとりーさいえんす」 を念仏のように唱える人たちの行動が典型的にそうである。

むろん政府スタンスとは異なる自らの意見を堂々と発する先生方もいる。 が、そうした先生方がおそろしく卑屈な物言いを強いられていることに皆さん気付いてるでしょ。  象徴的なのが、あの山中先生。 コロナ対策について自分の思うところを述べるときに、

「批判を恐れず、勇気を振り絞って5つの提言をします」

などと書いておられる。

いや、山中先生さ、 パブリックヘルスって、何を提言したところで、倫理・効率などの観点から常に批判が存在するに決まっている領域なんですけど。 批判の起きない提言があるとしたら、それは無意味な提言なんですよ (単なるトートロジーとか)。 あとね、この程度の至極まっとうな政策提言するのにどうしていちいち勇気を振り絞らないといけないのかがさっぱり分かりません。 「理論・学説を批判的に論じることが科学的な姿勢である」 ってどんな教科書にも書いてありますけど。

つまりは、山中先生は野党に転落 (笑) するのが怖いのだろうな。 与党ど真ん中を自他ともに認めているからこそますます怖いのかもしれん。 週刊誌ネタになったように、役所に予算の意地悪をされたことがトラウマになっているのかも。 でもさ、理由は何にせよ、ノーベル賞受賞者が 「勇気を振り絞らない」 と、きわめてまっとうなコロナ対策の私的提案 (それも、宗教的信念や政治的信条に関する主張ではなく、単なる医学的な提案) すらできない国ニポンって恐ろしいよな。 そんな国、とてもフツーの国ではない。 あの独裁国家と大して変わらん。

*****

今後、感染者・死亡者爆発コースをたどるのか、それとも韓国・台湾的な比較的落ち着いたコースをたどるのかは私には分からない。 与えられた環境の中で黙々と自らを再生産してるだけのウイルスの気持ちを理解するのは難しい。 確率の言葉でそれを表現することは可能だけど、その 「確率の言葉」 の意味がこれまた難しく、それならむしろウイルス君に直接気持ちを聞いた方がいいのではないかと思えるほどなのだ。

でもね、そうした世界の実態を必ずしも反映しない人間社会のふるまいとしては 「おままごと」 って相当に強靭なのよ。 何が起きても融通無碍、どうとでも後付けの理屈で開き直り、自己弁護ができるから。

このブログでも何度も繰り返して恐縮だが、「瀬戸際」 だの、「ギリギリ」 だの、「正念場」 だの、「接触の8割減」 だの、「医療崩壊」 だの、「経済を取るか命を取るかの選択」 だのと、意味がまったく分からない 「おままごと」 用語が次から次に登場してますね。「薬の有効性」「安全性」 「臨床的意義」 といった意味不明語と同レベル。 言葉の意味が分からないから、文の意味も分からない。 言っていることが正しいのか誤っているのか確かめようがない。 もはや我々にできることは、失笑しながら専門家の表情や演技を見守ることだけである。  

ちなみに、「おままごと」 ってポパーのいう似非科学そのものである。「ないよりはあった方がいい布マスク」 理論とかも同様。 細木〇子の予言と同じで、決して間違えないことになっている。 政府・与党の専門家の人たちは、たぶん最後の最後まで 「自分たちは正しいことをしている (してきた)」 と言い続けるだろうから、よーく観察しておこう。 後世の教科書に載せる格好の事例がたくさん生まれたという意味では、コロナのドタバタってとても有意義な科学史的経験である。 

 *****

ほんの数行だけコロナについて書くつもりだったのに、頭に血が上って、うじゃうじゃとつまらんことを書いてしまったな。すまんすまん。 で、ここからが今日のブログ記事の本番 (笑)。

こんなときだからこそ、作り物のパンデミック映画でタフな現状に立ち向かう心を鍛えておいた方がいいと思うのである。 パンデミック映画は、コロナ時代の心のワクチン。 不純物(B級お下劣要素) がアジュバントとして混入したワクチンほど精神的抵抗力を高めてくれる (はずである)。 先日の宇多丸のウィークエンドシャッフルでも特集をやってたっけ。

ここに紹介する映画、すべてサル的なヒトが自信をもっておすすめするラインアップである。 在宅勤務で煮詰まっているやつらは Amazon PrimeNetflix などで見てください。 夜、眠れなくなっても責任はとらんがな。 あと、小さい子供には見せるなよ。

 

サル的にストライクど真ん中はこれ。 「28日後」28週後。 「28週後」 は前にも紹介したとおり、最初は 「Under control」 (どこかで聞いたセリフだな) などと余裕をこいていたアメリカ軍 (NATO軍) が、すばらしい (むろん皮肉です) 危機管理能力を見せてウイルス感染を再爆発させ、最後は住民を皆殺しにするという、とても心温まるストーリー。 

28日後... (字幕版)

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  • 発売日: 2013/11/26
  • メディア: Prime Video
 
28週後… (吹替版)

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  • 発売日: 2013/11/26
  • メディア: Prime Video
 

 

正統派の (メジャーな) パンデミック映画はたくさんある。 ちょっと古いが アウトブレイクコンテイジョンコンテイジョン って Netflix でやたら順位が上がっているらしいな。 邦画だと古くは草刈正雄緒形拳が出てる 復活の日、妻夫木くんの 「感染列島」。 これらは皆見てると思うから、説明は省略。

忘れていたのだが 復活の日 もウィルスものだったのね (当時の地球滅亡モノって核戦争モノが多いから勘違いしていた)。 昭和のおじさんおばさんには、ボロボロの恰好をした草刈正雄がヨロヨロと杖をつきながら歩くシーンが心に焼き付いてますね。 草刈さんは今も活躍しておる。 すごいなぁ。

 

ゾンビものの大御所ジョージ・A・ロメロ監督の感染モノ 「クレイジーズ」 も見逃せませんね。 軍がこっそり作っていた、人を狂わせるウィルスが墜落した飛行機から漏れちゃったというストーリー。 「The Night of the Living Dead などに見られる初期のロメロ作品のニオイが香ばしい。

ザ・クレイジーズ 特別版

ザ・クレイジーズ 特別版

  • 発売日: 2009/12/21
  • メディア: DVD
 

 

ゾンビものには名作が多いのだけど、名作が多すぎて挙げるのが難しい。 あえて変化球を挙げるとすれば 「マギー」。 娘さんがゾンビ (感染者) になってしまったシュワルツェネッガーの苦悩のシリアス演技が素晴らしい。 

