小野俊介 サル的日記

いや、その、サル的なヒトだから・・・

9月になれば僕は

まだまだ暑いけど、皆さんお元気? サル的なヒトは大忙しなのである。 なんで忙しいかって、そりゃ決まってるでしょ。 私は医薬品の薬効評価や製薬産業の開発効率を研究してる大学のセンセーですよ。 住んでいる団地の桜とツバキの木に盛大に毛虫が発生してしまって、ここ数日その対応に追われていたのである。 朝晩庭木をチェックして殺虫剤をシューシューしたり、足りなくなった殺虫剤を東急ハンズまで仕入れにいったり、駆除業者さんに来てもらって相談したり。 目が回りそうな忙しさである。

ちなみに東大の本郷の病院前のバス通りの桜も悲惨なことになっておる。 毛虫にやられて丸坊主。 今年はコロナのせいで草刈りとか掃除が甘かったから、自然が元気なのである。 自然の側からすると、ふだんは人間様に抑圧されてるのだから今年くらいは張り切りますぜ、って感じなんだろうな、と思う。

桜の木にわいているのは、モンクロシャチホコって毛虫。 黒々プリプリした胴体に、黄白色の毛がフサフサと生えておる。 虫嫌いは一目見たら卒倒するかもしれん。 が、よく見るとかわいいところもあるのよ。 無毒だから安心してください。 

モンクロシャチホコの特徴、それは、桜の葉っぱをモリモリ食べて大きくなると、地中で蛹(さなぎ)になるために、木から降りてくるところである。 あいつらが喋れるのなら、きっと 「諸般の事情でちょっと地上に降りますよ。 いや、悪気があるわけじゃないのよ。 びっくりしないでね」 とか控えめに言うのだろうが、人間はそれを 「う、うわぁー! 毛虫がポトンと落ちて来たぁ!」 と表現してしまう。 「降りる」 と 「落ちる」 を隔てる低いようで高い壁。 ユーミンの 「5センチの向こう岸」 みたいなものだ ・・・ いや、違うか。(注 1)

(注 1) 彼氏が自分よりも5センチも背が低い女の子の悲恋(笑)を歌った曲。 とてもかわいくていいよね、これ。 

でもね、こういうできごとに接していると、季節と自然の移ろいが感じられてとてもいい気分なのである。 まだ強い残暑の陽射し。 濃い緑の葉が徐々に欠けていく様。 モコモコと地面を懸命に這う毛虫たち。 土の臭い。 汗の臭い (あ、これは自分の体臭だ)。 夏の終わり。 これらみんな、一日中室内で在宅勤務していたのでは味わえない贅沢なものたちばかり。 うちの研究室の学生たちには昨日指導したが、それ以外の読者のみんなも、お外に出ようね。 土や石や草や虫をむやみやたらに触るといいよ。 部屋にこもって会社に言われたことだけしてたのでは、心が病むよ。

外をのんびり散歩しながら、夕方5時のチャイムを聴こう。 これから誰と出会い、そして別れるのかなんて知る由もなかった昔々の自分たちを思い出しながら、夕闇を見上げよう。 あ、涙が。

 


フジファブリック (Fujifabric) - 若者のすべて(Wakamono No Subete)

 

*****

 夏の終わり、おじさんたちは Simon & Garfunkel の 「4月になれば彼女は」 を何度もつぶやく。 8月、9月はアメリカ人にとっては別れの季節である。

August, die she must
The autumn winds blow chilly and cold

September, I’ll remember
A love once new has now grown old
 

8月、彼女はいなくなる

秋風が、冷たく刺すように吹きつける

9月、僕は思い出す

新鮮だった愛が古びてしまうってことを

 


Simon & Garfunkel - April Come She Will

 

*****

 

あ、そうだ。 11月に開催される医療がらみのシンポジウム (コロナワクチンなどを議論するセッション) の抄録を書いたから、それもちゃっかり載せてしまおう。 仕事もちゃんとしてるってところを読者に見せておかないと、「サル的なヒトって、桜の下の毛虫を棒でツンツンしたり、昼休みに三四郎池のまわりでセミコガネムシを採ろうとしてヤブ蚊に食われまくっているだけの人なのか?」 と誤解されてしまうからな。 否定はしないのだが。

 

お役人や専門家の言うことって、みーんな意味不明、みたいな(笑)

 

小野俊介

 

このシンポの第一回からずっと申し上げてきたことを今年も繰り返す。 サル的な大学教員の過去の言動など誰も覚えていないのだから、ネタを使いまわしても苦情は来るまい。

お役人や医者や研究者が医薬品がらみの案件で力説していることのほぼすべてが、意味不明である。 政治家が意味不明なことを言うのはどの国でも常識だが、医薬品がらみで発せられる言葉はそれとは違う意味で意味不明である。

先日コロナワクチンの副作用が問題になったとき、「コロナワクチンは有効性と安全性で適切に審査する」 と政府高官が言ってましたね (正確には、言わされてましたね)。 まったく意味不明である。 こんなバカげた台詞に誰も突っ込みを入れないなんて、皆さん在宅勤務しすぎて頭のネジが飛んでしまったのだろうか。コロナって恐ろしい。

有効性、安全性ってなんだよ、それ。 誰ひとりとしてまともな定義 (注:辞書的定義ではなく、意味論的なモデル) を与えていないぞ。 薬機法にもそれらの意味は一行も書かれてない。 なのに、なんでお前ら、有効性とか安全性とかいう言葉の意味を知ってるの? ・・・ ホントは知らないんでしょ? なんとなく雰囲気で、テキトーに、カッコつけて語ってるだけなんだろ? 正直に白状してごらん。 サル的なおじさんは怒らないから。

驚いたことに私の主張は検証可能である。 方法は簡単。 役人や専門家連中がエラソーに発したコメントの語尾に

「・・的な(笑)」

「・・みたいな(笑)」

を付け加えるだけでよい。 ほれ、テレビタレントがよく使うヤツである。 たったそれだけのことで彼らの言ってることの薄っぺらさがおそろしく鮮明になる。

 

「ワクチンの有効性と安全性を保証する、的な(笑)」

「審査の透明性を確保する、みたいな(笑)」

 

 ほらね、いい塩梅にニュアンスが強調されて、「そうそう、役人や専門家の言うことって所詮この程度にいい加減なのよ」 って気付くでしょ? れぎゅらとりーさいえんすとやらに出てくる文章や言葉はほぼすべてこの程度の意味不明さなので、真に受けてはいけないことがよく分かる。

 

臨床試験には高い科学性・倫理性が求められる、みたいな(笑)」

 

も、あちこちで見かけますね。 いろんなところがちょっとユルい医薬品業界人(産官学すべて)の決まり文句である。

彼らのいう「科学性」がテキトーなのは昔からの伝統だが、「高い」倫理性っていうのも笑える。 エベレスト山頂とかに住む賢者が語る倫理のことだろうか? 「高い」倫理があるのなら、きっと「低い」倫理もあるのだろうな。 「地べたに落ちた肉まんを食べない」 とか。 意味不明である。 たいていの製薬会社はホームページで倫理だのコンプライアンスだのを語っているのだが、「わが社の社員は高い倫理観的な(笑)倫理観を持たねばならない」 と正確に表現した方がいいですよ。

 

医療・医薬品業界のおっさん・おばさんたちの言うことってチョーウケる。 マジまんじ。

 

帰宅して、家人に 「ふんっ! どんなもんだい!」 とこの原稿を見せたら、「これってもしかして、最後の 『マジまんじ』 って言葉が使いたかっただけなんでしょ?」 と一瞬で見抜かれた。 ぐうの音も出ないとはこのことである。

ぐう ・・・ あ、出た。

2020年の夏

元気に生協で昼飯を食った後、いつものように三四郎池経由でオフィスに戻ろうとしたら、途中でコガネムシを見つけたので、「おおっ、これはいいモノを捕まえた。 秘書のおばさんおねいさんたちに急に見せて 『キャー!』 とか驚かせちゃおう」 と思って手のひらに握りしめていたら、コガネムシが盛大にユルユルのウンチをしてしまい、手のひらが真っ黒のウンチでベトベトになってしまった。 皆さんの手には流行のウイルスが付着しているのかもしれんが、サル的なヒトの手にはさらにややこしいものがいろいろと付着しておる今日この頃。 皆さんお元気?

