小野俊介 サル的日記

いや、その、サル的なヒトだから・・・

そのうち、慣れる

う、う、・・・。 シクシク ・・・ 。

臭い ・・・ 臭いのよ。 ドブのような臭いがする。 オラのマスク。

このマスク、まだ7日目 なのに。 内側に茶褐色のねっちょりした垢が付いてるからかな。 なんか変なバイオフィルムが形成されている気がする。

でもさ、オラ上級国民じゃないから、マスクなんて買えないのよ。 毎日朝晩ドラッグストアを覗いてはいるのだが、店内に入る以前に 「マスクは入荷していません」 と大きく書いてある。

だから手持ちのマスクを大事に使うしかない。 臭くても、茶色のねっちょりした汚れが内側に付いていても、このマスクを使い続けるしかないのである。 マスク付けてないと、満員の半蔵門線の中で咳が出た時に人殺しを見るような目で見られるからな。

*****

で、皆さんどうですか。 コロナウイルスのドタバタ。 この先どうなるのかと不安でいっぱいの方々も多かろう。

よしゃ。 薬効評価・薬剤疫学領域の20年モノのエキスパートであるサル的なヒトが、コロナウイルス蔓延の世界の行く末を予想してやろう。 細木数子 (古っ) もびっくりの大予言だ。 聞いて驚くなよ。

 

そのうち、慣れる。

 

というか、

 

結構すぐに、慣れる。

 

い、いや、例によってテキトーなことを言っているわけではない。 過去の私たちの研究結果に基づいた推測である。 証拠はこれだ。

 

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新薬が新しく発売されるよね。 で、新薬なので副作用も盛大に出ることがある。 発生した重い副作用の数 (正確に言うと報告された数) を見ていくと、面白いことに気付くのである。 

薬のプロがこんなふうによく言うでしょ。 「発売直後の薬には、未知の副作用があることもあるので、市販後の監視が必要なのです」。 それはそのとおり。 で、その副作用の出方なのだが 「市販後の副作用は、発売後2、3年でピークになって、その後徐々に減っていく (いわゆる) ウェーバー曲線を描いて発生するはずだ」 という経験的仮説が今でも幅を利かせているのよ。 

ところが、グラフを実際に書いてみると、多くの薬でそんな曲線の形にはならないのである。 (注 1) 副作用報告数は 「市販直後にピークがあって、その後徐々に減っていく」 のではなく、「一定の数の重い副作用が、ずーっと出続ける」 という感じ。 「副作用は出るもんだから、仕方ないんでしょーな」 って感じ。 

(注 1) いろんな研究者が 「副作用数はウェーバー曲線にはならないぞ」 と報告しているので、興味のある方は論文を検索してみてください。 

健康量を数量化する流派のパブリックヘルスの視点からすると、市販後に出た (いわゆる) 未知の副作用の影響よりもむしろ、こうしたずーっと出続けている副作用の影響の方が定量的にはずっと大きいはずである。 時々 「薬の副作用は死因の上位を占める」 なんていうセンセーショナルな論文が出たりもする。 が、どうもこの手の 「私たち人類って困ったことから自然に目をそらす傾向があるのでは?」 といった問題にはみんなあまり興味を示さないのな。 業界人の大好きな、意味不明のベネフィットリスクとやらの分析もこれに関してはしないし。 (注 2)

(注 2) 医薬品でメシを食っている人たち全員 (企業、当局すべて) にケチをつけることになるから。 既存のシステムの予定調和の中でメシを食っている研究者は決して手を出さないトピックである。

パブリックヘルスはさておき (私はプロだからさておく気はまったくないのだが)、リスク社会学的に解釈すると、この現象って、私たちみんなが、重い副作用に (あるいは、企業の人たちと規制当局の役人が 「このくらいなら許容範囲だよね」 と勝手に判断した安全性プロファイルに) 慣れていくプロセスそのものである。

社会が、副作用に、慣れる。

社会が、健康被害に慣れてしまって、誰も特段気にもしなくなる。

これって、別に不思議なことではない。 過去の私たちの歴史・生き様そのもの。 薬害とかを含めてね。 健康被害を受けた (受けている) 人々にしてみればたまったもんじゃないのだが。 

で、話をコロナウイルスに戻す。 憎々しい奴らだが、こいつらを根絶することなど誰の目にも不可能なのである。 受け入れて、共存するしかあるまい。 トム・ハンクスが感染したのだから、あなたも私もそのうち感染するのだろうなぁ。

みんな不安だよね。 でもね、大丈夫だと私は思うのよ。 なぜなら、

私たちって、直接的にはもっとヤバい健康被害 (副作用) を平気で・無自覚に受け入れてきた、相当に鈍感なサル人たちなんだから。

みんな、イヤなことや都合の悪いことにすぐに慣れてしまう自分たちの鈍感力にもっと自信を持とうよ。 空からサラサラと放射性物質が降っていたあの日にも、新橋や虎ノ門のリーマンのおやじどもは平気で昼メシ食いにラーメン屋に行ってたじゃないか。 あとさ、原発被害や台風被害と同様に、喉元すぎればすぐに忘れてしまうのもニポン人の得意技ですね。 ほれ、もうみんなコロナのニュースに飽きてきてるんでしょ?

*****

「病気を治すという目的がある薬が引き起こす副作用と、その辺から降ってわいたコロナウィルスでは話が違うのでは?」 と思われる賢明な方もおられよう。 そのとおりです。 他にもじっくり議論すべき点がたくさんある。 そういう冷静な人々とは、SNS ・ブログのようなバカ発見器を通じてではなく、面と向かってゆっくり話がしたいものである。 ・・・ あ、でも互いにマスクは着用しようか。 オラのマスク、ちょと変な臭いがしてるけど気にしないで。

*****

映画 「Ad Astra」 を見る。 ブラピが出てるからな。


ブラッド・ピット主演!映画『アド・アストラ』予告編

 

・・・。 

なんというべきかビミョー。 見ていて 「宇宙空間って、もしかして空気が結構あるのか?」 などと勘違いしてしまったサル的なヒト。 ヒット作 「マイクログラビティ」 と、地獄よりも怖いものを可視化してくれた怪作 「イベント ホライズン」 の両者のダメなところを合せたような作品のような気もする。 が、ブラピがカッコいいのだから良しとしよう。

いいのよ、それで。

神事(あるいはバカ発見器)