マギー(字幕版)

マギー(字幕版)

  • 発売日: 2016/08/26
  • メディア: Prime Video
 

 

なおゾンビ映画を今までまともに見たことがないヒトは、まずは一番クラシックなロメロ監督の 「ゾンビ」 を見ておくこと。 「怖いのはゾンビ (感染者) ではなく、人間 (非感染者)」 という基本スタンスは、今の現実を考える際にも深い含蓄がある。 エンドロールの明るい音楽と最後の時報が死ぬほど怖いんだよなぁ。 


Dawn of the Dead - Ending "The Gonk"

 

何年か前にヒットした韓国映画 「新感染 ファイナル・エクスプレス」 はフツーの観客をターゲットにした映画なので、安心して見られる良質のエンターテインメント。 怖いというよりも感動してしまうタイプの映画ですね。 ラストのトンネルのシーン、サル的なヒトは泣いてしまったよ。 

新感染 ファイナル・エクスプレス(吹替版)

新感染 ファイナル・エクスプレス(吹替版)

  • 発売日: 2018/01/01
  • メディア: Prime Video
 

 

韓国映画といえば、実は私も未見なのだけど、宇多丸のウィークエンドシャッフルで激賞されていたのが 「FLU 運命の36時間」。 危機感のない政府を動かすために、鳥インフルエンザの感染者たちがソウルに向かって大行進を始め、軍は 「この線をあいつらが越えたら、殺せ」 と命じるあたりは、上の 「クレイジーズ」 「24週後」 と同じニオイがする。

FLU 運命の36時間(字幕版)

FLU 運命の36時間(字幕版)

  • メディア: Prime Video
 

 

「もうっ、サル的なヒトってホント趣味が悪いんだから。 こんな怖い映画なんてまともなオトナが見るわけないでしょ!」 という声が聞こえて来たぞ。 ふふふ。 サイコーな誉め言葉である。 でもそういうフツーの読者のために、少しユルい感染モノも一つくらい紹介しておこう。 猿の惑星: 創世記」。 この正々堂々たるSF大作も、ゼニ儲けをたくらむバイオ企業がつくったウィルスが人類を滅ぼす、というストーリーだったのを思い出した。 最後、空港で感染者から鼻血がタラー、のシーンが印象的。

バイオ企業や製薬企業って映画においてはろくなことしないのな。

猿の惑星:創世記(ジェネシス) (字幕版)

猿の惑星:創世記(ジェネシス) (字幕版)

  • 発売日: 2013/11/26
  • メディア: Prime Video
 

 

最近の若い者は知らんだろうが、「遊星からの物体X」 とかも広義の感染モノである。 完全に外部とは遮断された南極基地の中で妙な宇宙生物が次々と感染していく恐怖はけっこうなものなので、気分転換にどうぞ。 

遊星からの物体X (字幕版)

遊星からの物体X (字幕版)

  • 発売日: 2013/11/26
  • メディア: Prime Video
 

 

・・・ というわけで、他にも何か思いついたら書き足していきますね。 そういえば「リング」 「らせん」 なんかも感染モノか。

じゃまたね。 

怖いしゃもじ

・・・ シクシク、シクシク ・・・

 

・・・ オラはただ美味しいお昼ご飯が食べたいだけの、善良なサルなのよ。 これまでの人生ですごく悪いことはしてないはずなのよ ・・・ いや、少しはしたことがある。 学食で冷やし中華の汁を恩師のズボンに盛大に飛ばしたのを黙っていたことがあった。 すみません、O先生 ・・・

なのになぜ、こんなにひどい目に遭うのだろう。 オラはただ、家系ラーメンの、こってり豚骨しょうゆラーメンが食べたいだけなのよ。

なのに、なのに、そのお店に行けないサル的なヒト。 なぜかというと、お替り自由の ライスバーのしゃもじ が怖いから。 ライスバーのご飯の保温ジャーの横に、半分お水に浸けて置いてあるしゃもじ。 ろくに手を洗ってなさそうなその辺のおっさんやねーちゃんが無頓着に触る しゃもじが怖くて触れない のよ。

 

。゚(゚´Д`゚)゚。 うわーん。

 

「いや、あんた、肥満気味な中年オヤジなんだから、豚骨しょうゆラーメンだけ食べればいいでしょ。 わざわざ白ごはんなんか一緒に食べなくてもいいのよ」 と家人には冷たく指摘されたのだが、そういうわけにはいかんのだ。 家系の豚骨しょうゆラーメンはライスと一緒に食べる食べ物なのよ。 旧バビロニアの時代からそう決まってるの。 ラーメンに3枚載っている海苔を汁につけてフワフワ・トロトロにして、ごはんの上に載せてパクリと食べるのよ。 そしたら極楽に行けるのよ。 女子供にはわからんのかな、この愉悦が。

が、今のこのご時勢である。 トイレに入ってもろくに手も洗わんおっさんたちが触った しゃもじ に触れたら、極楽に行くことになるかもしれんのよ。 別の意味で。 くっそー!!

「そこまで言うのなら、マイしゃもじを持っていけばいいじゃない?」 と家人に勧められたのだが、そこまでするのって単なるバカだよな。 そこはサル的なヒトも理解しているのだ。

進むも地獄、引くも地獄とはこのことである (注 1)。 オレはいったいどうすればいいのだ。 誰か解決策を知りませんか? 知っている読者がいたら、このブログのコメント欄に書きこんではくれまいか。 よろしくね。

(注 1) いや、そういう意味ではないと思う。

*****

そこの30代から50代のおねいさんの読者さん。 おねいさん方なら、かつて日本のすべての女性をメロメロにした ladies' man の昭和中期型ロボをよくご存知だと思う。 そう、福山雅治である。 通称、ましゃにい、である。

そのましゃにいが、なんと今週から、東京FMの歴史を支えてきたといっても過言でない長寿番組 「ジェットストリーム(月―金、深夜 0:00-0:50)」 の新機長(ナビゲーター) に就任したのである。 ご存知でしたか?

