小野俊介 サル的日記

いや、その、サル的なヒトだから・・・

欠陥品を平気で使い続ける専門家

エヘヘへ ・・・ でへへへ ・・・ ふふふ ・・・

暑さでもともとビミョーだった頭がおかしくなったわけではない。 長生きするといいことがありますよ、って話である。

今日、昼メシに出かけるタイミングを完全に失してしまった。 で、2時半ごろ、何を食べようかなぁと通りを歩いていたら、向うから登場したのは、うちの研究室の社会人学生、九州男児のTさん。 Tさんもお昼を食べ損ねたらしく、「一緒に食べますか」 ということになり、向かったのが、ほれ、このブログにたびたび登場する本郷通にある、あの海鮮丼屋さんである。 これね → オネエ言葉で薬効評価の闇を語らない - 小野俊介 サル的日記

二人とも日替わり丼なぞをおいしくいただき、人心地ついて、レジへ向かう。 一瞬 「ここはセンセイであるワシが奢ってあげるべきか?」 とも思ったが、Tさんは日本が誇る製薬企業、天下の某社の社員。 どう考えても私よりも給料は高いわけで、おごるのも変だよな、ということで割り勘で支払うことにする。

まず私。 お店のおばさんにスタンプを押してもらおうと思い、カードを差し出したその時、素晴らしいことに気付いた。 すっかり忘れていたのだが、なんと今日は28日。 「8」 のつく日は、「鉢」 にからめて、スタンプ2倍の日なのだ! そう、前回、おばちゃんが間違えて一つしかスタンプを押してくれなかったという、因縁の「8」 のつく日。 期せずして僕は前回のリベンジに来ていたのだ。

今回は絶対に間違えないでね、と思いながらおばちゃんの手元を凝視していたら、「今日はスタンプ2倍の日ですから、二つね」 と笑いながら、ポン、ポンとちゃんと2個スタンプを押してくれた。 
やったー \(^▽^)/

次にTさんが支払い。 Tさん、僕をチラッと見て、「私はスタンプ集めてないから、センセイのカードに押してもらったらどうですか?」 と言ってくれた。 う、う、・・・。 持つべきものは高給取りの慈悲深い教え子である。 指導者はきっと素晴らしい人格者に違いない。

「あ、ありがとう! わかったよ。 Tさんのその支払い、僕は無駄にはしませんから」 と礼を言いつつ、おばさんに再びカードを力強く差し出す。 おばさん 「はい、もう二つスタンプ追加ね! ポン、ポンっと。 よかったねー、今日は大漁だねぇ」。 あ、ありがとう、おばちゃん! 前回間違えて一つしかスタンプを押してくれなかったことは、もう忘れたよ。 もう恨んでないからね。

かーさん、やったよ。 オレ、やっちまったよ。 一日でスタンプ4個ゲットだよ。 ボケモンgo! やってるヤツらもビックリだよね。 前回の失態を取り返して余りある見事なリカバリー。 あまりの出来事に手の震えが止まらない。

研究室に戻る道すがら、大収穫の感動の余韻に浸り、涙目になっているサル的なヒトを横目に、「このヒトに指導を受けていて大丈夫なのだろうか?」 と不安気な表情を浮かべるTさんがいたが、見なかったことにする。

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HPVワクチンの訴訟が本格的に始まった。 私はむろんどちらの陣営にも与しておらず、裁判の行方をじっと見守るだけである。

過去の薬害関係の訴訟も含め、こうしたもめごとがあると、マスメディアや学会がいろいろな見解や声明を出してくれるのだが、そうしたところに出てくる言説や言葉遣いのいい加減さ、テキトーさには、毎度毎度うんざり。

「因果関係」 という言葉の使われ方が分かり易い例。 人類が3000年も議論し続けているのに、結論が出るどころか、本質へのアプローチの困難さがますます深まっている (だから学問として面白い) のが 「因果関係」 という概念なのに、医学・薬学の世界では、猫も杓子も 「副作用の因果関係が立証されてない (されている)」 だのと、まるでスーパーの特売品なみに大安売りされる。 意味分かって使っているんだろうか?

というか、そんな本質論のずっと前の問題として、たとえば「あの日あの時あの場所であの人に起きたこと」 の話をしてるのか、集団での相関 (そして確率的因果) を論じているのかの概念的区別をしていない人がほとんど。 分析哲学風にいうと 「タイプの話をしているのか、トークンの話をしているのか」 といった根本的なところも無茶苦茶である。 そこいらあたりの概念の区別をつけずに 「因果関係」 という語を使ったら、それはもう、ミドリムシとカナブンの対話くらい話が噛み合わないに決まっている。 絶望的である。 しかし、それが現在の姿。

「ワクチンが危険(安全)」 だの 「ワクチンの有効性は検証されている」 だのという表現も、意味不明ですよ。 ホントかウソか意味論的に分からないのに、よく皆さんそんな表現を大胆に使うなぁ、と私はいつも不思議で仕方ないのだ。(前回の記事ね → オネエ言葉で薬効評価の闇を語らない - 小野俊介 サル的日記) 業界の手垢のついたこうした文章・表現は、いわば 欠陥品 なのよ。 人の命や尊厳がかかった状況、あるいは社会的対立が先鋭化してる微妙な状況で、よくもまぁそんな欠陥品を平気で使うものだ、と感心するのだ。 むろん皮肉である。 無頓着にもほどがあろう。

欠陥品は薬機法の中に他にもゴロゴロありますね。 たとえば、「有効性」、「安全性」、「リスクベネフィット」、「禁忌」、・・・ といった用語の多くが欠陥品。 放置されたまま、長年の惰性で使われているこれらの言葉は、本来は、欠陥品として市場から駆逐されるべき言葉である。 もっとも 「代わりの言葉がすぐには見つからない」 から慣例としてこれらの言葉が使われるのは仕方ない面もある。 でもさ、百歩譲ってその場合でも、しぶしぶ・仕方なく欠陥品を使っていることを自覚しなきゃいかんでしょ。

欠陥品である 「有効性」 だの「安全性」 だの 「因果関係」 だのという言葉を使って、必死で相手を理屈で論破しようとしたって、そんなもの無理に決まってる。 お互いにね。 そういう言葉を組み合わせて 「オレの言ってることは正しい!」 なんて力説しても、説得力なんてまるでない。

こうした欠陥品 (ダメダメな表現、言葉、ボキャブラリー) を、欠陥品と気付くことすらできず、放置し続けている専門家や学会の責任は重いと、サル的なヒトはずーっと思っているのだ。 また、今回の裁判でも、これまでの裁判同様に、欠陥品が使われまくるのだろうなぁ、虚しいなぁ、とため息が出る。

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もうすぐお盆だから、白熊アイスを食べながらこういうマンガを読むのが幸せ。 独特の雰囲気の、いいマンガだったよ。 おすすめです。

盆の国 (torch comics)

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