小野俊介 サル的日記

いや、その、サル的なヒトだから・・・

「本当に分からない」 と 「本当は分からない」

すまんすまん。 例によってドタバタしていてブログ書いている暇があまりなかったのである。 「あまりない」 ということは、つまり、「それなりにある」 ということなのだが、細かいことは気にしてはいけない。 人間、心にゆとりを持たないといかんからな。

熊本の震災、大変な目にあわれている方々に心からお見舞い申し上げます。 熊本には親戚が住んでいるのだが、体育館への避難を強いられているとのこと。 これを書いている火曜日にも大きな余震があったのですね。 いったいいつまでこの状態が続くのか、と心が痛くなる。 事態収束の日が少しでも早く来ることをお祈りしています。

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この状況下でテレビに引っ張りだこになっているのが地震学のセンセ―方である。 それぞれに難しい理屈や専門用語を駆使して、今回の異様な地震の発生のメカニズムを解説してくれている。 一番最初の大きな地震が発生したときに、その中のお一人が 「震源が浅い地震では、大きな余震がたくさん起きますから、注意してください」 と言っていたのを、へー、そんなものなのか、と思って聞いていたら、まさにそのような (いや、それよりもはるかに激しい) 経過をたどっている。 専門家の知識はすごいものだ、と感心したのである。

で、今朝。 それとは別のセンセ―がテレビに出ていた。 今回の地震南海トラフ地震を引き起こす可能性について司会者に尋ねられたのだが、そのセンセ―の見事な答えにちょっと失笑。

これらは、かなり関係しているのではないかと言われています。

・・・。 

不確実性がきわめて高い世界で、神ならぬ人間から出てくる答えは、せいぜいがこの程度のものである。 私もお薬のプロの端くれとして、たとえば 「このお薬があの人に効くかどうか、分かりますか?」 とか、「このワクチンがあの人にあの有害事象を引き起こしたと思いますか?」 とかと一般の人たちに尋ねられても、この程度の答えしかできぬ。 地震の世界と薬効評価の世界、不確実性の構造は異なっているが、本質は同じ。 わからないものはわからない。

さらに加えて、最近強く疑問に思うのが、わからないこと (とわかること) の意味を正しく表現する語彙を私たちはちゃんと持っているのか、という点である。

たとえば、「アスピリンが効く」。 こんな簡単な文章が私には理解できないのである。 これってどういう意味だろう? どういう場合にこの文章 (命題) が正しくて(真)、どういう場合に間違っている (偽) のだろう? 

「小野さんってバカじゃないの? 治験で有効性が検証されたら、そのお薬は効くんだよ」 とお思いの方もいるだろう。 だとすると、「アスピリンが効く」 は、治験をやる前は偽で (あるいは真でも偽でもなくて)、治験後に、突然、カチッとスイッチが入ったように真になるってこと? 今現在は真なの? では100年後は? 10万年後、人類や生物がすべて死に絶えた地球(とかつて呼ばれた惑星) ではどうだろう? アスピリン飲んでたのに血管が詰まって死にかけたおじさんに向かって 「アスピリンは効く!」 と力強く言うのかな?(笑)

ほら、もうここまでの議論ですでに、とても扱いが難しい問題がいくつか登場してることにお気づきですか? たとえば(一般的な古典論理学の意味論モデルにおける) 述語論理や存在措定の話。 簡単に言うと、「アスピリンが効く」 という文章に、「人間」 が登場していないことの不自然さの問題。 そして、「アスピリンが効く」 という表現自体がそもそも変で、本来は 「(私は) アスピリンが (田中さんに) (たぶん) 効く (と思います)」 といった表現に置き換えないといけないのではないか、という点。 つまり、お薬に係る言説・主張を論理学的に正しく行うには、信念や可能性に関する様相 (モード) という概念を用いた意味論・論理が必然的に求められるのではないかということ。(注 1)

(注 1) むろん、ちゃんと論理学勉強したそこのあなたは、「そうそう、様相論理ね。 演算子は◇とか□とか。 クリプキって、ほんと、天才だよね」 などと深く頷いておられることだろう。 で、頷いているそこのあなた、うちの研究室に来ませんか? 一緒に研究やろう!

こういう話を始めると、たいていの業界人 (産官学すべて) が 「『アスピリンが効く』 なんて常識に任せればいいのよ。 日本語なんだし、大体の共通理解があれば、それで十分でしょ?」 といった反応を示すのだが、甘すぎである。 だってさ、ちょっと考えてみてよ。 アスピリンが効く」 がどのような場合に正しいか(間違っているか) が厳密に言えないヒトが、「本薬の有効性が検証された」 だの、 「ワクチンの安全性は確認されている」 だのといった主張・議論を正しくできると思いますか? 無理に決まってるよね。 ましてや、「日本人症例数が30%で十分」、「このPKプロファイルの類似性から安全性は類推できると考える」 なんていう議論は、真偽なんぞもう完全に超越した (笑) 不毛な神学論争にしかなりようがない。

正しいのか・間違っているのかが神様にも分からない言葉を使って主張を延々と繰り広げるのって、とても虚しいと私は思うのだが、業界人はどうもそうは思わないらしい。 また、主張の正しさを保証するのに、やたらと「科学的根拠」 「合理的な判断」 といった言葉を持ち出す業界人も多いのだが、そんな上っ面だけの言葉で主張を塗り固めても、論理の欠落はまったく埋まらないよ。

ちなみに、この「『アスピリンが効く』 が意味不明問題」は、 「新薬の承認審査や市販後の安全性評価は神事そのもの」 仮説の重要なパーツの一つであり、サル的なヒトの最近の研究対象の一つ。 どうですか、皆さんもこういう話を聴くと、ワクワクするでしょ? 「オラ、サイコーに燃えてきたぞ!」 と悟空がスーパーサイヤ人になる時くらいドキドキしませんか? ・・・ しない? おかしいなぁ。 説明が足りないのかなぁ。 よしゃ、ではこれから3時間ばかり使って解説を ・・・ と思ったが、今日は疲れててこれ以上説明する気力がないので、次回以降に。

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というわけで今日は短いがこの辺で。 忙しいといいながら、流行りモノDVDはしっかり見ているのである。

最近見た映画。 ジュラシックワールド

問題 「この映画の内容を10字以内で説明せよ」
模範解答 「登場人物全員バカ」。

もう一本。 「ヴィジット The Visit」

・・・ これについては何も語るまい。 実は、一人で見るのがコワくて(笑)、家人をだまして一緒に見させたのだが、見終わった後で 「これが超一級のスリラー? フッ」 と鼻で笑われてしまったとだけ申し上げておく。 でもね、この映画の超くだらない感じ、私は結構好きである。