小野俊介 サル的日記

いや、その、サル的なヒトだから・・・

赤い花 白い花

♪ 赤い花つんで あの人にあげよ
  あの人の髪に この花さしてあげよ
  赤い花 赤い花 あの人の髪に
  咲いてゆれるだろ お日様のように

・・・ 「赤い花 白い花」 がなぜか局地的マイブームなのである。 なぜだかわからん。 涙腺ジーン。 日がな一日この歌を呟きながら、学生の論文の添削している。 そんな大学教員は日本で自分だけだろうなと思うと、なぜか誇らしい。 意味不明である。 誰か一緒に youtube でこの歌聴きながら仕事しませんか?

というわけで、なんだか訳のわからない始まり方をした今日のサル的日記ですが、皆さんはしみじみと晩春の日々を生きているのでしょうか?

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東大の医薬品評価科学レギュラーコース(RC)が先週から始動。 受講生の皆さん、大変でしょうが頑張ってください。 すでに前半のディスカッション課題が指定されましたが、そう熱くなりすぎずに、かといって醒めることなく、自分の勉強だと思って資料や論文を読んでみてください。

説明したとおり、このRCでのディスカッションの目的は、小器用にプレゼンをしてもらうことではありません (それは皆さんの職場で思う存分にどうぞ)。 目的は、(1) そのトピックの周辺と本質をちゃんと勉強すること、(2) 自分の主張を論理的・倫理的に正当化する技・考え方を学ぶこと です。

新薬開発や承認審査の研修会で、受講生みんなにテーマやデータを与えてのディベート、というのはよくありますね。 あらかじめ 「薬を承認する立場」 と 「薬の承認を拒否する立場」 に役割分けしたりして。 その際、ファシリテイターと称する方々が 「この課題には 『正解』 はありませんので、それぞれの立場から自由にディスカッションしてください」 なんてことを決まって言うのだ。 最近では 「学問的には、あんな考え方もこんな考え方もある」 なんてご丁寧に事前にインプットしたりするらしい。 その上で、受講生に好き放題に薄っぺらく自己主張させて、「はい、両方の立場からいろいろな見解が出ましたね。 立場が違うと主張も変わることが分かったでしょうか。 今後は、いろんな立場・視点から物事を見ましょうね。 チャンチャン」 なんて総括したりして。 これって、相当に虚しいよね。 申し訳ないのですが、しっかりとした技術・能力を身に着けることが研修の目的だとするならば、私はその手のディベートを全く信用してません。(注 1)

(注 1) その手のディベートにも、若手社員の元気向上とか、連帯感を醸成するとかいう意義は十分にあります。 すなわち、教育の生産性の議論 (例えば Pritchett ら参照) で時に指摘される 「教育・研修は支配階層 (例: 経営陣、お上) による被支配階層 (例: ヒラ社員、下々) のガス抜きだ」 という意味でのガス抜き効果は十分にあると思われるのでご安心ください。  皮肉でも何でもなく、東大の研修にも当てはまる普遍的な話である。

「この課題には 『正解』 はありません」 という腑抜けた出発点から話を始める時点で、新薬開発や承認審査の文脈でのトレーニングとしては問題があるのですよ。 研修の指導者は 「哲学・考え方としての正解はいくつかあります。 それに辿り着きなさい」 と自信と勇気をもって言わないといけないのです。 受講生の論理や倫理の適用が誤っているなら、「あなたの主張は、帰結主義でも自由・責任主義でもないダメな折衷案で、正当性がありません」 ってな感じで、根拠をもって誤りを正さないといけないのです。 

「正解がない」 のではなく、「正解は一つではない」 というのが正しい。(注 2) でも、ここでまた困ったことに、「正解が一つではない」 を 「誰が言っていることも、何らかの意味ですべて正解!」 と曲解して、受講生を甘やかす業界の重鎮 (50代とか60代の方々) がいるんだよね。 ふー。 ねぇ先輩、念のために伺いますが、あなたってホントに正答と誤答の区別、ちゃんとついてますか? 失礼ながら、そんな風に若い者 (と自分自身) を甘やかしていると、ますます日本の植民地化が進むような気がするんですが ・・・ ああそうか、あなたは植民地化に加担してきた側のヒトでしたか(笑)。 それは失礼しました。

(注 2) 前回のRCで、実に要領よくポイントを押さえてディスカッションのやり方の紹介をしてくれた( ← ご多忙の中協力頂きありがとうございました。)Advisory Committee (AC) の方々は、まさしく 「正解は一つではない」 と正しく説明してくれました。 受講生は誤解しないでね。

「どれか一つでもよいから、正解と思しきものに辿り着いてごらんなさい。 それが正解かどうか、あるいは、どこに誤りがあるか、は教えてあげる。  無責任な言いたい放題ではなく 『正解を探す』 のは大変だし難しいけど、少しでも正解に近づこうとあがいてみようよ。 それがあなたの血肉になるのよ」 というのがこの手の研修(ディスカッション)における私のスタンスです。 ディスカッション中に私や他の講師やACの方々が厳しいことも言いますが、それも理由あってのこと。 ご容赦ください (・・・ とあらかじめ謝っておくところが微妙に腰が引けているぞ、自分)。 

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先日のブログで触れた以上ちゃんと見ておかないといかんと思い、見ましたよ。 映画 そして父になる

昭和中期型ロボ、どんな瞬間でもカッコつけてる福山雅治はともかくとして、尾野真千子真木よう子、そしてリリー・フランキーがいつものように実に良い。 (ちょっとネタバレ) お金持ちでエリートの福山父さんが、貧乏でエエ加減なリリー・フランキー父さんに対して 「子供を金で買う」 的な相当に失礼な申し出をしたとき、「子供はペットじゃないんだぞ」 と言いながら、リリー・フランキー父さんが福山父さんの頭を微妙な強さで殴ったシーンが素晴らしい。 そらそうだよな、僕らは本気で怒ったとしても、他人をぶん殴った経験など無いから、殴るとしたらあんな感じだよな ・・・ と妙に納得。 

子供を持つすべてのお父さん、お母さんにむろんお勧めなり。 ハンカチと大量のティッシュをご用意の上でどうぞ。