いや、驚いた。 この時間帯のラジオにましゃにいの思い入れがとても深いことはファンの常識なのだが、まさかここまでの思いだとは ・・・。 何十年も続いている冒頭の決まり文句を聴いていたら思わず吹き出してしまったぞ。

遠い地平線が消えて、深々とした夜の闇に心を休める時、

遥か雲海の上を、音もなく流れ去る気流は、たゆみない宇宙の営みを告げています。

満点の星をいただく果てしない光の海を、

豊かに流れゆく風に心を開けば、
煌く星座の物語も聞こえてくる夜の静寂のなんと饒舌なことでしょうか。

光と影の境に消えていったはるかな地平線も瞼に浮かんでまいります。

これからのひと時。
あなたにお送りする音楽の定期便。

 

「じぃえっっっとぉ すとりーむ」。


皆様の夜間飛行のお供を致しますパイロットは、

わたくし、ふくやまぁ まさはるです。

この番組は じぃあるっ の提供でお送りいたします。(注 2)

 

(注 2) JALね。 

 

紅白での松田聖子を彷彿とさせる 「タメ」。 いや、それ以上かもしれん。 ましゃにい、この番組がまわってきてホントに嬉しかったんだなぁ。 よかったなぁ。

皆さんもぜひ聞いてみてください。ネットラジオradiko で聞けますよ。 ましゃにいは真剣にやってるんだからな、絶対に噴き出すなよ。 ぷぷぷ ・・・

それはともかく、この番組って一日の終わりを幸せに締めくくるのに最高です。 インストルメント中心の穏やかな音楽って、心が軽くなるのですよ。 殺伐としたこんな時だから、ますます。 おすすめですよ。

*****

で、ここ数か月。 この国の政治や行政が、ずーっと単なる 「おままごと」 であったのだ、ということにはもう十分すぎるほど気付きましたね。 薬事行政を含めニポンの行政って、素人が 「何かをやってるふり」 あるいは 「欧米の猿真似」 をしてきただけなのよ。 ずーっと。 ずーっと。 だから、今こんなことになって 「自分で何かをやれ!」 と言われても何もできないの。

心の底から恐ろしいでしょ? 私が三十年間ずーっと感じてきた恐怖を、皆さんとやっと共有できてホントに嬉しいよ。 

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ずーっとこういうスライドを使って、皆さんに 「おままごと行政」 の恐怖を伝えようとしたのに、おまいら 「あはは。 サルがまたバカなこと言ってら」 とまったく聞く耳持たなかったよな。 今ならこのスライドの真意と含意がよーく分かるでしょ。

え、まだ分からない? そうですか。 では、政府からまもなく届く布のマスク2枚を見つめながら、暗い自室でもう3か月くらいじーっと考えてみるといいと思います。 がんばってね。

*****

今の状況に本当におびえているヒトがいたら、脅してごめんなさいね。 でも大丈夫よ。 ニポン人ってほんとサルなんだから。 いい意味でも、悪い意味でも。 何があっても、すぐに慣れて、すぐに飽きて、すぐに忘れる。

ニポン人ってたぶん1、2年後には、今起きていることなんぞすべて忘れて、また 「おままごと」 と 「おままごとの中の椅子取りゲーム」 に現 (うつつ) を抜かしはじめるから。 サルってタフで懲りないから。

真っ先に始まる 「おままごと」 は、日本版 CDC の創設ってやつですよね。 はいはい、 何個でも作ればいいさ。 組織なんぞ役人は簡単に作れる。 でもしょせん 「おままごと」  と 「椅子取りゲーム」 だから、役には立つ組織にはならんだろうと思う。

だって結局のところ 「おままごと」 問題の原因は、組織・建物ではなく人間なんだもの。 ニポン人って力が欠けているんだもの。 まともな教育を受けてないから能力がないんだもの。 ニポンの 「○○局長」 だの 「○○審議官」 だの 「○○専門官」 だのという、さもそのスジのプロのような重々しい肩書は、単なるお役所の数年ごとのグルグル人事異動で素人が名乗っているだけなんだもの。

ほれ、たとえば日本版 NIH ってところには研究管理のプロ、査定のプロ (研究開発政策と社会厚生の関係を理解している専門家) が就職してるのか? 本家の NIH と同じ社会貢献をしてるのか? 日本の医学研究の国際競争力とやらは上がったのか? 昔からのお役所の仕事が横滑りしただけのように見えてるけど。 

*****

将来のことを考えるとため息しかでない。 でもさ、ため息をつきながらでいいから、まずはがんばってこのコロナ禍の時代を生き抜くしかないな。 すべてはそれからだ。

生き延びたらさ、「おままごと」 を続けてる奴らをまずは一緒に嘲笑してやろう。 ・・・ でもその時には皆さんは 「おままごと」 組の一員にまた戻って、嘲笑している僕を嘲笑するんだよね (笑)。

死んだふりしてれば、月日は流れる

・・・ ん? 今日は何月何日? まただいぶ長い間昼寝してたぞ。 なんか桜のほのかな匂いがする。 そういう季節か。

で、皆さん、世の中で起きているいろんなことにはもう慣れた? えっ、まだ慣れてないの? おかしいなぁ。

  • ウィルスは人間ごときの空気なんぞ読まないこと。
  • お上と専門家の言葉 (文章、用語) のワンダホーなまでの意味の無さ。 大本営発表やメディアの記事が、瀬戸際だの、水際だの、蔓延の立上りの抑制だの、検査による医療の崩壊だのと、定義もクソもない意味不明語をワァワァ並べてるだけであることがよく分かったでしょ? 「ここ一、二週間が山場」 なんてミニにタコ、いや、耳にタコになりましたね。 ちなみに、そこのニブいあなたでも、これらの言葉が薬効評価や承認審査で使っている言葉の意味不明さといい勝負であることにも気付いたよね。 有効性だの、安全性だの、「ベネフィットがリスクを上回る」 だの、臨床的有用性だの ・・・ 。
  • 専門家の方々の惨めなくらい当たらない将来予想。 サル人間の科学の限界を背負わされているので正直気の毒ではある。 でもこの人たち、自分の頭を随時ベイズ更新してるから 「オレは間違えてない」 と言い続けてる。 世間からぶん殴られ続けている専門家って、ちょっとパンチドランカー化してると思う (笑)。
  • シロウトさんによる、さらに当たらない将来予想。 新規感染者数/日が少し下がるたびに 「こんなウイルス大したことない。 蔓延はこれで終息・収束する」 と断言する経済学系のおじさんがいる。 予想が当たらないもんで、偏執狂のように次々に twitter に言い訳を投稿する。 痛々しい。
  • この段階に至ってなお 「ニポン人がどのくらい感染してるのか」 を胸をはって (高い精度で) 推定できる専門家が誰一人いない。 お上がサンプル歪めまくってるから、天才データサイエンティストでも AI (笑) でもまともな推定は無理。 この状況って、新薬の開発が 「母集団」 を無視した統計学で支えられている状況とそっくりであることに、製薬業界人は気付こうね。 あ、「気付いているけど、無視してる」 んだったね、ごめんごめん。 
  • これまでのどの時点のどの判断・決定についても 「すまんかった。 あの判断は間違えてた・怪しかった」 と誰一人言わないお上の専門家たち。 こんな人々が信じられるわけがない。 米国 NIAID のトップなんかいきなり 「すまんすまん。 初動を誤った」 と国会で堂々と言っておったぞ。
  • オリンピック戦線では、泥沼のインパール作戦を継続する大本営。 サルって、かけっこや玉遊びや重い物持ち上げたりする遊びが好きなのな。
  • 下級国民は入手できないマスク。
  • 保存食品やトイレットペーパーを気が狂ったようにバカ買いする爬虫類のような眼をした阿呆ども。
  • 相変わらず大口開けて唾を飛ばしまくる酔っぱらいがあふれてる渋谷、新宿。 そういえば3月11日の大震災の夜の銀座線にも、大声を出して大笑いしてる酔っぱらいオヤジたちが乗っていたっけ。

