小野俊介 サル的日記

いや、その、サル的なヒトだから・・・

因果を考えるサル

連休は何をしていたかというと、ひたすら因果 (causality) について考えていたのである。 連休明けの皆さんの疲弊しきった頭にはしんどいだろうから、今日のところは詳細な説明は勘弁しといてやる (笑) が、現在の薬効評価や安全性評価の世界に登場する因果関係の概念って、相当に曖昧である。 れぎゅらとりーさいえんすなるものの信奉者の経典、ICH E2A、 E2D といったガイドラインの副作用の定義を読んでもらえばすぐに、「この業界、因果関係そのものについてはほとんど何も考えてないな」 ということが分かる。

・・・ と書くと、ちょっと気の利いた業界人は、 「小野さんは、例の 『副作用の因果関係判定は、集団での評価をもっと重視すべき』 だとか、「因果関係を否定できない」 の解釈と運用が日本の規制は歪んでいる』 とかいった点を指摘しているのだな」 と勝手に思ってくれたりするかもしれぬ。 「製薬業界と一緒に、日本のガイドライン・制度の歪みを改善してくれるのね?」 などと勝手に期待してくれるかもしれぬ。

残念ながら、たぶん、そうはならない (少なくとも直接には)。 ごめんなさいね。 

私の興味はそこではなく、もう少し深いところにある。 私が考えているのは E2A に書いてある「因果関係」 がそもそもいったいなんなのか? という話。 確率的因果 (probabilitic causality) の概念をゆるーく適用しているのかと思ってガイドラインを読み直していたら、ただ 「a possibility」 とだけ書いてある。 これでは仮に確率的因果を想定してるにしても、その流派 (解釈) がはっきりとは分からない。(注 1)

(注 1) 最近出たテキストでは、ADR に加えて suspected ADR なんて言葉を提案しているのだが、これも因果論の目からは、わけの分からない言葉をますます分からなくしているだけである。 ヒュームの「因果関係は単なる人間の思考のクセ」 への回帰かもしれぬ。

興味深いのは、最近の業界人が書いた総説を読むと、皆さんが、明らかにアリストテレス以来の哲学の伝統を受け継いだ、必然性を要件とする 「因果関係」 を前提とした議論・主張を繰り広げている点である。 たぶん無意識・無自覚に、なんだろうけど。 流行の確率的因果の考え方に自分で背を向けて、哲学者好みのかび臭い 「因果関係」 をあえて採用し続けている姿に気づいてないところがちょっと滑稽。 ふだんはリベラルアーツの根幹、哲学の概念など見向きもしないくせに。

そんな状況を目にすると社会学的な興味(医薬品業界人 (産官学すべて) って、なぜこんなふうに奇妙なんだろう? という興味) もわいてくるのだが、それはさておき、やはり面白いのは薬効評価での因果の概念そのものである。

何度もこのブログにも書いたが、「この薬には○○の副作用がある」 「この薬は効く」 といった表現って、とても奇怪な表現なのである。 一言でいうと意味不明 (真偽が判断できない) なのよ。 その奇怪さをきちんと学問的に解明しようとすると、論理学や因果関係論、つまり哲学の概念や方法が必要になるのだが、業界人ってそういったお勉強から逃げ回っているから、問題の所在にすら気づいていないと思う。 だからこそ、活断層 (因果関係の概念) の上に耐震性のない100階建てのマンション (薬事規制や薬効評価の体系) を建てて平気な顔をしていられたりするわけである。 そりゃ薬害や薬害もどきが延々と起き続けるさ。

哲学の方法を参考にしたこういうアプローチって、別に机上の空論ではありません。 たとえば、「副作用とは何か」 を哲学のやり方を参考にして追究することは、「この薬には○○の副作用がある」 という意味不明の表現で成り立つ現在の添付文書の内容を具体的にどう改善していくかに直接につながるわけだし、きわめて現実的なインパクを持っている。

というわけで、この連休中はずっとそんなややこしいことを何冊ものテキスト抱えて考えていたのでした。 内容はおいおい紹介していきますね。 気が向けば。

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・・・ というのは実は嘘で、ホントはマンガも読んでました。 すまんかった。

よつばと!

こんなにステキな漫画があるなんて。 どうしてみんな、もっと早く教えてくれないのだ? もう、まったく。 サル的日記の読者のおまいらほど頼りにならない連中はいないよな。 よつばちゃんのなんでもない毎日に、僕はメロメロだ。 大人買いして、今6巻まできたところ(13巻まで発売中)。 読み終わるのがもったいないから、毎日少しずつ、何回も何回も読んでいるのだ。 

小さな子供の汗が少し乾いて、髪の毛から発する少しツンとしたにおいって、素晴らしい。 遊び疲れて、勝手にその辺で寝てしまった汗臭い子供をかつぎあげ、お布団に寝かしてやった後の、やれやれというとてつもない安堵と幸せは、子供を育てた親ならばみんな経験がありますよね。

そういう感慨を思い出させてくれる素晴らしいマンガである。 未読のおとーさん、おかーさんは、ぜひ。 おすすめです。

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さて五月である。 この美しい季節には、理屈をこねてばかりのオッサンは似合わない。 そういえばこんな曲があったなぁと緑のキャンパスを歩きながら懐かしく思い出す。 斉藤由貴ちゃんではなく、あえて谷山浩子を紹介するのが昭和中期型ロボ (含 福山雅治)のこだわりというもの。

♪ だけど 好きよ 好きよ 好きよ 誰よりも 好きよ ・・・

赤面するほどシンプルで思いがほとばしる素敵なフレーズを小さな声で呟きながら、「高校時代にひそかに好きだったあの背の高かった子は、今、どんなお母さんになっているのだろうね」 とちょっと遠い目になって想像したりする春の日。