小野俊介 サル的日記

いや、その、サル的なヒトだから・・・

どこが歪んでいるかを皆で考えよう

今の日本の業界人に日本の新薬開発のことを書いてもらうと、平気でこういう文章を持ってくる。

Japan is a unique country where the regulator and company determine doses using domestic data.
(注: doses は新薬の用量(1日にどれくらい服用するか)のこと)

ほとんどの場合「どうですか、日本での新薬開発の現状がすごく上手に書けているでしょ?」とニコニコして原稿を持ってくる。
ナイーブ(幼稚)すぎるでしょ、これは。 アフガニスタンの地雷地帯で幼稚園児が遊んでいる雰囲気。 あるいは、確信犯だとしたら、身体の芯までしみ込んだ属国意識、途上国マインド、欧米マンセーのなせるわざか。 洗脳という言葉が頭をよぎる。

「近年の臨床薬理学研究やゲノム解析によって、薬の効き方(あるいは薬物動態)は人種間の差より個人間のバラつきの方が大きいことがわかった。 人種や国ごとに用量を検討する必要はない」

なんていう主張もよく耳にする。 突っ込みどころ満載ですね。 人種・国民という集団の(平均の)話と、集団を構成する個人の話を同一レベルで議論する誤り。 そして「用量を決める」という社会的な決定のあり方に対する何とも浅薄な理解。

用量は「決まる」んじゃなくて、「決める」んですよ、念のため。 本当は誰かが「決めて」いるのに、対象(患者)のデータから科学的に「決まる」なんて言い方をする構図の奇妙さを指摘しているのは、なにも私だけではありません。 ね、S先生。

そんな意味不明な主張と同じ系列で、さらに極北の主張が、

「日本人だって、アメリカに旅行してそこで病気になったら、パッケージに書いてあるアメリカ人向けの用量飲むでしょ? だったら日米同じ用量設定でいいじゃん」

はー(ため息)。

新薬開発や承認審査のプロ(であるはずの人々)が、平気でこういうことを言うのを何度も耳にしている。 根が深いなぁと心底思う。

皆さん、社会における決定というものをきちんと考えましょうよ。 そして勉強しましょうよ。

狭義の医学・薬学の知識だけでは、そして、新薬の研究・開発・承認審査に携わった経験だけでは、こうした議論には参戦できません。 意思決定諸科学たる経済学(ミクロ)、厚生経済学、社会選択論。 リスク関連諸科学。 産業界のダイナミクスや行動原理を理解したいなら産業組織論。 そしてもちろんいつだって最も重要なのが倫理(政治哲学という形が今は流行。サンデル先生とか)。

欧米人の判断の結果(用量)ではなく、欧米人の学問体系を真似しましょう。「日本人は、欧米人と異なる判断ができるまでに成長しました」って言えば、皆さんのあこがれる欧米人様もきっと喜んでくださるはずです。 むろん皮肉。

皆さんのすぐそばにいくつも学校(大学院、ビジネススクール)があるし、教科書もあるし、先生もいるんだから、「勉強の機会がない」という言い訳はできません。 何よりも、楽しいです、新しいことを学ぶのは。

で、宣伝 (結局そこか(笑))。 こういう新薬開発や規制関係の領域を大学院で本格的に勉強したり、研究してみたいなぁと思う企業の方がいたら、遠慮なくコンタクトしてください。 6月2日(土)13:00‐ 東大薬学系研究科の入試説明会がありますので、興味のある方はぜひご参加ください。 詳しくはwebで。

昨日のブログに書いたとおり、私の出張講義も喜んでします。 完全無料。 動機は同胞愛と友情のみ。

昨日1回目の講義を聞いた○○社の方々、お疲れさまでした。 最初は目を白黒させていましたが、新鮮だったでしょ? ああいう講義を聴けるのは、日本ではあの場だけです(自慢)。 あなたの中の何かが変わるかもしれません。 気楽に、がんばりましょう!