小野俊介 サル的日記

いや、その、サル的なヒトだから・・・

ティファニー本店を探さない

温かく、いろんなニオイが混ざったなんとなく愉快な風が吹く季節になりましたね。 ベランダでチェアリングと称しつつ読書をしてると、いろんな虫さんが来訪してくれる季節。 アブラムシとか、ゴミムシとか、カメムシとか、ハナアブとか。 私は小っちゃい友達が来てくれるのが嬉しくて仕方ないのだが、家人は 「布団が干せないじゃないの」 とブツブツ言ってる。 あれ、そういえば今年はまだツバメを見てないぞ ・・ などと呟きながら見上げる春の空。 皆さん、お元気?

 

緊急事態宣言だのなんだのと気分がさえず、現実逃避をしがちなサル的なヒト。 こんなときは映画の世界に没入して夢見心地になってやろうと思ったのである。 どの名画を見ようかと思案してたら、ふと、私の研究室で数年前に博士をとった、品川に研究所がある会社の聡明なおねいさん (この人ね → トントン、トントン、と - 小野俊介 サル的日記 )が今アメリカのニューヨークあたりに海外赴任していることを思い出したのだ。

実は少し前にサル的なヒトは、弟子であるこのおねいさんに 「5番街のティファニー本店の前で、クロワッサンとコーヒーをオードリー・ヘプバーンと同じポーズで食している写真を師匠に送るように。 あ、最近できたティファニー店内のこじゃれたカフェで食べてはいかんぞ。 なんでもカネで済まそうという卑しいニポン人根性を出してはいけない」 と命じたのである。 コロナ禍だが、「クロワッサンを口にくわえた可憐な日本人女性、ごっつい警備員に見咎められて必死に逃げるの巻」くらいの写真は撮れるだろうと思って (笑)。

ところが、なかなか写真が届かない。 研究も仕事もできる優秀なおねいさんなのに、どうしてこんな簡単な指令が実行できないのだろう。 よし、それならこっちから現地に出向くまでだ ・・・ とおもむろにグーグルマップのストリートビューを開いてみた。

おおっ、これは、まごうことなくニューヨークだ! 仕事でもプライベートでも何度か行ったニューヨーク。 夢と憧れのニューヨーク。 世界で一番楽しい都市ニューヨーク。 懐かしい思い出が詰まったニューヨーク。 自慢じゃないが5番街の情景は目をつぶっても思い出せるぞ。

えーっと、セントラルパークから南側に向かって歩いて、ティファニー本店はこのあたりに ・・・ 

 

ない。

ティファニー本店が5番街に、ない。

 

う、うわぁー、どうしたのだ? ティファニーって倒産したのか? そんなニュース聞いてないぞ ・・・  買物どころか、怖くてお店に一度も入ったことすらないのに、ティファニーはこの世から消え去ってしまったのだろうか? あまりの衝撃に、猿の惑星のエンディングのチャールトン・ヘストンのように呆然と立ちすくむサル的なヒト。

研究室のデスクで私がわぁわぁと大騒ぎしてたら、秘書さんが 「あれ? ティファニー本店って改装中ってニュースが出てますよ」 と冷静に指摘してくれたのである。 その後、弟子のおねいさんの同僚で、ニューヨークあたりに赴任してるうちの社会人学生 (研究室のセミナーに現地から参加してるという熱心さ) も本店の改装・一時移転の状況を細かく教えてくれた。 なーんだ、そうだったのね。

Kさんへの 「ティファニーで朝食を」 指令は一時停止だな。 本店が元の麗しい姿に戻ったらよろしくね。 研究室の同門一同、秘書さん、みんなで写真を待ってますよ。 健康に気を付けてがんばってね。

 


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毎年この時期恒例のお知らせを一つ。 業務連絡っぽくて申し訳ございません (笑)。

 

東大薬学系研究科の大学院の入試説明会が5月8日(土)13:00- に開催されます。 今年も残念ながらオンライン開催です。 興味のある人は覗きに来てください。 といっても当日は短い説明時間しかなくて、通り一遍の説明しかできません。 私の研究室や学位取得について詳細な説明が聞きたい方は研究室に直接メールしてくださいね。

博士の学位取得を考えている人たちへのアドバイスは、過去に書いたものを読んでもらうのがよかろう。

これ → あ、そうだ、大学院に行こう! - 小野俊介 サル的日記

と、

これ → そうだ、大学院に行こう 再び - 小野俊介 サル的日記

をご一読ください。 「どの大学院に行くか」 についての基本的なアドバイスはこれらの記事に書いてあるとおりで、今も変わらない。 今、記事に付け足さないといけないのは、学位を取得しようとする皆さん自身への次の問いかけかな。