先日の朝、テレビのワイドショーで 「速報! 藤井棋聖王位戦第3局!」 というテロップが流れたので、「ん? 何が起きたんだ? 藤井君がコロナにかかったとかか? そりゃ大ごとだぞ」 とビビったのである。 そしたら、対局室にカメラが移って、藤井君が悠然と初手を指す光景が映し出された。 

アナウンサー:「藤井棋聖、初手7六歩を指しましたぁ!」

・・・

・・・ あのな、将棋のタイトル戦は丸二日かけて対局するのよ。 初日の朝の初手7六歩を速報してもしょうがないの。 ニポンのテレビ局ってホンマもんのバカなのな。 でも大笑い。

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オンライン授業に高い授業料を払っている今の大学生が気の毒でならない。 オンライン講義だけの大学生活なんて、そんなもの面白くないに決まってる。 変な奴ら・ややこしい奴ら (センセーを含む) と接し、語り合ったり知り合いになったりできない大学生活なんて意味ないよな、それ。

面白くない・意味がないだけではない。 かつてのサル的なヒトみたいな貧乏学生は、今の時代、もはや大学生として生きていくことすら難しいのではないかと心配している。

風呂無し・台所無し・便所共同の三畳間の下宿で東京生活を始めた自分。 今でいう「wifi 環境を整えろ」 は、当時だと 「部屋に電話を引け」 という感じだが、貧乏学生にはそりゃ無理だ。 仮に大学が無料でモバイルルーターを貸してくれたとしても、パソコンが無い (笑)。 入学後に数か月バイトしてその手の贅沢品は買おうと思っていたとしても、今の状況ではそのバイトができない。

いや、今の大学はやさしいから (というよりも経営上の理由で)、モバイルルーターとパソコンをセットで貸してくれることくらい知ってるさ。 でも、三畳間で独りぼっちで朝から晩までパソコンの画面と向き合う生活をしてたら精神を病むよね。 ド田舎から上京した貧乏学生には、東京には友だちがいないんだもん。 僕の場合は、幸運にも入学してすぐに、目白に住むおぼっちゃまなどが友だちに (少なくとも知り合いに) なってくれて、東京での暮らし方を教えてくれたっけ。 あまりに右も左も分からなかったから、かわいそうに思ったんだろうな。 他にも友だちが何人かできたから、心が病まずにすんだのだ。

4月、5月は乗り切れても、7月くらいになると別の意味でもう無理だ。 西日のあたる三畳間は昼間40度を超える。 自分の狭い部屋にいることすらできないのよ、貧乏人は。 当時どうしていたかというと、酷暑の日に我慢できなくなると、歩いて5分ほどの繁華街の、薄暗いゲームセンターに夜までずっといたのである。 エアコン効いてるし、ゲームセンターはほとんどの時間店員が不在だったので、何時間座っていても怒られないから。 ゲームをやる金 (1回 50円とか 100円とか) はないから、ゲームやってるふりして、ぼーっとデモ画面を眺めていた。 時々、誰かが捨てていった少年ジャンプなんかを拾って読む。

むろん今と昔では生活が違う。 想像力のないヤツらは 「三畳間の下宿なんて今はもう東京にはないよ」 などと鼻で笑うのだろうな。 でもな、社会が 「進化」 したからこそ、今の貧乏の方が昔の貧乏より辛い面があるに決まっている。 昔の貧乏学生よりは今の貧乏学生の方が恵まれているなんて一概に言えるわけがない。

例えば情報環境などの格差はますます広がっているのだろうし。 実際に調査の結果があるのだが、家に (スマホではなく) パソコンがあるか (つまりちゃんとキーボードで作業ができるか) などの格差はとても大きいのよ。 もっと現実的な問題もある。 エアコンの効いた出入り自由のゲームセンターって今はほとんど無くなったのだが、店員や掃除係の目を気にせずに貧乏人が何時間でも座っていられる冷房のきいた場所が代わりにできた・増えたと思う? (注 1) ホームレスを必死で街から追い出そうとする狭量な社会からは、必然的に貧乏学生も追い出されるのよ。

(注 1) ちなみに公共図書館や大学の図書館は夏の暑さを完全にしのぐ場所にはなりません(でした)。 近くにはないし、早く閉まるし(昔は夕方5時に閉まっていた)、休館日多すぎ。 エアコンを持ってない人に聴いてみるがいい。

コロナ禍のオンライン化のせいで、貧乏学生の昼間の居場所 (= 教室) が物理的になくなったばかりか、大学という階層シャッフル装置が機能不全に陥り、貧乏階級の学生が上流階級の学生と混じり合えなくなっている。 もし自分が今、大学一年生だったら、数か月間の生活でもうすっかりやる気をなくして、半病人になって泣きながら田舎に帰ったかもしれん。

このブログを読んでる駒場の学生さん。 友だちができずに、部屋で泣きそうな気分になっているのなら、遠慮なく遊びにおいで。 誰でもかまいませんよ。 勉強の仕方、将来の進学・就職のこと、貧乏の乗り切り方、大学・教員のすごいところ・ダメなところなど、なんでも教えてあげる。 サル的なヒトは薬学部 (本郷) のオフィスにいるからね。 

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この時期はいつものようにあの戦争を振り返る。 恒例の読書リストに時間のある限り順に目を通す。

レイテ戦記(大岡昇平) 中公文庫

太平洋戦争 日本の敗因4 責任なき戦場 インパールNHK取材班) 角川文庫 

戦艦大和ノ最期 (吉田満講談社文芸文庫

野火 (大岡昇平岩波文庫

夜と霧 (ヴィクトール・E・フランクルみすず書房

夕凪の街 桜の国 (こうの史世) 双葉社

火垂るの墓野坂昭如新潮文庫

指揮官たちの特攻 (城山三郎)  新潮社

アーロン収容所 (会田雄次中公新書

日本はなぜ敗れるのか 敗因21カ条 (山本七平角川oneテーマ21

等々・・・

 

古いのから新しいのまでいろいろあるが、これって読みやすい・入手しやすい本のリストである。 もっと重厚な、本格的な戦記はむろん他にもたくさんある。 このリストを  「一冊も知らない・読んだことがない」 なんて人はまともなオトナではありません。 恥ずかしいからちゃんと読め。 な。 せめて二、三冊は読め。 

 

最近出たばかりの本も。

東大の学生さんによるこの写真集、素晴らしい。 白黒写真に色を付けると、見えてくる世界が変わることを知る。 

 

昨年のNHKスペシャルも本になってますよ。 ガダルカナル。 シロウト指揮官 (役人) と縦割りの意思決定のせいで国民が死ぬのは、ニポンに限らず近代国家の伝統かもしれん。 ほれ、今コロナで見ていることそのものですよ。 

ガダルカナル 悲劇の指揮官

ガダルカナル 悲劇の指揮官

 

  