ほら、もうとっくに見慣れた光景でしょ。 遡ること昭和の時代から、ニポン・ニポン人はずーっとこうだったじゃないか。 この光景、もう見飽きたでしょ。 ウィルスさんの底力にはあらためて驚かされるが、愚かな人間の所業が原因となっている惨状については、目新しいことは別に何もない。 あなたが気に病んでもどうにもならんよ。

 

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*****

まだ人間の心が残っている恵まれた皆さんへ。 人間なんだから正気を保とう。 かわいそうな人たち、困っている人たち、弱い人たちを助けよう。 

*****

で、マスクは相変わらず買えないのである。 オラのマスク、今日で15日目 だぞ。 でも、そんなに臭くはないのよ。 前回の記事の時よりは進化した。 フフフ。 なんと、マスクの内側にティッシュペーパーを挟むという裏ワザを覚えたからな。 上手に挟まないと、息を吸う時に鼻の穴に詰まって死にそうになるから注意すること。

15日目のマスク、鼻と顎があたるところは黒光りしてる。 一番困っているのはゴムひもがゆるくなること。 密着度が下がっているので、気づかぬうちに中のティッシュがダランと下に垂れてきてしまうのよ。 うーむ。 

本郷三丁目交差点でツタンカーメンのような怪しい風体のおじさんを見かけたら、それはサル的なヒトである。 「おじちゃん、ティッシュが出てるよ」 とぜひ注意してほしい。

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無料出張講義。 歴史と伝統ある独のグローバル企業 (社名は挙げられないので、仮にB社と呼ぶ。) での講義の最終回 (10回目) をスカイプで行う。 皆さん、お疲れさまでした。 Оさん、Cさん、お世話になりました。

最終回は、薬効評価と反実仮想 (counter-factual) の関係を、分析哲学の可能世界論 by David Lewis にまで遡ってきちんと説明したり、反実仮想ベースの因果の確率 (安堵の確率、後悔の確率) が 「薬が効く」 とどうつながるのかを説明しました。 新ネタだけど、面白かったでしょ? 実は、薬効評価の推論の闇 (帰納法の闇) とか、無限論の哲学とルール (治験の品質チェックリスト) の関係についても、もっと面白い話ができるのだが、時間が足りなくてすみません。 希望があれば advanced course をやりますので、研修担当の方にそうお伝えください。

そうだ。 論理学をまったく勉強したことのないヒト向けにとても良い教科書が最近出たので紹介しておきます。 野矢先生の本はおすすめだよ。 

まったくゼロからの論理学

まったくゼロからの論理学

  • 作者:野矢 茂樹
  • 発売日: 2020/02/28
  • メディア: 単行本
 

 大学の講義もスカイプや zoom を使わざるを得ない状況である。 スカイプを使った今回の講義でも、受講生の皆さんの顔を見ながらの即興のやり取りができないのがなんとも辛く、講義のキレがイマイチでした。 すみません。 スカイプだと、私の戦闘力ってベジータからクリリンに落ちてしまう感じなのよ  ・・・ いや、それじゃ何のことか分からんな。 もっと分かりやすくたとえると、ガラスの壁を挟んでるため、ご主人様の臭いが嗅げずイライラしてるワンコのような感じ。 うーん、ますます分からんか。

そういえば、バレンタインにチョコを頂いた大阪のお二人にホワイトデーのお返しをする機会を失してしまった。 ごめんなさい。 東京に出張の際に、ぜひ、私の研究室にお返しを取り立てに来てください。 本郷キャンパスには鯛めし屋さん、イタメシ屋さん、洋食屋さんがあってどこもおいしいっすよ。 ごちそうします。

B社のお二人に限らず、私の無料出張講義を受講した方ならどなたでも遠慮なく研究室に遊びにきてください。 生協食堂でならごちそうできます (笑)。 こんなご時勢だから今すぐは無理かもしれないが、落ち着いたらぜひ。 美しい新緑の季節は、ほら、もうすぐそこだ。

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つらい状況だが、みんなで生き延びましょう。 なーに、頭上のB29から焼夷弾が降ってくるわけじゃないのだから全然大丈夫。 なんとかなる。

在宅勤務が続いてホントに気分的に落ち込んじゃったヒトもいるかな。 そういうヒトは当面、死んだふり をしましょう。 上手に 死んだふり をしてれば、いつの間にか月日は流れてくれます。

じゃまたね。 あ、死んだふりをしてる間も、忘れずにメシは食えよ。

そのうち、慣れる

う、う、・・・。 シクシク ・・・ 。

臭い ・・・ 臭いのよ。 ドブのような臭いがする。 オラのマスク。

このマスク、まだ7日目 なのに。 内側に茶褐色のねっちょりした垢が付いてるからかな。 なんか変なバイオフィルムが形成されている気がする。

でもさ、オラ上級国民じゃないから、マスクなんて買えないのよ。 毎日朝晩ドラッグストアを覗いてはいるのだが、店内に入る以前に 「マスクは入荷していません」 と大きく書いてある。

だから手持ちのマスクを大事に使うしかない。 臭くても、茶色のねっちょりした汚れが内側に付いていても、このマスクを使い続けるしかないのである。 マスク付けてないと、満員の半蔵門線の中で咳が出た時に人殺しを見るような目で見られるからな。

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で、皆さんどうですか。 コロナウイルスのドタバタ。 この先どうなるのかと不安でいっぱいの方々も多かろう。