「皆さんは本当に勉強がしたいのですか? 学問がしたいのですか?」

最近の社会人の中には、大学院の博士課程を、DIAとかの業界人向けの研修コースと同種のものと勘違いしてる人たちが増えた気がする。 大学での研究を、会社やお役所の仕事 (研究、実務) の延長線上にあるものだと勘違いしてる学生も増えたなぁ。 これらの点に関してははっきり断言しておこう。 それって完全な誤解です。

だけど、そうした誤解を持った社会人を、誤解を解くことなくそのまま受け入れ、PMDAや企業での実務をそのまま研究と呼び、仕事・業務と同じ目線で論文を書かせて、それで 「よくやったね」 と学位をくれる大学院が現にたくさんあるのも事実。 へたすると指導教員の大学教授がそういった社会人と同レベルだったりするしな。

学位を出す医学部や薬学部の教授はむろんそれぞれに立派なご専門を持ったプロだが、必ずしも医薬品行政や産業の知識をちゃんと持ってるわけではない。 そもそもろくに知識のないそういった領域で、指導者として 「学問の知恵」 をひねり出す苦しみ (ホントはそれが学者の最大の喜びなんだけどね) をしなくて済むのなら、それはそれで楽ちんでいいや、と思っちゃうセンセーたちがいても不思議ではない。 社会人というカモがネギ背負ってやってきて、料理までしてくれるようなものだもの (笑)。

そんな現状に見事に適応した要領のいい社会人学生の中には、そのへんに落ちているデータを自分でテキトーにいじって、見てくれだけは立派な論文を自力でテキトーに書いて、「はい、学位取得の要件は満たしましたよ」 とさっさと卒業してしまう方々が結構いるのである。 そういった方々って、教員からろくに指導を受けずに自力で学位要件の 「形」 だけは作ってしまうのだから、見方によっては確かに有能である。 でも本当はとても気の毒だよね。 だって、その人たちって一ミリたりとも学問の深遠さ、苦しさと楽しさに触れてないのだから。 名刺に Ph. D. と刷るためとは言え、単に自分一人で残業して業務をこなしているのと変わらないんだもの。

そんな理不尽に陥らぬよう、うちの研究室では学生皆に 「人類の知」 に触れてもらいます。 知恵の海に飛び込み、教員とともに溺れて水を飲み(笑)、しかし最後には多少なりとも泳げるようになることを目指します。 それってなんら抽象的な目標ではない。 経済学、統計学、疫学、倫理、論理学、哲学などをきちんと勉強するだけのこと。 「卒論・修論の研究や、企業・PMDAの業務上の知識があれば自然に学問が出来る」 などという誤った先入観を捨てるだけのことである。

というわけで、大学院で 「おおっ! こんな知恵が人類にはあるのか! これは面白い!」 という経験をしたい方、 「フツーの業界人で人生を終えたくない」(笑) という方、そしてもちろん 「仕事とは違うことをちゃんと勉強したい」 という方は、ぜひ本研究室にコンタクトしてください。 相談に乗ります。 Ph.D. ? むろん Ph. D. は楽しく頑張った人すべてに漏れなく 「おまけ」 としてついてきます (ついてくるはずです)。

一方、「ビジネスパーソンとしてのキャリアアップ・ステップアップのために Ph.D. が欲しいのよ」 「製薬業界のグローバルなジョブマーケットで学位は必須でしょ」 といった理由が勉強への好奇心より著しく先に来る人には、うちの研究室はおすすめできません。 というか、良心的でまともな先生なら誰でも 「うーん。 あなたの動機は別に間違っているわけではないのだけど、何か勘違いをしてるかも」 と答えるはず。 悲しいことに、そういう 「良心的でまともな先生」 って、私の知る範囲では数えるほどしかいないかも。 あーあ。

 

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 最近つまらん専門書しか読んでおらず、皆さんにおすすめできる本があまりない。 すまんすまん。 この本は面白かったよ。 養老先生の近況だけでなく、猫のまるの最期のことを知ることができてよかったです。

 

養老先生、病院へ行く

養老先生、病院へ行く

 

 

ケインズの 「一般理論」 。 マクロ経済学のテキスト読めば理論自体は理解した気分になれるのだが、原書の文章一つ一つがやけに読み難いのである。 サル的なヒトも何度も原書にトライし、その都度跳ね返されてきたのだが、その理由がこの本でやっと分かったよ。 あれって、そもそも文章として無茶苦茶読みにくいのね。 たとえば本文が皮肉・他人の批判だらけなのだ。 読者は皮肉・批判の読解に苦労してしまい、話の本筋がよく分からなくなっちゃうんだよな。 それって、サル的日記の読みにくさとある意味一緒かもしれん (笑)。

 

超訳 ケインズ『一般理論』

超訳 ケインズ『一般理論』

  • 発売日: 2021/03/05
  • メディア: 単行本
 

 

といった感じで、じゃまたね。

コロナだろうとなんだろうと、春を楽しもうね。 外に出よう。 人間以外の自然に触れよう。 石とか虫とか風とか匂いとか。 今年の春は今年の春にしか楽しめないのだから。