今回の記事も、肺炎騒動の目先の解決策を論じるものではなく、また、騒動の渦中にいる当事者をけなしたりほめたりするものでもない。 平常モードで気の長い話をする私の雑文を読んで 「抽象的な批判ばかりで建設的ではない」 などと憤りを感じる短絡的な阿呆気の短い方は、さっさとお立ち去りください。 その手の方々は、カッカしながら一時間に一回くらい肺炎対策を呟いているおじさん・おばさんたちの twitter をフォローして、一時間に一回くらいイライラすればよかろう。 (注 1)

(注 1) twitter でまっとうなご見解を示されておられる真面目な諸先生方へ。 短絡的な阿呆気の短い人たちを私が引き受けられずスミマセン。 面倒くさいけどセンセー方が相手してやってください。

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医薬品の開発、評価、規制、行政の研究者として、20年間私が追求し続けている課題 (仮説) はこれである。

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はい、私の講義でいつも登場するいつものアレなスライドです。

新薬を承認するかどうかの判断ってこんな感じなのである。 法律に出てくる有効性だの安全性だのというまったく意味不明の言葉を使って (正確には 「使ってるふりをして」) 儀式をやっている。 縄文人の雨ごいと似てる。

この状況ってね、誰かがうっかり (すでに存在している) 有効性・安全性の定義を法律・辞書に書き忘れてる、などという軽いポカから生じているのではないのよ。 事態はずっと深刻。 そもそも 「薬が効く」 「薬が安全である」 ってことの意味 (意味論的な定義) を業界人たち (お役人、企業人、医学・薬学の専門家) は誰一人知らないのである。 知らないから説明もできない。 それ以前に、意味を考えようと思ったことすらないのだろうな。

この問題提起は、決して衒学的 (げんがくてき(pedantic)。 学識をひけらかして正確性に過剰にこだわること) なものじゃない。 ほら、これまでに起きた数々の薬害・トラブルを思い出してください。 それらほとんどすべてが 「その薬は効くの?」 「その薬は安全なの?」 の意味不在の中で起きているのよ。 私はもう一歩踏み込んで 「誰一人として 『有効性』 『安全性』 という言葉の意味が分からないことが、不幸なできごとの原因 (の一つ) である」 とも思っているのだ。

製薬企業が 「この薬、効きます。 安全です」 と申請したお薬の15%くらいが当局から拒絶される現状も、意味が共有されていないことを示す例だよね。(注 2)

(注 2) 「いや、それはエビデンスの問題だ」 とか 「不確実性が・・」 とか 「リスク選好が・・」 とか言ってくる方々は、それらを含んだ意味の定義がそもそも必要であり、それは十分に可能であることに気付くこと。 こう言っても分からん奴は論理学、言語学の教科書をそれぞれ3冊くらい読んでから反論すること。

有効性・安全性といった理屈の根っこが意味不明で、自分の好き勝手に皆がワーワーと口から出まかせを言っているだけなのだから、リスクベネフィットだの有用性だのといった、より複雑な概念は、意味不明の二乗である。 そうした意味不明語に基づく規制・行政を単にメシのタネにしようとするれぎゅらとりーさいえんすとかいう営みに至っては意味不明の三乗 (笑)。 意味不明語を疑い、意味不明語が形作る規制 (法制度、ガイドライン) を批判的に検討するのが科学・学問だろうに。 恥ずかしくないのかね。

・・・ という問題意識をこのブログでもたびたび皆さんにお伝えしてきました。 全く理解してもらえた感はないし、問題意識を共有する同志もまったく増えぬ。 でも、今のコロナウイルスがらみのドタバタで、私の主張がとても伝えやすくなったぞ。

要は、

行政官や科学者が自らの主張の正当化の根拠としていること (概念、言葉) の多くは、そもそも存在すらしていない。 彼らは全身全霊で言葉遊び (不完全なトートロジー (同義反復) ごっこ をしているようなもの。 正しさを保証する論理体系なんてどこにもないのだから、彼らは決して間違えない。 

ってことなのである。 新薬の承認審査などという非日常的な文脈では理解できなくても、わが身に降りかかるウイルスの話になるととたんに理解しやすくなる。 たとえば審査報告書に出てくる 「この薬の使用のベネフィットがリスクを上回る」 とかいう表現は「今回のクルーズ船の隔離措置は適切である」と同じくらい意味不明なのである。 分かったような気がしてこない? ・・・ してこないか (笑)

*****

ちなみに、上の神事のスライドには、他にもいろんな含意を込めています。 たとえば、儀式って決して価値のないものではない ・・ というか、儀式を行う価値が確実にあること。 結婚式から儀式を除いたら何が残る? っていう感じ。

「儀式を行う」 という行為自体の意味もある。 厚労省が 「この薬は有効です」 という文は、その文の内容に意味があるのではなく、厚労省がそう宣言する (そのような行政行為をする) ことに意味があるという考え方ですね。 言語行為論のスタンスである。 これって別に突飛な発想というわけではない。 だってさ、外資系企業の外人社長が 「この薬は有効です」 と言うのと、PMDA のF理事長が 「この薬は有効です」 と言うのとでは何かが違うような気がしない? (注 3) その何かです。

(注 3) これはちょっとよくない例か。 専門家としての自分の豊富な見識を堂々と語れるF理事長ではなく、たとえば出向組の役人の審査第○部長にこれを言わせた方が言語行為論的なニュアンスが伝わりますね。  

そういういろんな味わいがあるスライドなのである。 20年くらい使っているから、愛着を感じる。 皆さんも研修でこれを使って、受講生にいろいろと語らせてみるとよいと思います。 スライドを見るなりいきなり激怒した僕のかつての上司 (元大学教員) など、いろんな種類のバカが釣れるから面白いよ。 大笑いしているヒトの中にも実は何にも分かっていない危ない人が多数いますのでご注意を。

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コロナウイルス騒動に関しては、上のような視点とは別の、より現実的なレベルで、

