小野俊介 サル的日記

いや、その、サル的なヒトだから・・・

モノしか見ない、世界の王様たち

今日は、とても重い話。 重すぎて、とても1回のエントリーでは終わらないから、ほんのさわりだけ。

医薬品業界の人たち(製薬企業の人々、厚労省やPMDAの人々、医薬品関係の学者、医薬品メディアの人たち、など。このブログでは何度もこの言葉を使うから、念のためそう定義しておきます。)には、二つ大きな特徴がある。 特徴というより、弱点である。 一般メディアやフツーの市民からそこを攻撃され、時にはボコボコにされているのに、いまだにこの弱点に気付いていないところが情けない。

その1: モノが主役と勘違いしがちなところ。 方向違い、見当違い。
その2: 自分がこの世界の主、王様だと思っていること。 独りよがり。民主主義嫌い。

まずは、その1。

「この薬の有効性は・・・」とか、「この薬の安全性は・・・」とか、「この薬の有用性は・・・」とか、「この薬のリスクベネフィットは・・・」とか、これらがこの業界の議論の仕方の定型表現。 でも、皆さんちょっと冷静になって、これらすべての定型表現を見返してください。

これらの定型表現では、モノ(薬)が主役ですか? 我々はモノ(薬)を見ていますか? いいえ、見ていません。 見てるわけがない。 我々が見てるのは、モノ(薬)ではなく、ヒト・人間です。 我々は、薬効評価において、ヒト・人間の状態を評価してるんです。 状態というのは、健康状態、満足感、そして幸せ度。 さらに、ややこしいことに(注)、登場するヒト・人間は、一人じゃなくて、たくさんいたりするのが普通(つまり、社会)。 つまり、社会の状態・幸せの評価をしなくちゃいけないのです。

(注:狭義の臨床試験の世界、つまり、顔のない代表値(平均値)の文脈の話とは別ですよ。念のため。 生物統計学者の先生方と喧嘩する気は全くありません。 怖くてできません(笑))

粒々の錠剤やバイアルに入った注射液(つまりモノ)に、無邪気に「有効性」だの「安全性」だの「有用性」だの「リスクベネフィット」といったレッテルを貼ろうとするから、わけがわからなくなる。

錠剤に無邪気に貼れるレッテルなんて、せいぜいが「形の歪んだビー玉として使える」とか、「踏むと足の裏のツボに当たって気持ちいい」とか、そのくらいなもんです。

そして、その2。

有効性、安全性といった言葉にまともな(オペレーションや規制体系とリンクした)定義が一切なく、また、これまでに「これじゃあマズいでしょ。 ちゃんと定義しましょうよ」と大声を挙げた日本の業界人はいない、という驚くべき事実については目をつぶり、とりあえず見なかったことにして(この先じっくりやります)、

「この薬が有用である」とか、「この薬のベネフィットはリスクを上回っている」とか、平気で申し述べる人たちは、たいてい、それらの主張が単にその人たちの脳内の一人よがり意見にすぎないことに気づいていない。 あなたがそう思ってるだけでしょ? という話だ。

「いや、一人じゃない。チーム全員の見解だ」というのなら、それは「チームの何人かだけの脳内意見」と置き換わるだけのこと。

「バカにするな! 俺は社会全体のことを考えてるよ!」と青筋立てて怒りだすヒトもいる。 が、社会全体のことを考えている「独りよがりなヒト」なんて、掃いて捨てるほどいますよね。

要は、「誰が」(その1で書いた)社会の状態を評価するのかという問題を無視するヒトが多いということ。

新薬の審査報告書の中で、受動態、あるいは主語抜きで書いてある結論は、その典型である。 「この新薬のベネフィットを考慮すると、リスクは受容できるものと考えられた」といったふうに書いてありますよね。 本当に大事なことをスルーしてる。 「・・・と入社3年目の私が考えた」ってはっきり書いたらどうでしょう(笑)

意地悪はさておき、では「誰が」のところに来るのは、誰でしょうか?
あなた? 私? 学者? 審査官? 裁判官? 企業の社長? 患者? 市民? 国民? そして何人くらい? 100人? 1000人? ・・・ 1億3千万人? 70億人?

ややこしいでしょ? でもご安心ください。 私も学者の端くれ。 ややこしい問題には、たいていセットでそれを考えるための学問があることくらい知っている。 目下の問題の場合、根っこから考えるとなると、例えば、社会選択論、厚生経済学。 新しい学問分野では、リスクコミュニケーションだとか、STSだとか呼ばれる領域。 これら諸学問の知恵を使わないと、まともな議論は始まらない。

でも簡単に結論を求めないでね。 短絡的な人たちが多いので念のために言っておくが、学問があるということと、答えがあるということは別。 ましてや、「あなた」が happy になる答えがある、ということは完全に別次元の話。 

ということで、話は次回以降に続くのである。 ・・・気分次第で。

誰が科学技術について考えるのか―コンセンサス会議という実験

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