本を読むのがしんどいとかぬかす横着な奴らは、せめてこの映画だけでも見て、おしっこちびっておけ。


ゆきゆきて神軍 YukiyukiteShingun (introduction)

 

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 そしてもう一冊。 これもこの季節には欠かせない。 毎年書いてるな、これ。

「1970年の8月8日に始まり、18日後、つまり同じ年の8月26日に終わる」 物語。 

風の歌を聴け (1979年)

風の歌を聴け (1979年)

 

 

潮の香り、遠い汽笛、女の子の肌の手ざわり、ヘアーリンスのレモンの匂い、夕暮れの風、淡い希望、夏の夢 ・・・。

オンラインや SNS では決して手に入らぬ人生の宝物に、今年も触れることにする。 少しかび臭く、茶色に焼けた38年前の文庫本を書棚から取り出して。

あ、そうそう、最新刊も佳作ぞろい。 「With the Beatles」 を読んでたら、夜中に涙が止まらなくなったよ。 「風の歌を聴け」 の後日譚の一つとも思えて、深い余韻がある。 

一人称単数 (文春e-book)

一人称単数 (文春e-book)

 

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暑いけど、コロナだけど、外に出よう。 いつもどおり人と会おう。 夜風に吹かれながら、女の子 (あるいは男の子) の肌の手ざわりやヘアーリンスのレモンの匂いを感じよう。 サル的なヒトたち (より上) の世代の女性だと、ヘアーリンスではなく白髪染めの香りだったりすることもあるのだが、それはそれで愛おしい。 ガキには分からんだろうがな。

皆さん、すてきな夏休みを。 この数か月で大切なものがたくさん失われたように、2020年の夏ももう戻らない。

自分、不器用ですから ・・・

コロナ禍で行動範囲が狭くなっていて、ブログに書くことも狭くなる。 すまんね。

いつものように生協の学食に昼飯に行ったのである。 生協は気合を入れて感染症対策をしているので、安心だからな。 入り口で全員シュッシュとアルコール消毒するし、席の間隔も開けてあるし、誰かが席を立ったらすぐに係の人が拭き拭きしてくれるし。

しかし、こうした環境 (インセンティブ) に人間は適応して変化してしまう。 前々回に書いたが (これね → 顔をこっちに固定したまま大声で話さない - 小野俊介 サル的日記)、対面に座れないとなると、首を真横に向けて隣に座った友人と激しく唾を掛け合っておる阿呆が多数出現するのである。

今週はさらに進化 (退化) した阿呆が。 対面を禁止すると席数が減るので、生協さんは、巨大な透明のビニールシートのパーティションを設置して対面席を許したのである。 確かに、これなら対面に座っても、唾液も息も直接は届かない。 ところが、ビニールシートを挟んで面と向かって座ったグループのやつら、安心感があるからか余計に大声を上げて会話を始めるのである。 ビニールシートのせいで正面の行き場を失った唾液は、横の並びに座ってるオラの味噌カツ定食の上に普段よりも盛大に降りかかってくる。

・・・ おまいら、ホントに大学生か? ホントは単なるバカなんだろ?

メシくらい、黙って食え!

高倉健がペチャクチャしゃべりながらメシを食うと思うか? え?

 

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 (刑務所を出所した直後、定食屋で注文したビールと醤油ラーメンとカツ丼をしみじみと食う健さん。「幸福の黄色いハンカチ」より)

ねぇ、生協さん。はっきりと壁に 「おまえら、オツムが不器用なんだから、学食では黙れ」と書いてはくれまいか。 今のニポン人って、ビニールシート張ってあるのを見ると 「あ、これで感染を気にせずに、思う存分ペチャクチャ話せる」 と勘違いする程度の頭しか持っていないのよ。 

ワシら貧乏人にとっては500円以内でちゃんとメシが食える学食って、文字どおり生命線である。 学食が感染源になって営業停止なんてことになったら、ワシらはもうどこにも行くところがないのです。 なんとしてでも事故を起こさずに頑張ってください。 頼みます。

*****

地獄の門が開きかけてますね。 絶妙にいい塩梅の感染性と毒性を持ったコロナが、人類と相性が悪い難敵であることは100%認めよう。 その上での話ではあるが、ニポンの政治家・お役人・御用学者が状況をさらに悪化させていることは、もう改めて念を押さずとも皆さんの共通認識になりましたね。 医薬品ムラの実例を散々挙げて二十年間主張してきたのに無視され続けてきた「お上って実は無能」 仮説が、こうも簡単に全国民の前で検証されるなんて夢のようである。

サル的なヒトは、朝晩、東京屈指の繁華街を歩いて通勤している。 ほれ、テレビでよく 「本日は例年の〇%の人出です」 とか報じられる場所ね。 で、毎晩ほぼ同時刻に(夜9時30分頃)同じ通りの同じ地点間で、駅を出てから約10分間にすれ違う人の数を数えているのである。 そいつらの8割がたは、繁華街で飲んだ帰りで、駅に向かうウェーイ系の酔っぱらい。

7月14日:173人、16日:115人、17日:165人、

20日:145人、21日:125人、22日:154人、

27日:161人、28日:171人、29日:206人、

31日: 247人 (笑)・・・

(注 1) これは本当の実測データです。 薬効評価のプロだからデータにはうるさいぞ (笑)

ご覧のとおり、酔っ払いの数は全然減ってません。 もはや笑うしかない。 メディアに 「感染爆発」 って脅かされてビビっているのはおっさん・おばさんたちだけで、若い奴らにはぜーんぜん響いてないのよ。 知らん顔して繁華街で飲んでますよ。 こいつら、飲み会の後で気が大きくなってるから、半分くらいはマスクなんてしてないし。 やたらと大声を張り上げる。

「夜10時まででお店を閉めさせる」(東京)、

「5人以上の飲み会はダメ」 (大阪)、

「飲み会は2時間以内に」 (京都)、

などとお上が指導しているが、繁華街に来てる若者にはほぼまったく効かない気がします。 上に書いたとおり、夜9時30分くらいの段階で十分爛 (ただ) れているし、こいつらたいてい4人以下 (含カップル) だぞ。 飲み会ハシゴして、最後はカラオケ屋になだれこむ連中も多いし。

うーむ。

 

ではこの状況にどう立ち向かえばよいのだろうか。 サル的なヒトならではの、誰もが唸(うな) るような素晴らしい解決策はないのか。 

 

ある! 

 

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黙って飲め。

健さんになったつもりで、黙って、飲め。

高倉健どんちゃん騒ぎしてウェーイとかするか? するわけねーだろ。 酒は黙って飲むものなんだよ。 「不器用ですから ・・」 と呟いてみろ。 訳ありの美人女将が向こうから寄ってきてくれるんだぞ。 お酒はぬるめの燗がいいし、肴は炙ったイカでいいんだよ。 つべこべ言うな。

 

それですべてが解決だ。 そうすりゃ東京都知事大阪府知事京都府知事も大喜びだ。 おまいらアル中はアルコールの血中濃度を上げられるし、居酒屋だってつぶれないですむんだぞ。

ワクチンが登場しても、抗ウイルス薬が登場しても、そんなもの必ず効くわけではないのだから、当面は 「黙って飲め」 が唯一かつ最善の解決策である。 社会的ジレンマを含むこの問題に他の解は無い。 胸をはってそう断言させてもらう。(注 2)

(注 2) そのうちにドクター中松がなんかすごい発明をするかもしれんから、「当面の最善解」 としておく。

*****

久しぶりに映画らしい映画を見ましたよ。 見逃していた 「パラサイト 半地下の家族」。


第72回カンヌ国際映画祭で最高賞!『パラサイト 半地下の家族』予告編

 