よしゃ。 薬効評価・薬剤疫学領域の20年モノのエキスパートであるサル的なヒトが、コロナウイルス蔓延の世界の行く末を予想してやろう。 細木数子 (古っ) もびっくりの大予言だ。 聞いて驚くなよ。

 

そのうち、慣れる。

 

というか、

 

結構すぐに、慣れる。

 

い、いや、例によってテキトーなことを言っているわけではない。 過去の私たちの研究結果に基づいた推測である。 証拠はこれだ。

 

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新薬が新しく発売されるよね。 で、新薬なので副作用も盛大に出ることがある。 発生した重い副作用の数 (正確に言うと報告された数) を見ていくと、面白いことに気付くのである。 

薬のプロがこんなふうによく言うでしょ。 「発売直後の薬には、未知の副作用があることもあるので、市販後の監視が必要なのです」。 それはそのとおり。 で、その副作用の出方なのだが 「市販後の副作用は、発売後2、3年でピークになって、その後徐々に減っていく (いわゆる) ウェーバー曲線を描いて発生するはずだ」 という経験的仮説が今でも幅を利かせているのよ。 

ところが、グラフを実際に書いてみると、多くの薬でそんな曲線の形にはならないのである。 (注 1) 副作用報告数は 「市販直後にピークがあって、その後徐々に減っていく」 のではなく、「一定の数の重い副作用が、ずーっと出続ける」 という感じ。 「副作用は出るもんだから、仕方ないんでしょーな」 って感じ。 

(注 1) いろんな研究者が 「副作用数はウェーバー曲線にはならないぞ」 と報告しているので、興味のある方は論文を検索してみてください。 

健康量を数量化する流派のパブリックヘルスの視点からすると、市販後に出た (いわゆる) 未知の副作用の影響よりもむしろ、こうしたずーっと出続けている副作用の影響の方が定量的にはずっと大きいはずである。 時々 「薬の副作用は死因の上位を占める」 なんていうセンセーショナルな論文が出たりもする。 が、どうもこの手の 「私たち人類って困ったことから自然に目をそらす傾向があるのでは?」 といった問題にはみんなあまり興味を示さないのな。 業界人の大好きな、意味不明のベネフィットリスクとやらの分析もこれに関してはしないし。 (注 2)

(注 2) 医薬品でメシを食っている人たち全員 (企業、当局すべて) にケチをつけることになるから。 既存のシステムの予定調和の中でメシを食っている研究者は決して手を出さないトピックである。

パブリックヘルスはさておき (私はプロだからさておく気はまったくないのだが)、リスク社会学的に解釈すると、この現象って、私たちみんなが、重い副作用に (あるいは、企業の人たちと規制当局の役人が 「このくらいなら許容範囲だよね」 と勝手に判断した安全性プロファイルに) 慣れていくプロセスそのものである。

社会が、副作用に、慣れる。

社会が、健康被害に慣れてしまって、誰も特段気にもしなくなる。

これって、別に不思議なことではない。 過去の私たちの歴史・生き様そのもの。 薬害とかを含めてね。 健康被害を受けた (受けている) 人々にしてみればたまったもんじゃないのだが。 

で、話をコロナウイルスに戻す。 憎々しい奴らだが、こいつらを根絶することなど誰の目にも不可能なのである。 受け入れて、共存するしかあるまい。 トム・ハンクスが感染したのだから、あなたも私もそのうち感染するのだろうなぁ。

みんな不安だよね。 でもね、大丈夫だと私は思うのよ。 なぜなら、

私たちって、直接的にはもっとヤバい健康被害 (副作用) を平気で・無自覚に受け入れてきた、相当に鈍感なサル人たちなんだから。

みんな、イヤなことや都合の悪いことにすぐに慣れてしまう自分たちの鈍感力にもっと自信を持とうよ。 空からサラサラと放射性物質が降っていたあの日にも、新橋や虎ノ門のリーマンのおやじどもは平気で昼メシ食いにラーメン屋に行ってたじゃないか。 あとさ、原発被害や台風被害と同様に、喉元すぎればすぐに忘れてしまうのもニポン人の得意技ですね。 ほれ、もうみんなコロナのニュースに飽きてきてるんでしょ?

*****

「病気を治すという目的がある薬が引き起こす副作用と、その辺から降ってわいたコロナウィルスでは話が違うのでは?」 と思われる賢明な方もおられよう。 そのとおりです。 他にもじっくり議論すべき点がたくさんある。 そういう冷静な人々とは、SNS ・ブログのようなバカ発見器を通じてではなく、面と向かってゆっくり話がしたいものである。 ・・・ あ、でも互いにマスクは着用しようか。 オラのマスク、ちょと変な臭いがしてるけど気にしないで。

*****

映画 「Ad Astra」 を見る。 ブラピが出てるからな。


ブラッド・ピット主演!映画『アド・アストラ』予告編

 

・・・。 

なんというべきかビミョー。 見ていて 「宇宙空間って、もしかして空気が結構あるのか?」 などと勘違いしてしまったサル的なヒト。 ヒット作 「マイクログラビティ」 と、地獄よりも怖いものを可視化してくれた怪作 「イベント ホライズン」 の両者のダメなところを合せたような作品のような気もする。 が、ブラピがカッコいいのだから良しとしよう。

いいのよ、それで。

神事(あるいはバカ発見器)

今回の記事も、肺炎騒動の目先の解決策を論じるものではなく、また、騒動の渦中にいる当事者をけなしたりほめたりするものでもない。 平常モードで気の長い話をする私の雑文を読んで 「抽象的な批判ばかりで建設的ではない」 などと憤りを感じる短絡的な阿呆気の短い方は、さっさとお立ち去りください。 その手の方々は、カッカしながら一時間に一回くらい肺炎対策を呟いているおじさん・おばさんたちの twitter をフォローして、一時間に一回くらいイライラすればよかろう。 (注 1)

(注 1) twitter でまっとうなご見解を示されておられる真面目な諸先生方へ。 短絡的な阿呆気の短い人たちを私が引き受けられずスミマセン。 面倒くさいけどセンセー方が相手してやってください。

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医薬品の開発、評価、規制、行政の研究者として、20年間私が追求し続けている課題 (仮説) はこれである。

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はい、私の講義でいつも登場するいつものアレなスライドです。

新薬を承認するかどうかの判断ってこんな感じなのである。 法律に出てくる有効性だの安全性だのというまったく意味不明の言葉を使って (正確には 「使ってるふりをして」) 儀式をやっている。 縄文人の雨ごいと似てる。

