小野俊介 サル的日記

いや、その、サル的なヒトだから・・・

研修終了。 お疲れ様でした

とある日本橋近辺の製薬企業さんの出張研修、今日が最終日。 みなさんお疲れ様でした。

貴社で、道徳原理の樹の説明を60分ですべて終わらせてやろうと試みたのは、私の失敗でした。 さすがに無理があったっす。 すんません。 おかげ様で、他社での講義はとてもうまくいってますので、それでご勘弁を(笑)。 同胞愛ってことで。

昨日の濃いめのブログの続きを書こうかと思ったが、今日はちょっと元気がないので、一言だけ・・・といってもその一言が長い、と笑われるのだが。

昨日の内容をまとめると、要は、

あなた(あるいは誰か)が「お薬を開発すべきかどうか」「お薬を承認すべきかどうか」を判断するということは、お薬が供給された社会の状態をあなたが(まるで神様のように)評価し、判断することだと心せよ。 覚悟せよ。

ということである。

業界人がよく使う「医薬品を評価する」なんていう言葉では明らかに軽すぎる。 だって、どんな評価をしても、医薬品(モノ)は噛みついてきたり、殴りかかってきたりしないもの。 悪口すら言わない大人しいやつらだ。

「社会の状態を評価する」とは、「社会を構成する私や、あなたや、エリカ様や、ボクサー Bさんや、ゴルゴ13(注)や、患者 Aさんや、納税者 Xさんや、その他すべての社会の構成員の状態を評価する」こと。 わけのわからん評価をされたら、当然殴りかかってくる連中もいるし、噛みついてくるサル的な人もいるんだよ。 あなたのその判断のせいで、命(や、お金)を救われる人がいる一方で、あなたの判断のせいで、命(や、お金)を失う人もいるわけである。 そりゃ、噛みついたり、殴りかかったりもしたくなるわな。

(注:ゴルゴ13を社会の構成員と考えるかは見解が分かれるところ。)

噛みつかれようが、殴られようが、社会の状態をきちんと判断するその覚悟があなたにはありますか? とお薬の開発をしている人々、承認審査に携わっている人々に尋ねたい。 いかがですか。

仕事の話は、ここまで。

今日は金曜日の夜。

日本橋の交差点のそばの公衆便所の横、暗闇に座って、微動だにせずに、足元の一点をじっと見つめていたホームレスのおじさんがいた。 おじさんの目には、何が見えているのかなぁ。 

渋谷のバナナの自動販売機の横で、紙袋を両手に下げて、ただ立ち続けるホームレスのおじさんがいた。 座ると、駅員さんに怒られるからだろうね。 1本130円のバナナを買って、どうぞ、と渡すことがどうしてもできなかった根性なしは、私です。 どうしてそのくらいのことができないのだろう。

何曜日だって、夜の渋谷駅には、何十人もの人たちが段ボールの上で寝ている。 その横を毎晩帰宅時に通るたびに、今日も何もできなかった、と絶望的な気持ちになって、泣きたい気分になる。

しんどいなぁ。