小野俊介 サル的日記

いや、その、サル的なヒトだから・・・

9月になれば僕は

まだまだ暑いけど、皆さんお元気? サル的なヒトは大忙しなのである。 なんで忙しいかって、そりゃ決まってるでしょ。 私は医薬品の薬効評価や製薬産業の開発効率を研究してる大学のセンセーですよ。 住んでいる団地の桜とツバキの木に盛大に毛虫が発生してしまって、ここ数日その対応に追われていたのである。 朝晩庭木をチェックして殺虫剤をシューシューしたり、足りなくなった殺虫剤を東急ハンズまで仕入れにいったり、駆除業者さんに来てもらって相談したり。 目が回りそうな忙しさである。

ちなみに東大の本郷の病院前のバス通りの桜も悲惨なことになっておる。 毛虫にやられて丸坊主。 今年はコロナのせいで草刈りとか掃除が甘かったから、自然が元気なのである。 自然の側からすると、ふだんは人間様に抑圧されてるのだから今年くらいは張り切りますぜ、って感じなんだろうな、と思う。

桜の木にわいているのは、モンクロシャチホコって毛虫。 黒々プリプリした胴体に、黄白色の毛がフサフサと生えておる。 虫嫌いは一目見たら卒倒するかもしれん。 が、よく見るとかわいいところもあるのよ。 無毒だから安心してください。 

モンクロシャチホコの特徴、それは、桜の葉っぱをモリモリ食べて大きくなると、地中で蛹(さなぎ)になるために、木から降りてくるところである。 あいつらが喋れるのなら、きっと 「諸般の事情でちょっと地上に降りますよ。 いや、悪気があるわけじゃないのよ。 びっくりしないでね」 とか控えめに言うのだろうが、人間はそれを 「う、うわぁー! 毛虫がポトンと落ちて来たぁ!」 と表現してしまう。 「降りる」 と 「落ちる」 を隔てる低いようで高い壁。 ユーミンの 「5センチの向こう岸」 みたいなものだ ・・・ いや、違うか。(注 1)

(注 1) 彼氏が自分よりも5センチも背が低い女の子の悲恋(笑)を歌った曲。 とてもかわいくていいよね、これ。 

でもね、こういうできごとに接していると、季節と自然の移ろいが感じられてとてもいい気分なのである。 まだ強い残暑の陽射し。 濃い緑の葉が徐々に欠けていく様。 モコモコと地面を懸命に這う毛虫たち。 土の臭い。 汗の臭い (あ、これは自分の体臭だ)。 夏の終わり。 これらみんな、一日中室内で在宅勤務していたのでは味わえない贅沢なものたちばかり。 うちの研究室の学生たちには昨日指導したが、それ以外の読者のみんなも、お外に出ようね。 土や石や草や虫をむやみやたらに触るといいよ。 部屋にこもって会社に言われたことだけしてたのでは、心が病むよ。

外をのんびり散歩しながら、夕方5時のチャイムを聴こう。 これから誰と出会い、そして別れるのかなんて知る由もなかった昔々の自分たちを思い出しながら、夕闇を見上げよう。 あ、涙が。

 


フジファブリック (Fujifabric) - 若者のすべて(Wakamono No Subete)

 

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 夏の終わり、おじさんたちは Simon & Garfunkel の 「4月になれば彼女は」 を何度もつぶやく。 8月、9月はアメリカ人にとっては別れの季節である。

August, die she must
The autumn winds blow chilly and cold

September, I’ll remember
A love once new has now grown old
 

8月、彼女はいなくなる

秋風が、冷たく刺すように吹きつける

9月、僕は思い出す

新鮮だった愛が古びてしまうってことを

 


Simon & Garfunkel - April Come She Will

 

