小野俊介 サル的日記

いや、その、サル的なヒトだから・・・

本業に生きる

ちょっとご無沙汰していました。 皆さんお元気でしたか? 

先週は某学会参加のため四国の某都市へ。 ゴトゴト走る路面電車で会場に通ったが、なかなかに風情があって良い街並みであった。 学会のシンポや発表の中身は、というと、素晴らしいものもあれば、これってどうよといったものもあって、いつものように玉石混淆。 でもね、それでいいのよ。 それでこそ学会だ。

前回の記事で書いたとおりの (2014-11-29 - 小野俊介 サル的日記) 押しつけがましいシンポはやはり多かった。 シンポジストや演者に 「それってモノの見方がなんか変じゃないですか?」 ってフロアから誰かが質問すると (そういう質問が出ることも実は珍しいのだが)、なぜか座長がマイクを奪い取って自説を滔々と語り始め、逆に質問者の思い違い(?)を諭し始める、なんていう呆れた光景も。 自分が主流派・多数派に属すると信じている人たちって、シンポのシナリオにちょっとでもケチがつくと、どうにもならないほど頭に血が上るらしい。 学会・学問って、本来は、異説も他説もすべて受け容れる寛容な場のはずなのにね。 変なの。 

研究方法欄に 「方法: この研究は厚労省とPMDAの何人かの方々から頂いた見解を整理したものである」 なんて書いてある発表があったのにも驚かされたっけ。 大川○法総裁の霊言本も真っ青だ(笑)。 いや、冗談抜きで。 もしかしたら、当局の方々の見解がヴィトゲンシュタインやカント並に難解なので、その形而上の意味を解読し、下々の者に通じるやさしい言葉で伝えることに学問的価値がある、とその発表者は思ったのかもしれないから、迂闊なことを言うのはやめておこう。

いずれにせよ、久しぶりに東京を離れてリフレッシュしてきました。 楽しかったっす。

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学会の会場で、ポスター会場が最も賑わうのもいつものとおり。 「あー、○○センセイ、お久しぶり!」 ってヤツね。 中年太りのおっさんやおばさんが大声を出しながらポスターの前を占拠するのは、まじめにポスターを読みたい人たちには邪魔で仕方がないのだが、まぁ仕方あるまい。 何年かに一度の再会なのだから、大目にみようと私なんぞは思うわけである。 大人になったなぁ、自分。

このサル的なヒトにも 「お久しぶり!」 と話しかけてくれる友人が何人かはいる。 驚いてはいけない。 私にだって友達の一人や二人はいるのだ (・・ さ、三人はいないかもしれん ・・)。 しかし、「お久しぶり!」 の後に続くこの台詞に、毎度毎度イライラすることになる。

「で、小野さん今何やってるの?」

こういう質問をしてくる人たちって、一体どんな答えを期待してるんだろう?といつも不思議に思う。 「今? あなたと話してますよ」 と完全な正解を返すと怒るんだろうなぁ。 「最近は構造方程式モデルを latent growth model に適用した医薬品の安全性分析にハマってましてね」 なんてのが私の商売からは妥当な答えなのだが、目の前のこのおじさんにそれを説明しても到底理解してはもらえまい。

いや、失礼。 もちろん私も彼らが期待する模範解答はわかってるのよ。

例えば、「政府の○○委員会に入れられちゃって苦労してますわ」とか、「○○プロジェクトをやらされて、てんてこ舞いですわ」とか、「ICHの○○委員会で海外出張ばかりですわ」とか、「研究の不祥事が発覚して、その事後処理に死にそうですわ(笑)」とかでしょ? 要は 「自分がプラスアルファの何かで忙しいこと」、「自分が本業以外に活躍していること」、「自分が他人よりも必要とされていること」 を、多少の自虐をこめて自慢すればよいのですよね。 そうすれば質問者は納得し、世の中は丸く収まる。 それがニポンの伝統文化。

でもね、私はその伝統文化が大嫌いなのである。 そもそも、なんて失礼な質問をするんだろう、と頭にくるのである。 豆腐屋さんに 「何やってるの?」 って聴いたら、「豆腐作ってるよ」 と答えるに決まってるじゃないか。 散髪屋さんに 「何やってるの?」 って聴いたら、「お客さんの髪、切ってるよ」 って答えるに決まってるじゃないか。

だから私はいつでもこう答えるのである。 「毎日、学生にしっかり学問を教えていますよ。 それではご不満?」

明らかに狼狽しつつ、「あぁ、そうですか」 なんて言いながら、不愉快な顔をしてその場を立ち去るおじさん。 一方の私も 「ごめんね、おじさん、期待どおりの返事をせずに」 と心の中で呟いたりして。

こうした質問を私にしてくる医薬品業界人は、大学の教員の本業 (学生に教えること。教育) の社会的価値を、心の中ではまったく信じていないのですよね。 口では僕らに 「センセイ、センセイ」 なんて言ってるけど。 そうした態度が、自分たち自身が貧困な大学教育しか受けられなかったことの裏返しだとすれば、本当にかわいそうになぁ、とは思います。 

不幸にして、情熱と学識が欠けた 「なんちゃって」センセイが指導教員になると、「私は、大学(院)で学位だけはもらったけど、実は何も学んではいないぞ」 なんてことが起きるかもしれない。 私が謝るのも変だけど、謝っておきますね。 ごめんなさい。 でもね、おじさん、教育に対するその歪んだイメージを次世代に引き継いではいけませんぜ。 ちょっとキツいことを言うと、大学で何も学ばなかったのはあなた自身の選択でもあり、責任はあなたにもあるのよ。 たっぷり勉強できるかではなく、手っ取り早く楽に学位・資格が取れるか(だけ)で大学(院)を選ぶ人もいるでしょ? もったいないですよ、それ。

もう一つ。 皆さんも自分の本業を再確認しませんか。 あなたの本業はなんですか? あなたは本業と毎日きちんと向き合ってますか? 日々の本業での工夫や、実績や、夢を、胸を張って語っていますか?

ニポンの医薬品業界人 (産学官すべて) って、本当に日々の本業を大事だと思っているのかが疑問なのだ。 もしかして、仕事 (本業) を、単なるメシのタネ、あるいは肩書き自慢のための道具と思っているのではなかろうか。 本心では本業をバカにしているニポン人って、本業に全力を尽くすのが当然の外人さんと喧嘩したらそりゃ負けるわな、と思う。

仕組みや制度や箱モノ (組織) をいじって 「ニポンの医療研究・産業は成長する!」 と信じたい方々が多いのだが、その新しい組織 (例: 日本版ほにゃらら) で働く人たちって、そこでの仕事が本当に本業なのですよね? 本当は、本業とは別の何かに自分の大切な価値を置いている、なんてことはないのでしょうね。

皆さんにとって、本業は所詮コスプレのようなもの? 「なんちゃって」 本業? 「おままごと」 本業? うーむ。 とても心配なのである。