おとぎ話の中での映画的リアリティのバランスがとても素晴らしい。 ストーリーの中で重要な役割を果たす 「貧乏人の臭い」。 私も基本が貧乏人なので、貧乏な家の 「臭い」 がとてもよく分かる。 オレら貧乏人って大人も子供も、なんか饐(す)えたような、酸っぱい、もっさりしたカビの臭いがするんだよな。 特に夏場。

コロナ自粛とかで世間は暗いムードだが、実は貧乏人はなんの影響も受けないのである。 オレなんか、泊まりの家族旅行なんて人生で一度も行ったことないし、ちゃんとしたレストランでの家族の外食なんてそもそもしたことないんだもの。(注 3) コンサートとかも20年に一回くらいしか行ったことがないし。 生まれて55年間ずっとコロナ自粛生活してるようなものだから。

(注 3) 自分や家族が企図して・計画して行ったことがないということ。 仕事で行かされた・誰かに一緒に連れていかれたことはある。 こう書いておかないと親戚や友人からクレームが入るからな。

この映画が世界的に評価されるということは、どの国でも金持ちは、貧乏人のふるまいや臭いを普遍的に面白い (bizzare) と感じていることの現れなのだろうね。 サル的日記が一部の読者に面白がられるのもそういうことなのだろうと思ったりする。

今日はバカの棚卸しでーす

他人をバカというやつが、本当は一番バカなのだ。 今日のブログはそんなバカの大安売り、たたき売り。 バカの中になぜかサルも一匹混じっておる。

*****

とあるお医者さんの twitter を時々読んでるのだが、先日こんな趣旨のことを書いていて大笑い。

80年前の日本人が、どうして、アメリカを相手に勝てる見込みがまったくない戦争を始めたのかずっと不思議で仕方なかったのだが、ここ数か月のコロナの対応を見ていて、その謎が100%理解できた気がする。 日本人って昔からずっとバカだったんだ (笑)

はい、まったく同感です。 ニポン人、バカですね。 ニポンのシャッチョサンたち、スケベなだけじゃなくてアタマも悪いね。 バカは時代も世代も超えるんだ。 遺伝子に組み込まれたバカだから、ある意味ウイルスよりも恐ろしい。 

「旅行自体は感染を起こすことはない」 だの 「コロナ自体は脅威ではない」 だの言うバカ。 薬害起こした後で「薬剤自体が悪いわけではない」 とか、原爆使って 「核兵器自体が悪いわけではない」 とか、いろいろ応用が利くバカだな、これ。 そういえば原発ボッカーンした時にも 「プルトニウム自体は飲んでも大丈夫」 と発言し、批判されると 「吸収されないのだから、どこも間違ってないだろ?」 と開き直った専門家がいたっけ。 かわいそうに、どの領域でも専門家って言語中枢に障害があるらしい。

南京虫入りのマスク配布といい、Go To といい、一度動き始めたら自分では途中で止まれないバカ。 自分たちの手足や首がもげて死にそうになっているのに 「降参です」 って言えなかった75年前のニポンのバカそのもの。 バシー海峡で沈められると分かっている輸送船を延々と送り続け、何十万人もの日本人を殺した大本営のバカや、インパール作戦、レイテ戦に登場した数々のバカたち (牟田口とか) とまったく同じことやってやがる。(注 1)

(注 1) なんのことか分からんバカは歴史書をちゃんと読め。 

「昭和史に出てくるその手のバカっていったいどんな臭いがするのだろう?嗅げるものなら嗅いでみたい」 とずっと思っていたサル的なヒト。 だが、そいつらと同類のバカが、今、目の前に盛大にいるじゃないか。 なんという幸運! 長生きはするもんだ。 どれ、どんな臭いかな ・・・ フガフガ ・・・ あ、あれ? オラと同じ臭いだ ・・・

意味も分からず抗原、抗体を語るバカ。 高校の生物の教科書すらまともに読んでないのな。 「コータイ検査をしたから大丈夫」 「コータイ検査、陰性で良かったぁ!」 とか言ってるニポンの芸能人や首長。

「ニポンの誇る製薬技術を使って、ニポン産のワクチンと治療薬を早くニポン人に!」 のバカ。 このブログでは昔から、その手のバカを 「オールジャパン馬鹿」 と呼んでいますね。 朝〇新聞、最近急に、ニポン企業 vs. 外資企業の構図で 「ニポン企業が弱いからワクチンが手に入らん」 とニポンの危機を煽り始めて大笑い。 あの新聞ってなんかキナ臭いことが起きると急に大政翼賛会のようなこと言い始めるのな。 80年前に戦争を煽りまくった遺伝子が今も残っているのかもしれん。

ワクチンと治療薬はむろん必要だ。 手に入れたいのなら、どこ産・どの会社製なんてどーでもいいから、とにかく政府はゼニをちゃんとたくさん用意して、ケチらずにちゃんとたくさん製薬会社に払え。 な。 それがすべてだ。 製薬会社はゼニさえ払ってくれれば誰にでも薬は売るのだから。

「グローバル企業と政府の交渉」 なんてバカなことすんな。 人のふんどしで相撲をとる能力しかない世間知らずのニポンの役人に交渉力なんてあるわけなかろうが。 領土問題やら拉致問題やらの交渉大失敗で、そんなこと周知の事実だろうが。 余計なことすんな。 とにかくお客さんとして金を積め。 そうしたらなんとかなる。 たぶん。

ちなみに、お薬の世界って、裏交渉をしようと思えばいくらでもできるのよ。 たとえば、「コロナのワクチン売ってくれれば、引き換えに貴社が申請中のあの抗がん剤とあのリウマチの薬、早く承認してやるから」 とか、簡単にできちゃう。 れぎゅらとりーさいえんすと称する意味不明な理屈を振りかざしてもいいし 、行政事務的なテキトーな言い訳でもなんとかできる。 「次の薬価改定のときに会社に適用する係数をこっそり裏で調整して、薬価引下げを緩和してやるから」 といった手も可能。 でもね、正義感はあるけど世界観が貧弱なお役人がそうした裏交渉をすると、将来に大きな禍根を残す。 海千山千のグローバル企業や海外政府に、表に出せない弱みをにぎられることになるから、とても危険。 医薬品がらみの役人の中に、「自分は裏交渉できる能力がある」 と思っている自信過剰が実際いるのよ。 業界に寄生するメディアがその手の役人を 「実力派官僚」 とおだてたりするから。 私が 「正々堂々とゼニで解決しろ」 と言っているのにはそういう背景もある。

企業は銭金で動く。 ほれ、ニポン人が大騒ぎしたドラッグラグとやらも、開発費用の一部をニポン政府が 「補助」 したら (ニポン人での試験の省略を大っぴらに認めたよね) あっという間に解決したんだろ? (笑) 正確に言うと、費用を負担してるのは政府ではなく、ニポン人向けに最適化されていない薬の副作用で危ない目に遭わされるニポンの患者ってところがミソなのだが、そこには誰も興味を示さないのな。 正義感あふれる朝〇新聞さん、どうしてそこには突っ込みをいれないの?

