小野俊介 サル的日記

いや、その、サル的なヒトだから・・・

わからないことを教えたいという矛盾

先週、とある業界人向けの研修のお手伝い役で箱根へ。 久しぶりに露天風呂に入ってのんびり。 ここ数年続けて参加しているのだが、毎年駐車場にとまっている車の数が増えている気がする。 景気回復の指標になっているかもしれない。 中国人の団体客が増えているのも実感する。

その研修はエントリークラスの(新人の)統計家を鍛えるのが目的。 実習では、グループごとにあるモノ(食品)の臨床試験を企画し、実施し、データを分析する。 指導している講師陣が素晴らしく(私を除く)、また、教えることに熱意を持っているので、受講生にはおそろしく役に立つ研修だと思います。 

受講生が提案する臨床試験のデザインは実に様々で、楽しいのであるが、その良し悪しに対する講師の指摘には、先日のブログ(2012-09-20 - 小野俊介 サル的日記) に書いたintrospection と extraspection という二つの流儀が混在していることに気づく。 講師の先生方も、受講生も、必ずしもそうした区分を意識していないのだけれど。

前者は、「この解析方法は間違えている」 「このエンドポイントは効率が悪い」 といった類の指摘。 後者は、「この試験の目的はなんなの?」 そして究極は「なぜ試験を実施するの?」(笑。 受講生としては 「研修の中でやれと言われているからに決まってるじゃないか!」と答えたいだろうな。 むろんそれは正解の一つですね。) 多くの場合、現実の試験デザインの論点(例えば、外部妥当性 external validity とか)は、上の二つの流儀の両方が絡み合ったものになってしまうため、質問に答える受講生は大変です。 でも、それがトレーニング。 頑張ってね、というしかない。

しかし正直に申し上げると、「いろいろな視点や要素を含めて考える能力を養うのがトレーニングだ」っていうのは、我ながら何ともこズルい、体裁の良い逃げ言葉だよなぁ、と思う。 世の中はトレードオフ(あちらを立てればこちらが立たず)、コンフリクト(利害の衝突)に満ち満ちているのに、そして、この業界の教育・研修ニーズの少なくとも一部は、そうした解決困難な問題に取り組むことができる人材の育成という要請によるはずなのに、実は教育・研修を提供する側(講師の側)がそれに対する答えを持っていないのである。 トレードオフやコンフリクトを考えるための科学・学問(例えば経済学、交渉学)に関する我々業界人の知識レベルは、なんとも情けないレベルだもんなぁ。

そもそも医薬品規制の体系自体が ad hoc な思い付きのツギハギで、まともな理念なるものが存在していないという事実に立ち返る必要があろう。 いろんな法制度はある。 ルールはある。 でも「その制度・ルールがなぜ正当化されるの?」という問いかけに、当事者や利害関係者は実に無関心だ。 現状を最も簡単に説明しようとすれば、「ある法規制があるのは、それが規制できるからだ」っていう感じだろうか。 トートロジー

例えば、医療用薬、先発品 vs. 後発品、一般薬、食品(特保)で、国が要求する要件(臨床試験の数、量、結果等ね)のデコボコを眺めると、「・・・ん? 制度そのものに関して誰も何も考えてないな。 これって、規制できるから、規制しているだけだな」ということがよくわかります。  

もっとも、「今メシが食えりゃ、それでいいんだ」っていう風潮が上から下まで蔓延しきった医薬品業界に、「将来の国の姿を考えろ」だの、「次の世代に何を残せるかを考えろ」だのと言ってみたところで無駄だよね。 自浄作用なんてものは、無い。

ニッポンの医薬品業界人(産官学すべて)は、全体として緩慢な衰弱死に向かっているのだが (2012-07-06 - 小野俊介 サル的日記)、自分たち自身の死に様にすら無関心なんだから、何を言っても無駄かね(笑)

(再掲: 日本の製薬企業で働いている人々の数)

100人に1人くらいは、しかし、まともな危機感と同胞愛を持った業界人がいるはず。 そういう方々は生存競争には弱かったりするんだよね。 例えば、頭が空っぽの意地悪な上司に、悪い業務評定を受けがちとか。 でも、そういうまともな人たちが1人でも多く、逆境に負けずに生き延びられるようにするのが、私の使命かもしれん。 私は答えは持っていないが、答えに至ろうとする知の営みの楽しさは伝えられる。 もう少し頑張るか ・・・