  • エビデンスのないことを思いつきのように始める。
  • でもホントのところエビデンスってなんのことか分からんテキトーな言葉である。 スペシャル最高級 「エビデンス」 のはずのランダム化比較試験の結果ですらテキトーに (誤って) 解釈され、テキトーにしか使えないのがサル的な人類の知恵のレベルなんだから。 「エビデンスに基づいて行動せよ」 って 「エライ専門家たちの言うことを聞け」 くらいの意味しかないのよ。 マスク着用を勧めるか否かのドタバタが良い例。
  • 政策・方針の根拠と期待される効果を説明する気がない。 説明できない。 説明できるはずのヤツが背後に隠れて出てこない。
  • 費用が一見安そうな対策 (例:子供) しか手をつけない。 本当の費用 (機会費用といいます) に後から気付いてビクーリする。
  • 相変わらず 『どうも選択を誤ったようなので方向転換します』 と口が裂けても言わない。
  • ミミズだってオケラだって人間だって、なにか情報を与えられたら自分 (and/or 社会) が幸せになるような行動を選択する (その権利と自由もある) ことを忘れて・恐れて、下々の衆生PCR 検査をさせまいとする。

 などなど、話にもならないダメダメなことが次々に起きてますね。 特にお上とその周辺に。 ほらね、医薬品開発・規制の世界でこの何十年もの間に起きてきたダメダメなことの要素が圧縮されて、短期間に起きているから分かりやすいでしょ? 行政でも、医療でも、産業界でも、国会でも、学問の世界でも、シロウトが本職の真似事をしているだけの国ニポンの実状がよく分かる貴重な機会だからじっくり観察すること。 次回以降の本ブログでさらに解説します。 気が向けば。 

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追記 ・・・ のような映画ネタ。
コロナ肺炎、アメリカ様も周回遅れでニポンと同じ道のりをたどっていますね。 「アメリカには感染者が9例しかいない」 とか、誰一人として信じていないことをメディアが報じていたほんの数週間前が懐かしい。 そういえば 「完璧な防疫体制を自ら誇っているはずのアメリカ様が、実はどうにもならんポンコツだった」 というのは映画界ではすでにありふれた鉄板ネタだったことを思い出して大笑い。 たとえばこれね。 

28週後… (字幕版)

28週後… (字幕版)

  • 発売日: 2013/11/26
  • メディア: Prime Video
 

 一度は抑え込んだ rage virus (やたらと他人を噛みつきたくさせるウイルス(笑)) 感染を、自分たちのロジがテキトーなせいで再度爆発的に増やしてしまった無能な軍の司令官が、" Execute Code Red ! Code Red !  Kill everyone !(住民全員、皆殺しにしろ)" と命令する姿をぜひ復習しておくとよいと思います。 「満員電車で毎日通勤する都会のサラリーマンがどの程度コロナウイルスに感染するか」 という臨床研究の被験者になっている私もあなたも、どう考えても皆殺しにされる側だからさ。 

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見逃していた映画 「Us」、見ましたよ。


Us - Official Trailer [HD]

現実的な整合性よりも映画的な (虚構の) リアリティが重要、という割り切りさえ受け容れれば、とても納得できる映画である。 それほど怖くはないので夜中に見ても大丈夫 (笑)。 おすすめです。

To err is human, but not Japanese

連投する気はなかったのだが、数日前のブログを何度も追記・修正するのも気分が悪いので、独立させておきます。

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肺炎の件、少しだけ。

予想もしなかったことが次々起きること、対策が後手後手にまわっているように見えることに、私は驚いてもいないし、怒る気もない。 すべてが不確実な状況ではいろんなことが起きるに決まっている。 予想が当たることもあれば、外れることもあろう。 分配の問題 (誰の幸せをより重視するかという倫理の問題) は、私とあなたで考え方が違うのだから、無闇に 「どうして私の思うとおりにならないのよ、ムッキー!」 と怒っても仕方ないしな。

今の (過去のある時点での) 肺炎のドタバタの中で、誰が正しいのか・間違っているのかという事実で成績表を付けるべきとも思わない。 白黒つけることを期待する読者の期待には添えぬ。 ごめんね。 そんな成績表を作れるのは神様しかいないし、仮にそれがあったとしても人間がそれを使えるはずがないから。

お役人がさんざんいじめられているが、こんな大変な状況なのだから、「素人上司の政治家連中に花を持たせねばならない」 という役人の自主規制を一時捨てて、メディアや外部の知恵者と自由に・堂々と、でもエラぶらず (あいつらやたらとエラソーだからな) に意見交換すればいいのに、と思う。
「日本には CDC がないからいけないんだ! CDC をつくれ! ・・・ で、自分以外にはCDCのトップになれるヒトはいないんじゃないか?」 とおっしゃっているセンセーもいる。 が、それを言うのなら、「そのセンセーたちが『こいつらなら頼りになる』 と認めるレベルの、自分たちの身内や仲良し以外の専門家が今の日本に何人いるのか」 についても同時にコメントしてほしいのである。 その手のセンセーは自信たっぷりに 「オレ一人いればいいんだ!」 って答えるのだろうなぁ (笑)。 センセ、それビョーキです。

 

今回のようなドタバタの中でいつも気になるのは、日本の専門家 (注 1) とニポンのお役所が、「私の (政府の) 見込み違い・判断間違いがありました」 「あの時は分かったような顔をしてただけなんです。 ホントは問題の所在を理解してませんでした」 と、過去を振り返って自分からは絶対に言わないこと、である。 ニポン政府が 「自分の間違いを認めない病」 という不治の病 (無謬神話) に冒されているのはすでに周知の事実だが、専門家も同じくらいヤバいよね。

(注 1) ここでの専門家とは、現場で右往左往しながら青い顔をして対応している医師 (時々テレビで怒りを爆発させていますね。 怒って当然) ではなく、パブリックヘルスとしての感染症がらみの専門領域を背負っているセンセーを指す。 ほれ、たとえばテレビで 「医療の危機管理がご専門の○○先生」 などと紹介されるお医者さんたちね。 もっとも、「危機管理がご専門の・・」 なんて紹介されること自体が気の毒ではあるのだ。 だって、そういった先生方のほとんどは行政や法律の実務なんて知らないし、国や自治体レベルでの危機管理に触れたことなんてないんだもの。 お役人に何か言ってみたところで慇懃無礼に 「ご意見ありがとうございました。 参考にいたします (・・ このクソ忙しいときにメール返信する時間を取らせやがって ・・)」 って扱われるだけ。 あ、逆に、公務員のローテーション人事の中でややこしいドタバタに一度や二度対応したことがあるだけで 危機管理の専門家と呼ばれたり、名乗ったりする人たちもいるな。

 