「ニポンは1か月半でコロナを収束したっ! ニポンモデルの力を示した!」 のバカはもはやバカの殿堂入りだから(以下略)。 

*****

リモート通勤とか、テレワークとかを推奨したり、喜んだりしてる連中にも、実はちょっとバカの臭いを感じているのである。ごめんね。 テレワークをさせられている多くの読者の神経を逆撫でするやもしれんが、読者が減っても別にかまわん。 おまいらオレに一銭も払ってないしな。

大学生や企業の社員相手のオンライン講義・会議を繰り返して分かったことがある。 オンラインの致命的な弱点、それは 「オンラインではバカが見抜けない」 こと。 バカって独特の臭いを発しているのだが、それって同じ部屋にいないと嗅げないのな。(注 2)

(注 2) ここでいう「バカ」 の意味は 「バカなヒト」 ではありません。 

たとえば学生や企業社員に 「バイアスって言葉の統計学上の意味、分かってるよね?」 って尋ねたとしよう。 すると多くが 「臨床試験で、間違ったことや不正なことをやって、結果に悪影響が出て、 ・・・」 などとまったく意味不明な答えをしてくれるのだが、それはさておき、面白いのは、答えを発する際の顔色、声色、表情、そして汗・臭いがヒトによって違うこと。 少しでも統計学に怖れを抱き、統計学を真剣にかじったことのあるバカの臭いと、統計学を実はまったく理解していないのに分かったような顔をして仕事してるバカの臭いは、まるで違う。

face-to-face の講義・会議だと臭いの違いが分かる。 だから、さらに質問を重ねて、「ランダムサンプリングすることの意味って、何かな?」「中心極限定理ってどう証明するんだっけ? i. i. d ってなんだっけ?」 「製薬企業のやってる母集団が無い薬効評価ってほとんど犯罪なんだけど、それを理解してる?」 などと顔色を見つつ、泣きださないようにご機嫌をとりながら、バカの種類をより正確に診断し、バカにバカを自覚させていくことができる。 それが教員の腕の見せ所である。

しかしオンラインだと、その臭いが希薄になる。 通信負荷を減らすために動画を切ってある会議なんて最悪。 業界人って、何かトピック・質問をふられると、みんなとりあえずご立派な、テキトーなことを上手に口走るのね。 でも、薄っぺらいことをペラペラと語るオンライン上の声を聴いていると、時々、バカの気配のようなものを感じてしまうことがあるのだ。 しかし所詮はオンライン。 臭いは届かないし、はっきりしたバカの手がかりはない。 仕方ないから 「あのー、あなた、p値やランダムサンプリングの意味、本当に分かってますか? (= あなた、バカですか?)」 と単刀直入に尋ねてみるのだが、たいていの場合、「はい、私は分かっていまーす (キリッ)」 というすばらしいお返事が返ってくるのだ。 残念ながら追及 (というか教育) はそこまでとなってしまう。 それ以上しつこく 「あなたはバカですか?」 って聴けないもんな。

今のオンラインマンセーの状況では、従来は淘汰されてきた「バカ」が、オンラインでぬくぬくと生き延びることになると思うのだが、企業や大学のおエライさんたちってそのことを理解してるのだろうか。

あ、ここでいう「バカ」とは「その人のダメなところ」 という意味ですよ。 正さないといけない誤った理解や知識不足のこと。 もっとも、誤りを修正する気など毛頭ない、ほんまもんのバカもたくさんいるけど。

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・・・ と、こんなことを書くと、「おい、サル。 医薬品業界人なめんなよ。 業界人ならランダムサンプリングの意味くらい当然に知っとるわい!」と怒り出すバカが出てくるんだろうな。 その手のバカは定期的に湧いてくる。 講習会で司会をしてるとき、受講生に 「あんたら、そんなユルいこと言ってちゃダメだろ」 とダメ出しすると、「薬学部の教員ごときが、オレたち新薬開発のプロの言うことに口出しすんな。 黙って司会進行だけしてろ」 などと喧嘩を売ってくる身の程知らずのバカもいるのよ。 マジで。

あのな、オレは役所で17年、大学で15年、ずーっとあんたらを相手してきたのよ。 あんたらやあんたらの先輩 (あんたらの会社のシャッチョサンや役員連中だ) の悪事・悪巧みや、独りよがりで患者不在の開発戦略とやらとずーっと付き合ってきたの。 あんたらやあんたらの先輩が出してくる、日本語を知らない人が書いたような申請資料(と称するもの)や論文の原稿(と称するもの)を何十年も読まされ続けてきたのよ。 つまり人生の何分の一かをドブに捨ててきた慈善事業に費やしてきたってこと。 でもそのおかげで、あんたらの知的レベルお役人と同程度に哀れであることは誰よりもよーく分かっておる。 長所や短所もね。 なんなら世間様にあんたら業界人 (産官学すべて) の痴的知的レベルを全部暴露してやってもいいんだぞ。 

講習会でサル的なバカにバカと呼ばれればそりゃ悔しかろうが、ちょっとは我慢しろ。 な。 学問や勉強が面白くなるのはそのバカを乗り越えた先なんだから。 そこは勉強の仕方を教えるプロとして保証するからさ。

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ほら、どうですか。 このあたりまで読むと、他人のことをバカ呼ばわりしているヤツが結局は一番バカである、という永遠の真理が見えてきたでしょ? このサル、自分で自分の首を絞めておる (笑)。 人をバカだと指摘すると損をすることばかりで、得をすることなどまったくないのだ。 でもね、いいのよ、それで。 オレが言わなきゃ他には誰一人言わないんだもん。 みんな、賢いからな。

今日家に帰ったら、家人にも 「あんなバカなことを自慢げに書いていい気になってるなんて、ほんとにサルそのものね」 と呆れられるのである。

・・・ だ、誰がバカやねん! 誰がサルやねん! ムッキー!

顔をこっちに固定したまま大声で話さない

経済学を少しでもかじった人なら、先生が 'Incentive matters.' という表現を使っているのを耳にした記憶があると思う。 もう少し分かりやすく、「ヒトは他人や制度の思惑どおりには行動しない」 と表現されることもある。 ほら、医薬品研究開発促進策と称する施策で、お上の意図どおりに物事が進んだことなど一度もないでしょ。 最近ではもう少しややこしいメカニズム (内生的な選好形成) をモデルに持ち込んで、それを説明する流派もある。

最近よく紹介される例では 「託児所で子供をピックアップする時間に遅刻する親が多いので、託児所側が頭にきて、遅刻に対する罰金を課したら、なんと、遅刻する親がますます増えましたとさ」 (ボウルズのテキストに出てます) がある。 こざかしい経済学的インセンティブを導入して効率を達成しようとすると、人間の大切な道徳・規範がぶっ壊されるという、とても気分の悪い例である。

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いつも大学の生協で昼飯を食べるサル的なヒト。 御多分に漏れず、東大生協の食堂も、先々週から、席が一つおきになるように、また、向かい合わせに座らないようにマークがついている。 誰かが食事をすませて席を立ったら、食堂の係の人がすかさず寄ってきてテーブルをシュッシュとアルコール消毒、という完璧な体制である。 すごいぞ、生協! ありがとう、生協! これなら安心だ。 というわけで、日々学食に通っているのである。

ところが、今週になってキャンパス内の人の数が増えるにつれ、困ったことが起き始めた。 そんなふうに意図的に人と人の距離を開けた状況で、むしろ前よりも大声で盛大に会話をする連中が現れ始めたのである。友達何人かで連れだって来た連中ね。 年寄りも若いのもいる。

私は決して偏屈な自粛警察官ではないし、リスクの高い県外ナンバーの車にマジで石を投げる一部の岩手県民のようなキチガイでもない。 メシを食いながら多少の会話をするくらい気にもならん。 問題なのは、生協でメシを食う東大の職員や学生が、この環境に生物学的に見事に適応して、より危険な生き物に変わり果ててしまったことである。

