小野俊介 サル的日記

いや、その、サル的なヒトだから・・・

神事(あるいはバカ発見器)

今回の記事も、肺炎騒動の目先の解決策を論じるものではなく、また、騒動の渦中にいる当事者をけなしたりほめたりするものでもない。 平常モードで気の長い話をする私の雑文を読んで 「抽象的な批判ばかりで建設的ではない」 などと憤りを感じる短絡的な阿呆気の短い方は、さっさとお立ち去りください。 その手の方々は、カッカしながら一時間に一回くらい肺炎対策を呟いているおじさん・おばさんたちの twitter をフォローして、一時間に一回くらいイライラすればよかろう。 (注 1)

(注 1) twitter でまっとうなご見解を示されておられる真面目な諸先生方へ。 短絡的な阿呆気の短い人たちを私が引き受けられずスミマセン。 面倒くさいけどセンセー方が相手してやってください。

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医薬品の開発、評価、規制、行政の研究者として、20年間私が追求し続けている課題 (仮説) はこれである。

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はい、私の講義でいつも登場するいつものアレなスライドです。

新薬を承認するかどうかの判断ってこんな感じなのである。 法律に出てくる有効性だの安全性だのというまったく意味不明の言葉を使って (正確には 「使ってるふりをして」) 儀式をやっている。 縄文人の雨ごいと似てる。

この状況ってね、誰かがうっかり (すでに存在している) 有効性・安全性の定義を法律・辞書に書き忘れてる、などという軽いポカから生じているのではないのよ。 事態はずっと深刻。 そもそも 「薬が効く」 「薬が安全である」 ってことの意味 (意味論的な定義) を業界人たち (お役人、企業人、医学・薬学の専門家) は誰一人知らないのである。 知らないから説明もできない。 それ以前に、意味を考えようと思ったことすらないのだろうな。

この問題提起は、決して衒学的 (げんがくてき(pedantic)。 学識をひけらかして正確性に過剰にこだわること) なものじゃない。 ほら、これまでに起きた数々の薬害・トラブルを思い出してください。 それらほとんどすべてが 「その薬は効くの?」 「その薬は安全なの?」 の意味不在の中で起きているのよ。 私はもう一歩踏み込んで 「誰一人として 『有効性』 『安全性』 という言葉の意味が分からないことが、不幸なできごとの原因 (の一つ) である」 とも思っているのだ。

製薬企業が 「この薬、効きます。 安全です」 と申請したお薬の15%くらいが当局から拒絶される現状も、意味が共有されていないことを示す例だよね。(注 2)

(注 2) 「いや、それはエビデンスの問題だ」 とか 「不確実性が・・」 とか 「リスク選好が・・」 とか言ってくる方々は、それらを含んだ意味の定義がそもそも必要であり、それは十分に可能であることに気付くこと。 こう言っても分からん奴は論理学、言語学の教科書をそれぞれ3冊くらい読んでから反論すること。

有効性・安全性といった理屈の根っこが意味不明で、自分の好き勝手に皆がワーワーと口から出まかせを言っているだけなのだから、リスクベネフィットだの有用性だのといった、より複雑な概念は、意味不明の二乗である。 そうした意味不明語に基づく規制・行政を単にメシのタネにしようとするれぎゅらとりーさいえんすとかいう営みに至っては意味不明の三乗 (笑)。 意味不明語を疑い、意味不明語が形作る規制 (法制度、ガイドライン) を批判的に検討するのが科学・学問だろうに。 恥ずかしくないのかね。

・・・ という問題意識をこのブログでもたびたび皆さんにお伝えしてきました。 全く理解してもらえた感はないし、問題意識を共有する同志もまったく増えぬ。 でも、今のコロナウイルスがらみのドタバタで、私の主張がとても伝えやすくなったぞ。

要は、

行政官や科学者が自らの主張の正当化の根拠としていること (概念、言葉) の多くは、そもそも存在すらしていない。 彼らは全身全霊で言葉遊び (不完全なトートロジー (同義反復) ごっこ をしているようなもの。 正しさを保証する論理体系なんてどこにもないのだから、彼らは決して間違えない。 

ってことなのである。 新薬の承認審査などという非日常的な文脈では理解できなくても、わが身に降りかかるウイルスの話になるととたんに理解しやすくなる。 たとえば審査報告書に出てくる 「この薬の使用のベネフィットがリスクを上回る」 とかいう表現は「今回のクルーズ船の隔離措置は適切である」と同じくらい意味不明なのである。 分かったような気がしてこない? ・・・ してこないか (笑)

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ちなみに、上の神事のスライドには、他にもいろんな含意を込めています。 たとえば、儀式って決して価値のないものではない ・・ というか、儀式を行う価値が確実にあること。 結婚式から儀式を除いたら何が残る? っていう感じ。