この状況ってね、誰かがうっかり (すでに存在している) 有効性・安全性の定義を法律・辞書に書き忘れてる、などという軽いポカから生じているのではないのよ。 事態はずっと深刻。 そもそも 「薬が効く」 「薬が安全である」 ってことの意味 (意味論的な定義) を業界人たち (お役人、企業人、医学・薬学の専門家) は誰一人知らないのである。 知らないから説明もできない。 それ以前に、意味を考えようと思ったことすらないのだろうな。

この問題提起は、決して衒学的 (げんがくてき(pedantic)。 学識をひけらかして正確性に過剰にこだわること) なものじゃない。 ほら、これまでに起きた数々の薬害・トラブルを思い出してください。 それらほとんどすべてが 「その薬は効くの?」 「その薬は安全なの?」 の意味不在の中で起きているのよ。 私はもう一歩踏み込んで 「誰一人として 『有効性』 『安全性』 という言葉の意味が分からないことが、不幸なできごとの原因 (の一つ) である」 とも思っているのだ。

製薬企業が 「この薬、効きます。 安全です」 と申請したお薬の15%くらいが当局から拒絶される現状も、意味が共有されていないことを示す例だよね。(注 2)

(注 2) 「いや、それはエビデンスの問題だ」 とか 「不確実性が・・」 とか 「リスク選好が・・」 とか言ってくる方々は、それらを含んだ意味の定義がそもそも必要であり、それは十分に可能であることに気付くこと。 こう言っても分からん奴は論理学、言語学の教科書をそれぞれ3冊くらい読んでから反論すること。

有効性・安全性といった理屈の根っこが意味不明で、自分の好き勝手に皆がワーワーと口から出まかせを言っているだけなのだから、リスクベネフィットだの有用性だのといった、より複雑な概念は、意味不明の二乗である。 そうした意味不明語に基づく規制・行政を単にメシのタネにしようとするれぎゅらとりーさいえんすとかいう営みに至っては意味不明の三乗 (笑)。 意味不明語を疑い、意味不明語が形作る規制 (法制度、ガイドライン) を批判的に検討するのが科学・学問だろうに。 恥ずかしくないのかね。

・・・ という問題意識をこのブログでもたびたび皆さんにお伝えしてきました。 全く理解してもらえた感はないし、問題意識を共有する同志もまったく増えぬ。 でも、今のコロナウイルスがらみのドタバタで、私の主張がとても伝えやすくなったぞ。

要は、

行政官や科学者が自らの主張の正当化の根拠としていること (概念、言葉) の多くは、そもそも存在すらしていない。 彼らは全身全霊で言葉遊び (不完全なトートロジー (同義反復) ごっこ をしているようなもの。 正しさを保証する論理体系なんてどこにもないのだから、彼らは決して間違えない。 

ってことなのである。 新薬の承認審査などという非日常的な文脈では理解できなくても、わが身に降りかかるウイルスの話になるととたんに理解しやすくなる。 たとえば審査報告書に出てくる 「この薬の使用のベネフィットがリスクを上回る」 とかいう表現は「今回のクルーズ船の隔離措置は適切である」と同じくらい意味不明なのである。 分かったような気がしてこない? ・・・ してこないか (笑)

*****

ちなみに、上の神事のスライドには、他にもいろんな含意を込めています。 たとえば、儀式って決して価値のないものではない ・・ というか、儀式を行う価値が確実にあること。 結婚式から儀式を除いたら何が残る? っていう感じ。

「儀式を行う」 という行為自体の意味もある。 厚労省が 「この薬は有効です」 という文は、その文の内容に意味があるのではなく、厚労省がそう宣言する (そのような行政行為をする) ことに意味があるという考え方ですね。 言語行為論のスタンスである。 これって別に突飛な発想というわけではない。 だってさ、外資系企業の外人社長が 「この薬は有効です」 と言うのと、PMDA のF理事長が 「この薬は有効です」 と言うのとでは何かが違うような気がしない? (注 3) その何かです。

(注 3) これはちょっとよくない例か。 専門家としての自分の豊富な見識を堂々と語れるF理事長ではなく、たとえば出向組の役人の審査第○部長にこれを言わせた方が言語行為論的なニュアンスが伝わりますね。  

そういういろんな味わいがあるスライドなのである。 20年くらい使っているから、愛着を感じる。 皆さんも研修でこれを使って、受講生にいろいろと語らせてみるとよいと思います。 スライドを見るなりいきなり激怒した僕のかつての上司 (元大学教員) など、いろんな種類のバカが釣れるから面白いよ。 大笑いしているヒトの中にも実は何にも分かっていない危ない人が多数いますのでご注意を。

*****

コロナウイルス騒動に関しては、上のような視点とは別の、より現実的なレベルで、

  • エビデンスのないことを思いつきのように始める。
  • でもホントのところエビデンスってなんのことか分からんテキトーな言葉である。 スペシャル最高級 「エビデンス」 のはずのランダム化比較試験の結果ですらテキトーに (誤って) 解釈され、テキトーにしか使えないのがサル的な人類の知恵のレベルなんだから。 「エビデンスに基づいて行動せよ」 って 「エライ専門家たちの言うことを聞け」 くらいの意味しかないのよ。 マスク着用を勧めるか否かのドタバタが良い例。
  • 政策・方針の根拠と期待される効果を説明する気がない。 説明できない。 説明できるはずのヤツが背後に隠れて出てこない。
  • 費用が一見安そうな対策 (例:子供) しか手をつけない。 本当の費用 (機会費用といいます) に後から気付いてビクーリする。
  • 相変わらず 『どうも選択を誤ったようなので方向転換します』 と口が裂けても言わない。
  • ミミズだってオケラだって人間だって、なにか情報を与えられたら自分 (and/or 社会) が幸せになるような行動を選択する (その権利と自由もある) ことを忘れて・恐れて、下々の衆生PCR 検査をさせまいとする。

 などなど、話にもならないダメダメなことが次々に起きてますね。 特にお上とその周辺に。 ほらね、医薬品開発・規制の世界でこの何十年もの間に起きてきたダメダメなことの要素が圧縮されて、短期間に起きているから分かりやすいでしょ? 行政でも、医療でも、産業界でも、国会でも、学問の世界でも、シロウトが本職の真似事をしているだけの国ニポンの実状がよく分かる貴重な機会だからじっくり観察すること。 次回以降の本ブログでさらに解説します。 気が向けば。 

