小野俊介 サル的日記

いや、その、サル的なヒトだから・・・

「この薬は有効」という表現の情けなさ

ちょっとドタバタしていて、更新のタイミングを逃してしまった。 更新を楽しみにしてくださっている全国120万人のサル的ファンの方々、申し訳ありません。 台風にも飛ばされず、神田川や目黒川の増水にも負けず、サル的なヒトは生きている。 皆さんは、台風、大丈夫でしたか? 

昨日は台風来襲にもかかわらず、K里大学の皆さんと東大のうちの研究室の学生の交流会があった。 T内先生 ・ N川先生 (伏字に意味がないような気がするが) という素晴らしい先生方に指導されているだけあって、K里大学の学生さんは、社会人学生もリアルな方の(笑)学生さんも、皆、勉強熱心で頼もしい。 なかなかの個性派もいて実に楽しいメンツであった。 これからもお互い頑張りましょうね。

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前にも何度も書いたが、一度や二度(や十度や二十度) 何かを書いても、それくらいで世の中は変わらないから、しつこく何度でも書く。 最近論文を読んでいてやたらと気になるのが、「このお薬の有効性は示されているが ・・・」 といった表現。 読んでいてイライラする。  業界の皆さんって、平気で次のような言い方をしますよね。

  • この薬の有効性は示されたが、リスクベネフィットの問題は別途考えなければならない。
  • この薬の有効性は示されたが、サブポピュレーションで一貫性が示されるかどうかが問題である。

でもね、至極当然のことだが、有効かどうかは 「誰に?」 「どの集団に?」 が付いていないと本質的に意味がないのよ。 有効性って、錠剤の色とか、重さとかいった属性じゃないもんね。 人間は面倒くさがりだから、言葉をつい省略してしまうことが多いのはわかるが、あまりに横着しすぎて肝心な言葉(ここでは 「誰に」)を省略し続けていると、脳の構造までそれに合わせて退化してしまう。 それが恐ろしい。

× このお薬は有効だ。
○ このお薬は 「彼に・彼らに・ある集団に」 有効だ。

(注 1) 今日は不確実性や因果関係に関するややこしい話はしない。 本当はそれら全部が関係するので、また別の機会に。

「このお薬は有効だ」 という言い方は、例えば 「キムタクは人気がある」 とか 「芋虫は食用である」 とかいうのと同程度にいい加減で、粗雑な表現です。 どちらの表現も間違っているわけではないが、本質において最も重要な情報が欠落したひどい表現だから、まともなプロフェッショナルが、まともな職業的な文脈で乱発してはいけない代物なのです。 

週刊誌の匿名の芸能記事の中で、「あの人気者の(笑。 もはや死語か) キムタクが ・・・」 という表現が出てきても誰も目くじらを立てないよね。 しかし例えば、あなたが食品企業の社員だったとして、「社運をかけた次の新製品のキャンペーンにどのタレントを使うか」 を決めるために、八千万円ほど払った調査会社がまとめたCMタレント好感度調査の報告書に 

我々の調査で、キムタクは人気があるという結論を得た。 キムタクに人気があることは検証されたが、すべての人たちがキムタクを好きかどうかは別の問題である。

などと書かれていたら、イラっとするでしょ? 今すぐ八千万円返せって怒鳴りたくなるでしょ?

あるいは、料理学校の日本食コース(受講料10万円)のテキストに、

消化が良く、栄養価の高いタンパク質を含む食材としては、鶏肉、豆腐、芋虫などがあります。

などと書かれていたら、「おい、あんたは私に喧嘩を売ってんのか? え?」 と料理学校の先生に詰め寄りたくなるでしょ?

それらと同レベルの手抜き表現 「この薬は有効だ」 を、あたかも科学的に厳密な表現のように平然と受け容れているのが医薬品評価の世界である。 というか、そのような表現を確信犯的に使い続けているといった方が正確か。 理由は大きく3つだろうか。

理由1: 「誰に有効か」 を厳密に規定するのは商売上好ましくないという、製薬企業や医療提供者にとってのビジネス上の理由。 グローバル新薬開発における人種差リスク回避目的を含む。

理由2: 顧客(政府・保険者を含む)の側の 「(単なる見かけ・幻想でもいいから) 消費者に選択の余地を残してよ」 という態度。 不確実性に対する好みの反映。 

理由3: ドラえもんがタイムマシンを貸してくれない限り、「この薬、あの人に本当に効いたの?」 「あの人に起きたブツブツの蕁麻疹って、薬の副作用のせい?」 という判断は人間には不可能、という科学の限界。 ドラえもんを作ることができない人間の知性の限界。(注 2)

(注 2) ドラえもんとタイムマシン、どちらを作る方がより難しいのかは微妙ではある。 

上の理由は3つともきわめて合理的だから、「この薬は有効だ」 の呪縛からの脱出がとても難しいことは十分理解できる。 でもね、有効性を錠剤の色などと同じ属性であるかのように勘違いして、 「この薬は有効だ(あるいは有効でない)」 というラベルを薬にまず貼って、おまけに何を血迷ったか、自らが貼ったそのラベルを出発点にして 「誰に薬が効くか・効かないか」 の主張を展開する方々の、なんと苦しげなこと。

そういう方々って、「この薬は有効なのだ。 だから、日本人や部分集団の誰かに『効かない』 はずはないのだ」 なんて苦し紛れに主張したりする。 本末転倒、自縄自縛、トートロジーという表現がぴったりだ。 まるで 「人類は身体も好みも統一すべき教会」 とか 「生産者の論理優先真理教」 といった妙な宗教に無理矢理入信させられた人たちを見ているようで、気の毒になる。 あのね、それって出発点から論理が破綻してますよ、実に残念なことだけど。

なお、私は言葉狩りがしたいわけじゃないので、誤解しないでね。 そうではなくて、「あなたも医薬品のプロならば、プロとして 『この薬は有効だ』 という表現が何を意味しているのかを忘れないようにしましょうよ」 ってことを単に思い出して頂きたいだけなのだ。 そんな簡単なことだけで、論理的に恥ずかしい間違いを犯した主張や論文はだいぶ減ると思うのですよ。 

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ということで、ネタが無いわりには、ここまで引っ張った今日の自分を誉めたい気分である。 皆さん、楽しい秋の夜長をお過ごしください。

寝付かれない夜には、こいつがお勧め。 興奮してますます眠れなくなること必至だけど(笑)

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