たぶん今回の肺炎のドタバタでも、専門家たち とニポンのお役所って、この先何か月たっても、何年経っても、「私たちはここで間違えた気がする。 ここは正しかったけど・・・」 って自発的に言い出すことはないと思う。 裁判なんかが起きない限りね。 海外の専門家・政府が、血が上った頭が落ち着き、冷静になった段階で (数年、あるいは数十年かかることもあるが) 「すまんすまん。 私たち・先人たちは、どうやら間違えていた」 と(判決や国会の付帯決議でイヤイヤ誰か他人に言わされるのではなく) 自ら声明を出すのとは大きな違いである。 政治領域でも科学領域でも実例は山ほどある。
専門家の人たち、あれだけあちこちで今後の予想や見解や対策を語っているのだから (twitterでつぶやいている方も多いよね)、嘘、間違い、言ってることの食い違いがどこかで出てきて当然なのである。

ホントはね、今、専門家としてコメントしている連中に 「自分自身に専門家としての点数をつけてから発言してくれませんか」 とお願いしたいところなのだ。 『私は65点くらいの専門家』 とか、『感染症の臨床研究の論文は100報くらい書いているが、疫学や感染予測シミュレーションのことは耳学問でしか知りません』 とか。 自分に自信の持てないところはどこかをコメントに添えてほしいのだ。

が、現実にそれが難しいのは分かる。 メディアから質問されたらイキオイで何か答えざるを得ないときだってあろう。 周辺領域の専門家の方が冷静で俯瞰的なモノの見方ができると思われてコメントを求められることもあるかもしれん。 それは構わん。 その代わり、私は、事態が落ち着いた1年後、5年後でいいから、当時 (今) を振り返って自分のコメントを評価し、それがどのくらい正しかったのか・間違っていたのかを私たちシロウトに教えてくれ、と頼んでいるのである。 だっておまえら (科) 学者なんだろ。

もう少ししたら 「肺炎対策を検証する政府委員会」 とやらが開かれるはずだ。 その手の公開魔女裁判的な振り返りとは別に、私は、できるだけたくさんの専門家連中に自分の見込み違い・心の中での判断違いを告白してもらいたいと思う。 懺悔ではなく、科学の営みとして。 そういう告白を皆さんも聞きたくはありませんか? 次に同じようなことが起きた時に、政治家やお役所や学会の重鎮とやらが判決を決めてしまう公開魔女裁判の記録なんかよりずっと役に立つとは思いませんか?

中には、状況が進むにつれてじんわりと主張を変える達人もいます。 たとえば 「ベイズ流の判断しろよ、おまいら」 と言うセンセー。 ベイズ更新 (状況に応じて自分の信じる確率を修正していくこと) し続けているらしく、常に 「正しい側」 にいてはります。 どのタイミングで、何回ベイズ更新したのかを一切他言しないところがさすがはプロである (笑)。 いや、これは必ずしも嫌味ではない。

あのな、専門家だろうとシロウトだろうと、人間は正しいことばかり言い続けられるわけがないのよ。

皆さんも、メディアでなぜか常に正しい側にいる顔をした専門家・お役人の言動を今回もじっくり観察しておいてください。 原発ボッカーンのときもこんな感じだった。 薬害肝炎 (血液製剤に肝炎ウイルスが混入したまま盛大に使われ続けた事件) のときの専門家・お役所もこんな感じでした。 「とにかく終始一貫正しいことばかり言う正しいヒトであり続けねばならない」 という、自己正当化の悪霊にでも憑りつかれたような振る舞いこそが、ウイルスそのものよりも危険な、下手すると文明を滅ぼしかねないリスクではなかろうかと私は思うのだ。

現実は映画ではないのだから、正しい唯一のシナリオなんぞ存在するはずがない。 世の中で起きていることがシナリオ・自説から外れると、シナリオではなく世の中の方を見捨ててしまうひどい専門家もいる。 あとね、映画と違って現実は誰かを 「はまり役」 になんかキャスティングしてくれるわけがないのよ。 大学のセンセや研究者が本当は何の専門家なのかなんて、世間の人たちは誰も知りません。(注 2)

(注 2) 私も常々、れぎゅらとりーさいえんすとやらの専門家と誤解されて困っている。 そんな学問なんか存在しないのに。 

そんな状況だから、見込み違い、シナリオ破綻、誤解に基づく専門家 (実はシロウト) 起用は起きて当然なのである。 だからこそ、自分の見込み違いや限界を、恥も外聞もなく隠さずに告白する度胸と力量のある専門家の声こそ、私には傾聴に値するものに思える。 「説得力のある主張をするには自分の限界・制約(limitation) を宣言しないといけない」 というのは、誰もが知っているまともな科学の基本原則なんだけどね。


もっとも、アメリカ様のやってることを形だけ真似してきたママゴト国家ニポン (日本版FEMAとか、日本版NIHとか、日本版CDCとか、日本版FDAとか (笑))では、自分や同僚の見込み違い・間違いを語るとその手の 「日本版○○」 からあっという間に排斥されるわけだから、そういう力量、度胸、経験が備わった人材が育つわけはないんだよよね。 残念である。


To err is human, but not Japanese. 人間って間違えるものさ。 あ、でも、ニポン人は間違えないけど。

(`・ω・´)キリッ

 ホントすごいねぇ、ニポン人は。 神様も Institute of Medicine もびっくりだ。

*****

ここ数日(2月19日現在)、一部の危機管理系の専門家の言うことが明らかに劣化してきたのもとても気になる。

やたらと、
オールジャパンで対応すべき」
だの
「ワンチームが求められる」
だのと阿呆丸出しのとても勇ましいコメントを真面目な顔して (`・ω・´)キリッ と言い始めたぞ。 80年前のあの頃によく耳にしたセリフ。 オレたちみんなホントに焦土で死ぬのかもしれん。 「節子、それマスクやない。 ティッシュペーパーや」 ・・・


*****

少しだけ、と断っておきながら、長々と記事にしてしまった。 今回の件、どうもサル的なヒトも結構頭に来てるらしい。 なにが 「私は驚いてもいないし、怒る気もない」 だよ。 一つのブログ記事の中ですらブレまくりじゃないか。 サル的なヒトが言うことがブレブレになってしまうのは、間違いを告白しているからではなく、単に頭が悪いからである。 すまんね。

*****

また追記。 この記事を書いた後で、話題になっている岩田先生のクルーズ船内報告のyoutube を見る。 とても参考になった。 投稿は翌日撤回したのですね。 度胸はしかと見せてもらいました。