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あ、そうだ。 11月に開催される医療がらみのシンポジウム (コロナワクチンなどを議論するセッション) の抄録を書いたから、それもちゃっかり載せてしまおう。 仕事もちゃんとしてるってところを読者に見せておかないと、「サル的なヒトって、桜の下の毛虫を棒でツンツンしたり、昼休みに三四郎池のまわりでセミコガネムシを採ろうとしてヤブ蚊に食われまくっているだけの人なのか?」 と誤解されてしまうからな。 否定はしないのだが。

 

お役人や専門家の言うことって、みーんな意味不明、みたいな(笑)

 

小野俊介

 

このシンポの第一回からずっと申し上げてきたことを今年も繰り返す。 サル的な大学教員の過去の言動など誰も覚えていないのだから、ネタを使いまわしても苦情は来るまい。

お役人や医者や研究者が医薬品がらみの案件で力説していることのほぼすべてが、意味不明である。 政治家が意味不明なことを言うのはどの国でも常識だが、医薬品がらみで発せられる言葉はそれとは違う意味で意味不明である。

先日コロナワクチンの副作用が問題になったとき、「コロナワクチンは有効性と安全性で適切に審査する」 と政府高官が言ってましたね (正確には、言わされてましたね)。 まったく意味不明である。 こんなバカげた台詞に誰も突っ込みを入れないなんて、皆さん在宅勤務しすぎて頭のネジが飛んでしまったのだろうか。コロナって恐ろしい。

有効性、安全性ってなんだよ、それ。 誰ひとりとしてまともな定義 (注:辞書的定義ではなく、意味論的なモデル) を与えていないぞ。 薬機法にもそれらの意味は一行も書かれてない。 なのに、なんでお前ら、有効性とか安全性とかいう言葉の意味を知ってるの? ・・・ ホントは知らないんでしょ? なんとなく雰囲気で、テキトーに、カッコつけて語ってるだけなんだろ? 正直に白状してごらん。 サル的なおじさんは怒らないから。

驚いたことに私の主張は検証可能である。 方法は簡単。 役人や専門家連中がエラソーに発したコメントの語尾に

「・・的な(笑)」

「・・みたいな(笑)」

を付け加えるだけでよい。 ほれ、テレビタレントがよく使うヤツである。 たったそれだけのことで彼らの言ってることの薄っぺらさがおそろしく鮮明になる。

 

「ワクチンの有効性と安全性を保証する、的な(笑)」

「審査の透明性を確保する、みたいな(笑)」

 

 ほらね、いい塩梅にニュアンスが強調されて、「そうそう、役人や専門家の言うことって所詮この程度にいい加減なのよ」 って気付くでしょ? れぎゅらとりーさいえんすとやらに出てくる文章や言葉はほぼすべてこの程度の意味不明さなので、真に受けてはいけないことがよく分かる。

 

臨床試験には高い科学性・倫理性が求められる、みたいな(笑)」

 

も、あちこちで見かけますね。 いろんなところがちょっとユルい医薬品業界人(産官学すべて)の決まり文句である。

彼らのいう「科学性」がテキトーなのは昔からの伝統だが、「高い」倫理性っていうのも笑える。 エベレスト山頂とかに住む賢者が語る倫理のことだろうか? 「高い」倫理があるのなら、きっと「低い」倫理もあるのだろうな。 「地べたに落ちた肉まんを食べない」 とか。 意味不明である。 たいていの製薬会社はホームページで倫理だのコンプライアンスだのを語っているのだが、「わが社の社員は高い倫理観的な(笑)倫理観を持たねばならない」 と正確に表現した方がいいですよ。

 

医療・医薬品業界のおっさん・おばさんたちの言うことってチョーウケる。 マジまんじ。

 

帰宅して、家人に 「ふんっ! どんなもんだい!」 とこの原稿を見せたら、「これってもしかして、最後の 『マジまんじ』 って言葉が使いたかっただけなんでしょ?」 と一瞬で見抜かれた。 ぐうの音も出ないとはこのことである。

ぐう ・・・ あ、出た。