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追記 ・・・ のような映画ネタ。
コロナ肺炎、アメリカ様も周回遅れでニポンと同じ道のりをたどっていますね。 「アメリカには感染者が9例しかいない」 とか、誰一人として信じていないことをメディアが報じていたほんの数週間前が懐かしい。 そういえば 「完璧な防疫体制を自ら誇っているはずのアメリカ様が、実はどうにもならんポンコツだった」 というのは映画界ではすでにありふれた鉄板ネタだったことを思い出して大笑い。 たとえばこれね。 

28週後… (字幕版)

28週後… (字幕版)

  • 発売日: 2013/11/26
  • メディア: Prime Video
 

 一度は抑え込んだ rage virus (やたらと他人を噛みつきたくさせるウイルス(笑)) 感染を、自分たちのロジがテキトーなせいで再度爆発的に増やしてしまった無能な軍の司令官が、" Execute Code Red ! Code Red !  Kill everyone !(住民全員、皆殺しにしろ)" と命令する姿をぜひ復習しておくとよいと思います。 「満員電車で毎日通勤する都会のサラリーマンがどの程度コロナウイルスに感染するか」 という臨床研究の被験者になっている私もあなたも、どう考えても皆殺しにされる側だからさ。 

*****

見逃していた映画 「Us」、見ましたよ。


Us - Official Trailer [HD]

現実的な整合性よりも映画的な (虚構の) リアリティが重要、という割り切りさえ受け容れれば、とても納得できる映画である。 それほど怖くはないので夜中に見ても大丈夫 (笑)。 おすすめです。

To err is human, but not Japanese

連投する気はなかったのだが、数日前のブログを何度も追記・修正するのも気分が悪いので、独立させておきます。

*****

肺炎の件、少しだけ。

予想もしなかったことが次々起きること、対策が後手後手にまわっているように見えることに、私は驚いてもいないし、怒る気もない。 すべてが不確実な状況ではいろんなことが起きるに決まっている。 予想が当たることもあれば、外れることもあろう。 分配の問題 (誰の幸せをより重視するかという倫理の問題) は、私とあなたで考え方が違うのだから、無闇に 「どうして私の思うとおりにならないのよ、ムッキー!」 と怒っても仕方ないしな。

今の (過去のある時点での) 肺炎のドタバタの中で、誰が正しいのか・間違っているのかという事実で成績表を付けるべきとも思わない。 白黒つけることを期待する読者の期待には添えぬ。 ごめんね。 そんな成績表を作れるのは神様しかいないし、仮にそれがあったとしても人間がそれを使えるはずがないから。

お役人がさんざんいじめられているが、こんな大変な状況なのだから、「素人上司の政治家連中に花を持たせねばならない」 という役人の自主規制を一時捨てて、メディアや外部の知恵者と自由に・堂々と、でもエラぶらず (あいつらやたらとエラソーだからな) に意見交換すればいいのに、と思う。
「日本には CDC がないからいけないんだ! CDC をつくれ! ・・・ で、自分以外にはCDCのトップになれるヒトはいないんじゃないか?」 とおっしゃっているセンセーもいる。 が、それを言うのなら、「そのセンセーたちが『こいつらなら頼りになる』 と認めるレベルの、自分たちの身内や仲良し以外の専門家が今の日本に何人いるのか」 についても同時にコメントしてほしいのである。 その手のセンセーは自信たっぷりに 「オレ一人いればいいんだ!」 って答えるのだろうなぁ (笑)。 センセ、それビョーキです。

 

今回のようなドタバタの中でいつも気になるのは、日本の専門家 (注 1) とニポンのお役所が、「私の (政府の) 見込み違い・判断間違いがありました」 「あの時は分かったような顔をしてただけなんです。 ホントは問題の所在を理解してませんでした」 と、過去を振り返って自分からは絶対に言わないこと、である。 ニポン政府が 「自分の間違いを認めない病」 という不治の病 (無謬神話) に冒されているのはすでに周知の事実だが、専門家も同じくらいヤバいよね。

(注 1) ここでの専門家とは、現場で右往左往しながら青い顔をして対応している医師 (時々テレビで怒りを爆発させていますね。 怒って当然) ではなく、パブリックヘルスとしての感染症がらみの専門領域を背負っているセンセーを指す。 ほれ、たとえばテレビで 「医療の危機管理がご専門の○○先生」 などと紹介されるお医者さんたちね。 もっとも、「危機管理がご専門の・・」 なんて紹介されること自体が気の毒ではあるのだ。 だって、そういった先生方のほとんどは行政や法律の実務なんて知らないし、国や自治体レベルでの危機管理に触れたことなんてないんだもの。 お役人に何か言ってみたところで慇懃無礼に 「ご意見ありがとうございました。 参考にいたします (・・ このクソ忙しいときにメール返信する時間を取らせやがって ・・)」 って扱われるだけ。 あ、逆に、公務員のローテーション人事の中でややこしいドタバタに一度や二度対応したことがあるだけで 危機管理の専門家と呼ばれたり、名乗ったりする人たちもいるな。

 

たぶん今回の肺炎のドタバタでも、専門家たち とニポンのお役所って、この先何か月たっても、何年経っても、「私たちはここで間違えた気がする。 ここは正しかったけど・・・」 って自発的に言い出すことはないと思う。 裁判なんかが起きない限りね。 海外の専門家・政府が、血が上った頭が落ち着き、冷静になった段階で (数年、あるいは数十年かかることもあるが) 「すまんすまん。 私たち・先人たちは、どうやら間違えていた」 と(判決や国会の付帯決議でイヤイヤ誰か他人に言わされるのではなく) 自ら声明を出すのとは大きな違いである。 政治領域でも科学領域でも実例は山ほどある。
専門家の人たち、あれだけあちこちで今後の予想や見解や対策を語っているのだから (twitterでつぶやいている方も多いよね)、嘘、間違い、言ってることの食い違いがどこかで出てきて当然なのである。

ホントはね、今、専門家としてコメントしている連中に 「自分自身に専門家としての点数をつけてから発言してくれませんか」 とお願いしたいところなのだ。 『私は65点くらいの専門家』 とか、『感染症の臨床研究の論文は100報くらい書いているが、疫学や感染予測シミュレーションのことは耳学問でしか知りません』 とか。 自分に自信の持てないところはどこかをコメントに添えてほしいのだ。