さて、今後の興味は、岩田先生をボコボコにした専門家や素人の皆さんが

「うーむ。 私もあれに関しては実は分かってなかったのに分かったような顔をしてたんだよ。 実を言うとちょっと専門外なんだ」

とか

「まさか、 「不潔ルート」 と 「清潔ルート」 の貼り紙がぺらっと貼ってあるだけの船内の魔法空間のごとき不可解な写真を堂々と自分の twitter に載せて、『岩田、厚労省なめんなよ。 2時間しか船内にいなかったお前に教えてやるよ。 ゾーニングってのはこうやるんだ!』的に胸をはる副大臣が陣頭指揮を執っていたなんて、あの時は知らなかったんですぅ。 お役所がどんなところかまったく知りませんでしたぁ」

とかいった声の一つや二つを堂々と口に出す力量、度胸があるかどうか。 もしそうした声が上がるのならば、少なくともサル的なヒトは怒ったり嘲笑ったりはせず (そんなことできるわけがない)、しっかり拝聴します。 自己正当化に憑りつかれた専門家の声よりもずっと信頼できる。 私は変わり者だから、情けないことを隠さずに言う専門家にこそ命を預けたいと思うのよ。 よゐこは真似しなくてもいいのだが。

1年後、5年後、10年後、そういう情けなくも正直な専門家がちゃんと登場するだろうか。 楽しみである。 まったく期待はしてないけど。

新幹線で冬眠しない

ムニャムニャ ・・・

へへへ、長澤まさみちゃんったら、そんなにくっついたらダメだってば。 フライデーに撮られちゃうよ。 もう、困ったもんだなぁ、フフフ フフフ ・・・

・・・ ん? ここはどこなの? 春がもう来ちゃったの? なんかあちこちで大騒ぎしてるけど。 なに? 槇原がまたやらかしたって? 剛速球の巨人の元エースがなんかやらかしたのか? なんのこっちゃわけがわからんぞ。 ふぁー (あくび) っと。 もうひと寝入りするか ・・・

・・・ などと幸せな夢を見ながら冬眠しているうちに、もう二か月近くもブログを書いてなかったことに気付いたサル的なヒトなのである。 スマンスマン。 皆さんお元気?

実際、冬眠していたわけではないのだが、何やら細かい雑事に追われたり、正月早々盛大に風邪をひいたりしていて、ブログに手をつけるのを忘れていた。

実は今新幹線の車中。 歴史と伝統ある世界企業、大阪の梅田あたりにあるB社(社名は守秘義務があるから勘弁してほしい。) での無料出張講義をやった帰りである。 皆さん、お疲れさまでした。

いろんな会社で講義をすると、「ホームページに書いてある会社の使命・責任・倫理」 が相当に違っていて面白いことに気づく。 たとえば、多くの製薬企業がちょっとユルい感覚でテキトーに謳っている 「患者第一、顧客第一」 といったスローガンが、B社のホームページにはあまり出てこないのである。 代わりに (というわけでもないけど) 「ステイクホルダーを大切にします」 的なことを書いてある。 なるほどね、そう来たか。 さすがは歴史と伝統のドイツ企業。

ほとんどの会社では、最初の倫理の講義の冒頭で 「あなたたち、『患者第一』 って会社の看板に大きく書いてるけど、だったらなぜ、ビル・ゲイツとでも組んで、慈善事業で、世界の貧乏タレの国々にお薬を無料で配布しないの? 社員の皆さん、どうしてそんなに高そうなスーツや時計や靴を身に着けてるの?」 などと身も蓋もない総攻撃を容赦なく浴びせるのが通例なのだが、B社ではそれができなかったのである。 なんか悔しかったぞ (笑)。 もっとも、ステイクホルダーって便利な言葉ではあるが、「B社のステイクホルダーって結局誰よ? 意味不明の政府答弁と同じで、何の倫理も語ってないじゃないか。 ボーっと生きてんじゃねーよ!」 とチコちゃんに一刀両断されるのだけど。

ところで今日は2月14日。 なんだかおいしい感じのお菓子を麗しい女性受講生から頂いてしまいましたよ。 へへへ。 ありがとうございました。 こんな日に講義を設定してくれた、長い付き合いのC木さんにお礼を言わねばならぬ。 どうもです。

*****

大学での仕事は相変わらず。 最近、教育指導がちょっとユルくなっているので、こういう宿題をうちの研究室の学生に出してみた。

臨床試験で得られた有効性と安全性(副作用)の成績をQALYに換算して、(有効性)-(安全性) > 0 となるような薬を承認すればよい」 などという短絡的なリスクベネフィット分析 (なるもの) が、 国の承認審査の文脈・目的では正当性がなく、また、役にも立たない理由を少なくとも三つ挙げて説明せよ。 他の文脈・目的でこの手の分析を使うことが正当化できると考える場合にはその理屈を説明せよ。

この手の問いにどのような答えを返すかで、その人の能力のレベルはすぐに分かる。 私が評価・採点するならば、たとえば、(1) まともな・正当な経済(厚生)分析と何が食い違っているのか、(2) 社会選択論的な正当性、民主主義・主権のあり方、(3) それらと関連して、業界人がまったく無視する 「母集団」 の問題 (もはや犯罪的ですらある)、(4) パブリックヘルス流のちょっと特殊な健康最大化を目的にするにしても、こんなチャチな原理でそれが達成されるのか、などを論じることができているかで、実力を見る。 いかがでしょうか。 皆さんも考えてみてね。

あ、うちの学生は全員ちゃんと答えるように。 まだ二人しか答案を提出してないぞ。

*****

そうだ、今日はさらにもう一つ幸せが待っているのであった。 金曜日の夜(22:00-23:00)は、岩合光昭さんの 「世界ネコ歩き」 が NHK BS で放映されるのであったよ。 今日のニャンコはどんなヤツだろう。 想像するだけでワクワクしてしまう。

おっと、品川駅に到着しそうなのでこのへんで。 またね。

*****

追記分は次回に移動しました。

来年も我が道を行かない ・・ いや、行く

今年も恒例、小田和正クリスマスの約束 (TBS) を見る。 今回は番組冒頭の 「ご当地紀行」 がサイコーであった。

岩手の小さな駅のホームで電車を待つ小田さん。 そこに帰宅途中のたくさんの小学生を乗せた電車が到着する。 黄色い帽子と赤いランドセルの小学1年生くらいの小さい女の子たちが、元気に小田さんの横を走り過ぎていくのだけど、一人の子が小田さんに気付いて 「・・ ん?」 と立ち止まる。 小田さんをじーっと見上げたまま固まっている。 「このおじさん、どこかで見たことあるぞ?」 の顔。

