小野俊介 サル的日記

いや、その、サル的なヒトだから・・・

「今度はきっと、うまくいく。 根拠は、無い!」

アル中のオヤジいわく 「アルコールの害なんて最初からわかってるよ。 明日からは一滴も飲まないから、もう大丈夫」。 太めが持続しているおネエさんいわく 「あらヤダ、体重減ってないわ。 でもこれからダイエットするから大丈夫なのよ」。 旧日本軍の幹部いわく 「ガダルカナルを手放したのは転進である。 撤退じゃないぞ。 ここから反転攻勢するのだから日本の勝利は疑いないぞ」。 

そして日本の医療イノベーションを唱える方々いわく 「医療産業大国アメリカの真似をして、立派な作戦をたくさん並べたぞ。 アメリカがこれでうまくやってるんだから、日本もこれでうまくいくに決まっている。 話は以上だ。 質問は受け付けない」。

・・・ 毎年毎年そう言い続けて、数十年。 「〇カ年計画」 「官民共同研究プロジェクト」 「研究開発振興制度」 「日本版ほにゃらら」 「特区」 ・・・ 1990年代からの数多のプログラム、施策、アドバルーン。 それらの結果がこれだ。 

世界各国の創出した新薬のシーズの数の推移などを見ても、ここ数十年、世界の中での日本沈没ははっきりしている。 データは自分でご確認ください。

で、今。 これまで、いろんなことがうまくいっていないのに、なぜみんな (本来批判的な物言いをするはずのメディアまでもが) 「今度はきっとうまくいくんだよ」 って口をそろえて言うんだろう? いや、正確に言うと、毎回毎回、今度はうまくいくって信じ続けていられるんだろうか? 気持ち悪くないんかな? 悪い男(女)にダマされ続けるダメ女(男)の典型的なタイプに見えてしまう(笑)

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イノベーションが大安売りである。 一般紙でも業界紙でも、毎日毎日、「我が国発のイノベーションの推進」 だの、「イノベーション政策」 だのという言葉が踊る、踊る。 チープになったもんだなぁ、イノベーション。 新薬出たら、イノベーション。 会社の売上が伸びたら、イノベーション。 政府の補助金からシーズが出たら、イノベーション。 シュンペーターさんも、クーンさんも、今の日本のイノベーション・技術革新の大安売りを目にしたら卒倒するんじゃないかと思うが、まぁ故人だから健康状態を心配することもないか。

最近、「昔からある化合物を新たに組み合わせて配合剤にしました。 すごいイノベーションでしょ?」 とか 「新規化合物(NCE)はすべてイノベーションの産物です」 とかいうことを主張する人たち(お隣の国の人たち)を目にした。 「さすがにそれはちょっとどうかなぁ ・・・」 と思ったサル的なヒトだが、今の日本人のイノベーション大廉売を見ていると、感覚は大して変わらんなと思い直した。

イノベーションイノベーションと騒いでいるだけで幸せな気分になれるのならば、なんとも安上がりな健康法で、その意味では素晴らしい。 いや、皮肉ではない。 結構本気である。

「今度こそ、うまくいくのだ。 何故だかはわからないけど」 「今回は、きっと成功するのだ。 根拠はないのだが」 という信念に従ってあなたや私が生きていくのは、あなた・私の勝手だ。 がしかし、この国・この社会の幸せの将来がどうなるのかを決める時に、度を越した楽観主義、というか占い師並みのいい加減さでいられると、ちょっと困ったことになるに決まっているよね。 迷惑・被害を受けるのは私たちではなく、私たちの後輩、子供、孫たちだからだ。 現在の私たち世代は、責任や失敗の帰結から逃げ切れるのかもしれんが。

イノベーション推進策は国の将来にとってきわめて重要だ。 だからこそ、メディアさんには 「これまではうまくいかなかったが、今度は、なぜか、うまくいくのだ! 『なぜ今度はうまくいくって言えるのか』 って? 根拠は無いっ!」 とこのくらいの文字サイズの違いで、きちんと報じてほしいものだと思うのだが、戦時中の〇日新聞と同じく「転進」報道を繰り返す方々にそんなことを望んでも無駄か。

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今日ついに、将棋のA級棋士の三浦八段が、コンピューターソフトに公式戦で負けた。 ニコニコ動画で実況中継を朝からずっと見てました。 予想はしていたが、現実に負けを目の当たりにするとショックである。 三浦八段が、将棋の駒を動かす役をしていた若いお兄ちゃん (注 1) に 「負けました」 とはっきりした声で頭を下げた場面では、涙がジーンと出ました。

(注 1) この若いお兄ちゃんも将棋のプロを目指す集団 「奨励会」 に所属している。 既にその時点で、私から見たら間違いなく天才の一人である。 私の感覚では、私の頭の性能の少なくとも100倍は優れていると断言できる。

5人のプロ棋士対5種類のソフトの五番勝負の最終日が本日だったのだが、結局人間側から見て1勝3敗1分け(事実上1勝4敗)という結果であった。

将棋を知らない方のために説明すると、A級棋士とは将棋という高度な知的ゲームにおける人類最高・最強の10人である。 あの有名な羽生さんもその一人。 要は「超」が付く天才たちである。 

20年ほど前の将棋ソフトは弱かった。 それがここ10年ほどで、

  • 膨大な過去の将棋棋譜のデータ蓄積を活用した局面評価力の向上。 ある局面(状況)を構成する多数の要素のどれにどのくらいウェイトを置いた評価が正しい(勝てる)か。
  • CPUなどコンピュータの性能向上による検索力の向上。 つまり先を読む力、予測精度の向上。

によって急激にソフトが強くなり、ついに、というかアッという間に人間を追い越してしまったわけである。

「人類の敗戦」の感慨はまた別の機会に書く。 私が今回の五番勝負を見てふと感じたのは、上に書いた 「今までは負け続けているんだけど、今度はきっとうまくいくんだ。 根拠はないんだけど」 というその楽観自体が人間の性質の本源的なところにあるのではなかろうか、ということ。 人間って、神様の目から見ると、楽観的にできた欠陥品(笑)なのね、という感じである。

将棋の局面でいくと、序盤で、人間は(プロも、私のような素人も、全員が)「まったくの互角だろ、これは」 と思っているところで、既に画面に表示されているコンピュータの評価は 「人間側がかなり不利 (コンピュータ有利)」 になっているのである。 それを見て、プロ棋士も素人も人間は 「いやはや、コンピュータってやつは、楽天的なバカですなぁ」 と失笑してきたのだが、実はコンピュータの判断の方が 「合理性の神様」 の目から見れば正しいことがわかったのが、今回の五番勝負なのである。 神様の目からすれば、人間の方が、失笑されるべき憐れな存在なのだろう、ということ。 神様気取りの、不完全な生き物、人間。 そういうことが、肌感覚でよくわかった気がするのだ。

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社会厚生(welfare)の最大化や効率を、論理的な正しさや、冷徹な合理性(人間同士の勝負や、国・政府間の勝負における勝率の向上も含む)を基準にして、「こうすべき」 「ああすべき」 と言ってみたところで、あるいはそういう学問・科学をやっているような気分になってみたところで、その時点でもう既に、神様の目からすれば状況判断をどこかで誤った、憐れなおサルさんなのかもなぁ、僕らは。

サルはサルで生きればよいのか。

いや、それでもサルは人間を、そして神様を目指すんだよ。 理由は、無い。 それこそがサル的本能というもの。 ねぇ、HAL、そうだろ?