が、現実にそれが難しいのは分かる。 メディアから質問されたらイキオイで何か答えざるを得ないときだってあろう。 周辺領域の専門家の方が冷静で俯瞰的なモノの見方ができると思われてコメントを求められることもあるかもしれん。 それは構わん。 その代わり、私は、事態が落ち着いた1年後、5年後でいいから、当時 (今) を振り返って自分のコメントを評価し、それがどのくらい正しかったのか・間違っていたのかを私たちシロウトに教えてくれ、と頼んでいるのである。 だっておまえら (科) 学者なんだろ。

もう少ししたら 「肺炎対策を検証する政府委員会」 とやらが開かれるはずだ。 その手の公開魔女裁判的な振り返りとは別に、私は、できるだけたくさんの専門家連中に自分の見込み違い・心の中での判断違いを告白してもらいたいと思う。 懺悔ではなく、科学の営みとして。 そういう告白を皆さんも聞きたくはありませんか? 次に同じようなことが起きた時に、政治家やお役所や学会の重鎮とやらが判決を決めてしまう公開魔女裁判の記録なんかよりずっと役に立つとは思いませんか?

中には、状況が進むにつれてじんわりと主張を変える達人もいます。 たとえば 「ベイズ流の判断しろよ、おまいら」 と言うセンセー。 ベイズ更新 (状況に応じて自分の信じる確率を修正していくこと) し続けているらしく、常に 「正しい側」 にいてはります。 どのタイミングで、何回ベイズ更新したのかを一切他言しないところがさすがはプロである (笑)。 いや、これは必ずしも嫌味ではない。

あのな、専門家だろうとシロウトだろうと、人間は正しいことばかり言い続けられるわけがないのよ。

皆さんも、メディアでなぜか常に正しい側にいる顔をした専門家・お役人の言動を今回もじっくり観察しておいてください。 原発ボッカーンのときもこんな感じだった。 薬害肝炎 (血液製剤に肝炎ウイルスが混入したまま盛大に使われ続けた事件) のときの専門家・お役所もこんな感じでした。 「とにかく終始一貫正しいことばかり言う正しいヒトであり続けねばならない」 という、自己正当化の悪霊にでも憑りつかれたような振る舞いこそが、ウイルスそのものよりも危険な、下手すると文明を滅ぼしかねないリスクではなかろうかと私は思うのだ。

現実は映画ではないのだから、正しい唯一のシナリオなんぞ存在するはずがない。 世の中で起きていることがシナリオ・自説から外れると、シナリオではなく世の中の方を見捨ててしまうひどい専門家もいる。 あとね、映画と違って現実は誰かを 「はまり役」 になんかキャスティングしてくれるわけがないのよ。 大学のセンセや研究者が本当は何の専門家なのかなんて、世間の人たちは誰も知りません。(注 2)

(注 2) 私も常々、れぎゅらとりーさいえんすとやらの専門家と誤解されて困っている。 そんな学問なんか存在しないのに。 

そんな状況だから、見込み違い、シナリオ破綻、誤解に基づく専門家 (実はシロウト) 起用は起きて当然なのである。 だからこそ、自分の見込み違いや限界を、恥も外聞もなく隠さずに告白する度胸と力量のある専門家の声こそ、私には傾聴に値するものに思える。 「説得力のある主張をするには自分の限界・制約(limitation) を宣言しないといけない」 というのは、誰もが知っているまともな科学の基本原則なんだけどね。


もっとも、アメリカ様のやってることを形だけ真似してきたママゴト国家ニポン (日本版FEMAとか、日本版NIHとか、日本版CDCとか、日本版FDAとか (笑))では、自分や同僚の見込み違い・間違いを語るとその手の 「日本版○○」 からあっという間に排斥されるわけだから、そういう力量、度胸、経験が備わった人材が育つわけはないんだよよね。 残念である。


To err is human, but not Japanese. 人間って間違えるものさ。 あ、でも、ニポン人は間違えないけど。

(`・ω・´)キリッ

 ホントすごいねぇ、ニポン人は。 神様も Institute of Medicine もびっくりだ。

*****

ここ数日(2月19日現在)、一部の危機管理系の専門家の言うことが明らかに劣化してきたのもとても気になる。

やたらと、
オールジャパンで対応すべき」
だの
「ワンチームが求められる」
だのと阿呆丸出しのとても勇ましいコメントを真面目な顔して (`・ω・´)キリッ と言い始めたぞ。 80年前のあの頃によく耳にしたセリフ。 オレたちみんなホントに焦土で死ぬのかもしれん。 「節子、それマスクやない。 ティッシュペーパーや」 ・・・


*****

少しだけ、と断っておきながら、長々と記事にしてしまった。 今回の件、どうもサル的なヒトも結構頭に来てるらしい。 なにが 「私は驚いてもいないし、怒る気もない」 だよ。 一つのブログ記事の中ですらブレまくりじゃないか。 サル的なヒトが言うことがブレブレになってしまうのは、間違いを告白しているからではなく、単に頭が悪いからである。 すまんね。

*****

また追記。 この記事を書いた後で、話題になっている岩田先生のクルーズ船内報告のyoutube を見る。 とても参考になった。 投稿は翌日撤回したのですね。 度胸はしかと見せてもらいました。

さて、今後の興味は、岩田先生をボコボコにした専門家や素人の皆さんが

「うーむ。 私もあれに関しては実は分かってなかったのに分かったような顔をしてたんだよ。 実を言うとちょっと専門外なんだ」

とか

「まさか、 「不潔ルート」 と 「清潔ルート」 の貼り紙がぺらっと貼ってあるだけの船内の魔法空間のごとき不可解な写真を堂々と自分の twitter に載せて、『岩田、厚労省なめんなよ。 2時間しか船内にいなかったお前に教えてやるよ。 ゾーニングってのはこうやるんだ!』的に胸をはる副大臣が陣頭指揮を執っていたなんて、あの時は知らなかったんですぅ。 お役所がどんなところかまったく知りませんでしたぁ」

とかいった声の一つや二つを堂々と口に出す力量、度胸があるかどうか。 もしそうした声が上がるのならば、少なくともサル的なヒトは怒ったり嘲笑ったりはせず (そんなことできるわけがない)、しっかり拝聴します。 自己正当化に憑りつかれた専門家の声よりもずっと信頼できる。 私は変わり者だから、情けないことを隠さずに言う専門家にこそ命を預けたいと思うのよ。 よゐこは真似しなくてもいいのだが。

1年後、5年後、10年後、そういう情けなくも正直な専門家がちゃんと登場するだろうか。 楽しみである。 まったく期待はしてないけど。