小野俊介 サル的日記

いや、その、サル的なヒトだから・・・

そして副作用になる

週末もいろいろと用事があって、なかなかブログ更新のタイミングがなくてスミマセン。 仕事などで物理的な拘束時間が長くなると、精神的な余裕が少なくなって、くだらないことを考える時間が少なくなる。 実に良くない兆候である。 人間は少しばかり妄想をたくましくしているくらいがちょうどよいのだ。

例の無料出張講義は、今、2社さんで実施中。 もうすぐ別の2社でも始める。 開始からもう2年以上も経つのだが、だんだん内容が濃くなってきている。 いや、自慢ではない。 講義をしているうちに、「あ、いかん。 あの概念が欠けているじゃないか。 こっちの定義も話さないと ・・・」 といった感じでスライドを追加しているうちに、次々にややこしい(笑)話が加わっているということだ。 講義が改善されているのか、あるいはマニアックな方向に迷走しているのかは、私にもわからぬ。 

例えば最近、不確実性に関する講義シリーズに加えた話はこれ。

問題: 田中さんには二人の子供がいることをあなたは知っています。 あなたが街で田中さんに出会ったら、田中さんは息子さんを1人連れていました。 さて、田中さんのもう1人の子供が男子である確率は?

この確率の問題が実にややこしいのである。 あなたがこの問題の状況をどのように理解しているかによって、答えがまったく変わってしまうのね。 一見よく似た下の3つの状況は、それぞれ与えられている情報がまったく異なっている。

状況 1:
街で出会ったら、田中氏は息子を 1人連れていて、「この子は上の子ですよ」 と言った。 田中氏のもう一人の子供が男子である確率は ? (答: 1/2)

状況 2:
街で出会ったら、田中氏は息子を 1人連れていた。 田中氏は 「二人のうち、どちらの子供を散歩に連れ出すかはランダムに決める」 と言った。 田中氏のもう 1人の子供が男子である確率は ? (答: 1/2)

状況 3: 
街で出会ったら、田中氏は 「私には 2人子供がいて、少なくとも 1人は男の子です」 と言った。 田中氏のもう一人の子供が男子である確率は ? (答: 1/3)

どうでしょうか。 答えはあえて解説しないので、皆さん自分の頭で考えてみてください。 上の子・下の子、男子・女子 という組み合わせ(標本空間)を全部書いてみて、その中で状況ごとに与えられている情報が確率をどう変えていくかを考えてみると答えがわかるから、解いてみてね ・・・ などと書いてみたところで、このブログの読者の約8割は 「断固拒否する! こんな頭が痛くなりそうなことを考えるためにサル的日記を読んでいるのではない!」 という雰囲気だと思うので、まぁ気が向いたら。 自分たちよりは確実に頭が良い、高校生くらいの息子さん・娘さんに解かせるのが良いかもね。

こういう問題を通じて情報と確率の関係を理解することで、医薬品業界の人たちがどれほどいい加減に 「副作用の発生する確率は ・・・」 「有効率は ・・・」 といった怪しい表現を使っているか、それに加えてさらに怪しい因果関係論もどきに基づいた添付文書を作成しているかを理解してもらうことが講義の目的である。

ちょっと話がそれるが、安全性がらみで業界人が最近力説している 「集積された (集団の) 情報に基づいて副作用の因果関係評価を進めるべき」 という主張が私にはどうにも理解できないのですよ。 一体何をやろうとしているのかがよく分からないのだ。 そんなことで 「因果関係」 が評価できるようになるのなら、歴史上の科学哲学者の営みは一体何だったんだろうね、ということになる。 Holland の根本問題はどこに消えてしまったのだろう? (関係するけど)別の言い方をすると、個人の問題は集団で考えても解けないし、逆に集団の問題を個人レベルに帰結させると誤りを生むことが多いのは社会科学の常識である (ミクロ・マクロ問題)。(注 1)

(注 1) もし仮に言いたいことが、「たくさんの情報があれば、より確からしい判断ができる」 という当たり前すぎることならば、そう言えばよいのです (ただし、当たり前すぎて 『何を当たり前のことをエラそうに言っているのだろう?』 と疑問を持たれるとは思います)。 集積・集団といった言葉を使って何やら深い意味を持たせようとするからおかしなことになる。

そういう人たちが 「個別症例の有害事象が副作用になるまでの流れ」 なんていう図をよく使っているのですが、「副作用になる」 ってなんだろう、それ? そして父になる (福山雅治 主演) のようなものだろうか(笑)。 福山雅治は父になれたのかもしれぬが、有害事象は副作用になるような類のものじゃあないと思いますよ。 あまりに大胆なモノの言い方に、因果論の元祖とされるヒュームさんもびっくりしているのではなかろうか。

こういうところの言葉の使い方の鈍感さは、日本の業界人(私を含む)の 「理屈を議論する力の弱さ」 の表れであるように見える。 今のままでは世界のうんと賢い連中とは勝負できないよなぁと自戒も含め強く思う。 日本の医薬品の評価が神事やおママゴトに見えてしまう遠因もそれである。 だから私の出張講義は、言葉や概念の正しい(=学問的な)定義に執拗にこだわり続ける。 受講生の皆さん、我慢しておつきあいください。

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そして父になる」 にも出演していた真木ようこが主演の 「さよなら渓谷」。 評判通り素晴らしい。 お勧めです。

絶望も希望も日常となって続いていく。 ほら、僕らの毎日もそうだ。