この子たちが70歳過ぎのおじいさん歌手の名前など知っているはずはないのだが、でも、このヒトがテレビに出てるなんか有名なヒトであることは嗅ぎ取ったらしい。 で、しばらくしたら 「クリスマスの約束に出てるヒト」 にまでたどり着いたのである。 きっとお父さん・お母さんが見てるのだろう。 いや、おじいちゃん・おばあちゃんかもしれんな。

ランドセルから取り出した自由帳にサインしてやる小田さん。 芸能人からサインをもらうなんて生まれて初めての経験で、女の子はうれしくて仕方がない。 駅を出てからも小田さんに手を振り続ける。 駅前を歩く大人たち誰彼構わず自由帳のサインを見せまくる。 しまいには走っている軽自動車の運転席のおばさんにまで自由帳を見せて、車に轢かれそうになってたのである (大笑)。

よかったね、お嬢ちゃん。 一生忘れられない、夢のような経験になったことだろう。 そういう感動をすっかり忘れてしまったオトナの自分は、女の子のはちきれそうな笑顔を見ているうちに、なぜか涙がハラハラと ・・・

*****

サル的なヒトは 2019 年も無料出張講義がんばったのである。 手帳を見返すと、大阪の(というか、もはや東京の、か)T社、明治座の上の Y 社、大阪駅そばの天空の城あたりにある AZ社、日本橋の TM社、東京駅そばのステキな本屋オアゾそばに東京オフィスがある B 社 (継続中)、そして日野市あたりの TJ 社の研究所。 

おおっ、今年は6社もやったのか! すごいぞ、自分。 よくやったな、自分。謝金を一銭も貰わないどころか、むしろ費用・リソース完全に持ち出しなのに よくやるよ、自分。 変質者かもしれんな、自分。

東京大学も、厚労省も、PMDAも、製薬協も、PhRMAも、EFPIAも、薬学会も、臨床薬理学会も、薬害オンブズパーソンの方々も、朝日新聞も、週刊現代も、RISFAXも、誰一人として褒めてくれないのに、よくまぁ10年近くも頑張ってるなぁ、自分。

実は時々、仲良しの大学のセンセーに 「無料出張講義、楽しいよぉ。 どう、一緒にやらない?」と声をかけてみるのだが、たいていは引きつった笑みを浮かべてお断りになるのである。 不思議で仕方がない。 

 無料出張講義(全10回の講義。 講義先に私が出向きます) では、医薬品・医療の世界の住人に必要な 「知恵」 を教えます。 単なる業界ノウハウではなく、この世界・社会で胸を張って生きるための知恵・知識をきちんと教える。 これって言うほど簡単ではありません。 既存の教育媒体・機会 (大学の研究室・講義、学会のセミナー・シンポ、お上の研究班・広報活動、エラい大先生を呼んでの講演など) では絶望的に困難なのですよ。

だって、大学やお上の教育媒体にはそもそも文科省厚労省のルールがあるし、前例主義に従わないといけない。 加えてこの医薬品業界には、地獄のような (笑) しがらみ、利権 (天下り)、忖度、ビジネス勘定がある。 招待講演をやるようなエラいセンセーってみんなにチヤホヤされすぎるからか、自分の専門・経歴を自慢する話しかしない。 そんな中で行われる教育・訓練が放っておいたらどういう感じになるかは、みーんなよく知ってますね。

だから私は私のやり方でやる。肩書がエラそうな奴ら、お上・業界・学会の重鎮への忖度は一切しない。 動機の根底にあるのは学問愛と人類規模の同胞愛のみ。 でも独りよがりにならぬよう、優れた教育機関 (欧米の大学院) で教えることはちゃんと真似する。

どうだ、それで文句あっか?

ちなみにこれまでに出張講義を受けた人たちの数を計算してみたら、軽く600人を超えていることが判明。 みんなその後元気ですか? 私の講義が役に立ったと思うヒトは、お菓子の箱の底に小判とかスーツ仕立券とか入れて持ってきてもいいからね。

2020年も無料出張講義がんばる予定。 これから講義が始まる D社、K社の皆さん、がんばって勉強しましょうね。 人類の知恵を学ぶのって無茶苦茶に楽しいよ。

はい、では今日の講義を始めましょうか。 テキストの4ページを開いて。 今日は倫理ですね。 副作用について製薬企業の方々が無意識に使っている 「二重結果論」 の構造について考えてみましょう ・・・

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マンガって玉石混交なので、最近は 「このマンガがすごい」 的な本の評価に頼ることが多い。 今回紹介する2冊もその手の本でとても高く評価されてましたよ。

 

ロボ・サピエンス前史(上) (ワイドKC)

ロボ・サピエンス前史(上) (ワイドKC)

 

 ロボットと人間が共存する未来のお話。 といっても主役は人間ではなくてロボットの方。 ダメダメになって滅びゆく人間に寄り添うロボットたち。 科学者のおねえさんが、自らが開発した3体のロボットと別れるシーン。 何万年も生き続けるロボットたちに科学者が最後にかけた言葉が素晴らしすぎる。 この感動をサル的日記読者のあなたにも味わってもらいたい。 

 

SPY×FAMILY 1 (ジャンプコミックス)

SPY×FAMILY 1 (ジャンプコミックス)

 

 こちらは分かりやすく楽しいぞ。 熟達の漫画家によるサイコーのエンターテインメントという感じ。 1巻で登場するエレガンスじじいって、30年くらい前の 「ツルモク独身寮」 というマンガに出てた寮長のジジイに語り口や雰囲気が似ていて大笑い。

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というわけで、みなさん今年もおつかれさまでした。 よいお年をお迎えください。

あ、うちの研究室の学生は冬休み中もちゃんと勉強しろよ。 次のセミナーでは量子コンピュータの原理、質問するからな (笑)。

裏リスを褒めない

先週の週末は、昔からの付き合いがあるシンポでプレゼン。 主催者のおぢさん (あちこちで炎上している有名人。 炎上商売してるとしか思えない (笑)) とは政治スタンス、倫理規範・信条がまるで合わない (真逆に近い) のだが、問題視する論点がなぜか似ているので、時々意見交換をするのである。 なぜかというと面白いから。

