小野俊介 サル的日記

いや、その、サル的なヒトだから・・・

To err is human, but not Japanese

連投する気はなかったのだが、数日前のブログを何度も追記・修正するのも気分が悪いので、独立させておきます。

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肺炎の件、少しだけ。

予想もしなかったことが次々起きること、対策が後手後手にまわっているように見えることに、私は驚いてもいないし、怒る気もない。 すべてが不確実な状況ではいろんなことが起きるに決まっている。 予想が当たることもあれば、外れることもあろう。 分配の問題 (誰の幸せをより重視するかという倫理の問題) は、私とあなたで考え方が違うのだから、無闇に 「どうして私の思うとおりにならないのよ、ムッキー!」 と怒っても仕方ないしな。

今の (過去のある時点での) 肺炎のドタバタの中で、誰が正しいのか・間違っているのかという事実で成績表を付けるべきとも思わない。 白黒つけることを期待する読者の期待には添えぬ。 ごめんね。 そんな成績表を作れるのは神様しかいないし、仮にそれがあったとしても人間がそれを使えるはずがないから。

お役人がさんざんいじめられているが、こんな大変な状況なのだから、「素人上司の政治家連中に花を持たせねばならない」 という役人の自主規制を一時捨てて、メディアや外部の知恵者と自由に・堂々と、でもエラぶらず (あいつらやたらとエラソーだからな) に意見交換すればいいのに、と思う。
「日本には CDC がないからいけないんだ! CDC をつくれ! ・・・ で、自分以外にはCDCのトップになれるヒトはいないんじゃないか?」 とおっしゃっているセンセーもいる。 が、それを言うのなら、「そのセンセーたちが『こいつらなら頼りになる』 と認めるレベルの、自分たちの身内や仲良し以外の専門家が今の日本に何人いるのか」 についても同時にコメントしてほしいのである。 その手のセンセーは自信たっぷりに 「オレ一人いればいいんだ!」 って答えるのだろうなぁ (笑)。 センセ、それビョーキです。

 

今回のようなドタバタの中でいつも気になるのは、日本の専門家 (注 1) とニポンのお役所が、「私の (政府の) 見込み違い・判断間違いがありました」 「あの時は分かったような顔をしてただけなんです。 ホントは問題の所在を理解してませんでした」 と、過去を振り返って自分からは絶対に言わないこと、である。 ニポン政府が 「自分の間違いを認めない病」 という不治の病 (無謬神話) に冒されているのはすでに周知の事実だが、専門家も同じくらいヤバいよね。

(注 1) ここでの専門家とは、現場で右往左往しながら青い顔をして対応している医師 (時々テレビで怒りを爆発させていますね。 怒って当然) ではなく、パブリックヘルスとしての感染症がらみの専門領域を背負っているセンセーを指す。 ほれ、たとえばテレビで 「医療の危機管理がご専門の○○先生」 などと紹介されるお医者さんたちね。 もっとも、「危機管理がご専門の・・」 なんて紹介されること自体が気の毒ではあるのだ。 だって、そういった先生方のほとんどは行政や法律の実務なんて知らないし、国や自治体レベルでの危機管理に触れたことなんてないんだもの。 お役人に何か言ってみたところで慇懃無礼に 「ご意見ありがとうございました。 参考にいたします (・・ このクソ忙しいときにメール返信する時間を取らせやがって ・・)」 って扱われるだけ。 あ、逆に、公務員のローテーション人事の中でややこしいドタバタに一度や二度対応したことがあるだけで 危機管理の専門家と呼ばれたり、名乗ったりする人たちもいるな。

 

たぶん今回の肺炎のドタバタでも、専門家たち とニポンのお役所って、この先何か月たっても、何年経っても、「私たちはここで間違えた気がする。 ここは正しかったけど・・・」 って自発的に言い出すことはないと思う。 裁判なんかが起きない限りね。 海外の専門家・政府が、血が上った頭が落ち着き、冷静になった段階で (数年、あるいは数十年かかることもあるが) 「すまんすまん。 私たち・先人たちは、どうやら間違えていた」 と(判決や国会の付帯決議でイヤイヤ誰か他人に言わされるのではなく) 自ら声明を出すのとは大きな違いである。 政治領域でも科学領域でも実例は山ほどある。
専門家の人たち、あれだけあちこちで今後の予想や見解や対策を語っているのだから (twitterでつぶやいている方も多いよね)、嘘、間違い、言ってることの食い違いがどこかで出てきて当然なのである。

ホントはね、今、専門家としてコメントしている連中に 「自分自身に専門家としての点数をつけてから発言してくれませんか」 とお願いしたいところなのだ。 『私は65点くらいの専門家』 とか、『感染症の臨床研究の論文は100報くらい書いているが、疫学や感染予測シミュレーションのことは耳学問でしか知りません』 とか。 自分に自信の持てないところはどこかをコメントに添えてほしいのだ。

が、現実にそれが難しいのは分かる。 メディアから質問されたらイキオイで何か答えざるを得ないときだってあろう。 周辺領域の専門家の方が冷静で俯瞰的なモノの見方ができると思われてコメントを求められることもあるかもしれん。 それは構わん。 その代わり、私は、事態が落ち着いた1年後、5年後でいいから、当時 (今) を振り返って自分のコメントを評価し、それがどのくらい正しかったのか・間違っていたのかを私たちシロウトに教えてくれ、と頼んでいるのである。 だっておまえら (科) 学者なんだろ。

もう少ししたら 「肺炎対策を検証する政府委員会」 とやらが開かれるはずだ。 その手の公開魔女裁判的な振り返りとは別に、私は、できるだけたくさんの専門家連中に自分の見込み違い・心の中での判断違いを告白してもらいたいと思う。 懺悔ではなく、科学の営みとして。 そういう告白を皆さんも聞きたくはありませんか? 次に同じようなことが起きた時に、政治家やお役所や学会の重鎮とやらが判決を決めてしまう公開魔女裁判の記録なんかよりずっと役に立つとは思いませんか?

