小野俊介 サル的日記

いや、その、サル的なヒトだから・・・

真っ黒いヒトは哀しからずや

桜舞う三月末。 本講座の卒業生は、研究室の自分の机を片付けて、無事に巣立っていきました。 頑張れよ、N山君、K川さん、Y澤さん。 世の中は理不尽の塊だよ。 君らはその中で日々を生きていくのです。 ご愁傷様というしかない。

先週、昭和中期型ロボの福山雅治も 「オールナイトニッポンサタデースペシャル・魂のラジオニッポン放送)」 を卒業したのである。 土曜日の夜、相棒の荘口彰久 (通称 そうちゃん) と時に脱力感あふれるネタを展開してくれて、本当に楽しかった。 毎回、番組の最後にギター一本で生歌を披露してくれるのだが、それがCDになるらしい。 福山って、他人の歌を実にかっこよく歌うのである。 ぜひ聴いてみようぢゃあないか。

「魂リク」(初回限定盤)(DVD付)

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先週土曜日は神戸の薬学会へ。 研究不正、研究倫理のシンポジウムでおおむね次のようなことを話しました。 当日、会場にいなかった皆さんへの大サービス (という押売り)、ここに講演内容を公開します。

 人の生死の近くで商売を営んでいるものだから、医療従事者や製薬業界人って、自分が何か特別な人種であると勘違いしているかも。 企業の研究開発者を含む広義の医療人は、確かにすごい能力を持ってはいるけど、本質的には他の一般的な職業人(例:ねじ工場の職人)と同じ技術者でもある。 にわか科学者になって 「れぎゅらとりーさいえんす」 などという意味不明の大風呂敷を広げる前に、まずは技術者の倫理に従い、善い仕事をしよう。

 例えば、工学部で既に講義されている技術(者)倫理の教科書を、薬学部の人たちも読んでみると良い。 そこでは技術(者)が謙虚に捉えられており、技術倫理の目的は 「技術者集団が公衆のために機能するように制度・組織を設計すること」 と実に手堅く定義されている。

 技術倫理の教科書には、例えば、組織(企業・政府・大学)の一員としての技術者の主張が、組織のおエライさんや経営陣の意向と対立する状況についても語られる。 よくある状況だもんね。 例えば組織の儲け第一主義とかタテマエ・前例主義のせいで、製品の安全性が損なわれそうなときに技術者はどうすべきか、内部告発が正当化されるのはどのような状況か、などが論じられている。 これらって、過去何十年間、医薬品産業でもむろん何度も大問題になった出来事だし、実例も山ほどあるのに、ちゃんと議論したことがないよね。 

 「各施設に内部告発の窓口を置くべき」 などという、内部告発者を抹殺したい感がにじみ出る臨床研究ガイドラインを作ってしまう医療系の人間は、工学部で講義を聴き直した方がいいかも。

 市場の論理コスモポリタン的倫理が現在の新薬グローバル開発では幅を利かせている。 市場メカニズムはより多くの匿名の誰かを幸せにする意味で優秀だし、経済的繁栄を支える論理だが、一方でよく知られた欠陥もある。 それは、一人一人の人間の顔が見えないこと。

 薬効評価の世界では、長年、その市場の論理が無自覚に採用され続けていることを自覚しよう。 例えば、頻度論の薬効評価の統計解析で、無作為抽出 (ランダムサンプリング) を unbiasedness を導くための仮定とし、母集団が何か(=薬によって幸せにしたい集団が何か) の議論を単に外部妥当性の問題と扱うのは、科学と倫理の最上流のどこかが歪んでいるとは思いませんか。

 漠然と 「患者のために新薬を作ろう!」 なんて言っても、ほとんど意味のない掛け声です。 この制約に満ちた現実世界では。 医薬品業界人って、二言目には 「患者のために」 って言うけど、それって 「真っ黒な、顔のない誰かを幸せにしてみせますよ、我々は!」 なんて無意味なことを力説してるのと同じ。 患者って誰よ? 実体のない精神論? 神話に出てくる怪物?

 「患者」 と称して、現実にこの日本にいる患者(例えば木村太郎さん、山田花子さん)のことなんてろくすっぽ考えずに、薬が効きそうな患者ばかり上手に見つけて臨床試験をやる人たち。 「患者」 と称して、アメリカ在住の人たちのことばかり考えている人たち。 「患者」 と称して、大金を持っている人たちのことばかり考えている人たち。 あるいは 「患者」 と称して全人類70億人を指そうとする、誇大妄想狂に近い人たち (そんなに全人類が救いたいなら、全資産をビル・ゲイツ財団にでも寄付した方が良いと思うよ)。 あなたのまわりにいる人たちって、そんな人たちばかりではありませんか?(笑)

 でもね、圧倒的に最も多いのは 「患者」 っていっておきながら、それ以上のことを何も考えていない人たち。 「患者」を単なる記号としか認識していない方々。

 鼻息荒く 「患者のために」 ってカッコつけてる 「あなた」 の方も実体がないよね。 「あなた」 って誰よ? ○○製薬? ××省? それって変だよ、だってさ、組織ってコンクリートの建物 (あるいは登記簿・設置法上の存在) だから、口きかないはずだぞ。 ほらね、大抵、「あなた」 の側も実は真っ黒な、顔のない存在なのよ。 それを誤魔化しているだけ。

 真っ黒なヒトって、悲しいよ。 ヒトと異なること・違うことが許されないのだから。

 我々は顔のある実名の人としてこの社会を生きている。 固有の事情と信念を持った実名の人から成り立つ社会の倫理(例:共同体主義)に基づく薬効評価と薬の承認は、その気にさえなればいろいろなレベルで実施可能である。 市場の、そしてグローバル化の論理・倫理を正しく補完しうる 「実名のお客さんの顔が思い浮かぶ」 臨床研究に僕らの未来を託したい。

・・・ というような講演でした。 サル的日記の読者の皆さんには、何ら新しくはないですね。 だって、これっていつもブログに書いていることだから。

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卒業生のN山君、K川さん、Y澤さん。 真っ黒なヒトにならずに、しっかりと実名の顔のあるヒトとして生きていこう。 見解の相違や人と違うことを恐れずに。 日々を生きよう。 そしてまた次の春に会おう。


春がきた
今年もまた新しい花が咲くのです
同じ春など二度とないから

憧れたものにはもうなれないとしても
何度でも花が咲くように
私を生きよう

また春がきた

by 福山雅治 「何度でも花が咲くように私を生きよう」