たとえばニポンの医薬品政策の問題。 私は 「今の医薬品政策があまりに左に (ネオリベの側に) 寄りすぎ」 なので怒っているのだが、主催者のおぢさんは逆に 「今の政策は相変わらず右寄りで保守的だ」 と怒っている気配がある。

怒っているのは一緒なのに、言ってることがまったく逆 (大笑)。

でもさ、それでいいのよ。 考えが違うからこそ、お互いの腹と顔色を読みながら、言葉や媒体をうまく使って、気持ち悪くニマニマと笑いながら意見交換する醍醐味が味わえるのである。 それも長く長く (十数年も) 時間をかけて。

最近、ろくに知りもしないヒトのことを twitter のわずか数十文字で罵倒したり、批判したりするやつらが増えて、とてつもなく気持ちが悪い。 気に入らない意見をスマホの画面で目にしたとたんに瞬間湯沸かし器のようにカーっとなって、twitter に悪口書きまくるのね。 サルの脊髄反射並み。

あんたらサルじゃないんだから、自分と逆の意見を目にしても、まぁ落ち着けよ。 な。 いきなり反応して感情を吐き出すのは見苦しいよ。 そもそも一人一人の人間 (サル) の知恵なんてせいぜいが鼻クソくらいのものなんだから。

人類の知恵が詰まった本を読むとそれがすぐに理解できる。 サル的なヒトなんか、哲学書を読みながら、約3分ごとに、

「ムッキー! なんで 『真理』 がデフレするんだ? ラムジーの余剰説とクワインの引用符解除主義の違いになんか意味があるのか? えっ? ムッキー!!」 (注 1)

(注 1) 真理のデフレ理論って、哲学の世界では最近結構メジャーなのよ。 興味ないかもしれないけど。

・・・ などと怒りを炸裂させているのだが、それを一々 twitter に吐き出そうとは思わん。 バカに見えちゃうし、カッコ悪いから。

気に食わないことについて世間様に何か言いたいときには、せめて 2000 字くらいの文章にして気持ちを表現しようよ。 な。 そのくらいの言葉と論理がないと、その人が何を考えているかなんて伝わるわけがないのよ。 2000字の文章を書くともう一ついいことがある。 それは、文章を書いている間に、怒っている自分自身をニヤニヤと高みから笑うことができるようになること。 その境地に達したら、気に食わんヤツとでもニマニマと笑いながら意見交換ができるようになる。

とにかく、いい年したおっさん・おばさんが twitter でごちゃごちゃ言うな。 いいな。 

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 あ、いかんいかん。 肝心のシンポで話したことを書くのを忘れるところだった。

シンポでは二つの話をしました。 一つは戦艦大和化した iPS の悲劇、もう一つは条件付早期承認とかいう悪乗りスキームの法制化について。

iPSがらみ、まさか週明けにこんなに呆れた笑い話が起きるとはさすがの私も予想してなかった。 文春砲やるなぁ。 あとね皆さん、医薬品業界の東スポと呼ばれる RISFAX の記者さんもほめてあげてくださいね。 覚えているヒトもいると思うが、文春のグラビアページで 「アーン」 していた役人の、勘違いした醜いふるまいを何か月か前に報じていたのは、他ならぬ東スポ、いや、RISFAX の通称 「裏リス」 と呼ばれる記者コラムなのよ。 すごいぞ、裏リス! みんなでほめてあげよう。(注 2) 今後は当面の間、RIS の記者さんが厚労省の取材で理不尽にいぢめられていないか監視してあげることも大切。

(注 2) Kさん、宣伝したのだから、ほれ、小判とかスーツ仕立て券とか ・・・

シンポでは、 iPS が戦艦大和のような扱いを受けること (つまり最後は片道燃料で特攻させられること) を7年も前に予言したサル的なヒトってすごい、と自画自賛したのである (→ iPS が戦艦大和になる日 - 小野俊介 サル的日記)。 山中先生の熱意と人柄、そして 「日本への恩返し」 といった言葉を聞くたびに、 「お気の毒に。 ニポンのお上なんか見捨てて、今からでもフリードマン流のリバタリアンアメリカ政府かもしれないし、欧米企業かもしれない) と組めばいいのに」 と思うのである。 こと新薬開発に関しては、好きなモノを、好きなヤツと組んで、好きなところで、好きな時に(できるだけ早く)、好きなように開発するヤツが勝つに決まっているのだから。 日本人の患者もその方が happy だと思うよ。 

 

もう一つの条件付早期承認とかいう制度についてだが、Nature や Science の人たちや世界の薬効評価科学の良識派の人たちは、

「他の国ならともかく、あのニポンにだけはそんなテキトーな承認制度を作らせてはいけない。 あいつら、自分たちの異常な国民性や黒歴史を忘れたのか?」

と呆れていると思います。 私も呆れています。 

ニポン人って、効きもしないほぼ日本だけのお薬 (脳代謝改善賦活薬 (笑) と称する薬剤やあの抗がん剤的なヤツね) を盛大に再評価したつい最近のできごとをすっかり忘れてしまったのだろうか。 薬害スキャンダルを盛大に何度も何度も引き起こした黒歴史もある。

さらに危ないのが、絶対に 「間違えてました」 って自分からは言わないお役所・役人の異常な特性。 最近ではさらに危なくなっていて、間違いがなんか起きたら資料をシュレッダーにかけてなかったことにしてしまうらしいな。 そんな異常な国で 「効いてるかなって思って仮に承認はしたんですけどね、判断が誤ってました」 なんて素直に頭を下げて、仮承認を否定する文化が定着するわけがなかろうが。 再審査と称する再チェックが形骸化していてまったく機能していないことも日本の業界人なら 100% 知っている。

Nature の批判で有名になった再生医療等製品の仮承認の審査資料を見ていたら、「ああ、ここまで無茶してテキトーに 「仮」 承認しているのか」 と眩暈がしましたよ。 まともな PMDA の審査官は心の中で泣いてるんじゃなかろうか。 気の毒でならぬ。

こんな制度、ニポンでは超危険である。 この制度が今後どのように運用されていくか厳しい監視が必要です。 ポイントは、今後の PMDA が 『いやー、この品目の承認に関しては ○○ の理由で判断を間違えました。 すみません。 で、こう判断し直しました』 と胸をはって言い訳できる 「まともな組織」 になれるかどうかである。 それができなければ、次の薬害はこの制度から起きる。 と予言しておこう。

