小野俊介 サル的日記

いや、その、サル的なヒトだから・・・

あぁ、勘違い

思い違い、勘違いって恐ろしい。 気付いてしまえば 「あぁ、なんで俺はこんなバカなことを信じてたんだぁ!」 と思って赤面するわけだが、気付かないと仕方がない (そりゃそうだ)。

お恥ずかしいのだが、サル的なヒトは、例の5千万円の件のニュースで、「現金受領前日に金庫を借りた」 という報道を聴いて、何を思ったか 「そりゃえらいこっちゃで。 金庫って重いよなぁ。 100キロぐらいはあるのかなぁ。 5千万円を入れようとするくらいだから、相当に頑丈だよね。 トラックとかで運ぶのかなぁ。 家の基礎工事とかは大丈夫なのか?」 などと勘違いしてしまったのであった。 アホと呼ぶにふさわしい。

昨日ニュースを見ながら、「いやぁ、あれだけのカネを入れる金庫だから、ペコペコの薄い鉄板の金庫じゃあダメだよな。 でも厚い鉄板の金庫だと、奥さんでは運べないよね」 などと私が話すのを聴いていた家人、目が ??? マークになった後、大爆笑。 そこで初めて自分の失態に気付いたのであった。 トホホ ・・・

しかしな、家人よ、そういうあんただって 「なんで借用証を借りた本人が持っているのよ! おかしいじゃないの!」 とずっと怒っていたんだから、ワシと大して違いはないぞ。 何と低レベルな争いだ。

ワシだって貸金庫くらいは知っている。 なんでそんな勘違いをしたかと言うと、頭が先回りしすぎたからなのだ。 貸金庫使ったら、アクセスの記録は残るし、そもそも「○○銀行の貸金庫」といった報道がすぐに出るに決まっているじゃあないか、と思ったのである。 メディアがすぐにそれを報じるに決まっていると思ったのである。 でもそれを耳にしなかったので、頭が先回りして混線してしまったというわけだ。

その手の勘違い、実は他にも山ほどある。 恥ずかしくて全部は書けないほどだ。 例えば、昔、「内山田洋とクールファイブ」で歌を歌っている人が 「内山田洋」 なのだとずっと信じていた。 で、ドリフの 「8時だよ、全員集合!」 とかの番組でふざけている人は 「前川清」。 別人だと思っていたのよ。 だってね、真中で歌っている人は 「内山田洋」 だと思うでしょ、ふつう。 子供時代の私の頭の中では、きっぱりと、 内山田洋(としての前川清) ≠ 前川清 だった(笑)。 心の中では 「この二人、よー似たおっさんやなぁ」 とは思ってましたよ、そりゃ。

*****

産業論でも出てくるその手の勘違いの代表が 貿易赤字は負けである」「輸入超過は負けである」。 日本の医薬品・医療機器産業がピーンチ!とかいう文脈で枕詞のように登場するこうした素朴な勘違いって、ほんと根深いのだ。 輸入超過って、それ自体国民にとって悪いことでもなんでもないのよ。 赤字そのものを大騒ぎする方がおかしいのよ。(注 1)

クルーグマン先生曰く
「貿易とは競争ではなく、相互に利益をもたらす交換であることを学生に納得させるべきである。 もっと基本的な点として、輸出ではなく、輸入が貿易の目的であることを教えるべきである」 (in 良い経済学悪い経済学(日経出版社))

みんなが、『アメリカの競争力』とか言っているのは、ありゃいったい何のことかって? 答えはだねぇ、残念ながら要するにそいつら、たいがいは自分が何言ってんだか、まるっきりわかっちゃいないってことよ」 (in クルーグマン教授の経済入門(メディアワークス))

若田部昌澄氏いわく
「でも、貿易黒字が善で、赤字が悪という考えが正しいとしたら、カナダなんて、1867年の事実上の独立以来ほとんどの期間、貿易収支が赤字だから、もう死んでてもおかしくない(笑)。 だけど現実には、カナダは素晴らしく繁栄しているからね」 (in 本当の経済の話をしよう(ちくま新書))

(注 1) 貿易黒字・赤字については、国レベルの話と、産業レベルの話と、企業レベルの話、それぞれ意味が異なる。

赤字が何か実質的な意味で「悪い」ものなら、日本の医薬品貿易は歴史的にこんだけ無茶苦茶に輸入超過なんだから、例えば日本の製薬産業はもう数十年前に壊滅していて当然なんだろうね。 「医学・薬学研究」 への投資意欲なんて皆無になっていて当然なんだろうなぁ。 日本の患者は南スーダン難民なみの医療しか受けられない状態になっていても仕方ないんだろうね。 ・・・ え、そうはなっていない? おかしいなぁ(棒)。

ちなみに、皆さんの常識だと思うが、アメリカも医薬品貿易は輸入超過ですけどね、「国際競争においてアメリカはずっと危機的状態にある」 なんて騒いでいるヒトはいないようですよ。 不思議だなぁ(棒)。

