小野俊介 サル的日記

いや、その、サル的なヒトだから・・・

きちんと絶望しよう

学生さんの卒業シーズンでドタバタしてますが、皆さんはいかがですか。 一年の 12分の1がもう終わってしまったわけである。 時間が経つのが早すぎ。 そろそろ来年の年賀状を書かないといけないような気がする。

先日東大の駒場キャンパスを散歩してたら、梅がちらほらと咲き始めていた。 「日本人なら梅と桜は愛でないといかんな」 なんて言いながら、寒空の下、昨年も同じ梅園で熱いコーヒーを飲んだのだが、それがほんの数週間前のような気がするのだ。 一年が経つのが早すぎる。 このままの速さで時間が過ぎると、もうすぐ老衰で死ぬぞ、自分(笑)。

本日の午後は、都庁の会議に参加。 「都庁前」 から大江戸線という地下鉄で 「本郷三丁目」 という大学の最寄り駅に帰るのだが、例によって乗る電車を間違える。 これまでに何回間違えたことだろう。 大江戸線ってなんか難しいのよ。 数字の6みたいに妙な感じでクルッと回っていて、油断すると妙な方向に行ってしまう。

方向違いに気付いて慌てて降りた途中駅で、地方から上京して来た風体のおじいさんが 「あのー、練馬に行くのはこのホームでいいんだべか? どっちに乗っていいのか、田舎モンにはさっぱり分からなくてさぁ」 と話しかけてきた。 「あぁ、それで大丈夫ですよ。 大江戸線って地方のヒトには結構難しいですよねぇ」 なんて澄ました顔して答えた都会人のサル的なヒト。 実は心の中で 「おぢいさん、すまねぇ。 ホントのこと言うと、オラも乗る方向間違えたんだべよ。 オラも岩手出身の田舎モンで、東京の地下鉄がどう走ってっか、今でもさっぱり分かんねぇんだよ」 と頭を下げてたりする。 てへ。

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治験薬のコンパッショネート使用 (辛い状況にある患者に治験薬を融通すること) の枠組みがようやくきちんとした形になったのね。 日本の薬事制度は、ほぼすべて、アメリカ様の猿真似。 この仕組みも米国から数十年遅れてようやくまともな制度化したわけである。

新しく制度を創ると、新たな問題が生まれる。 例えば、この制度が患者にとって本当にやさしい制度となるか、なんていうのは制度の実効性 (効率) の問題。 患者・医師が申し込みの書類を書くのに何時間もかかるようでは、単なるイジメの助長である。 

少し前に米国の当局のヒトが 「Expanded Access の新しい書式では 45分で申請書が書けます!」 と自慢してたが、ほれ、ニポンの業界人は、アメリカ様に先駆けしたりして、アメリカ様を出し抜くのが嬉しくて仕方ないらしいから (ホントは仏様の掌の上のサルなんだが)、「ニポンの新たなコンパッショネート使用の申請書はわずか15分で書けますよ! アメリカ様の3倍も楽ですよ! 患者さん、お医者さん、どんどん申請してください!」 と自慢しながら、この制度の宣伝を患者さん相手にしてみたらどうか、と思う。 もし米国当局並のそういった度量があれば、日本の当局の評判はうなぎ登りだろうな。

でも当局がそんな宣伝はしないことも、業界人の常識。 この制度って、本質は、製薬会社がイエスと言うかノーと言うか次第。 その一番肝心なところを、患者や医師や国会議員さんやマスメディアに対して業界人が大きな声で語らないのもいつもの構図である。 「決めるのは製薬会社さん」 という当然の事実が、奥歯に挟まったスルメイカ(笑) のように曖昧に扱われるのが社会主義国ニポンの薬事規制の特徴だ。 つまり、このコンパッショネート使用制度がうまくいかなくても、誰も責任をとる必要がないような状況にしてあるってこと。 芸術的なバランス。 ここ、医薬品規制の有名な特徴だから、よく覚えておくこと。 試験にでるよ。 

ドラッグラグでの企業行動の扱いも同様ですね。 製薬会社の合理的なビジネス戦略の方策 (上市確率の向上) として、ドラッグラグは 「企業が自ら引き起こしている (つまり製薬会社が決める)」 選択なのに、なぜかニポンではドラッグラグを公害かなにかのような結果・副産物 (負の外部性) としてしか見ないんだよな。 「大気汚染を改善せよ!」 と同じ感覚で 「ドラッグラグを解消すべき!」 なんて騒ぎ続けて十数年。 情けない。(注 1)

(注 1) ドラッグラグは解消するはずがない。 ドラッグラグは開発効率の向上に役立っているんだもん。 並行輸入が無くならないのと同じ理由。

ドラッグラグも、コンパッショネート使用も、話のポイントは同じ。

その1: 製薬企業が主役であること。 なのに、そのことがいつも隠されること。
その2: 製薬企業は、今・この薬でニポン政府・ニポン人に無理強いされ、損失が生じると、将来・別の薬・別の機会でニポン政府・ニポン人に復讐をして、損失を取り返すこと。

この分かり易いビジネスの原理を奥歯に挟んだままで、話の辻褄を合わせることができた時代はとっくに終わっている。 お上と企業の間の腹芸や出来レースなんか通じる時代じゃないのよ。 コンパッショネート使用で、ニポンに無理をさせられて、ニポンに恨みをもつ企業は、どこかでニポンに仕返しをする。 黙ってニポンを退出する、とかね。 

ちょっと前にRISFAXの名コラムニスト豚さんが、儲けた人たちを狙い撃ちにしてペナルティを与えるニポンの薬価引き下げに絡めて、相も変わらず 「日本発の新薬頑張れ!」 といったスローガン頼みで現実を見ていない業界人を嗤(わら)っていたが、まったく同感である。 豚さんが指摘していた 「外資は、日本での開発はもうやめるかもよ」 は、既に起きている現実の世界ですよね。

日本でのP2の数の激減、テキトーに少数のニポン人症例をアリバイとして入れておけばもらえる承認、企業の日本人開発要員の数・ポスト・responsibilities の激減、日本の薬学部卒業生が製薬企業に入ることさえできなくなったこと、外資の研究所に至ってはほぼすべて日本から撤収 ・・・ みんな現実だ。 毎年毎年、当たり前のように起き続けているから、我々が不感症になって気付くことすらできなくなっただけ。

現状は嘘にまみれた対症療法がなされているだけ、あるいは、シャブ漬け (笑) の状況にも見える。 私たち世代の無策のつけを子供・孫に先送りしてるだけ。 さて、どうしよう? 一つだけ、お勧めの、すごく効く薬があるぞ。 それは、シャブ漬けを断ち切って、今ここにある絶望 (単なる現実) ときちんと長時間かけて向き合う勇気である。 体裁よく、威勢のいいことだけが書いてある新規プロジェクトのポンチ絵の中に箇条書きでわずか数行にまとめられているお作法としての 「現状」 記述なんて、現状なんかじゃないよ。 自分たちに都合の良い仮定が書いてあるだけ。

現実を知ると間違いなく元気がなくなるだろうが、心配は無用だ。 ただ単に、へこたれて、貧乏になって、プライドが傷つくだけの話。 ゴキブリのように生き残ってさえいれば、次の勝負には参加できる。 今よりもずっとタフなプレイヤーとしてね。 地に足の着いたまともな未来は、その世代から始まるのであろう。