今日はいろいろとイライラすることがあり、いい加減な記事なり。 すみませんね。 無料なんだから勘弁してね ・・・ 何という言い訳だ(笑)
大学のそばの本郷三丁目の交差点でビッグイシュー(ホームレス支援の雑誌。 300円。 みんなで買おう。 「やらない善よりやる偽善」)を売っていたホームレスのおにいちゃんの顔を、ここ数日見ない。 不安だ。 職場の同僚や上司の顔は、3カ月、いや6カ月くらいは見なくても全然平気なのに。
無事に定職にありつけたのだろうか。 ビッグイシュー売りを一生続けるわけにもいかないだろうが、いつもの場所に彼がいなくなってみると、「大丈夫かなぁ。 理不尽な雇用者に搾取されていないかなぁ。 寝るところは確保できたのかなぁ ・・・」 と心配で仕方がない。 ホームレスを卒業できているといいのだけど。
・・・ などと他人の心配するよりも、自分のクビを心配しろ、というのが、昨今のご時勢なんだろうね。 企業も、お役所も、研究所も、大学も、似たようなものだ。 「何か理不尽なことが自分の身に起きたら、この弁護士さんに頼む」という有能な弁護士をあらかじめ決めておくと、安心。 あらかじめアドバイスをもらっておけば、もっと安心。
さて、話は全く変わる。 技術経営論のテキストを読んでいたら、いわゆる理系と文系の違いについて、次のような概念の説明があった。
- 作者: 丹羽清
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例えば、「ある組織(例:P〇DA審査第〇部、〇社開発薬事部、〇大学××教室)に問題がある」 と言われたときに、
- いわゆる理系の人たちの発想は introspection、すなわち、その組織を構成する要因や下位概念の問題を追及しようとする。 例えば、組織の構成員の出来が悪いとか、内部の情報伝達が悪いとか、部屋が狭いとか。
- 一方、文系の人たちの発想は extraspection、すなわち、その組織が含まれたり、関係したりする上位概念によってその組織の問題を位置づけようとする。 例えば、そもそも会社(役所、大学)そして社会の中でその組織が果たすべき役割を果たしているのだろうか、とか。 より高次の目的に役に立ってないのなら、その組織ってそもそも不要じゃん、という結論もありうるわけだ。
この概念、面白いし、現実にもかなり即しているように思う。 例えば、ドラッグラグというものを前にしたときの、この業界の人たちの反応は、びっくりするほど理系的だ。 「ドラッグラグは、開発着手の遅れと、開発の遅れと、審査の遅れが原因だ」などと言い放つ短絡的な人たちがたくさんいるが、それって単にドラッグラグを分解してるだけだ。 また、審査当局の問題とか、企業の問題とか、治験環境の問題とか、状況を分解して、それぞれの問題点を挙げて、「これらの問題点を改善すれば、ドラッグラグは改善する」なんてことを言う人たちは、典型的な前者です。
一方、後者の発想だと、ドラッグラグは何らか(合理的・必然的な)理由があるからこそ生じるもので、その全体像を捉えねばならない、となる。 全体像で考えると、何のトレードオフ(犠牲)もなくドラッグラグが解決するなんてありえない、と考える。 ドラッグラグと共に皆が生きる世界を想像する。
私は文系人間なので、どのような問題についても後者のスタンスから始めることが多い、という自覚がある。
私の職業人人生、異動や転職のたびに、新しい配属先のおエライさんから、「小野くん、この組織のために頑張ってくれたまえ」なんてことを言われている気がするが、その都度、「もちろん頑張りますけどね。 でも、所属する組織がダメな組織かもしれないと、どうしてあなたは考えないんすかね? もしここがダメな組織なら、それをぶっ壊すのが「組織のため」ということだけど、この人、わかってんのかな?」 と心の中で突っ込みを入れてきたものだった。 気が弱いもので(笑) Extraspection なんて概念は知らなかったけど。
ということで、また一つ新しい概念を身に着けることができると同時に、自分や他人の性向を学問的に説明できるようになったわけだ。 面白いでしょ? これが学問の醍醐味。