人と人の距離が伸びて声が届きにくいので、こいつら、首をしっかり真横に向けて、顔と顔を完全に正対させた状態で会話 をする。 席が離れた分、普段の2倍くらいの声量 を出しやがる。 それも やたらとはっきりした滑舌で(笑)。

その結果、そいつらの声と唾が、隣で大口開けてメシを食っているサル的なヒトの方向に、正確かつ大量に着弾する のだ。ゴルゴ13の狙撃並みの命中率かもしれん。 おい、そこのねーちゃん。 頼むから、顔をきっちり90度横に曲げて、オレに向けて固定したままベラベラと話をし続けるのは止めろ。 な。

殺意を覚えましたね。 ほんのちょっとだけど (笑)。 いや、そのおねーちゃんが仮に長澤まさみさんとか綾瀬はるかちゃんなら、俺は文句は言わん。 むしろ敗れて本望というべきである。 でもそいつはどこからどう見ても長澤まさみでもないし、綾瀬はるかでもない。 

・・・ ま、まぁそれはともかくとして、ほら、これって 「ヒトは他人の思惑どおりには行動しない」  の分かりやすい例である。 インセンティブ (環境の変化) のせいで、行動が変わっちゃったのね。 友達どうし向かい合って超近距離でペチャクチャやっていた以前よりも危険な生物になり果てておる。 鬼舞辻無惨の血が多めに入った鬼のようなもんだ。 分かりにくいたとえで恐縮だが。

それにしても 「給食は黙って食べましょう」 って小学校の先生によく言われたものだが、最高学府の学食でそれを掲示しないといけないって情けないよなぁ。 あ、最高学府って言葉、もはや死語か。

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一日ごとの感染者数が数百人レベルになったのに、今回はみんな開き直って無視してますね。 単なる慣れ以外の何物でもない。 もう笑うしかない。

大騒ぎを始めて4か月も経っているのに、ホントのところ何人くらい日本に感染者がいるのか、どこでどのくらい感染が起き続けているのかを、政府も専門家連中も誰一人胸をはって説明できない惨めな三流国ニポンに住んでいるのだから、もう諦めろ。 なるようにしかならん。 おまいらご自慢のニポンモデルでなんとかしろ。 な。

私自身4か月前に、疫学や予防医学専門家の言語能力がここまで低劣だとは予想してなかったことはここに白状しておく。 リスクコミュニケーションなどというシャレたレベルの話以前の問題として、あの人たち国語ができないのね。

数か月前のブログ記事で、PMDA の 「まともな」 審査官が、お上が発表する 『新規感染者数』 などという呼び名を申請資料に見つけたら、「お前らバカか? あれのどこが新規感染者数なんだよ?  あれは 『お役所の報告受付数』 だろ? 意味が全然違う日本語を使ってあんたたち恥ずかしくないの? 修正して!」 って資料を突き返すだろうなぁ、などと書いたが、恐ろしいことに今も状況はまったく変わってないのな。 お上もメディアも、今でも堂々とあれを 「新規感染者数」 と称し続けている。 歪んでいると知りつつ妙な日本語を使っているうちに、自分でもわけがわからなくなって、本当に気が狂ってやがんの。 気が狂ったことにすら気が付かない哀れさ。 それが今のニポンのコロナ論壇である。

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言葉の無茶苦茶さはコロナに始まったことではありませんね。 たとえば、もともと医薬品業界人が使っている言葉が、ほぼすべて無茶苦茶である。

先日業界紙 (注 1) を読んでいたら、こんな文章に出会って眩暈がしたのである。 

制度の導入による薬剤費の削減効果は大きいが、その前にどの薬が最も効くのか、他の薬とどう違うのか純粋に評価する必要がある。 医師・薬剤師最適な薬で早く治療を終わらせることが目標。 経済性の議論はいったん置いておき、まずはより良い薬物療法を追求したい。 

(注 1) 業界の東スポ、RI〇FAX ではない。 なお記事は一部改変してあります。 

 

なんかカッコいい言葉が並んでいるが、私にはまったく意味が分からないのよ。 それこそ一行一行書かれていることの意味がすべて分からない

なんだよ 「薬が最も効く」 って? 意味が分かるように定義してみて。 「薬がどう違う」 って、何を比べようとしてるのかも分からないのに違うもクソもないでしょ。 「純粋に評価」 っていうのなら 「不純な評価」 の例を挙げてみてよ。 「医師・薬剤師の目標が早く治療を終わらせること」 だなんて初めて聞いた。 「最適な薬」 ってなんだよ、それ。 意味を教えて。 「経済性の議論を置いて」 おいたら、すべての薬効評価の理屈が無意味になるが、それでいいのか? 「より良い」 薬物療法ってなんだよ、それ。 意味が分かるように説明して。

うちの研究室の学生がこんなアホな文章を書いてきたら、3カ月くらい研究室出入り禁止にするだろうな。 そのくらいひどい。 ・・・ のだけど、業界の皆さんはこれを読んでも平気なんだよね。 上の文章をフツーに読めて、フツーに意味が分かったりするんだよね。 製薬会社や病院で働いている人たちって、言語能力がすごいんだねぇ (棒)。

ちなみに、意味不明な文章によく出てくる言葉の筆頭が 「真の○○」 「本当の意味での○○」 であることは以前に指摘しました。 書いている本人が 「○○」 の意味を実は分かっていないとき、人間ってつい 「真の○○」 「本当の意味での○○」 って書いちゃうのね。 「真の有効性」 とか、笑い話並みのナンセンス言葉が厚労省の薬価算定がらみの通知に湧いていることは周知の事実ですね。 先の引用に出てた 「純粋に(な)」 はその亜型。 覚えておこう。 試験に出るよ。

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今日はここまで。 じゃまたね。

在宅勤務が恒久化しそうな皆さん。 パソコンに向き合って誰でもできる仕事をしてるだけではいけない。 外に出ような。 外に出て、土砂降りの雨にぬれたり、加齢臭のするおっさんとすれ違ったり、大きめの石を蹴飛ばしたり、カメムシに触って臭い汁を浴びたり、してください。 一日中家にこもっていると、心と知性が死ぬよ。

外に出て人の匂いを嗅ごう。ニャンコとも話そう

いやー、久しぶり。 皆さんお元気?

なんとも奇妙な数か月でしたね。 長いこと生きてるといろんな経験をするもんだ。 でもね、なんだかんだ言っていても、人間は置かれた環境に自然に慣れる。 電車で一人おきに座るのも、学食で斜めに座るのも、Zoomでセミナーや講義をするのも、慣れてしまえばどうってことない。 同じマスクを20日間くらい使い続けることにももうすっかり慣れて、まったく違和感がなくなったよ。 単にマスクが臭くなって、ネバネバ感が出るだけのこと。 ちょっと前のブログ記事で大騒ぎしたのがバカみたい。 ふふふ。

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前の記事との間があき過ぎて、何を書くかが結構難しい。 「生協食堂で一定の間隔に座った大学のセンセーたちが黙々とメシを食っている光景って、刑務所の中の光景に似てる」 とか、「雨後の筍のようにあちこちにできたタピオカ屋が壮絶につぶれたなぁ」 とか、コロナ時代ならではの感慨は山ほどあるのだが、どれも小粒で力説するほどのものではないし。 

あ、そうだ。

こんな状況下でも無料出張講義はやっているのである。 ただし 「出張」 というところがビミョー。 Zoom を使って大学や自宅から講義しているのだから、正確には出張してないのだ。 これでは単なる 「無料講義」 ではないか。 それってなんかちょっと悔しい気がする。 理由は分からんのだが。