中には、状況が進むにつれてじんわりと主張を変える達人もいます。 たとえば 「ベイズ流の判断しろよ、おまいら」 と言うセンセー。 ベイズ更新 (状況に応じて自分の信じる確率を修正していくこと) し続けているらしく、常に 「正しい側」 にいてはります。 どのタイミングで、何回ベイズ更新したのかを一切他言しないところがさすがはプロである (笑)。 いや、これは必ずしも嫌味ではない。

あのな、専門家だろうとシロウトだろうと、人間は正しいことばかり言い続けられるわけがないのよ。

皆さんも、メディアでなぜか常に正しい側にいる顔をした専門家・お役人の言動を今回もじっくり観察しておいてください。 原発ボッカーンのときもこんな感じだった。 薬害肝炎 (血液製剤に肝炎ウイルスが混入したまま盛大に使われ続けた事件) のときの専門家・お役所もこんな感じでした。 「とにかく終始一貫正しいことばかり言う正しいヒトであり続けねばならない」 という、自己正当化の悪霊にでも憑りつかれたような振る舞いこそが、ウイルスそのものよりも危険な、下手すると文明を滅ぼしかねないリスクではなかろうかと私は思うのだ。

現実は映画ではないのだから、正しい唯一のシナリオなんぞ存在するはずがない。 世の中で起きていることがシナリオ・自説から外れると、シナリオではなく世の中の方を見捨ててしまうひどい専門家もいる。 あとね、映画と違って現実は誰かを 「はまり役」 になんかキャスティングしてくれるわけがないのよ。 大学のセンセや研究者が本当は何の専門家なのかなんて、世間の人たちは誰も知りません。(注 2)

(注 2) 私も常々、れぎゅらとりーさいえんすとやらの専門家と誤解されて困っている。 そんな学問なんか存在しないのに。 

そんな状況だから、見込み違い、シナリオ破綻、誤解に基づく専門家 (実はシロウト) 起用は起きて当然なのである。 だからこそ、自分の見込み違いや限界を、恥も外聞もなく隠さずに告白する度胸と力量のある専門家の声こそ、私には傾聴に値するものに思える。 「説得力のある主張をするには自分の限界・制約(limitation) を宣言しないといけない」 というのは、誰もが知っているまともな科学の基本原則なんだけどね。


もっとも、アメリカ様のやってることを形だけ真似してきたママゴト国家ニポン (日本版FEMAとか、日本版NIHとか、日本版CDCとか、日本版FDAとか (笑))では、自分や同僚の見込み違い・間違いを語るとその手の 「日本版○○」 からあっという間に排斥されるわけだから、そういう力量、度胸、経験が備わった人材が育つわけはないんだよよね。 残念である。


To err is human, but not Japanese. 人間って間違えるものさ。 あ、でも、ニポン人は間違えないけど。

(`・ω・´)キリッ

 ホントすごいねぇ、ニポン人は。 神様も Institute of Medicine もびっくりだ。

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ここ数日(2月19日現在)、一部の危機管理系の専門家の言うことが明らかに劣化してきたのもとても気になる。

やたらと、
オールジャパンで対応すべき」
だの
「ワンチームが求められる」
だのと阿呆丸出しのとても勇ましいコメントを真面目な顔して (`・ω・´)キリッ と言い始めたぞ。 80年前のあの頃によく耳にしたセリフ。 オレたちみんなホントに焦土で死ぬのかもしれん。 「節子、それマスクやない。 ティッシュペーパーや」 ・・・


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少しだけ、と断っておきながら、長々と記事にしてしまった。 今回の件、どうもサル的なヒトも結構頭に来てるらしい。 なにが 「私は驚いてもいないし、怒る気もない」 だよ。 一つのブログ記事の中ですらブレまくりじゃないか。 サル的なヒトが言うことがブレブレになってしまうのは、間違いを告白しているからではなく、単に頭が悪いからである。 すまんね。

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また追記。 この記事を書いた後で、話題になっている岩田先生のクルーズ船内報告のyoutube を見る。 とても参考になった。 投稿は翌日撤回したのですね。 度胸はしかと見せてもらいました。

さて、今後の興味は、岩田先生をボコボコにした専門家や素人の皆さんが

「うーむ。 私もあれに関しては実は分かってなかったのに分かったような顔をしてたんだよ。 実を言うとちょっと専門外なんだ」

とか

「まさか、 「不潔ルート」 と 「清潔ルート」 の貼り紙がぺらっと貼ってあるだけの船内の魔法空間のごとき不可解な写真を堂々と自分の twitter に載せて、『岩田、厚労省なめんなよ。 2時間しか船内にいなかったお前に教えてやるよ。 ゾーニングってのはこうやるんだ!』的に胸をはる副大臣が陣頭指揮を執っていたなんて、あの時は知らなかったんですぅ。 お役所がどんなところかまったく知りませんでしたぁ」

とかいった声の一つや二つを堂々と口に出す力量、度胸があるかどうか。 もしそうした声が上がるのならば、少なくともサル的なヒトは怒ったり嘲笑ったりはせず (そんなことできるわけがない)、しっかり拝聴します。 自己正当化に憑りつかれた専門家の声よりもずっと信頼できる。 私は変わり者だから、情けないことを隠さずに言う専門家にこそ命を預けたいと思うのよ。 よゐこは真似しなくてもいいのだが。

1年後、5年後、10年後、そういう情けなくも正直な専門家がちゃんと登場するだろうか。 楽しみである。 まったく期待はしてないけど。