ちなみに Nature に対する現在のニポン政府の言い訳は、世界にリスクを生み出している張本人が開き直って 「オレは悪くない」 と言っているだけである。 世界のまともな臨床開発の畑に毒を撒いて、畑を耕作不能にしている張本人がニポンなのだという自覚がまったくない。 情けない。 

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長くなったのでこの辺で。 そういえばこの前、大学の構内でハクビシンを見かけてちょっと幸せな気分になったよ。 どうでもいいけど。 風邪ひかないようにがんばりましょう。 じゃまたね。

コアタイムを尋ねない

「君たち学生は自分を大学の顧客と思っているのだろうが、私の目には君たちが商品に見える」 とは、ハーバードビジネススクール教員がしばしば引用する有名なセリフである。

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最近の若いもんは ・・・ と語り始めるのは決まってジジイなのだが、実際ジジイなのだから仕方ない。 最近の若いもん (学生さんね) を見ていて感じることを少々。

薬学部を含む理科系の多くの大学では、卒論を書く段階で4年生が研究室に配属される。 この慣習は昔も今も同じ。 で、3年生後期になると、心配性の学生たちがいろいろと質問に来るのだが、そこで彼らがたいてい最初に尋ねてくることがある。

 

学生さん: 「今日はお時間いただいてありがとうございます」

サル的: 「いえいえ。 研究室配属ってドキドキするよね。 将来の進路が決まっちゃう場合もあるしね。 何でも聞いてください」

学生さん: 「はい。 では最初の質問ですが、この研究室のコアタイムはどうなってますか?」

サル的: 「は?」

学生さん: 「コアタイムですよ、コアタイム

サル的: 「は?」

学生さん: 「『は?』 じゃなくて。 もしかしてこの研究室、コアタイムがないんですか?」

サル的: 「 ・・・ コアタイムってなんだっけ?」

 

ここ数年、来る学生来る学生みんなこんな感じ。 紙で答えるアンケートでも同様な質問が最初に登場する。 どうしてコアタイムがそんなに心配なんだろう? おまいら労働基準監督署の回し者か?

私だって若いもんの気持ちは分からんでもないのである。 学生時代には同じ心配を自分だってしてたしな。 遅くまで研究室に縛られていると、銭湯に行けなくなって身体が臭くなるし (銭湯は夜11時には閉まる)、楽しいテレビは見れなくなるし、睡眠時間が減るし。 場合によっては必死でご機嫌とっているカノジョとのデートができなくて、ふられちゃうかもしれない。 そ、そんなことになったらオレの人生、終わっちゃう! ・・・ とかね。 今だって、時間を食うだけの無駄な会議なんかで帰るのが遅くなると、心底イライラするし、悲しくなる。(注 1)

(注 1) ただしイライラする理由が 「家人に会えないから」 とかいうものではない点が昔とは違うけど。

しかし、進路の選択 (学部や研究室や就職先の選択) の面接なんかの際に、いきなり 「コアタイム」 から質問を始めることはなかったぞ。 だってさ、それって カッコ悪いもん (笑)。 損得感情丸出しの哀れな功利主義者みたい。

もう少し真面目に答えようか。 それってね、功利主義者の面接の作戦上もよろしくないに決まってる。 いきなり 「私が研究室に所属する目的は、研究室をできるだけ不在にすることです」 って白状してどうすんのよ。 センセーにしてみれば 「君は何のために高い授業料払っているの?」 と尋ねたくなって当然である。

しかし、こんなある意味牧歌的なコメントをすると、今どきの学生さんは 「小野センセーは、ブラック研究室が日本のあちこちで問題になっていることを知らないんですか?  弱い立場の学生が待遇を真剣に心配するのは当然でしょ?」 とイライラするのかもしれん。 うん、その手の話が日本 (世界) の大学で昔からあることは当然知ってます。 ちなみに、ブラックを語らせたら僕だって人後に落ちないぞ。 日本で一二を争うスペシャルブラック官庁で、20代から30代はたっぷり死んでたからな (笑)。

でもさ、もし本当にブラック系から逃げたいのなら、「コアタイムはいつからいつまでですか?」 と正直に尋ねるのは、僕の経験上、やはり戦略的にバカげていると思うよ。 だって、ブラックな雇用者や職場の上司は本当のことなんて絶対に答えないんだから。 コアタイムを気にする人たちに対しては、コアタイムに砂糖をまぶして、オブラートをかぶせて、さらにその上から純度100%のはちみつをふりかけて、「大丈夫ですよぉ。 なんにも心配ありませんよぉ」 と笑顔で答えるのがブラック業界のプロというもの。 善良なサル的なヒトのように 「はぁ? コアタイム? もっと先に聴くべきことがあるだろ? ムッキー!」 なんてバカ正直にイライラを顔に出したりするわけがないのよ。

しかし、海千山千のジジイの感覚で若者の将来を案じても仕方ないのである。 彼らの人生は彼らのもの。 一度や二度は大人たちにひどい目に遭わされ、理不尽な苦労をするのも人生の糧である。 若者は若者の時を生きて、バカな質問もして、楽しんで、苦しんで、そして年を取るのがよかろう。 順送りである。 見守っていてやるからさ、がんばれよ、若造さんたち。

とはいえ、ハーバードやスタンフォードの学生は、教員やチューターに 「何時まで大学で勉強してもいいですか?」 と尋ねることはあっても (注 2)、「僕は何時まで大学にいなきゃいけませんか?」 と尋ねることはないと思うよ。 たぶん。 「どうして私は嫌な大学に通わされて、勉強させられているの? 時間のムダなのに。 私は大学入学・卒業という経歴だけがあればいいのよ 」 というニポンならではの歪んだ被害者意識って、皆さんがなぜか憧れるグローバルコミュニティとやらでは理解してもらえないだろうなぁ。

(注 2) その手の大学の図書館はほぼ24時間開いている。

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久しぶりに気分爽快な日本映画。 「ダンスウィズミー」。


映画『ダンスウィズミー』本予告【HD】2019年8月16日(金)公開

 

とてもかわいい chay おねいさんがギター振りかざして大活躍するあのシーンだけでも元が取れますよ。 サル的なヒトが保証するので、今週末にでも安心して TSUTAYA に駆け込んでください。

 


Sugar ウエディング・ベル

 

じゃ、またね。