私の場合、ざっくり言って、Zoom での講義ではフツーの講義の4割くらいしか力がでない感じである。 受講生の皆さん、ごめんね。 聞き手の顔色、目の輝き(逆に言うと 「目の死に方」) を見ながら、話す内容の量・質、速度を変えるくらいのことは、まともな大学のセンセーなら誰でもやっているのだが、それができないのは致命的である。 話しっぱなしで講義が終わるのはとても腹立たしい。

「いや、小野さん、Zoom にせよ何にせよ、最近のオンライン会議ソフトはチャットで質問できたり、挙手ができたり、いろいろフィードバックが得られるはずでしょ? 知らないの?」 とか、「むしろオンラインを使用している現状を新たなチャンスととらえるべきでしょ」 とか言い始めたオンラインマンセーの方々がたくさんいることは知っている。 申し訳ないが、私はそういった意見にはまったく賛同しないし、与しない。 オンライン講義は、フツーの講義より劣ったダメな講義である。 まずはそれを認めましょう。 

相手の表情・顔色 (目、顔、姿勢)、発する雑音(ため息や歯ぎしりを含む)、体臭(息の臭い、腋の臭い、足の臭いを含む)を感じ、それに応じた話をしないと、講義・人間の語りって劣化し、薄っぺらくなるのよ。 私の経験である。 講義中になぜかニャンコが入ってきたら (早稲田キャンパスには実際そういうニャンコがいたらしい)、ニャンコとも空間を共有し、対話する。 それが講義。

それって常識だよね。 落語を寄席で聞くのと、テレビで見る・録音をCDで聞くのとでは、感動のレベルがまったく違うでしょ。 寄席で客がくしゃみをすれば落語家はそれに応えることができる。 怒ったり、笑いのネタにしたり。 時空を共有する喜びはその時空間にしか生まれない。 電波を通じた語りはもはや似て非なるものなのよ。 劣化して薄っぺらくなった講義・語り自体に、付録やおまけをいくらつけたってダメである。 サイコーの感動はそこには無い。

ちょっと想像してみてほしい。 もし、おまけつきのグリコのキャラメルの、キャラメルそのものが美味しくなかったらどうよ? ダメだろ、それ? ・・・ たとえが分かりにくい? じゃあさ、もし、プロ野球選手カードのおまけが売りのカルビープロ野球チップスで、ポテトチップスそのものがフツーのチップスだったらどうよ? ・・・ ん? それでいい気がするな。 なに? 「カードが清原だったら、今なら妙なプレミアがついておいしいっすよ、逆に」 だって? オレはそういう話をしてるんじゃないんだよ! 「逆に」 っていう言葉の使い方も変なんだよ、近頃の若いもんは。 ムッキー!

まぁいい。 つまりはそういうことだから。 小野センセーの言ったこと、よく復習しておきなさい。 期末試験に出すよ。

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(200623追記)

・・・ とここまで書いて、私の本意は例によって皆さんにはまったく伝わっていないのだろうなぁと思うので、追記しておこう。 みっともないけど。

私が言いたいのは、「従来のビジネススタイルのどこが・誰が問題だったのかをきちんと反省もせずに、なんとなくリモートマンセー派やオンラインマンセー派に宗旨替えすんなよ」 ってこと。 そういうことをしてると、過去の政策の失態・失敗の評価から逃亡し、すべて水に流して、『治験推進〇カ年計画』 だの 『バイオ推進○○戦略』 だのといった新しく見えるだけの政策を無反省に、永遠に提案し続けるニポン政府と同じになっちゃう。 政策が機能しなくても政府はそう簡単には倒産しないから、今のところ単にニポンが三流国に転落しただけですんでるけど (笑)、会社は失敗したらつぶれるし、社員はクビになるよ。 日本支社は外人につぶされるよ。

会社員だったら、オフィスで皆が働いていたことの意義・意味をきちんと考えてみようよ。 創造、知恵、ノウハウ、勇気、やる気、忍耐、革新 ・・・ そういったものがこれまでの会社の環境でどのように生まれていたかをきちんと考えてみること。

「いや、私の所属する製薬会社では社員は単なる assembly-line worker なので、創造も忍耐もしてないです。 リモートは快適です」 というのならそれはそれで結構。 ただし労働組合の連絡先を調べておくことはおすすめします。

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映画を映画館で見ることができない地獄のような日々。 TSUTAYA すら閉まっていて、ホント、泣きたいような日々だったが、ようやく元に戻ったぞ。 ヒャッホー!

クリント・イーストウッド監督の 「リチャード・ジュエル」。


映画『リチャード・ジュエル』30秒予告 2020年1月17日(金)公開

素晴らしいのは見る前から分かっていたが、やっぱり素晴らしい。 お上なるものを素朴に信頼していた善良な一市民が、性根が腐った役人とメディアに人殺し扱いされ、家族ともどもボコボコにされるお話。 でも安心して。 これはイーストウッドじいさんの映画だから。 そこには正義が必ず存在するから。 悪い奴らはクソ食らうことになるから(笑)。

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イライラすることが多いご時勢、本も盛大に読み漁っているのである。 全部をおすすめするわけにもいかないので、読みやすい新刊を何冊か。

 村上春樹さんが息子として父を語る。 読後の味わいがとても深い。

 

とても分かりやすく書かれた文化人類学の紹介。 というか、最後の方の悲しい結末は、そうした学問の垣根を超えて、「この地球に生まれた人間って何なんだ?」 としみじみ考えたくなると思います。 原住民の暮らしぶりは、ややこしいこと抜きに単純に面白いよ。 現地の人たちのラブレター事情とか。

 

「あぁ、博士号が欲しい! PhDが欲しい!」 病に冒されている (あるいは冒されたことのある) 人たちはこれを読むべし。 読んでいるうちにきっと胸が痛くなって、息ができなくなる。 いや、無茶苦茶面白いのだけど、面白さの裏にある息苦しさが半端ない。  あ、これ、フランス人が描いたマンガです。

もっとも今のニポン人はビョーキだから、この本を読んでもまったく共感しない連中がたくさんいるはずである。 昔からよく知られているのは、「医学博士なんて足の裏についた米粒だ (取らないと気持ち悪いが、取ったところで食えない)」 などとうそぶくお医者さんたち。 最近では、博士号を大学に天下るための肩書の一つとしか思っていないお役人とか。

博論日記

博論日記

 

ちなみに私は、登場する指導教員のセンセーの心のつぶやきに爆笑。 どの箇所で爆笑したのかをはっきり書くとちょっとシャレにならないので内緒です。

 

やっぱり最後はこれだな。 2020年、私のコロナ禍はこのマンガとともにあったといっても過言ではない。 ありがとう、竈門炭治郎(かまど たんじろう)。  

鬼滅の刃 20 (ジャンプコミックスDIGITAL)

鬼滅の刃 20 (ジャンプコミックスDIGITAL)

 

第20巻で倒された上弦の鬼、黒死牟(こくしぼう)。 彼が死ぬ間際に心に思い浮かべた人生の述懐があまりに深すぎて、涙が止まらない。 これ、ホントに子供のマンガなのか? 

黒死牟には縁壱 (よりいち) という剣の天才の双子の弟がいた。 弟の才を羨み、妬み、最後は人間であることを捨て、鬼になった。 それでも縁壱には勝てなかった。 天賦の才など持ちえない凡人が道を究めんとすると、鬼になるしかない。 人を喰らって強くなる鬼。 しかし鬼は最期は天によって滅せられる。 後には何一つ残らない 。

何故私は何も残せない?

何故私は何者にもなれない?

何故私とお前はこれほど違う?

