小野俊介 サル的日記

いや、その、サル的なヒトだから・・・

素晴らしき哉、会議!

不幸な人生を送っている。 これまでの人生で「まともな会議」というものに一度も参加したことがない。 そもそも、その会議が必要だったと後から思える会議にすら出会えていないのは、僕の前世が無人島に生えた苔かなんかだったせいかもしれない。 あるいは、「会議とは、本来は集まる必要がない人々が集まって、会議室の中で勤務時間をつぶすこと」という定義(by コージ苑)を、私が知らないだけかもしれぬ。

何を話し合うのかが不明な会議ばかり。 私にも、「毎年、春と秋に開くことになってますから」という理由だけで開かれる会議がたくさんある。 春の会議では、次回の(秋の)開催日を決める(笑)。 会議室で仕出し弁当食って、ヘラヘラと身内にしかウケない話をして、終了。

NHKのサラリーマンNEOで「会議最前線」という、大組織でよく見かけるアホ臭い会議を笑い飛ばすコントがあるが、ネタじゃなくて現実そのものだよね。 「次回の会議の開催日を決めるためだけの会議」ってネタもあったはず。

「では次回の会議は9月3日にしましょうか」
「イヤ、その日は別の会議があってダメです」
「では9月4日では?」
「・・・ その日は、今日出席していない部長が都合が悪いと言ってたぞ」
「では9月5日に ・・・ いや、その日は私が出られないや」

を延々と繰り返すヤツ。 これかな?→http://www.nhk.or.jp/neo/contents/conte/kaigi_saizensen006.html

何を話し合うのか(議題ね)が運良く決まっていたとしても、会議の本当の目的、すなわち「何のために・何を達成するために」会議が開かれているのかが提示されてないし、共有されてもいない。 断言して良いのだが、私の職業人人生の中で(今日はやたらと「人生」が多いな(笑))、「何のために」がちゃんとあらかじめ提示された会議に出たことは、一度もない。 つまり私は23年間、会議では好き放題に自分勝手な主張を叫び続けてきただけ、ということになる。 面目ない。

医薬品関係の公的な会議(例えばドラッグラグ対策の会議)だと、「何のために」があらかじめ提示されないもんだから、

  • 「私の知り合いのあの患者を助けよう」
  • 「日本人全員を救おう」
  • 「我々の子孫が幸せに暮らせるようにしよう」
  • 「新薬を開発する製薬企業を助けよう」
  • 「医療従事者を守ろうよ」
  • 「研究者にお金をまわしてよ」

・・・ などと、皆が異なる目的を腹の中に抱えたまま、こうしろ、ああしろ、と発言する。 でもね、我々みんないい年齢した大人なんだから、会議の主催者に「今日の会議の目的は何でしたっけ?」と発言の前に確認しましょうよ。 

会議の参加者は、皆、いくつかの立場・役割・倫理のスタンスを持っているが、そのどれを選んでいるかは隠したままで好きなこと言うことが許されている。 そういうもんだと思う。 どのスタンスをとるかは自由だし、また、自分のスタンスを他人に語り尽くせるものでもないから。 黙ったままの部分があって当然だ。 最近、「会議の出席者に利益相反(COI)を表明させるべきだ」っていうのが流行だが、そんなの不可能だと思います(後日書きます。 気が向けば)。

参加者が自分の腹の中を隠すのは仕方がない。 しかし、だからって、会議の目的を参加者が勝手に創り出しちゃダメです。 そんなことしたら、参加してるのはもはや会議じゃありません。 出来損ないの独り芝居です。

「目的不在」と「腹の中を隠す」の相乗効果で、会議はいつだって無法状態。 総合格闘技バリートゥード(ポルトガル語で「何でもあり」の意味)ですら、目潰し・金的への攻撃は禁止されてるのに、それを超える無茶苦茶さである。 皆が好き放題に自分の信念を語り、会議はどこにも辿りつかない。 ならば私も負けじと好き放題言おうじゃないか。 ♪ 話す阿呆に 聴く阿呆、同じ阿呆なら 話さにゃ損損・・・

でも、世の中はそれで回るんだよね。 会議が開催されりゃそれでOK、ってことらしい。 会議は手段のはずなのに、今のご時世では、会議の開催という事実それ自体が目的そして結果となっているから。 討論の内容なんぞどうでもいいんだよね。 日本では、会議の結論は、別の場所で、別の誰かがもう決めているんだもん。 国会が一番わかりやすい例。

ということで、せっせと会議に出て、弁当食って、ペットボトルのお茶飲んで、好き放題に自己主張して一汗かいて、勤務時間を消費しましょうね、御同輩。

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