小野俊介 サル的日記

いや、その、サル的なヒトだから・・・

オトナの勉強の効用

大崎あたりのB社での無料出張講義は今週で終了。 皆さんお疲れさまでした。 Fさん、毎回の準備ありがとうございました。

講義終了後に、受講生の一人からありがたいコメントを頂いた。

「倫理の講義が面白かったです。 中学生の娘に、『お母さんが仕事でやっている新薬の開発って、こういうふうに難しいのよ』 と、例の暴走トロリー問題を使って倫理的な難しさを説明したら、なんとなく分かってもらえましたよ」 とのこと。 おおっ、それは素晴らしい。 ぜひ、娘さん連れて私の研究室に遊びに来てください。

「あとですね、『難しいことを学べば学ぶほど、怖いものが無くなっていく』 という感覚、私も分かってきました。 自分が正しいと思うことを正々堂々と言えばいい、要はそれだけのことなんですよね」。 おおっ、さらに素晴らしい! まさしくそのとおり。

ややこしい概念をきちんと勉強することの (ちょっと生臭い) 実戦的な効用はそこにあります。 たとえばカントとかヴィトゲンシュタインとか (超有名どころの哲学者たちね) を必死で勉強したり、たとえば論理学の完全性定理やコンパクト性定理といった難解な概念を必死で勉強して、ホンモノの人類の知恵と呼ぶべきものに一度でも自力で触れると、会社の社長や開発本部長やお役人の言ってることを肩書を外して聴けるようになるんですよ。 くだらんことを言ってたら、「あ、この人、ダメだ」 と 心の底から呆れる ことができるようになるよ。

あとね、アカデミアの人たち (大学の医者、研究者) も怖くなくなるよ。 そのセンセイに学・知恵がどのくらいあるか? という物差しで接することができるようになるから。 肩書がやたらと立派でも、あるいは態度がやたらとL (笑) でも、「なんじゃい、こいつの知恵はこの程度のもんか」 と分かったら、ビビる気すら起きなくなります。 逆に、ホントにすごい学者も見つけることができます。 そういう学者に出会えたら、「おおっ、このセンセーはすごいぞ! ホモサピエンス万歳!」 と 心の底から喜べる ようになるよ。

外人も日本人も無関係。 「英語を話すけど、残念なヒト」 を敬う気など失せますね。

どうですか、いいことずくめでしょ? これからも頑張って勉強してくださいね。 ではまず、実無限と可能無限の概念の復習あたりから始めましょうか(笑)

*****

今日は研究室のセミナーの日で、最近出た論文の紹介があったのである。 ところが、これがまぁ、とてつもなくひどい論文で、げんなり。(注 1)

(注 1) どういう内容かを具体的に書くとすぐにどの論文かが特定されるので、この記事では完全に別の内容に置き換えてます。 誤解しないでね。

技術的に 「こりゃまずいぞ」 と思える点がいくつかあったのだが、そこは私は問題だとは思いません。 統計学の手法って大なり小なり仮定に基づくモデル分析なので、「完璧な分析方法」 などというものは論理的に存在しないのだから。 私がげんなりしたのは、志の低さ。

まずは、論文タイトルがいきなり業界紙レベルのステレオタイプな主張で、目が点に。 いや、正確には、医薬品業界の東スポを自任する某紙でも、もう少しマシなタイトルをつけるぞ、というレベル。(注 2)

(注 2) いや、間違えた。 逆に、東スポの見出しはおそろしく素晴らしいのだった。

その珍妙さを例えるとすれば、薬学会の雑誌に 「高すぎる医師の年収を下げるための薬学的方策について」 というタイトルの論文が何の脈絡もなく掲載されている感じ。 気持ちは分からんでもないが、いきなり 「医師の年収を下げるべき」 から話を始めたらいかんだろ。 著者たちの頭の中には規範的 (normative) な言説と事実言明的 (positive) な言説の区別がないらしい。 経済学部の学生が入学初日に習う概念なのに。

そんな内容の論文を載せる方も載せる方。 「流行りだから」、「一見正しそうだから」 くらいのシロウト感覚で、上の例でいくと医療経営など何も知らぬ薬学専門のレフリーがテキトーに審査して、アクセプトしちゃうんだよなぁ。 そんな状況を、世の中の人々は皆知ってるから、論文に書かれた研究成果を本気で活用しようとする人なんて誰一人いないのだが、それって当然だと思う。 自業自得。 自分たちの学問領域だけに、情けなくて、とてもつらい。 

原因追求と介入手段の探索のための分析をしているはずなのに、メカニズムや因果関係論がどこにも出てこない。 「AとBは負に関係してました。 だからAを減らせばBが増えます。 以上」 などと真剣に主張してる。 それって 「北海道が寒いのは、緯度と気温が負に関係しているせいです。 だから北海道の緯度を減らせば、気温が上がります。 以上」 って言ってるようなものなのだが。 ゴジラかなんかに頼んで地殻・マントルを移動してもらうのだろうか。 それ、ゴジラでも無理だと思うぞ。

パブリックヘルスを含む社会科学の常識としての内生性 (endogeneity) といった概念、介入可能性の概念などどこにも見られない。 製薬ビジネスの戦略を扱っているのに、機会費用の視点すら無い。 あーあ。

ねぇ、大学院生の皆さん、研究者の皆さん、大学の先生たち。 もう少ししっかりしましょうよ。 昔からアカデミアの住人 (やお役人) に対して、製薬企業の方々が面従腹背なのは知らんわけじゃないでしょうが。 学問・科学の底力を業界人に見せないと、ますますアカデミアの内情を見透かされ、見放されますよ。

以上はもちろん、すべて自分自身に返ってくる激、批判である。 頑張らねば。 
 
*****

最近読んだ本を何冊か紹介しておこう。 なんかユルい本ばかりでお恥ずかしいが、たかがブログ、こんなもんでいいか。 うちの研究室の学生は、こんなユルい本ばかり読んでたらいかんぞ。 頭がユルくなるからな。

遺言。 (新潮新書)

遺言。 (新潮新書)

養老先生の最新刊。 もう読みましたか? これもベストセラーになるのだろうなぁ。 おじいさんの繰り言のような体 (てい) からの含蓄のある世界観。 「あ、これフッサール現象学の還元のやり方と同じことを言ってる!」 などと気付かされたりする。 思考の年輪を重ねたホモサピエンスの直観って、素晴らしい。

今、テレビでドラマ化されてますね、これ。 昔ビッグコミックで連載されていた頃から好きだったマンガ。 売れない男性演歌歌手、五木みさおのお話。 アパートの隣の部屋に住む万田春子さん、所属事務所の社長の深情 (ふかなさけ) マリのキャラが絶品である。 大人が十分楽しめますよ。 おすすめ。

おい、小池! (時代への警告)

おい、小池! (時代への警告)

内容については解説不要かと思うので、コメント略。 我々の世代は、交番や銭湯に貼られていた指名手配書でおなじみ。 コピーライターには出せない書名のインパクト。