小野俊介 サル的日記

いや、その、サル的なヒトだから・・・

「・・・の立場」利権のようなもの

医薬品関係の専門家や業界人のシンポジウムでよく見かけるのが、何人かが登壇して、プレゼンして、その後ディスカッションを行うスタイル。

そこでは、大きな、ざくっとしたテーマ(例えば、新薬のグローバル開発)があって、

「製薬企業の立場から (株)○○製薬 ○○ 先生」
「規制当局の立場から ××省 ×× 先生」
「患者・国民の立場から   △△ 先生」

といった感じのプログラム構成になっていることが多い。

でもその手のシンポジウムに参加して、「いやー、充実した討論が交わされたなぁ。役に立ったなぁ」という満足感が得られることって、あまりない気がする。

設定に無理があるんだと思う。

「製薬企業の立場から」話をするって、一体それは何だろう?
「規制当局の立場から」って言われてもなぁ、そんな立場なんかあるんだろうか?

「患者・国民の立場から」なんて言って誰かが話を始めたら、シンポジウム会場にいる全員が「・・待てよ。俺も確か患者だったことがあるような気がする。俺も国民のような気もする」と思ったりする。
そもそも、製薬企業社員しか「製薬企業の立場」の話はできない、なんてことはないし、政府機関の職員しか「規制当局の立場」の話はできない、なんてことも、実はないのだ。

そう考えていくと、ざくっとしたテーマを議論するには、話し手の所属が「・・・の立場から」と単に一致してれば良いといった単純な話ではなくて、もう一歩踏み込まないといけないことがわかる。
少なくとも、何らかの目的(objective)・視点(perspective)とセットにしないといけない。

例えば、「ドラッグラグに苦しむ希少疾病の患者の支援を積極的に行う覚悟がある製薬企業の立場から」とかね。だいぶわかりやすくなったでしょ?

で、そこまで踏み込むと、「じゃあ『ドラッグラグに苦しむ希少疾病の患者の支援を積極的に行う立場から』ということでいいんじゃね? 製薬企業とか、規制当局とか、もうどうでもいいんじゃね?」と思ったりしませんか?

ほーら、あなたも社会の視点で議論ができるようになった。

現実には、「・・・の立場から」を語るポジションがある種の利権のようになっているという構造的な問題がある。
「企業の立場」の話を「企業以外の人」がしたり、「政府の立場」の話を「政府以外の人」がしたら、「おのれは何を出しゃばってるんだ? あ!?(怒)」と怒鳴られるような雰囲気がある。私なんか、いつもいろんな人に怒鳴られている(笑)。

そこが問題の根幹。でも、そうした社会の雰囲気って、そう簡単には変わらない。伝統みたいなもの。

でもね、本当に建設的な(科学的な)議論をしたいのなら、ちょっとだけその「立場」利権を皆が手放さないといけないと思いますよ。そのシンポジウムの時間だけでも。

ニコニコしながら、本質を射抜くような議論ができる日が、来るかなぁ。