さらに、医薬品の世界では、貿易収支の問題よりもむしろ健康 (health outcome) の収支を考えるべき状況も多いはずなのに、そういう話はなぜか 「ニッポンの新薬研究開発、ピンチ!」だの「新薬開発の死の谷を克服せよ!」 だのという威勢のよい掛け声にかき消されてしまう。 国民の健康の収支を考えるならば、製品の輸出による業界人の幸せじゃなくて、海外産の優れた医薬品の輸入による患者・国民の幸せが先に来るのが当然なのにね。 Public Health 不在の国、ニポン。 

先日、ある研究会でのこと。 業界人メンバーが内輪話を自慢げに披露するのは良いのだが、研究のゴールがさっぱり見えないので、「産業論はいいけど、一体誰を幸せにしたいの? 誰を応援したいの? それを決めないと視点が定まらんでしょ?」 と質問を繰り返してたら、「そういうやり取りは実りがない!」 と一喝され、その後見事にメンバーから無視されてしまった。 話をよく聴いていると、結局その人たちの目標は、「日本人が経営し、日本人が働く会社、頑張れ! 目の黒い日本人の業界人、頑張れ!」 なのね、口には出さないけど。 外資企業、外国のベンチャー企業、日本人のポストを奪いかねない目の青い業界人は、この人たちにとっては敵らしい。 口には出さないけど。 「実りがない」んじゃなくて、単に自分たちの腹の中を隠してるだけではなかろうか。

骨の髄まで日本の生産者優先。 骨の髄まで日本の業界人。 この世で一番大切なものは日本人(or 自分) の仕事・ポスト・稼ぎ。 そこまで徹底してれば立派なものではある。 で、そういう人たちが時々免罪符のように唱えるのが 「患者中心の医療」 とかだったりする(笑)。

サル的なヒトは身体が弱いのを自覚してるから、素晴らしいお薬をたくさん日本で販売してくれる外資系企業の人たちも好きだなぁ ・・・ もうちょっと薬の値段を下げてくれればもっと好きになるけど(笑)。 ボストンのハーバード大の傍でバリバリ研究している優秀な外人研究者が人類の宝の新薬をたくさん作るのも喜ばしいことだと思う。 仮に「無能な」日本人Aさんと「有能な」外国人Bさんが、私たちの健康を左右する重要な機関のポストを争っているのなら、当然だけどBさんを応援したい。 そうしないと、結局日本「人」がぬるま湯の中でダメになっていくと思うから。

僕が何を言っても皆さんは聞く耳持たないだろうが、ベストセラーになっているこの本の著者の言うことなら聴く気になるかな。 上のクルーグマン先生らの言葉はこの本からの引用です。 とても良い本です。 ぜひご一読を。

*****

今年も多数の喪中はがきを受け取っている。 祖父母や親を亡くした友人からの連絡が多い。 そういう年代だから仕方ないのだ。 皆さん、親孝行しましょう。

上田慶二先生 (東京都多摩老人医療センター名誉院長)が先月亡くなられたことも喪中はがきを頂いて知った。 上田先生は、1996年(平成 8年)頃、いわゆる新GCPの策定に際して取りまとめ役になって頂いた方である。 中央薬事審議会GCP特別部会というところで半年ほどかけて激論が交わされたのであった。 それでも議論が足りない、議論の進め方が拙速だと責められたものである。 グローバル産業向けの現世ご利益的な議論ばかりしている今、当時の崇高な議論はどこに行ったんだろうねぇ、と皮肉の一つも言いたくなる。

当時、私はそうした審議会の事務局担当者として働いていた。 上田先生は厳しい先生だったから、結構怒られたなぁ。 会議の段取りが悪いと「君ら役人は朝のんびり出勤してるのかもしれないが、私たち臨床医は朝が早いんだ。 もっときちんと整理しなさい!」 と厳しい突っ込みがあったことを思い出す。 はい、先生、まったくそのとおりでした。 返す言葉もありません。

しかし、個人的なミスを叱責された記憶はない。 私は相当に粗忽者なので、事務局員として実にたくさんのミスをした。 例えば、部会の議事次第を印刷し忘れたことを会議が始まってから気づいたりして(笑)青くなったりしたものだが、そういうことでは先生は怒らない。 冷や汗を流している私に迫力のある顔を向けて、「議事次第が届くまで議論をするなということではないでしょうから、会議を始めましょうか」 などと言いながら、ニヤリ。 こちらはますます冷や汗が ・・・

ワシントンやニューヨークへの出張に何度かお供した際には、友人の話や学生時代の話をいろいろお聴きしました。 高級ステーキ屋さんで、ごっついステーキをごちそうになったことを昨日のことのように思い出す。

新GCPって、要は治験のやり方をアメリカ流に合わせることを決定づけたいわばTPPの先駆けである。 その受け容れにあたって、「医師ではなく企業が治験の責任を負うという、すさまじく大きな変化なのだが、日本人はその責任の所在の変化を真剣に考えてるのか?」 などと熱く議論した1996年前後。 今やそのような問題意識を口にする人はほとんどいない。 物忘れの激しい私たち。 平成初期も遠くなりました。

上田先生、これまでのご指導、本当にありがとうございました。 もう少ししたら、みんなそちらに逝きますから、そしたら議論の続きをお願いします。 私はまた事務局やりますよ。 その時までには、ちっとはまともな事務局員になっていればよいのですが。