私は一体何のために生まれてきたのだ

教えてくれ 縁壱 ・・・

 第二不完全性定理だの、レープの定理だのを何度読んでも理解できない凡人であるサル的なヒトは、炭治郎たち正義の鬼殺隊よりもむしろ、鬼の哀れさに深く、深く同情してしまう。 こういう読者がこの漫画を絶賛してるのだろうなぁ。

でもな、鬼を退治する炭治郎はとてもいい子だから好きだぞ。 やたらと身体が強いけど頭がちょっと弱い恋の呼吸の柱の女の子も、おぢさんは応援しているぞ。

在宅勤務のお供に

・・・ な、なんということだ。 在宅勤務なので油断してたら、とんでもないニュースが飛び込んできた。 ヤバいんじゃないか、これ。

みんなが大好きな 超かわいい chay おねいさんが結婚する んだって。 むっきー! おめでとー!!

 


chay 「あなたに恋をしてみました」(short ver.)

 

ギターを颯爽と抱えて、少しハスキーボイスでちょと昭和歌謡が入ったステキな歌を歌う chay おねいさんに、サル的なヒトはずっとメロメロだったのである。 ふぅ。

結婚式ではぜひ、ナイフを振りかざしてダンナさんを血相変えて追いかけまわしてもらいたい (笑)。 あ、映画 「Dance with me」 見てないヒトには通じないギャグか。 未見のヒトはぜひ見てね。 無茶苦茶笑えて心が軽くなる良い映画だよ。

読者のみんな。 自粛ももうすぐ解除だ。 パーッと明るく行こうよ。 さぁ、chay ねーさんの歌、大きな声で一緒に歌おう!

♪ あなたに恋をしてみました

なんでもできそうな 力がわくのは

あーそれは、あーそれは 恋の魔法ね ♪

いぇーい!!

 

*****

 御多分に漏れず、未だ在宅勤務のサル的なヒト。 昼間は職務に励むとともに、岩合さんのニャンコ番組を堪能しなければならないのである。 疲れ切った夜は、ラジオを聴きながらお布団に入る。 お気に入りは、前にも書いたが、あの日本放送協会が世界に誇る 「ラジオ深夜便」 である。夜11時ごろから朝の5時まで、日本中のじいさん・ばあさん、そして不眠症野郎どものハートをわしづかみにしている素晴らしい番組なのだ。

ラジオはいつも1時間のタイマーをかけている。 だいたいは5分、10分で眠りに落ちるから、電源が切れたことにも気づかないのだが、寝付けないときには1時間後にプツっと切れたラジオを再度オンにして、さらに1時間の延長戦に入ることもある。 ぶっ殺したいヤツが職場界隈にいるときとか、精神的にヤバいときにはそうなるのである。

で、二日前の深夜。 いつものようにラジオ深夜便を聴きながら眠りに落ちた ・・・ はずだったのだが、ふと目が覚めたのである。 暗闇の中で、哀しいうめき声がする。 暗い響きが、繰り返し、繰り返し ・・・  な、なんじゃ、こりゃあ (ジーパン刑事風に)。 こ、これは、もしかしてあの伝説の ・・・

 


呪い/山崎ハコ

 

♪ こんこん こんこん 釘を刺す

こんこん こんこん 釘を刺す

畳が 下から 笑ってる

こんこん こんこん 釘を刺す

わらの人形 釘を刺す

自分の 胸が 痛くなる ♪

 

・・・。

 

・・・。  シクシク、シクシク ・・・。 涙が止まらない。 深夜2時にこれはないだろ、NHKのヒト。 ただでさえコロナで心が弱っているのに、きついぜ、これ。

みんな誤解しないでね。 山崎ハコの 「呪い」 というこの曲、タイトルにインパクトがあるから時々くだらん恐怖映画なんかで使われているが、そういう薄っぺらい曲では全くないのである。

藁人形を恨む相手に見立てて釘を刺す。 が、結局釘は自身の心に突き刺さる。 涙がポトリと落ちて、釘に変わる。 その釘で自分の心をまた打つ。 解説を書いているだけで苦しくなる、そういう歌である。 

しかし、深夜2時にこの名曲はあまりに唐突である。 心が揺さぶられ過ぎて眠れなくなったサル的なヒトは、結局朝までラジオ深夜便をずっと聞き続けるはめになってしまった。 これって、「NHK、いい仕事してるな」 とほめるべきなのだろうか。

「どうも最近、心が壊れかけているなぁ」 という自覚のあるヒトは、心の準備をしてからこの曲をじっくり聴いてみてください。 涙がホロホロとこぼれた後のことは考える必要はない。

 *****

chay おねいさんと山崎ハコさん。 どっちもいいよね。 分かる人には分かる。 分からんヤツには一生分からん。 人の好き嫌いなんぞその程度のものだし、それで結構である。 

というわけで今日の記事はこの辺で。 「なに、これで終わり? 業界人の知恵になりそうなことを何一つ書いてないじゃないか!」 などとこざかしいことをぬかすおっさんたちの相手をしている暇は私にはないのだ。 なにせ、竈門炭治郎 (かまど たんじろう) が上弦の鬼と闘っている最中なのだからな。   

鬼滅の刃 1 (ジャンプコミックスDIGITAL)

鬼滅の刃 1 (ジャンプコミックスDIGITAL)

 

 一気に10冊ほど大人買い。 炭治郎と善逸と伊之助の活躍に夢中なのである。 こりゃおもしろい。 淋しい在宅勤務のお供にぜひどうぞ。

 

「というか、あんた、在宅勤務と称して、マンガ読んだり、ニャンコ番組見たり、数独の上級技 X-wing の使い方にやけに詳しくなったり、そんなことばかりしてるんじゃないか? ホントに仕事してんのか?」 などという突っ込みは一切受け付けない。

ちゃんと食後の皿洗いはしているのだから。

*****

「効くのか・安全なのかがよく分からない薬・ワクチンを迅速承認と称してテキトーに承認してしまう神事について、なんか書かないといけないんじゃないの?」 という懸念の声が (ほんの一握りの人たちからであっても) あがっているのならば、頼もしいことである。 業界人連中 (産学官すべて)、今のご時勢に悪乗りして神事のやりほーだいだからな。 昔の関東軍並みのやりほーだい。 パケホーダイも真っ青だ (笑)。

一方のアメリカ様追従者も忙しいよね。 アメリカ様の後追いをし続けて数十年。 今回またさらにアメリカ様の 「緊急使用許可」 の真似をするための新たな法整備という商売のネタ・メシのタネができてさぞや嬉しいことだろう。 

ニポン人のそうしたビョーキは歴史学者にきちんと論じていただきたいのだが、それはさておき、薬効評価の研究者としては、現下のワクチン・新薬の異常な扱われ方って、『薬が効く・安全である』 という表現にまともな (意味論的な) 定義をお役所や専門家が与えてこなかったツケを、またもや国民が払わせられている感じであることを、相も変わらず、指摘しておきたい。 何百回指摘しても、ニポン人ってどーせすぐに忘れちゃうんだけどな。

ニポンの薬機法には 「薬が効く」 ってどういう意味かがどこにも書いていない のに、お上も企業も 「この薬は効く」 って胸をはるんだよな。 神事・おままごととしての薬事行政の源泉の一つがこれである。 おままごとの医薬品規制しかないのだから、コロナの薬やワクチンの扱いが強面の政治家の言うなりになってしまうのも当然だよね。 パブリックヘルスもクソもあったもんじゃない。 あーあ。 ため息しか出んぞ。

何十回も繰り返し書いてきたこれらの規制の大穴については次回以降に。 気が向いたら、な。