「儀式を行う」 という行為自体の意味もある。 厚労省が 「この薬は有効です」 という文は、その文の内容に意味があるのではなく、厚労省がそう宣言する (そのような行政行為をする) ことに意味があるという考え方ですね。 言語行為論のスタンスである。 これって別に突飛な発想というわけではない。 だってさ、外資系企業の外人社長が 「この薬は有効です」 と言うのと、PMDA のF理事長が 「この薬は有効です」 と言うのとでは何かが違うような気がしない? (注 3) その何かです。

(注 3) これはちょっとよくない例か。 専門家としての自分の豊富な見識を堂々と語れるF理事長ではなく、たとえば出向組の役人の審査第○部長にこれを言わせた方が言語行為論的なニュアンスが伝わりますね。  

そういういろんな味わいがあるスライドなのである。 20年くらい使っているから、愛着を感じる。 皆さんも研修でこれを使って、受講生にいろいろと語らせてみるとよいと思います。 スライドを見るなりいきなり激怒した僕のかつての上司 (元大学教員) など、いろんな種類のバカが釣れるから面白いよ。 大笑いしているヒトの中にも実は何にも分かっていない危ない人が多数いますのでご注意を。

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コロナウイルス騒動に関しては、上のような視点とは別の、より現実的なレベルで、

  • エビデンスのないことを思いつきのように始める。
  • でもホントのところエビデンスってなんのことか分からんテキトーな言葉である。 スペシャル最高級 「エビデンス」 のはずのランダム化比較試験の結果ですらテキトーに (誤って) 解釈され、テキトーにしか使えないのがサル的な人類の知恵のレベルなんだから。 「エビデンスに基づいて行動せよ」 って 「エライ専門家たちの言うことを聞け」 くらいの意味しかないのよ。 マスク着用を勧めるか否かのドタバタが良い例。
  • 政策・方針の根拠と期待される効果を説明する気がない。 説明できない。 説明できるはずのヤツが背後に隠れて出てこない。
  • 費用が一見安そうな対策 (例:子供) しか手をつけない。 本当の費用 (機会費用といいます) に後から気付いてビクーリする。
  • 相変わらず 『どうも選択を誤ったようなので方向転換します』 と口が裂けても言わない。
  • ミミズだってオケラだって人間だって、なにか情報を与えられたら自分 (and/or 社会) が幸せになるような行動を選択する (その権利と自由もある) ことを忘れて・恐れて、下々の衆生PCR 検査をさせまいとする。

 などなど、話にもならないダメダメなことが次々に起きてますね。 特にお上とその周辺に。 ほらね、医薬品開発・規制の世界でこの何十年もの間に起きてきたダメダメなことの要素が圧縮されて、短期間に起きているから分かりやすいでしょ? 行政でも、医療でも、産業界でも、国会でも、学問の世界でも、シロウトが本職の真似事をしているだけの国ニポンの実状がよく分かる貴重な機会だからじっくり観察すること。 次回以降の本ブログでさらに解説します。 気が向けば。 

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追記 ・・・ のような映画ネタ。
コロナ肺炎、アメリカ様も周回遅れでニポンと同じ道のりをたどっていますね。 「アメリカには感染者が9例しかいない」 とか、誰一人として信じていないことをメディアが報じていたほんの数週間前が懐かしい。 そういえば 「完璧な防疫体制を自ら誇っているはずのアメリカ様が、実はどうにもならんポンコツだった」 というのは映画界ではすでにありふれた鉄板ネタだったことを思い出して大笑い。 たとえばこれね。 

28週後… (字幕版)

28週後… (字幕版)

  • 発売日: 2013/11/26
  • メディア: Prime Video
 

 一度は抑え込んだ rage virus (やたらと他人を噛みつきたくさせるウイルス(笑)) 感染を、自分たちのロジがテキトーなせいで再度爆発的に増やしてしまった無能な軍の司令官が、" Execute Code Red ! Code Red !  Kill everyone !(住民全員、皆殺しにしろ)" と命令する姿をぜひ復習しておくとよいと思います。 「満員電車で毎日通勤する都会のサラリーマンがどの程度コロナウイルスに感染するか」 という臨床研究の被験者になっている私もあなたも、どう考えても皆殺しにされる側だからさ。 

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見逃していた映画 「Us」、見ましたよ。


Us - Official Trailer [HD]

現実的な整合性よりも映画的な (虚構の) リアリティが重要、という割り切りさえ受け容れれば、とても納得できる映画である。 それほど怖くはないので夜中に見ても大丈夫 (笑)。 おすすめです。